第四章 帰らぬ母
有華が引っ越したと聞いて君子は驚いた。
「まさかとは思ったけど」
「えっ、どうかなさいました?」
有華の隣人は君子の動揺を訝った。君子はそそくさとその場を立ち去ったものの、これから華那をどうしようか、自分の旦那様にどう説明しようか、あれこれ思いを巡らせながら家に戻った。
瞬く間に半年以上過ぎたが案の定有華は戻らなかった。君子は有華の親戚関係について何も聞いていなかったので親族に連絡しようにも糸口がつかめない。役所に問い合わせてみたものの、個人情報は第三者には教えられないと突っぱねられてしまった。
華那は君子に言われるがままに母親が連れ戻しに来るのを待っていたが、いつまで経っても母親が来ないので、自分が住んでいた家に行ってみた。ドアをノックし大きな声で、
「ママァ」
と叫んで見たが返事がない。叫び疲れてドアの前にしゃがみ込むと眠ってしまった。
「あら、華那ちゃんじゃない。ママと一緒じゃなかったの?」
華那は隣の奥さんに揺り起こされた。
「あたし、ママに逢いたいの」
「一体どうなってるんだろ」
隣人は面倒なことに関わりたくなかったので華那をほったらかしにして立ち去った。
君子に連れ戻された華那はまだ状況が分かっていなかった。来年小学校にあがる前の年だから無理もない。君子は、
「華那ちゃんは今日からおばさんちの子供だよ。なので華那ちゃんのお家は今日からここよ。分かった?」
「どうして?」
「華那ちゃんのママは遠い所に行っててしばらく帰って来ないのよ」
華那が理解したかどうかは分からないが、その日から君子は自分の娘として育て始めた。有華の状況が分からないので戸籍に入れるわけにも行かず、児童相談所に出向いて相談すると、応対した職員は、
「お話はよく分かりました。本件の場合は育てるべき保護者がお子様の養育をを委棄したものとみなして、児童養護施設へ送ることになりますが、国が定めた里親制度がありますのでご検討なさってはいかがでしょう。児童福祉法が改正されまして、現在は従来の養育里親の他に養子縁組里親、つまり将来あなたの養女として育てられる制度ができております。この制度は六歳未満の児童に適用されるのですが、あなたの場合は既に一年近く実質的に養育なさっておられますので、その場合には八歳に達するまで養子縁組里親の申請ができることになっております」
「具体的な手続きはどうすればよろしいのですか?」
「児童養護施設などから紹介された場合には半年程度実際に育てて頂いてから家庭裁判所に申請する必要がございますが、本件の場合は既に実績がありますので養子縁組里親の申請手続きをして頂いて、その上で家庭裁判所に申請をして下さい。もちろん私どもも協力いたします。裁判所では所定の調査をしますので少し期間はかかりますが、問題がなければ特別養子縁組の判定が下ります。そうすると判決の翌日に養子縁組里親の登録が抹消されまして、あなた方の娘として戸籍に入れることができます」
「戸籍ではどんな形になりますの?」
「あなたの場合は既に一歳年上の娘さんをお持ちでいらっしゃいますので、戸籍上は二女として記載され、民法八百十七条の二による裁判判定と言う但し書きが付きます」
「そうなんですか?」
「特別養子縁組で大切なことは、養子にされた時点でお子様の実の親との縁が切れてしまうことです。ですから、あなた方養父母の都合で一方的に縁を切ることは法律上許されていません」
「普通、養子と言えば実の親との縁はつながったままですよね」
「その通りです。普通養子縁組の場合は産みの親との親子関係はそのままになります。けれど今回のように特別養子縁組にしますと、産みの親、つまり岸田さんとの親子関係はなくなってしまいます。お子様の将来を考えますとその方がすっきりすると思います」
君子は旦那と相談して華那を養女とする手続きを進めた。