表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/9

其の七

album

「何も知らない方が幸せな事もあるのよ」


「えっ?」


「だから、お願い。柑菜ちゃん」


 たちこめる霧の中に佇む少女。鴉朱村中学校と同一の白い制服に身を包んでいる。顔は濃霧のためかぼやけていた。

 その少女と向かい合うように柑菜はいる。先程まで見掛けていた少女とは違い、何処か懐かしさを覚える顔。


 少女は柑菜から離れ、足元にある沼地へ足を踏み入れた。濁り、何も見えない沼に少女の体が段々と沈んでいく。


「ま、待って!」


 沈む少女に手を差し伸べようと柑菜は急いで駆け寄る。そんな手も虚しく、沼は何事も無かったように少女を飲み込んだまま、水面を揺らし終えた。

 柑菜の頬を伝う涙が沼に溢れ落ちる。


「……ここは?」


 虫の鳴き声が入り込む見慣れた空間が目に映り込む。横たわる体を起こす柑菜。体に掛けられた毛布から抜け出して、障子の開いた庭先に目をやる。

 辺りは暗闇に包まれており、時々、蛍の光が淡く浮かびあがった。


「柑菜さん! 目が覚めたの?」


 静寂を打ち消す甲高い声。その声の主へ柑菜は体を傾けた。淡い桃色の浴衣に袖を通した鈴が笑顔を向ける。

 柑菜も、いつの間にか白い浴衣を着ており、夜風と共に鳴り響く風鈴の音色が、夏の暑さを和らげていた。


「私は……いつ霧塔家に戻ったの?」


「帰りが遅いから、鈴と駐在さんで様子を覗きに行ったの。そしたら、柑菜さんが道端で倒れていて驚いちゃった」


 縁側に足を出して座る柑菜の隣に、鈴も腰を下ろした。手に持ったお盆を廊下へ置き、冷えたお茶を柑菜に差し出す。

 柑菜と霧塔が学校へ向かう途中に出会った警察官が、夜更けに霧塔家へ立ち寄ったらしい。それから学校へ向かい、柑菜を発見したとの事。


 それから死んだように眠り続けた柑菜。あれから一日経ったという。


「じゃあ、あの時の警察官が運んでくれたのね?」


「うん」


「鈴ちゃん、あの……霧塔は? それに……」


 口篭る柑菜。

 意識を失うまで探していた二人の安否が気になるのか。足をバタつかせていた鈴の顔を、真面目に覗き込む。


「葵お兄ちゃん? 今、学校で花火を打ち上げるお手伝いをしているよ?」


「えっ?」


 意外な言葉が返ってきて、目を大きく見開く柑菜。急いで霧塔家に柑菜を運び入れた後、暫くしてから霧塔も戻ってきたのだという。


「蒔野さんは?」


「ん? 誰それ?」


 鈴は何も聞かされていないようで、首を傾げている。何がどうなっているのか、柑菜はただ驚くばかりであった。


「そういえば柑菜さん。何で葵お兄ちゃんの事、下の名前で呼ばないの? 恋人なのに?」


 そんな様子に気付かない鈴は、無邪気に柑菜を覗き込む。縁側で語らう二人の様子は、仲の良い姉妹のようである。


「“葵”って女性みたいじゃない? 余り呼ばれるの好きじゃないみたいだから。鈴ちゃんが“葵お兄ちゃん”って呼ぶのには驚いたけど」


 突飛な質問に、思わず笑顔が戻る。鈴は頷きながら、不意に立ち上がると、先程柑菜が寝ていた部屋に入り何かを取り出してきた。

 少し色褪せたアルバムを両手に抱えて、再び柑菜の側へ戻ると、それを手渡した。


「何これ?」


「柑菜さん、鈴ね“天宮”って名前にずっと気になる事があったの。これは、まだ葵お兄ちゃんが鴉朱村に居た学生時代のアルバムだよ」


 手渡されたアルバムをめくると、少し色褪せた写真が並ぶ。現在と変わらない森や、民家が多く健在していた風景も写っている。まだ幼さが残る霧塔の姿も。

 そんな中の一枚に柑菜の手が止まった。


「それ、そこに写る三人の一人、柑菜さんじゃないかな?」


 鴉朱村の中学生らしい女生徒が三人、笑顔で肩を並べている。いつかの夢で見掛けた姿がそこにあった。


「昔から、鴉朱村で行方不明になった生徒がいる話しは噂になっていて、お母さんから聞いたの。そして、その写真の人達だって教えて貰ったの」


「えっ?」


 強い風が吹き抜ける。木々の葉が重なり合う音と共に遠くでは、夜空に大輪が咲き始めた。

 闇の色を染め変える物音に鈴の無垢な瞳が輝きを増す。柑菜は静かにアルバムを閉じて、庭先からその様子を眺めた。


「鴉朱村、最後の花火だよ。綺麗でしょ?」


「そうね。……ね、鈴ちゃん。私、もう一度学校の方へ行こうと思うの」


 立ち上がる柑菜を下から覗き込む鈴。どこか険しい顔をする柑菜を心配そうに。花火を間近で見るためなのかと問うが、首をただ横に振る。


「向こうには霧塔がいるから大丈夫よ。一緒に戻るから」


 家の人が出払い、留守を預かる身の鈴。家から離れられず、心配しながらも玄関先から柑菜を見送った。

 闇に溶けるよう白い浴衣姿が消えていく。下駄の鳴る音だけを残して。何かを呼び覚ます鴉朱村の花火は打ち上げられ続けていた。


 霧塔家からの裏道を登る柑菜の足元には、手に持った灯りが揺らめく。森の隙間からは所々、祭りのために用意された提灯の灯りが浮かびあがっていた。

 夜空の明るさと共に、柑菜の心から暗闇に対する恐怖心が次第に薄れていく。不意に立ち止まった先。鈴と共に眺めていた庭先へ目を配らせた。


「やっぱり……」


 どこか哀しげな表情を見せ、再び歩を進める。鈴から聞かされた普段通りの霧塔。

 消えた蒔野の行方。そして、何かを思い出した柑菜。三人が居た場所へと。

今回は鈴について。霧塔の呼ぶ名前が統一出来ていなかったので、訂正をしました。

「葵お兄ちゃん」が正しいものになります。


「鴉朱村」は、残すところ一・二話の更新のみとなり、もう少しで完結します。

 ここまで読んで頂き、有り難うございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ