其の五
encounter
「蒔野さん?」
勢いよく開く物音が辺りに響渡る。柑菜が飛込むようにして職員室へ足を踏み入れた。
最初に見た時と変わらず静まり返る職員室。蒔野の姿はなく、霧塔の姿も見当たらない。
一人、中を歩き三人が座っていたはずの椅子まで来ると柑菜は再び目を配らせる。
陽が落ち窓からさし込む明かりはなく、山沿いの肌寒い風が白いカーテンを揺らし入る。静寂に包まれる中、柑菜は息を飲む。
「き、霧塔は正面出入り口にいるかもしれないわね……」
奮い立たせるようにして、再び扉の方へ足を向け歩く。
軋む床は相変わらず不気味に足音の後を追う。柑菜は早足で入って来た方とは逆の扉前まで移動する。
「ん?」
視線が扉の中心に移動した時、扉にはめ込まれた硝子窓に柑菜以外の人影が映り込む事に気が付いた。
その姿に柑菜は背後を振り返る。目の前には一人の女の子が、いつの間にか佇んでいる。柑菜からは後ろ姿しか確認出来ない。
黒いおかっぱ頭に白いセーラ服、膝までの紺地のスカート姿。どうやら中学生らしい。
息を飲み込む音が再び柑菜の喉元から響く。全く人の気配を感じる事がなかったために。
先程、辺りを見回していたにもかかわらず、いつの間にか現れた制服の少女。
扉を背にして柑菜は少女に近付こうと一歩、また一歩と近付く。
「ね、ねぇ? 私は天宮柑菜って言うの。貴方は鴉朱村中学校の生徒さんかな? いつの間に……」
どの生徒も鈴と同じく夏休みのはず。
夜更けに、この場所へ来る用事があるのだろうか?
柑菜は頭の中でそんな考えが浮かぶ。今だに近付くが、振り向く素振りを見せない少女に不気味さを覚え始める。
手を伸ばせば少女に触れる事が出来る位置で、柑菜は立ち止まった。
少しうつ向き加減の少女。柑菜は視線を少女の顔に集中させる。背後からでは横髪が邪魔をし、顔を覆いよく見えない。
さらに足元まで視線を這わせた。細身で色白の素肌、どこか病弱な印象が残る。
柑菜は少女の右足元、側に朱色の物がある事に気付いた。何処かで見た気がする物。
柑菜は、その脳裏に今日見た夢が浮かぶ。その視線を少女の上半身へ、ゆっくり戻す。
柑菜の全身から汗が滲み出し、呼吸が荒くなりだす。ゆっくりと視線を戻す柑菜に合わせるように、少女も体を柑菜の方へ向け始めたために。
相変わらず黒髪で閉ざされた少女の顔。それが徐徐に振り向く。
「うっ……」
警戒音のように柑菜に偏頭痛が襲う。
その痛みに右手を頭にあてがいながら、無言のまま振り向く少女から後退りをする。
『鴉朱村の少女の話し』
夢の中で聞いた言葉が頭の中で響く。
少女に警戒が強まり、酷く息が乱れ呼吸が早くなっていた。後退り背に扉を打ちつけて、前に迫る少女に脅える柑菜。
「あ、貴方は?」
黒髪が顔を隠す。
ただ、真っ赤な口を開け笑っているのが映り込む。
少女の不気味さが増す姿、人ならぬモノを肌で感じ始める。極度の緊張や息苦しさ、偏頭痛の激しさから柑菜の視界が歪み出す。
足元がふらつく。
やがて少女と職員室内が交互に回るよう、その視界を奪っていく。
何が起きたのか解らないまま柑菜は床に倒れ気を失っていく。薄れる意識と霞む視界に少女のぼやけた姿が残り、暗闇が訪れた。
「菜……柑菜!」
遠い場所から誰かが柑菜の名前を呼ぶ声がし、その意識を引き戻す。徐徐に大きくなる声。そして柑菜の体が揺すられている。
深い暗闇から光が見える気がし、柑菜は重いまぶたを開く。そこには見慣れた顔が映り込む。
「霧……塔?」
暫くの放心状態から我に返った柑菜は辺りを見る。職員室内は霧塔以外おらず、あの少女の姿も消えていた。
何があったのか問う霧塔。ただ安堵し、柑菜は両腕を霧塔の背に回し抱きついていた。まだ震えたまま柑菜は動揺を隠せない。
「柑菜?」
霧塔は腕の中で震える柑菜の頭を撫でながら強く抱き締める。
“大丈夫だから”
そう促して。
暫くすると落ち着きを取り戻し、柑菜から体の震えがおさまった。霧塔から抱きつくのを止め、体を離す柑菜。
霧塔は目を伏せるようにする姿を見て、優しい声で何があったのかと再び聞く。
柑菜は霧塔の真っ直ぐ見る目に頷き、見たままの事を話し出す。
一通り聞き終えた後、霧塔は今まで正面出入り口の方にいたという。
相変わらず偏頭痛がするのか、柑菜は頭を右手で押さえて壁に寄りかかる。
そんな柑菜の姿を心配そうに覗き込む霧塔。お互いの前髪が触れる位置にきた時、柑菜は目を大きく見張った。
慌てて、霧塔の肩を押し戻す。その顔には少し赤みがある。
いつも通りの元気を取り戻したのか、口調は先程とは違い力強くなっていた。
「柑菜? 本当に大丈夫か?」
「だ、大丈夫! 蒔野さんこそ大丈夫かな?」
その様子を不思議そうにし、首を少しかしげる霧塔。
その視線は相変わらず心配そうに眺めている。正面出入り口の方を見張っていた霧塔は、蒔野の姿や他に通る人も無かったと言う。
もう一度、トイレ含め見てくると霧塔は立ち上がり行こうとする。柑菜は霧塔の右手を強く握り締めた。
一人でいるにはあまりにも寂しく、先程の事もあり一緒にいたかったのだろう。
立ち上がる柑菜。
霧塔も察してか、掴まれた手を握り返す。手には職員室で見付けた懐中電灯を握り、共に蒔野を探す事にした。
灯りがぼんやりと足元を照らす廊下を歩き始める二人。職員室から左隣の教室内を霧塔は一つ、また一つ電気を付けて確認する。
先程、訪れたトイレ前に来ると、柑菜は出入り口に立ち、霧塔が五つの扉を開く様子を眺めていた。
蒔野の姿を探し全ての扉を開くが、やはりいないのか霧塔は首を左右に振る。
「お互い迷子になる歳でもないから大丈夫だと思うが、他の階も様子を見るか?」
他の階は一階と違い、夏休みのためか電気は止められていると蒔野から知らされていた。
柑菜は、そんな場所に蒔野が一人で何のためにいるのかと思うが、探す事に頷く。
柑菜の背後、廊下に面した窓があり、外の闇から儚げに淡く輝く星屑が映り込む。
「柑菜?」
どこか浮かない様子の柑菜を気遣う霧塔。職員室でやはり待つ方が良いのではと。
柑菜はそれは嫌だと首を横に振り、一緒に行く決意は変わらない事を示す。
霧塔の持つ懐中電灯のみが頼りと、トイレ側にある階段を上っていく。正面の出入り口とは逆の位置にも階段があり、上の階へ繋がっていた。
小さな丸い明かりが二人の行く先を照らす。お互いの存在を確かめるようにし、強く手を握り締める。
時折、体重の重みで古い校舎は悲鳴をあげ、耳に嫌でも入り込む。
何も見えない闇に溶け込むように、二人の姿も消えていく。
「柑菜。さっきの話し、最後は一人で帰ったのは本当か?」
前を向き続け階段を上る霧塔が、不意に言葉をかける。柑菜は霧塔の背を見ながら“さっきの話し”を考えた。
職員室で少女を見た事や、蒔野がいなくなった事以外にも、今日見た夢の話しもしていた。
その夢。中学生時代の話しを言っているのかと思い、柑菜は暫くの沈黙の後、答えた。
「うん。それがどうかしたの霧塔?」
霧塔は相変わらず振り向く事もなく、“そうか”と溢し黙々と歩く。
この時、柑菜は何故、霧塔がそんな事を聞くのかは解らなかった。
再び柑菜に偏頭痛が襲う。その痛みに思わず顔を歪め、一段上がる度に鼓動が早まり始めるのを覚える。
だが柑菜は心配をかけまいと、霧塔の手を強く握るだけで何も言わず歩き続けた。
まず、前回更新の「其の四」で登場した人物の名前に誤りがあり、訂正しています。
「蒔野都」が正確な名前になります。
そして、前回で気付いた方もいらっしゃるかもしれませんが、予定の二万字前後の完結には到底なりません。
加えて訂正し、三万字前後の完結を目指したいと思います。ここまで読んで頂き有り難うございました。