其の八
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学校へ近付く程、花火の物音が耳に強く残る。夜風が柑菜を後押しするように通り抜けた。
冷たい夜風が行く先、囲む森の葉音を鳴らし去る中、前方の木陰に誰か人の姿が映り込んだ。その姿に柑菜の進む足が止まる。
「誰?」
森の間より浮かびあがる影。柑菜の手から差し向けられた灯りが、その姿をぼんやりと照らす。淡い灯りのもと、怪しく笑う少女が一人。
「貴方は……」
見覚えある姿、何度か遭遇している制服の少女であった。強張り固まる柑菜の方へ少女は一歩、また一歩と近付く。あと少しの触れる位置で少女は足を止めた。
いつもなら気を失うはずの柑菜が灯りをしっかり握りしめたまま、息一つ乱さず少女を待つために。
「……そんな格好、もうしなくても良いのよ蒔野さん」
うつ向き加減に佇む少女の肩が、その言葉と共に一瞬震えた。ゆっくりと柑菜の方へ顔をあげ始める。
「もう気付いたの?」
「ついさっきね……」
灯りに映し出された少女。
その姿がはっきり浮かぶ。断念した様子で溜め息を溢すと、髪の毛を掴み取った。おかっぱ頭はカツラで、その下には長い髪の毛がまとめあげられている。
蒔野はそのゴムを外して、元通りの長い髪を下ろした。夜風になびく蒔野の髪。その口元には笑みがあった。
「この格好、中々似合うでしょう? 遠目や暗がりなんかだと少女に見間違えるわよね」
「……また、霧塔も近くにいるの?」
その場で制服姿を見せ付けるよう振る舞う蒔野に、柑菜は辺りを見回しながら聞く。
その問いに蒔野の顔が一瞬、険しくなる。先程とは違い、柑菜を見据える目にはどこか悲しむような、憎むような眼差しが向けられた。
「勿論よ。でも、今は花火の手伝いで学校にいるわ。だから、もう少し私と話しましょう? 例えば何故、私だと気付いたのかしら? 何かを思い出したの?」
最初に出会った頃と変わらない蒔野が佇む。柑菜は頷くと、浴衣の帯から一枚の写真を取り出した。
「ここに写っている三人は私と、一人は相沢夏。そして、もう一人は松井百合。蒔野さんの名前でわからなかったけど……この髪留めは百合の持ち物。この写真に写る百合と同じく。そうでしょう? 百合のお姉さん」
柑菜の差し出された左手の中には、学校で拾った白い髪留めが一つ。蒔野は驚いた様子で、柑菜からその髪留めを大事そうに受け取った。
その様子を黙り見守る柑菜。夜空が時折、明るくなる道では二人の対峙する影が写しだされた。
「この髪留めを柑菜さんが拾ってくれてたのね。気付いてくれるか心配だったけど置いたの……百合の形見を。昔、柑菜さんが発見された時、側にあったものよ」
白い髪留めを愛おしそうに撫でる蒔野の手。名字が変わったのは事実であり、現在は結婚しているのだという。
白い髪留めは昔、行方不明になった柑菜が発見された側にあり、蒔野が妹に贈った品であった。姿が忽然と消えた妹の形見として、今でも大事にしている。妹も大切にしていた物を。
「蒔野さん……」
「全ては柑菜さんに思い出してもらうため。そのあやふやな記憶を取り戻して、あの時、百合に何が……いいえ夏さんも含め、貴方達に何があったのか知りたいから」
感傷を振り払うような蒔野の言葉に、柑菜は辛い顔をする。言葉がつまるのか、握る写真の手を下ろした。
遠い記憶の過去。
曖昧なまま、記憶が刷り変わっているのは蒔野も知っているらしい。
あの日、夏からお守りを見せられた柑菜は確かに帰途へ着こうと今、佇む道を歩いていた。だが途中、柑菜は学校へ戻っていた。
再びその姿が見付かったのは、道端で倒れ気を失っていた時。目覚めても記憶が消えていた柑菜を心配した周囲が、あえて強く聞かなかった。
すでに、夏と百合という友達が同じく行方知れずになっていたために。仲の良い事は周知の事、まだ子供の柑菜には酷だろうと。
鴉朱村は犯罪とは無縁で、神隠しやら迷信じみた事の方が噂は耐えなかった。妹の悲報を夏休みを利用して戻った蒔野が聞き、柑菜の存在を忘れずにいた。
鴉朱村が近々、地図上から消えると聞き、蒔野は今回の事を計画したのだという。
霧塔とは柑菜を調べる内に出会い、協力を持ちかけていた。普段から偏頭痛に悩む柑菜を知る霧塔は、記憶が戻ればと承諾した。
まだ村長をする霧塔家の事もあり、柑菜の側にいる恋人の関係も協力者に、これほど最適者もいない。
「それで……何を思い出したの?」
「私が覚えているのは写真の事だけ。あとは……ごめんなさい」
うつ向く柑菜に蒔野は深い溜め息を溢す。記憶が戻るかどうか、それは賭けでもあったため。残念そうに肩を落とす蒔野に、柑菜も謝る事しか出来ない。
「もしかしたらって思っていただけ。残念だけど仕方ないわ。百合も夏さんも、あの頃から姿は見えない。一体何処へ消えたのかしらね? 私は明日、鴉朱村を発つから……もう柑菜さんの前にも現れないわ」
蒔野は元通りの笑顔で柑菜に最後の挨拶をすると、手を振りながら立ち去った。
木々の間を規則的に並ぶ灯り、その道へ蒔野の姿が遠ざかる。その後ろ姿を見送りながら、少し寂しそうな表情を見せた蒔野の顔が忘れられずにいる。
「柑菜? 来ていてたのか?」
暫く佇む背後に気配が一つ。その気配に振り向くと霧塔が佇んでいる。花火の打ち上げも、あと少しで終わるため、霧塔は引き上げる途中であった。
鴉朱村の花火、初日は前座のようなもので、本格的には二日目からになる。夜通し打ち上げられる花火が、鴉朱村の空を埋め尽すのだ。今年はそれも最後となり、一層、綺麗なものになるであろう。
「見に来たのなら、近くで見るか?」
「ううん。夜風に当たっていたら冷えたから、もう帰ろうと思うの……」
「そうか」
二人は霧塔家に戻る道を歩き出す。数分前には蒔野も通ったはず。柑菜は霧塔の背中を眺めながら、何かを覚悟した様子であった。
柑菜が寝泊まりする部屋が見える坂道まで来た時、柑菜は足を休めた。前を歩く霧塔も、下駄の鳴る音が止んだ事に気付く。
「どうかしたのか?」
「蒔野さんとね、さっき会って話したの。もう私達の前には現れないって……」
その言葉で霧塔は全てを悟ったのか、口をつぐんだ。柑菜は、そんな霧塔の方を振り向く事もなく、ただ霧塔家を眺めるだけであった。
「蒔野さんには、昔の事を思い出せないって言ったわ。でも……霧塔、本当は全て覚えているの」
辺りの草木がざわめく中、柑菜の耳には霧塔家の風鈴の音色が届いていた。今にも消え入りそうな音色。揺れる柑菜の心のように。
「何を思い出したんだ?」
霧塔の眼鏡奥の瞳が一瞬、怪しく光る。見守る月明かりに照らされて。
「鴉朱村」は次話で完結します。ここまで読んで頂き、有り難うございました。