其の三
memory
空から照りつける日差しが暑くて、夏蝉が鴉朱村のどこにいても聞こえた頃。
まだ柑菜が十五歳の中学三年生で、来年には卒業を迎える年の夏の日。
「明日から夏休みだね? 柑菜?」
切りそろえた黒髪、おかっぱ頭の少女が柑菜の背後より抱き締めた。
冗談でも気の緩んでいたため、柑菜は動揺し顔を少し赤らめて驚き、抱きつく少女を睨みつけている。
「夏! こんな時に冗談は止めてよ!」
“夏”と呼ばれた少女は悪戯な笑みを向けて離れる。そんな二人の後ろで、黒髪の三編みを左右の両肩に乗せた少女が笑う。
「百合まで!」
柑菜はそんな二人に呆れた様子で顔を更にこわばらせた。夏は少し驚かせただけだと言い、大声を出す程の事ではないと柑菜に落ち着くように促す。
三人は放課後の校舎に残っていた。教室には自分達以外はおらず、三階の廊下を歩く生徒や声も少なくなった頃。
柑菜と夏が一つの机を挟み、向かい合うように椅子に座る。
窓の側に立つ百合は、下校する生徒やクラブ活動の様子を見送りながら窓を閉め、二人の側に座った。
夕日の明るさに教室の電気は消していた。白い制服が透き通り、色が染まるように黄金色混じりの赤と影の黒が三人を包み込む。
「それで? 話って何かな夏?」
柑菜は先程の事もあるのか、少し頬を膨らませながら話す。百合は静かに見守っている。
夏は二人の顔を交互に見ると、側に置いていた黒鞄から何かを取り出した。机に置かれた物に二人は夏の顔を見る。
「お守り?」
柑菜は以外な物を見たためか目を丸くする。そこには、朱色の生地に銀糸で模様を施されたお守りがあった。
拍子抜けのような二人の顔を見て楽しそうに夏は話し出した。
「そう! でも、これはただのお守りじゃないの!」
妙な事を言う。
今の時代、お守りなど何処でも売られている品だ。
柑菜には普通のお守りにしか見えなかった。そんな様子を察しながらも夏は二人に説明する。その両目は輝きを増して。
「学校の噂を知ってるよね?」
「鴉朱村の少女ですか?」
百合は不意に出た夏の言葉に早く反応した。柑菜は知らないのか二人の顔を見る。
「そう! ん? 柑菜は知らないの?」
不思議な顔で見る柑菜に対し夏は、大袈裟に溜め息を一つし説明を続ける。
鴉朱村中学校には昔から語り継がれる話しがあった。けして顔を見る事のない少女。
自分達と同じ制服を着ている事から生徒ではないかと噂され、顔が見えないのは髪の毛で顔が隠れているからと。
そして少女と出会った者は忽然と姿を消すのだと。何処にでもある怪談話しだ。
忽然と消えた者が本当にいるのか、何故詳しく少女の容姿が語られるのか怪談だからなのか。噂だけが広がっている。そんな話しを夏は面白く話す。
柑菜と違い、夏はこの手合いの話しが好きだった。呆れ顔をし柑菜は大事な話しがそれ?
と不機嫌そうに聞く。そんな柑菜を遮るように百合が小声で何かを呟いた。
「えっ? 何? 百合?」
聞き取れない柑菜は百合を見ながら聞く。何処か普段の百合と違うように感じるのは夕日のためか?
そんな事を思い、憂鬱そうな百合を見ている。
「鴉様の財宝……」
今度は聞こえる声で百合はうつ向き加減に答えた。その視線はお守りを見ている。
柑菜は聞き慣れない言葉に不気味さを感じ、同じくお守りに視線を落とした。
「百合は知ってるみたいね」
夏は何がそんなに楽しいのか笑顔だ。見慣れている顔なのに何だか寒気を感じ、柑菜の息を飲む声が教室に響く。
その少女と同じくらいに噂になっているのが、助かる方法だという。
その少女の持ち物にはお守りがあり、その袋の中にある紙には何か文字が書かれていると。それを解読すれば助かる。そう話し終えた。
何を話すのかと思い、見守り噂話しを聞き終えた柑菜。その瞬間、血の気が一気に引くのを覚え冷汗が滲む。
真夏の暑さとは違う汗が柑菜の制服に染み込んでいく。
先程の話しを確かめさせるように置かれたお守りは、所々ほつれも見える。中には何かあるらしく、膨らみがあった。
「夏これは?」
柑菜の表情は次第に曇り出すが、夏の顔は耐えず笑顔が浮かぶ。
そして、躊躇する事もなく噂のお守りで昨日廊下で拾ったと、そう答えた。
柑菜は冗談か悪ふざけだと思い、椅子から立ち上がると“帰る”と伝え立ち去ろうとする。
自分の黒鞄を持ち上げようとした柑菜の手首を夏は力強く掴んだ。
その力は驚く程力強くて、“痛いっ”柑菜にそんな言葉を出させた。
夏は先程の笑顔とは違い真剣な眼差しで柑菜に“試さない?”
そう聞く。
何を言っているのか理解出来ず、夏から今は怖さだけを感じ、柑菜は手を振りほどき“帰る”と答えた。
「そう……」
少し残念そうに柑菜の手首から手を離すと、百合も帰るのか立ち上がる姿を夏は確認していた。
「私は帰りに職員室寄るから、二人共先に帰って」
夏はお守りを掴みながら手を振る。
元通りの夏の様子に柑菜は、“また明日”と伝え教室を後にした。
余り聞きたくない話しだったためか、普段踏み慣れた廊下も軋む音が不気味に聞える。
すでに人の姿は残されておらず、早足に階段を下りていく。
「柑菜ちゃん」
そんな後ろを慌てて百合はついてきた。柑菜は隣を歩く百合に、先程の話しを紛らわすよう話しかけた。
「百合、夏休みにはお姉さんが一度、戻ってくるって本当?」
百合は頷きながら嬉しそうに満面の笑みを溢している。
姉と言っても、一卵双生児らしく歳は同じで、鴉朱村から離れた中学へ寮生活を送っていると聞いていた。
自慢の姉なのか、よく二人に写真を見せては話している。
「うん。今年は二週間こっちにこれるって」
待ちどおしいのか両手に抱える鞄で、頬が赤く染まる顔を隠している。百合の肌は色白もあり、感情が高ぶると顔に出ていた。
やがて二人が一階に着いて、各自の下駄箱から靴を取り出した時。
真後ろにいた百合が教室に忘れ物をしたと言って、先に帰るよう柑菜に伝えた。
来た階段を戻るように百合は手を振りながら柑菜の前から姿を消していく。
柑菜は先程の話しもあり、一緒に付き合い戻る気は無かった。黒い皮靴を履くと正面出口の扉に手をかける。
「そういえば……夏の“試す”って何だろう?」
ふと頭によぎる言葉に足を止めて。でも、たちの悪い悪戯と思い家路についた。
夕日が照らす校庭を歩きながら、まばらに見える学生達と同様に。
その翌日、学校からの急な知らせが耳に入り、柑菜は夏と百合が行方不明だと担任から聞かされた。
鴉朱村に住む人も皆で手分けして捜索したがそれ以来、二人の消息が掴めないままであった。
小さな村での事。
色々な噂も広がるが、そのまま柑菜は卒業を迎え村を離れていた。
若い頃の記憶か、柑菜は忘れるようになる。正確には、その頃から記憶がおぼろ気であった。
「柑菜さん。柑菜さん!」
誰かの声が耳元で大きく聞こえ、柑菜は重いまぶたを開く。
視線は空をさ迷い、部屋の隅々まで配らせている。一体、何が起きたのかと暫くしてから体を起こした。
今まで体を覆っていた掛け布団が無造作に折り畳まれる。
手で布団を掴みながら鼓動が早まっているのが解っていた。
「夢?」
柑菜を偏頭痛の痛みが再び襲う。右手で頭を押さえるようにした時。
「大丈夫、柑菜さん? 随分、うなされていたよ?」
声の方を振り向くと、傍らで正座をしながら見守る鈴がいた。
柑菜は少し驚いた様子を見せたが直ぐ様、平常心を取り戻して幼い鈴を心配させまいと笑顔で返した。
「鈴ちゃん、私はあれから寝てしまったのね?」
改めて部屋を見回しながら、自分の置かれた状況を把握する柑菜。
鈴は疲れ寝ていたようで、今まで起こさないでいたと話しながら、昼の日差しを受ける障子を開け始める。
部屋の中を自然の光が入り込み、柑菜は眩しいのか目を細めた。
鈴は手慣れた様子で柑菜に身支度が終われば、皆でお昼を食べようと伝え出て行った。
「あの夢……昔の? まぁ、今はいいか。鈴ちゃんに教えて貰った洗面所に行こう。トイレもしたいし」
柑菜は夢を振り払うようにし、部屋を出る。霧塔はすでに起きており、鈴の両親には一通りの挨拶は済ませたと柑菜に話す。
また行き違いになったらしく、昼の食卓で鈴の両親に出会う事はなかった。
鴉朱村も夏休みの時期で鈴も学校は休日。まだ残る民家の子供達と遊びに出かけて行く。
霧塔と柑菜は同窓会の約束があるため、二人で学校へ向かう事にした。
鴉朱村の祭りは同窓会より二日後に行われるようで、二人にとっては暫く散策も出来るようになっている。
そのため、旅行鞄に色々身支度の用意もしていた。食事を済ませ、外に出た二人は霧塔家から裏道のような少し傾斜のある細道を歩き出す。
「こんな道がまだあったんだね?」
草が足元から段々と上半身まで隠れるようにあり、側には森がある。
少し高い位置から見る霧塔家は丁度、柑菜が寝ていた部屋で障子の開いた中まで見えた。
前を黙々と歩く霧塔に柑菜は立ち止まるのをやめ、その後ろにつくように歩き出す。
鴉朱村は霧塔の方がまだ詳しく、道を決め歩く事を柑菜には出来なかった。
きっと見失えば迷子になる事は間違いないために、柑菜は霧塔の背後を見失わないよう気をつける。
そんな二人を見送るような鳴き声がし、頭上を一羽の鴉が旋回し飛び去っていく。
〇登場人物〇
相沢夏
(あいざわ なつ)
松井百合
(まつい ゆり)