其の九
from first to last
「当時、学校では不気味な少女の噂が絶えなかったよね。古いしきたりのある鴉朱村では、迷信じみた方がよく似合うのよ……大人の都合で」
遠くさかのぼると、鴉朱村では昔から子供に聞かせる話の一つに、嘘か真か解らない物語を伝えている。
“鴉様の財宝”もその一つであった。
鴉朱村の由来には、朱色の鳥居と鴉の存在が大きい。その昔、人がそれ程、住んでいない山には鴉が大群をなしていた。
遠くからでも、空や山をおおう漆黒の鴉の姿が確認出来る。
鳴き声一つにしても、しゃがれた声が響く山は不気味だと、誰も寄り付かない。
ある者は災いあるものだと罵り、またある者は山には隠し財宝があり、それを見守る存在なのだという。
試しに欲にかられた者が手勢なり、山へ行ったが誰も戻らない事もあったのだと。
やがて時は流れ、土地開発などで山上にも人の手が入るようになる頃。祈願の意味も込めて東西南北に朱色の鳥居を建てた。
煩く鳴く鴉の群れ。
それがいつしか少なくなっていったという。やがて一人、また一人と住み始めた村人は、鴉朱村を神聖な場所として崇めた。
悪さをする子には、良い薬だと怖い物語を。まだ何も知らぬ子には、悪に染まらぬようにと聞かせた。
柑菜達が居た当時は、誰が最初に語りだしたのか現代風に“鴉朱村の少女”とカタチを変え、人々に恐怖を植え付けた。迷信と片付けるには真実味が残るように。
迷信を信じる者。
信じない者。
鴉朱村では、そんな噂話しが絶えない。
「夏や百合が居なくなった日、鴉朱村ではもう一つ悲しい事があったよね?」
霧塔の目を見据える柑菜。風が吹き抜ける度、はおる浴衣の袖がなびいた。森のざわめく音が強くなる。
そんな柑菜から向けられた視線を交すように霧塔は押し黙り、霧塔家の明かりに目を配らせている。
体の芯を冷やす夜風の冷たさの中。無表情で、どこか冷めた霧塔の横顔を、ただ眺めていた。
「あの日、霧塔のお祖母ちゃんが亡くなっていたよね? でも、私達が行方知れずになっていて、村の大半が捜索するようになっていた」
小さな村での事、大概は村人が総出で何かをする。
霧塔家の通夜もそうであったが、夜更けになっても戻らないという相沢家、松井家、天宮家の親族の申し出に皆、動く事となった。
前方もよく見えない暗闇の中、手に灯りを各々持ち、山を捜索する。灯りが心許無い暗闇。
やがて村人の足は立ち止まり始める。日の出と共でないと、二次遭難の危険もあると。
暗闇では無理だと悟った村人は、一度止めて早朝から再度、捜索をする事にした。
そんな中、道端で倒れる柑菜だけを発見していた。何度か探しに通ったはずの学校への道で何故いたのか、疑問を残しながら。居なくなってから二日目の事である。
「ね、霧塔。当時には解らない事が、時を経て理解する事もあるみたいなの」
寂しげに消え入る声に霧塔は何の反応もみせない。柑菜の深い溜め息が風に紛れ込む。
すっかり冷え切った体を擦りながら、話しを続けた。
「夏が“お守りを拾った”と言った部分、思い出していくと何か妙で……ううん、違和感があったのね。だって、少し前にも何処かで見た気がするから」
当時には気付かなかった事。自らの記憶を辿る柑菜は、行方不明になる前日の事が、はっきりと思い浮かんでいた。
丁度、霧塔と佇む前の霧塔家を眺めた時、それは徐々に確信へと。
学校へ繋がる道は霧塔家からの裏道と直接、森の間を切り開き整備し、造られた道がある。
大概は整備された道を行くのだが、霧塔は実家から近い裏道をよく使っていた。村長である霧塔家、村に住む者なら誰もが知っている事。
時折、その裏道を使って、通る者も勿論いる。行方不明になる前日の柑菜も、そんな一人であった。
普段より少し早起きをした柑菜。普段、あまり通らない霧塔家の裏道を行く事にした。
まだ朝霧が立ち込める中、ゆっくりと登り始める。
やがて霧塔家に差し掛かった時、足を止めて辺りを見渡した。早朝の澄んだ空気を深く吸い込みながら。
そんな柑菜の眼下に、障子の開いた一室が映り込んだ。視力の良い柑菜には霧の中とはいえ、中の様子がよくわかる。
柑菜と変わらない子供姿と、敷かれた布団上で寝転がるお祖母さん。朝早くから甲斐甲斐しく、お祖母さんのお世話をする少年の姿。柑菜は記憶に留めていた。
この少年は勿論、霧塔家に住む長男の霧塔だ。そして、まだ健在だが、翌日には亡くなる霧塔のお祖母さん。
柑菜は休息も程々に足早く、その場から立ち去っていた。振り返った霧塔と目が合った気がしたために。慌てて、上半身が隠れる草村に身を潜めながら。
「今思えば……それが始まりだったのかもね。私が裏道を利用した、あの日が……」
霧塔は僅かに体を動かす。柑菜の言葉に反応するように。元通り柑菜の澄んだ目を覗く。
今度は柑菜が目を逸らすように、背を向けた。その先の話しを拒むように。だが、意を決した声が一つ。
「当時は何気なく覚えていた事。だって、朝早くに寝床にいるお祖母さんの、お世話をしているとしか映らなかったから。孫である霧塔の手を掴んで、立ち上がろうとしているとしか……解らなかった」
再び振り向く柑菜。
その目には先程までの迷いも消え、前に佇む霧塔を睨みつけている。
月明かりのせいで影になる霧塔の顔。その表情がよく解らない。ただ、柑菜を眺めているようにも、不気味にも映る。
「口話法って知ってる? 霧塔とは同じ学科が殆んどだけど、違うのもあるよね。そんな中の一つにあった授業よ。口の動きで何を言いたいのか解る事」
柑菜は声を出さずに口を動かす。対峙する霧塔によく解るように。
「あの時、お祖母さんが言ってた事が解ったの。そして、何故、足早に去ったのかも。あの時、振り向く霧塔が……怖かったから」
ナゼ ? アオイ ?
ナゼ ? アオイ ?
声を押し殺した口話法が語る。当時のお祖母さんの言葉を。
霧塔の腕を必死の形相で掴みながら、霧塔の手に握られた朱色のお守りを取り戻そうとする。持病の心臓病を抑える薬、それを入れた大事なお守り袋を。
お祖母さんの願いも虚しく呼吸が荒くなり、老いた体が重たく毛布の上へ沈んだ。遠くから覗く柑菜には、息をしているかどうかの判断は出来ない。
ただ、偶然なのか急に裏道の方を振り向く霧塔の冷たい目が恐ろしく、慌ててその場から立ち去った。小さくても目立つ朱色のお守りを記憶に留めながら。
一瞬の出来事、庭先から覗く霧塔の目に柑菜の姿が映ったのかは定かではない。
「夏が拾ったお守り……あれは霧塔が落とした物だったんじゃないの? 私を追い掛けて」
何処にでもある普通のお守り。確信があるわけではないが、柑菜はそう考えている。
だが、物陰に隠れた柑菜の顔までは解らず、あの時間帯、学校に居た者を調べていたのではないかと。
鴉朱村の校舎に早朝から訪れる生徒はまばらであるが、偶然にも夏や百合も早くから来ていた事を柑菜は記憶していた。
夏はその時、何処かで拾ったのではないかと。
「違うかな? 霧塔?」
「……」
「私が夏達と最後に別れた日。あの時も霧塔は居たんだよね? あの校舎に」
ただ黙る霧塔を前に、柑菜の古い記憶が蘇る。空が暁に染まりだす頃、教室で一人座る夏。
先に帰った柑菜と百合の出て行った扉を眺め、溜め息が一つ溢れた。椅子の動く音が床に響く。
夏は側に置いていた鞄を手にして、扉へ手を掛けた。そんな夏が開くより先に、誰かが扉を動かす。
「百合?」
視界に映る姿、三編みの長い黒髪。見慣れた色白で気さくな笑顔。急いで戻ったらしく、顔は熱り息も荒い。
一息、呼吸を落ち着かせた百合の視線は夏をとらえる。
「良かった、まだ居て。ね、夏ちゃん。職員室に用事があるって嘘なんでしょう? 噂を試しに行くんだよね?」
「……なんだ百合は知っていたの? 噂の事」
夏の問いに頷く百合。興味深いのか瞳が輝く。百合から柑菜は先に帰った事を聞きながら、二人で校舎の裏手に繋がる扉へ移動する。
すっかり、人気もまばらになった校舎。差し込む陽に影が伸びる。“噂”とは勿論、鴉朱村の少女の話しだ。
鴉朱村の少女が住むとも、鴉様の財宝の在りかとも言われている場所。なんでも願いが叶うという。
校舎の裏手には深い森が広がり、その何処かに存在すると噂された。山の頂上付近に学校を建てたが、周囲の森まで着工の手は入らず、自然が残されていた。
誰も寄り付かず、迷子にならないようにと普段から出入りすら禁じられた森。
無造作に学校周辺のみに接する部分をロープで囲まれている。二人は周囲を気にしながら、そのロープ先へと足を踏み入れた。
少し歩いた先で夏は急に立ち止まると、辺りをしきりに気にして見回している。
「どうかしたの?」
「いや、何でもないよ。誰かに見られている気配がしたから……でも、気のせいよね」
「夏ちゃんも怖いの?」
「なっ、違うわよ! ほら、行くよ!」
怪訝そうに頬を少し膨らませた夏。勢いよく森の落ち葉を踏みしめて進む音が辺りに響く。空では鴉のしゃがれた声が木霊した。
置いていかれまいと小走りの百合。先程の事が余程面白いのか笑い声が溢れる。普段から強気の夏は弱味を見せない、特に百合の前では。
「あれは、夏と百合?」
再び校舎へ足を運んだ柑菜。遠くで、見知った姿が映り込んだ。その姿を追うように禁じられた森のロープ前へ佇む。
「何で、二人がこの森に? 見間違いだと良いけど……」
人を呼ぼうか少し迷いながら、柑菜は一人でロープ先へと踏み入れた。樹木に閉ざされた森には陽の光も少なく、見渡す先は深い暗闇。
喉元から息を飲み込む音が一つ。何が待つのか解らない先へ躊躇するよう足が動かない。
「? ……気の……せい?」
ふと、誰かの視線と気配がして振り返る。辺りを見回すが、校舎が寂しげに陰を落とし微かに人の声が届くのみ。学校に残る生徒、帰宅する生徒の声が。
柑菜は再び前を見据え意を決し、駆け出した。二人を追うために。
「百合、いつまでも笑わないでよ。ったく……」
「ふふっ」
静まり返る森の中、先程の事で不機嫌な夏が百合を睨みつける。そんな姿も面白く映るのか笑顔を向ける百合。
不意に立ち止まった夏が百合の黒髪に目をとめた。三編みの黒髪、その耳元には映えるように白い髪留めが。夏は手を伸ばすと百合からその髪留めを外した。
「あっ……夏ちゃん、それ大事な物なの。返して?」
戸惑う百合に夏の苛立ちが更に募る。
三人の中でも特に夏は行動的でもあり、よく衝動的な行為がある。思春期頃ならではの子供じみた部分だ。
百合もそれをよく解るため、夏の次の行動を窺っている。腹に据えかねた状態の夏を恐れ。
「何よ? ただの髪留めでしょう?」
「それは、お姉ちゃんから貰った物なの。だから返して!」
「ちょっ……百合!」
いつもなら夏の気が済むまで待つ百合だが、髪留めへの思い入れが強いのか夏の手へ掴みかかった。その行動に驚きながらも夏は百合を突き放そうとする。
もみ合う二人。
夏はあまりの百合の変貌ぶりに戸惑い、体が後ろへよろめいた。
「きゃあ!」
気迫に圧倒され、何歩か後退った時。足場の固さが急になくなり、夏の体が傾いた。一瞬にして夏の体が地面へ埋もれていく。地面、いや水面揺れる沼に。
見上げる夏に百合の驚く顔が映り込んだ。先程まで歩いてきた森、その暗い陰がおおう中、悲鳴が木霊する。
「ゆ、百合……た、助け……て……」
抜け出そうと、もがく夏を沼はあっという間に飲み込む。夏の恐怖にかられた顔を最後に、水面は静まり返った。
「な、夏ちゃん? ねぇ? 夏ちゃん!」
崩れ落ちるよう、その場に力なく座り込む。今起きた事がよく理解出来ず、水面に叫んだ。百合の悲痛な声だけが寂しく木霊した。
「百合?」
「あ、柑……菜ちゃん……」
二人を追い、森を駆けてきた柑菜は見慣れた姿を地面に見る。涙で頬を濡らす百合を。力ない声に柑菜は直ぐ様、駆け寄った。
「どうしたの? 夏は一緒じゃないの?」
「柑菜ちゃん、夏ちゃんが……夏ちゃんが」
百合の指差す方を見ると、森の落ち葉と同化するような水面が一つ。よく見なければ誤って足を踏み入れそうだ。
百合から事情を全て聞き終えた柑菜は、目の前にあるものが底無し沼だと理解する。禁じられた森に存在していたのは、財宝でも何でもない友を飲み込んだ沼。
禁じられた森に着工の手が入らなかった理由の一つであった。辺りを見渡せば、他にもあるかもしれない。
柑菜は一度、学校へ戻り事情を大人に話そうと言う。百合は黙ったまま首を横に振り、立ち上がった。
「百合?」
「柑菜ちゃん、この事は秘密にしてもらえないかな? 私達の事。何も知らない方が幸せな事もあるわ。だから、お願い柑菜ちゃん」
「え?」
再び沼の水面が揺れ動く。百合が足を踏み入れたために。慌てて引き留める柑菜を、百合は振り向きざまに力強く突き飛ばした。
その勢いで地面に倒れ込む。柑菜の視線の先には、百合の体が沈みいく姿が映り込んだ。最後の笑みを百合は柑菜に向けて。
「な、何で百合?」
「ごめん、柑菜ちゃん。私のせいで夏ちゃんは……だから私も。鴉朱村は小さな村だから、この方がきっといいの。ありが……とう」
「やだ、百合っ、百合!」
柑菜の思いも虚しく、水面は百合を飲み込み静まった。手を伸ばした柑菜は、地面へその手を叩きつけた。その度にくちた葉が舞い上がる。
何度も、何度も。
むざむざ見送る事しか出来なかった事を悔いるように。
「何で、何でよ? ふっ……うっ……うぅ」
一人残された柑菜。
静寂の中に声が轟く。大粒の涙が禁じられた森へ溢れ落ちた。
「っ……痛……な、何?」
急に襲われた目眩と激しい頭痛。
霞む視界に、すっかり日差しが失われた闇の中を誰かが近付いて来る。枯れ葉を踏みしめる音が柑菜に段々と迫る。
あまりの急激な体調の変化に柑菜は、最後までその者を確かめる事なく意識が遠のいた。
それから翌朝早く、学校沿いの道端に倒れている所を発見されていた。手には百合の白い髪留めを握り締めながら。
「私はあの後から、その時の記憶を失っていたけど、百合が死んだ理由、現在はなんとなく理解しているの。故意ではないとはいえ、夏は死んだもの。蒔野さんの進学やご両親、色々考えても噂が広がりやすい鴉朱村では生きにくいから」
罪の意識にさいなまれたのも勿論だろう。百合は神や宗教を重んじる傾向があった。
二人が居なくなった後も鴉朱村では様々な噂が広まった。相沢家、松井家も程なくして進学や仕事の関係で鴉朱村から離れている。誰も真実を知る者はいない。
「私ね、思い出す内、気を失った後に見ていた夢を思い出したわ。誰かに背おられて森を歩いているの。その背中の温もりが温かくて……そんな夢……」
「思い出したのは、それで全部か?」
遮るような言葉。
柑菜は少し驚きながらも、元通りの霧塔の顔に安心する。相変わらず風が吹き抜ける裏道。
何分、何時間、それ程までに時間が随分と経つ気がする中、すっかり冷えてしまった体を柑菜は霧塔へ向けている。
「うん。今まで頭にあったもやが消え、すっきりしているわ」
「そうか」
「な、何するの?」
霧塔は柑菜の返事を聞くなり、柑菜の腕を強く掴み自分の方へ引き寄せた。
戸惑う視線を向ける柑菜は、その手から逃れようとする。だが、霧塔の左腕がすでに腰へ回り、離れられない。
霧塔を見上げる柑菜の目には怯えが残る。
普段からお互いの息遣いが聞こえる程側にも、肌が重なる事もあまりない距離のために。
全てを思い出した柑菜にとって、目の前に佇む霧塔は甘い恋心を抱くだけの存在ではなくなっている。
蒔野と画策していた事も含めて。
「俺にも柑菜が受けていない授業の一つがある。それを試すのさ、この時を待っていたから。全ての記憶が戻る時を」
「や、め……」
柑菜の耳元で何かを囁く霧塔。
その言葉のせいか柑菜の焦点が合わなくなり、やがて瞼を閉じた。
先程まで、微かに霧塔家から届いていたはずの風鈴の音色は、風が更に強くなり、嘆くように鳴り響く。
力なく崩れ落ちる柑菜の体を霧塔は、しっかりとその腕に抱きとめている。
二人の行く末を見守っていた月。
淡く照らす月明かりが雲の陰に隠れ出した時、裏道に写し出された二人の影もカタチを消して、辺りの闇に包まれた。
「あの時からかもしれないな……」
色白な素肌の頬を一撫でし、柑菜の口許へ霧塔は重ねた。
「……気を失っているのか……」
日差しや人も拒むような湿る森の土。うつ伏せに倒れている柑菜の体を揺さぶるが、意識を取り戻す気配がない。
柑菜の側にある水面に気付くと、霧塔は近くにあった石を掴み、投げ入れた。石は鈍い音を沼に響かせて、最後には静かに沈んでいく。
霧塔は三人の内の誰かが家を覗いていた事に気付き、放課後は跡をつけていた。何処かに落とした、お守りを取り戻すために。
鴉朱村中学校では生徒の数は少なく、仲の良い友達同士もすぐに解る。あの時、早朝にいた者を探り当て、三人を見張っていた。
「底無し沼か」
遠くの木陰から様子を眺めていた霧塔だが、大体の予想はついている。三人の内、二人は消えているなら残りは柑菜だけと。
誰が拾ったのか解らないが、このまま消えてもらうのも悪くないと再び柑菜の側へ寄った。今、底無し沼に落とせば何も証拠は残らない。
柑菜の腕を強く掴む。不意に、うなだれた柑菜の顔が霧塔の方へ上向いた。
涙を流していたあとが残る顔。その様子に霧塔の動きが止まった。
心臓を患うお祖母さんを、その手にかけたのは進学のため、鴉朱村を離れたいために。
お祖母さんは昔から過ごしている鴉朱村の土地を離れたくないと言い、霧塔の母親を困らせていた。
少し死期が早まっただけに過ぎないと、冷めた心を持つ霧塔。
実行した日、計画は完璧だったのに誤算が生じた。
柑菜の存在である。
昔から大人びて、冷めていた少年。そんな霧塔に、また一つ誤算が生じる。
「綺麗な顔だな。誰かのために涙を流すか……」
目を覚まさないよう、引き起こした柑菜を大事そうに背中に抱え、側に落ちていた白い髪留めを拾い、その場をあとにした。
霧塔家の裏手へ柑菜の身を隠し、ほとぼりがさめてから道端へ運んだ。誰かが通るのを見計らいながら。
発見された後、暫くして天宮家が鴉朱村を離れた事を知った霧塔。再び大学で出会えたのは本当に偶然だったが、何故か気になり側にいる。
あれから柑菜が記憶障害に悩まされている話しを聞き、それも悪くないと思っていたが、蒔野が現れた。
全てを思い出した時、忌まわしい過去も再び蘇り、あの時、覗き見た者が柑菜だったらと、霧塔は手を貸す事にした。
もう一つの計画を実行するために。記憶障害が治った時、再び催眠療法で記憶を取り除こうと。
「葵お兄ちゃん、柑菜さん! また会おうね!」
「鈴ちゃん、またね」
「あぁ、元気でな」
霧塔家の軒先で鈴が両手を振る。二人は訪れた道を引き返すようにして歩く。柑菜は少し前を歩く霧塔の背中を眺めながら。
何度か振り返り鈴へ手を振ったが、その姿も遠のいた。二人は途中、交通止めになった道のせいで造られたという、正規の舗装道路を行く事にした。
「教えてもらった道、本当に早く着くね。もう、朱色の鳥居が見えるわ。相変わらず大きいよね」
声を弾ませる柑菜。
花火から戻った時、霧塔の腕の中で眠りについていた。体調を崩したという事にされ。
鈴が心配する中、目覚めた朝には元通りで体調の良い柑菜。霧塔は少し早いが予定を早め、鴉朱村を出る事にした。
最後まで入れ違いのまま、叔母夫婦を見掛ける事なく、鈴に見送られ霧塔家をあとにした。
何か言いたそうな鈴の顔が柑菜は少し気になったが、また出会った時に聞くのも悪くないと。
「柑菜、何か思い出したか?」
「ん? 何を?」
「いや……何も覚えていないなら、いいんだ」
「? 変な霧塔。そういえば、何で鴉朱村に来たんだっけ? ま、いいか……」
二人が朱色の鳥居をくぐる時、羽を休める漆黒の鴉が一鳴き。やがて二人を見送るように飛び去った。
澄み渡る青空に吸い込まれるようにして。そんな様子を見上げる柑菜。鴉の遠のく、しゃがれた声が過去を運び去る。
「柑菜? 置いていくぞ?」
「待ってよ、霧塔」
少し前を歩く霧塔に慌てて駆け寄る柑菜。朱色の鳥居をあとにし、仲良く手を取り合う二人の姿が白い敷石に写しだされた。
その後、鴉朱村からは人が麓に下り誰も居なくなった廃村として、現在もひっそりと森に存在する。麓で新たな生活を送る者の中には勿論、鈴達もいる。
鈴と霧塔や柑菜が再び出会うのも、そう遠くない話し。今度は、おめでたい席かもしれないのだから。
「蒔野、やり過ぎだぞ。職員室で柑菜の前に現れるなんて。その姿は二回だけの約束だろう?」
「何の話しよ? 私は計画通り、トイレから抜け出して一人寂しく三階へ直ぐ上がったわ」
「? ……何でもない。明日で最後だ」
「そうね」
学校へ続く道端に倒れている柑菜を前に佇む二人。蒔野は、おかっぱ頭のカツラを外すと、村の方へ去った。
見送る霧塔は、柑菜を抱え上げる。薄暗い道に霧塔の声が一つ木霊したが風が直ぐ様、吹き消していく。
「柑菜が職員室で見た少女は、誰だったんだ?」
二人は霧塔家の方へゆっくり引き返して行く。辺りの木々を揺らす葉音が酷く唸る。この先、柑菜を待ち受ける予兆のように。
“何も知らない方が幸せな事もあるのよ”
鴉朱村に存在する噂話し。
鴉朱村の少女、鴉様の財宝も誰が最初に語ったのか謎のまま、現代に受け継がれる。
鴉朱村で何でも願いが叶うとされたモノ。現在も静かに水面を揺らし、何かを飲み込むのを待っている。“願い”、例えそれが人の闇でも。
「鴉朱村」、最後までお付き合い頂きまして、有り難うございました。
少し秘話(?)をしたいと思います。
まず、現在まで現代短編として執筆した中で、一万字以上の作品はこれが初めてになります。
三万字以上の長編にお付き合い、本当に嬉しいです。
そして、今回の作品ジャンルはホラーですが、初めてのジャンルになります。
ホラーにも、更に色々な言い方が存在しますが、一応、サイコホラーとして執筆しています。
ホラーは勿論、推理や人間心理、サスペンスなど大好きです。今後も執筆したいジャンルの一つです。
また皆様と機会がありましたら幸いです。それでは、ここまで読んで頂きまして、有り難うございました!