中毒と幻聴
雪が吹き荒れた次の日。日曜日だった。
目が覚めると同時に、強烈な喉の渇きを自覚した。流しへ立つまで我慢できず、部屋に据えた石油コンロの上から薬缶をとり上げ、注ぎ口に口をつけてがぶがぶ飲んだ。
それでも足りずに台所へ走ると、空のペットボトルに水を溜めて、胃に流し込んだ。
ものすごく厭な気分だった。
それはもう、どう形容していいのかわからない。体が冷たいような、それでいて冷や汗が出るような。
とにかく厭あな気分だった。
そして驚いたことに、手がぶるぶると震えていた。
キーボードを打つような、細かい作業など論外。コップを握っているのも、おぼつかない。小説で読んだ知識から、すぐアルコール中毒に思い当たった。
ゆうべ、そんなに飲んだだろうか?
というのが最初に浮かんだ感想。晩酌をして寝酒も飲むのはいつものことで、今朝に限って、ここまでひどくなるイワレはない。
いや、夜に限ればいつもどおりかもしれないが、とにかく一日じゅう飲んでいたではないか。
土曜日は、夜明け前からの暴風雪。警備の仕事は休みと決まった。前の晩には、奮発して角瓶を買い込んである。雪見酒などと称して、雪とソーダで割りながら、がぶがぶ飲んでいたではないか。おおかた飲みほした夜は夜とて、映画のDVDを観ながら、焼酎まで飲んでいたではないか。
もともと飲むほうだったが、ここのところ、さらに酒量が上がっている自覚はあった。
さすがに仕事中は飲んでいないが、逆に言えば、仕事している時以外は、引っきりなしに飲み続けている。家に帰るまで待ちきれず、電車の中や自転車の上で飲んでいる。むろん、休みの日ともなれば、朝から晩まで飲んでいた。
相変わらず、手の震えは止まらない。
指先をモノに当てると、ピアニストの亡霊が乗り移ったように踊る、踊る。なんといっても気分が悪い。
蝋燭と線香に火をつけて、毎朝の習慣である読経を、あえぎあえぎ終えたところで、そのまま万年床の上へ、枕とは逆方向へ引っくり返った。きつい、きついと唸りながら昼まで寝込んでいた。短い夢をいくつも見た。
とにかく何か食わねばと思い、じつに何もする気力がなかったけれど、大根やニンジンを煮たまま、昨日から放置してある鍋を、石油コンロにかけた。味はついているので、そのまま椀にすくって食った。健全な栄養が行きわたるのが感じられ、少し楽になるようだった。
夕方が近づく頃には、手の震えはだいぶおさまっていた。まだ左手の指がぴくぴく震えるようだが、水槽の水替えができる程度にはおさまっていた。二匹の金魚の棲む、緑色に変色した水槽を、休みのうちに何とかしたかった。
買い物から帰って餃子を焼き始めた。
ここ数日、なぜか憑かれたように、餃子ばかり食っていた。ついでに、こっそり買ってきていた第三ビールを開けた。どうしようか迷ったが、こんがり焼いた餃子を見ていると、無性に飲みたくなった。
まず餃子をひと口食べて、次に缶のままビールを飲んだとたん、喉が締めつけられるような気がした。急いで流しまで走り、ビールを吐き出した。水をがぶがぶ飲んでも、口の中の水分が絞り出されたように、ひりひりしていた。
やはり昼間の健全な鍋に比べれば、餃子は毒を多く含むのだろうか。何よりも、こんなときにビールなんか飲むのがいけないんだが。それでも未練がましく餃子を平らげ、ジャガイモなどを煮た、健全な味噌汁を追加して食した。
けれど、そのあとしばらくして、性懲りもなく焼酎のお湯割りを作って飲んだ。飲まなければ、とてもやっていられなかった。二日休んで次の日は仕事という、こんなときは、とても飲まずにいられなかった。
飲まなければ、ウツに呑みこまれるから。
どういうわけか、このたびはお湯割りを飲んでも、苦痛に見舞われることはなかった。布団の中で飲みながら、本を読んでいるうちに眠った。
真夜中。
うつらうつらの夢の中で、けたたましい女の笑い声が鳴り響いた。
いや夢ではない。たしかにそれを聴いた。五秒くらいは笑い続けていたから、間違いない。三十代くらいの女のように思えた。
けれども、隣人の声が、こんなにはっきりと聴こえた試しはない。それにここ最近、隣に女が出入りしている様子はまったくない。
ならば、通行人の声だったのか?
夏場なら、遅くまで騒いでいる大学生の声が、かなり大きく聴こえてくるが、大雪の次の夜だ。もちろん窓は閉めきられているし、電車も終わったこんな時間に、出歩いている若者が、そういるとも思えない。
だいいち、笑い声の前後に、会話らしい声を、まったく耳にしなかったのだ。
五秒間ほどの笑い声だけが、けたたましく鳴り響き、それっきり物音は、ふっつり途切れた。
幻聴だ。
アルコールによる幻聴、としか考えられなかった。