其の一
この度は当方の作品を手にして頂きまして、誠にありがとうございます。
天高くそびえる朱色の鳥居は、時を重ねたせいもあり所々色が剥がれ落ちている。
一羽の鴉が羽を休むためか、その上へと降り立った。錆びたとはいえ、遠目に見ても映える朱色に漆黒の鴉では、対照的な印象が残る。
鴉がしゃがれた声で一声鳴く目先に、一組の若い男女の姿が見られた。鴉の止まる朱色の鳥居、その真下である。
敷き詰められた白敷石に、これまた映えるようにして佇む人の命。鴉はもう一声鳴くと、羽を羽ばたいて鳥居から離れ去った。
その空に舞う鴉の影絵が真下にいる二人の上を過ぎた時。鳥居に手をかけて、疲れたのか、その足を止める女がいた。
「霧塔、ね、ちょっと休もうよ? 私、もぉ疲れたよ」
女の体が隠れる程の鳥居へ右手をかけ、前を歩く漆黒の髪をした男を呼び止める。女の弱々しい声に振り向いた男は、鳥居の側で座り込む女の姿を目にした。
男は腰に手を当てながら、丈夫な紺地のズボンのポケットから折りたたんだ地図を見開き、位置の確認をしている。
そんな姿を横目で見ながら、女は辺りの景色に目を配らせた。朱色の鳥居と、白敷石を囲むように緑がうっそうとおいしげる樹木があり、夏蝉が辺りに止まっているのか鳴き声が響く。
白い半袖の服下から吹き出る汗を拭うため、鞄から取り出した小さなタオルで、その顔や首筋などにあてがった。
入道雲が白く映えていた青空も、いつしか黄金色に染まり出している。見上げる彼方では、影絵のように鴉の一羽飛ぶ姿が見えていた。
染まり行く空に疲れが癒されるのか、女の表情は徐徐に明るくなる。今度は鞄から飲みかけのペットボトルを手に取り、その中身を喉を鳴らせて飲み出した。
「柑菜、あと少しだから頑張ってくれないか?」
地図を折りたたみ、再びズボンのポケットへ戻した男は、かけていた眼鏡を外し、胸ポケットから取り出した白い布で眼鏡を拭い出す。
再び眼鏡をかけ直した顔は、利発で端麗な面がある。向けられた視線の先にいる女を力強く見据えていた。
「あと少しって、そればかりで二時間は歩いたじゃない?」
怪訝な顔をしながら女は、左に身に付けた腕時計を指さしている。その文字盤はアンティーク調を思わせる装飾が施されており、銀に輝く秒針が動いていた。
さしている数字は十二と四を過ぎた辺り。夏の蒸し熱い温度を下げ出す夕刻の十六時であった。男は少し飽きれ顔をし、女に背を向けると、朱色の鳥居先から続く白敷石の道を再び歩き始める。
腰を深くおろしていた女は、男に無視をされたのが不服とばかりに頬が膨らむ。怪訝な顔は更に強まりながらも、慌てて立ち上がり男の後ろへと駆け寄った。
「もぉ! 無視しないでよ霧塔!」
夕日に照らし出された二人の影。女の天へ振り上げる手、その姿が白敷石に映り出す。
男はただ前を向き、黙々と歩き続けていた。
女の名前は天宮柑菜。夏のため、肩にかからない短目の髪をしている。黄金色に染まる空と同じく、夕日に照らし出された髪は薄茶のようだが、漆黒の髪である。
その両目は二重で大きく、美人とまでいかないが十分に可愛い顔立ちをしていた。
前を歩くのは、柑菜より二十センチ程高い長身の男である。白いワイシャツからは程良い肉付きの腕が、まくりあげられた先より見えている。
名前は霧塔葵。
二人共、大学二回生の若者であり、長い夏休みを過ごす間の二・三日、旅行がてらに鴉朱村へ向かっていた。
人里離れた山奥にひっそり存在する村へ。今時珍しい無人駅から歩いて目的地を目指している。
鴉朱村は、のどかな景色と、夏の村祭りが観光地として賑わいをみせたのは昔の話しになり、今では過疎化が進む一方だった。
無人駅の場所は麓になり、鴉朱村の中心は高台の位置にある。歩く間、誰を見る事も無く二人は朱色の鳥居までやって来た。
僅かな人口で耕された田園地帯が時折、樹木の間より見えている。そんな都会とは違うのどか過ぎる景色を見ながら。
二人が共に行動する理由には恋人同士である事と、夏休みとはいえ都会の遊び場や観光地ではなく、あえて“鴉朱村”に行く理由が出来たからだった。
二人共、幼い頃は鴉朱村で暮らしていた。中学を卒業する頃、村にはない高校のために地方へ柑菜は両親と共に引っ越した。
鴉朱村から高校へ通おうとすれば隣町へ行くしかなく、無人駅から二時間はかかる。
大体の家族は土地で耕す仕事か、地方で離れ暮らす事が多い。この時期を迎えると、鴉朱村を離れる姿が多くみられたという。
霧塔の父親は地方で働いて、母親の実家がある鴉朱村で過ごしていた。家には祖母がおり、三人で暮らしていたが、卒業を間近に病気で祖母が亡くなっている。高校の事もあり、暫くして母親と共に父親のいる場所へと向かった。
そんな二人が数年の時を経て大学で出会い、クラスや履修科目も重なる事があり、いつしか側で過ごす事が多くなっていた。
昔から知る顔であったためか、自然と付き合うようになったという。日々の暮らしで忙しく過ごす二人に、ある日“招待状”が送られてきた。
『鴉朱村の同窓会。鴉朱村、最後の祭りも兼ねています。鴉朱村小学校にてお待ちしています』
他にも招待状には、鴉朱村の過疎が酷くなり近々その名前も地図から消える事と、日時などが添えられて。
丁度、夏休みの日取りにあり懐かしく感じた二人は、鴉朱村へ行く事にした。お互いに都会で暮らすようになってから、鴉朱村で過ごした幼い頃の記憶は曖昧になっている。
特に柑菜は、霧塔と大学で出会うまで鴉朱村の記憶が抜け落ちていた。濃い霧が視界を妨げるように記憶が朧げで、思い出そうとすると偏頭痛を伴う事が多い。
霧塔は朧げな記憶ではあるが、普通に懐かしい故郷に帰る程度の認識である。
「っ!」
背後にある朱色の鳥居が見えなくなった頃、前を歩く霧塔が急に立ち止まった。よそ見をしながら歩いていた柑菜は、霧塔の背にぶつかり、その足を止めた。
顔に手を当て、摩りながら霧塔の横から前方を覗くと、道を囲むようにそびえる巨大な樹木が横に薙倒され道を塞いでいる。
見渡すと周囲では何本も横倒しになっている。時折、地震や災害の被害で、鴉朱村への交通手段が幾度かたたれていた事を、おぼろ気霧塔は思い出していた。
「他を歩くしかないか……」
柑菜の手を取り、今まで歩いて来た白敷石の道を外し、霧塔は迷う事なく森の中へ入り歩いて行く。
「な? ちょ、ちょっと! 迷子になったらどうするのよ!」
横倒しの樹木に当たればそのまま横を歩き、終われば前に行く。そんな何処を歩くか解らないような事では駄目だと、柑菜は霧塔の掴む手を離そうとするが、強く握られたままであった。
まだ夕刻とはいえ道沿いでは明るさがある。奥深く入る森は、樹木がその背丈で光を遮り暗くなっていく。
遠のいていく道沿いの明るさを何度も振り向き見ながら、柑菜は霧塔に言葉投げ掛けるが黙々と前を歩くのみ。
湿った土の匂いが強まり、踏みしめる小枝や枯れ葉が足元をおおう。時折、鴉や虫の声など森では聞こえており、不気味だと柑菜はその足取りも遅くなった頃。
樹木の拓けた場所が一つ。白敷石を歩く道と同じく陽の明るさを受けており、人の手で造られた様子の茶色で高い石壁があった。
森の先へと続いているのか、頑丈な防壁のようである。霧塔は柑菜の手を離し、壁に近寄った。
壁には人の足がおけそうな錆びれた出っ張りがあり、その先を見上げると、人が通れそうな闇穴が一つ。
霧塔は足をかけ、上り始める。柑菜は一段、また一段と上るその姿を目で追う。二十段いくかどうかで霧塔は闇穴に辿りついた。
「柑菜、大丈夫だったら呼ぶから」
振り返り、真下から心配そうに窺う柑菜に一声掛けて歩き出す。頷き見送る先に霧塔の姿はもういない。
残された場所では風が森の樹木の葉を揺らし、強く通り過ぎる。一人でいるには寂しく柑菜はその声を待った。
「……柑菜! 大丈夫だ良いぞ!」
闇穴より霧塔の叫ぶ声が木霊して、柑菜の耳へ届く。安堵した柑菜の顔は緩み、同じく慎重に足をかけて上り始める。
闇穴は少し屈むようにして歩けば進めるようであった。壁に手をついた時、柑菜の体温より冷たい感触が。十歩、歩いた時、光が強くなりだす。
闇穴は高い位置にあるためか、山並みが綺麗に眺める事ができた。黄金色に染まる空には星の輝きも見え始めている。
真下から霧塔の声がして、来た時と同じく出っ張りに足をかけて下り始める。一段、一段と左右の両手足を交互にずらしながら。
「きゃあっ!」
あと五段を残す所で、右足を滑らせてしまった柑菜。片手を離した状態だった柑菜は、残りの手も離してそのまま真下へと落ちていく。
怖さのため、目を瞑る柑菜に鈍い衝撃が加わった。暫くの沈黙と共に、目を見開く柑菜の側に霧塔の姿が。
「柑菜、大丈夫か?」
霧塔が柑菜を受け止め地面へ座り込んでいた。柑菜は霧塔の膝上からのくと、少し頬を赤くしている。
「大丈夫。有り難う」
霧塔は服に付いた土を手で祓いながら、柑菜の赤らむ顔に気付かないのか、眼下に広がる村を眺めている。
前方に広がる腰の高さ程の草が、風を受け揺れ動く。草の風波の先、茅葺きの屋根や瓦の家から所々、灯りが浮かぶ。
「ここかな? 霧塔?」
霧塔の真横に立ち並ぶ柑菜。鮮やかに緑から黄金色に染まる草の先、ひっそりと存在する村に目を配らせる。
「あぁ、鴉朱村だ」
懐かしむような、そして、どこか浮かない顔をする霧塔も日暮れる先を眺めていた。
この鴉朱村は長くなりそうで、連載というカタチにしました。
三万字前後の完結を考えています。ここまで読んで頂き有り難うございました。
〇登場人物〇
天宮柑菜
(あまみや かんな)
霧塔葵
(きりとう あおい)