第四十一章 新しい住まい
「産れてから、もう二年も経ったのにパパはまだ美華のこと認めてくれないしぃ……」
「だから?」
君子は怪訝な顔で華那を見た。
「あたし、家を出るよ」
「それって相談じゃなくてダメ押しに聞こえるわよ」
「ん。相談ってかママに許してもらいたいの」
「もう心に決めたのね」
「ん」
華那は言い出したら意外に頑固なことを君子は知っていた。でも一応問いただした。
「生活はどうするのよ?」
「美華を保育園に預けて働くつもり」
「あてはあるの?」
「ないけど大丈夫」
君子は家から出してもほんとうにやっていけるのか心配になった。
「ママ、こう言うことはね心配してたらいつまで経ってもダメだよ。あたし思い切って頑張ってみる」
「何かあったり行き詰まった時はママを頼っていいのよ」
「ママ、恩に着るよ」
結局君子は華那に押し切られた。
二日経って、父親の敏夫は華那と美華の顔が見えないのに気付いた。
「華那と美華は居ないのか?」
「家を出ましたよ」
「家出したのか? そんな大事なことをなぜ相談してくれないんだ?」
「家出なんて人聞きが悪いですよ。ちゃんとあたしに相談して出て行ったんですよ」
「おまえ、勝手に許したのか?」
夫の言い方に君子は戸惑った。いままで美華を無視していたくせに今頃になって何てことを言うんだろと思った。
「あなたが華那と美華に冷たくするからよ」
「……」
敏夫は決まり悪そうな顔をした。
「別に冷たくしてたわけじゃないけどなぁ」
夫は小さな声で独り言のように呟いた。
家を出ると。華那は先ず住む場所を探し歩いた。都心に出ることは既に決めていた。今自分が住んでいる街では知り合いに出会ってあれこれ後ろ指を指されるのが嫌だった。美華が物心ついた後では尚更厄介だ。物価が安い街と言えば下町がいい。
新宿で不動産屋を訪ねた。
「物価が安くて家賃も安い所、どんな所がありますか?」
「住み易くなくちゃな」
と応対した年配の男は華那を見て笑った。
「はい。買い物とか保育園とか色々含めて住みやすい所がいいです」
「そうだなぁ。赤羽、十条、成増、荒川区は全体的に安いね。他に大田区の蒲田駅周辺も住みやすいよ」
「蒲田なんて聞いたことありませんけど」
「都内は初めてかい?」
「いえ、高校はH高でしたから」
「へぇーっ、そりゃすげぇや。優等生だったんだろ。それなら都心には明るいんだね。蒲田はね映画が好きな人なら知ってるがな、その昔松竹蒲田撮影所があった所だよ。今は鎌倉に移ってしまったがね。一度行って見るといいよ。そうだな、物件ならここで紹介してあげるからそれを持って行くといいよ。近くの不動産店を紹介してあげるから先ずお店に行って案内してもらいなさい」
「家賃って高いんですか?」
「ここら新宿界隈と違って蒲田は安いから心配せんでもええよ。どれどれ」
男はパソコンの画面を見て、ここなんかどうだと華那に画像を見せた。
「家賃は五万円、管理費なし、敷金は五万円、礼金はなしだ。東京じゃ安いと思うよ。三階建てのマンションで最上階ってものいいね。お勧めだよ。バス・トイレ付き、エヤコンも付いてるよ。洗濯機置き場もあるしな。これ以上いい条件の所はここくらいかな」
「あのぅ、駅から遠いですか?」
「遠いも何も、この辺りじゃ鉄道の便がいいから心配は要らんよ。大森駅まで歩いて八分、あんた自転車に乗るのか? 蒲田駅までは歩くと二十分はかかるがね、自転車なら数分だよ」
「自転車、乗る予定です」
「ああ、この物件は駐輪所も付いてるからぴったりだな」
「兎に角、行って見ます」
「そうだ。それが一番だよ。目でしっかり確かめてきなさい」
「ありがとうございました」
京浜急行大森駅前の不動産屋を訪ねると、
「ああ、先ほど新宿から電話してもらった方ね。どうぞこちらへ」
応対したのは四十歳過ぎと思われる婦人だった。
「この物件、まだ空いてると思うけど、ちょっと待ってね」
そう言うと電話をかけた。
「大家さんに連絡したら、今日ならいいそうよ。ご一緒に行って見る?」
「はい。お願いします」
案内されたアパートは新宿で説明を聞いた通り陽当たりが良くて周囲の感じも良かった。バルコニーも付いているから洗濯物を干すのにもいい。
「気に入りました。直ぐに契約します」
敷金と一ヶ月分の前家賃を支払って契約は成立した。
「あのう、お店の方の手数料はおいくらですか?」
「あなた、お若いのに随分律儀な方ねぇ。ご心配は要りませんよ」
不動産屋を出ると、保育園探しをした。アパートの周辺に大きな保育園が三軒もあった。今住んでいる所とは大違いだ。それで一軒、一軒回ってみた。その結果全部満員で直ぐには入園出来ないことが分かったが、二軒目で、
「区の施設は待機児童が多くて、直ぐには入園できませんのよ。毎年一二月早々までに来年四月入園予定の児童の申し込みを受け付けています。ご希望でしたら早めに区役所で手続きをなさって下さい。その場合、就労証明書や納税を証明する書類も必要になります」
と言われた。華那は明日こちらに住所移転するものの、就労証明や納税証明が必要なのに戸惑った。案内所のパンフレットを受け取って聞いてみた。
「区の施設以外で預かって下さる所はないんですか」
「それでしたら認証保育所があります。ただ……」
「何か?」
「料金が高いんですよ。あなたの場合、多分こちらでお預かりする場合毎月三千円~四千円くらいで済みますけれど、認証保育所の場合は毎月五万五千円~七万円位かかります」
それを聞いて華那は気が遠くなった。アパートの家賃より遙かにお金がかかるのだ。
仕方なくとぼとぼと駅まで歩いて帰宅した。帰宅すると疲れがどっと出て、美華と一緒に寝てしまった。明日は引っ越しだ。美華をどうしよう。疲れているのに考えれば考えるほど頭が冴えてきて寝付けなかった。




