第十六章「その名語るは目指すもののため」
魔法国家として栄える、小さな島国が有った。
魔法技術が発展し、世界で初めての魔道研究所や魔法学校が設立されたことは有名で、魔法使いの鍛錬のメッカと言われる国である。
城を中心として円形に広がる街は全て統合され、島全体を埋め尽くしていた。
とは言え、もともと小さな島なので、規模は確かに大きいが、広い土地と言うわけでもない。
街の名は国名と同じくヴィシュランと言った。
他の国で産まれるも孤児であったパールレインは、育てられた教会の神父に魔法の才を見出され、この国に渡ってきていた。
彼女も自分の魔力と知識には自信を持っており、留学は望むところだった。
「パールレイン、お前は孤児なんだって?ここは薄汚れた下等階級が来るところじゃない。」
孤児であったため、神父から貰ったパールレインという名しか無い彼女は、格式高い家柄の出の同級生や先輩に嫌がらせを受ける事が多々あった。
「恥を晒したくないなら早く元居た所に戻ることだ。」
「あら、名前ばかり立派で中身が伴っていない貴方こそ、早く家に帰るべきじゃなくて?」
彼女は気丈に振る舞い、其れ等に対抗していた。
毒舌など教会に居たときは無かったが、環境が気丈な彼女を作り出した。ずっと負けず嫌いではあったけど。
「貴様…!」
「悔しかったら、私よりも良い成績を取ってみせる事ね。まぁ、無理でしょうけど。」
パールレインは学園始まって以来の逸材だった。
元々勉強好きで魔力も高かった彼女は、いつも一番の成績を揚げていた。
それを妬ましく思う輩も勿論多かったが。
しかしそんな輩を圧倒しながらも、パールレインは更に力を伸ばしていった。
初歩魔法は勿論困難な実験や試験も難なくこなし、多大な魔法に関するもの以外の知識もまた着実に物にしてきた。
そして、四年間の鍛錬を終えた頃には、彼女は主席卒業、大魔道としての称号を授与されるまでに至っていた。
大抵ここを卒業した者は国立魔法研究所の職員や王国護衛隊、守護兵などの上級職に就くのが通例だ。
しかし彼女は其れ等を全て蹴ったのだった。
これまた異例である。
どの王国からも、どの大都市からも彼女の力を求めての書状が届いたが、彼女は其れ等を全て焼き付くし、郊外に一人で住むことにしたのだ。
他者から見れば、何とも愚かしい、勿体無い行為である。
だが、彼女には大きな目的があった。
彼女は学園に来て三年目の夏の日、とある一冊の本を発見した。
彼女が知識を求めて国立図書館に来たとき、ある事に気付いたのだった。
ある一冊の本から、かなりの魔力が発せられていたのだ。
それはパールレインすらも圧倒した。
魔法で施錠された鍵付きのその本は、離れた場所にぽつんと一つ置いてあった。
周りには結界が張り巡らされて有り、封印されているように見えた。
他の魔道士達には、その本は見えてもいないようだった。
恐らく魔法で不可視、魔力遮断の状態になっているのだろう。
しかし、力の強い彼女は其れを見破った。
手に取り、施錠魔法を難なく打ち消す。
恐らく術者にすぐに気付かれる様な仕組みになっているのだろうと予測できた為、新たに魔力遮断の魔法をかける。
そのまま急いで宿舎に帰り、本を土に埋めて隠した。
更に上から結界を張り…約二年間、卒業まで隠し続けた。
部屋で読んでいては気付かれる恐れが有ったためだ。
そして卒業と同時に掘り出し、郊外に設けて貰った家に持ち帰ったのだった。
危険な行為であろう事は分かっていた。
本を持ち出したその日以来、図書館には政府の役人が駐留するようになっていた。
しかし、彼女の知識の探求心は危険など省みなかったのであった。
本は、
タイトルも何もない、ただただ分厚い本だった。
相変わらず魔力を放出している。
誰が何のためにこれだけの魔力を本に注いだのかは分からない。
しかし、それだけこの本には大きな秘密と力が書き連ねてあるのだろうと想像できる。
彼女は本を開く日を待ちわび、そして今日、本を紐解いたのだった。
施錠魔法など容易く破り、本を開く…
「凄い…まさか、こんな物がこの世界に残っていたなんて…!」
パールレインは驚愕した。
本の中に詰められていたのは、どんな高位学者でも解き明かせなかった世界の真理、使用を禁じられた古代魔法、禁呪の数々…強大な魔力が放出されているために連続で読めるページには限界が有ったが、彼女はのめり込むように本を読みあさり、誰も知ることのない知識と、誰も手にすることが出来ないを手にしていった。
そして本を読み始めてから一年余りが過ぎた頃、彼女は本の全てを会得し、比類無き大魔道士となっていたのだった。
しかし、彼女には新たな目標が出来ていた。
本の中の一行に書いてあったことを見てからだった。
『聖霊との契約により、全ての英知を得たり』かつてこの本を読んだとされる大魔道士の記録を綴ったページに、そう書いてあった。
聖霊降ろし…学校でも習ったが、それは難しくも究極の儀式と言われるものだった。
理と知と力の全てを持つとされる、神の分身『聖霊』。
それを体に降ろすして融合し、聖霊の力全てを己が物とする。
それが聖霊降ろしと呼ばれる儀式だ。
しかし、失敗すれば体は抑えきれぬ力に消滅してしまうという禁じられた儀式である。
勿論、学校でこの話が出たとは言っても方法までは述べられなかった。
教諭も方法は知らないのだろう。
しかし、この本にはその方法が刻明に記されていた。
実行しない手はなかった。
強大な知識と魔力を手に入れた私ならば、出来ないはずはないと信じていた。
そしてパールレインは、地下室に巨大な魔法陣を描き、聖霊降ろしを実行する…
「お前の力で私に勝てないのは先の戦いで承知済みかと思っていたが、愚かだな。」
「屑はこれだから困るわね。あの程度と思ってもらっては失礼よ。」
一触即発の空気を漂わせながら、二人は魔力を右手に込めた。
「小手調べなど無用。全力で臨めば勝機が見えるかもしれぬぞ?」
嘲笑混じりに魔道士の男が言った。
「ご忠告をどうも。でも、屑相手に全力を出すほど私は子供じゃなくってよ。」
「その言葉、お前にそのまま返そう。」
男の手から火球が飛んだ。
パールレインはシールドを張り、其れを打ち消す。
続く二撃三撃の火球も、シールドで流した。
「その程度?やっぱり屑は屑ね。」
「寝言は寝て言え。永遠の眠りとなるが。」
四、五、六、七。
連続で火球を放つ。それをことごとく打ち消していくパールレイン。
「どうした?守るばかりでは勝てぬぞ?」
「ほんの準備運動よ。」
「減らず口を…」
男の手に魔力が圧縮され、そこから大火球が生まれる。
先程の連続火球のものとは比べ物にならないくらいの大きさ…これをまともに受ければ、骨も残るまい。
しかし、パールレインは笑っていた。
「じゃあ、少しだけ本気を見せてあげる。光栄に思いなさい。」
ふわり、と彼女の体が浮いた。
車椅子から飛び立ち、宙に浮かぶ姿は神々しいと言うよりむしろ悪魔的だった。
フードに隠れた男の眉が少しだけ上がったように見えた。
パールレインの脚が有るはずの部分… そこには何も無かった。
脚がない代わりに、きらきらと光る何かが脚の形を作っている。
聖霊降ろしの儀式。
それは彼女の手に負える代物ではなかった。
聖霊を降ろすのは成功したものの、その力を押さえつけるだけの力が足りなかったのだ。
全魔力を投入することによって何とか消滅は免れたものの、脚だけは半融合体というか、消滅の手前まで来るという事態に陥ったのだ。
魔力は少しずつ回復していったが脚は元に戻らず、力を封印しなければ暴走を巻き起こす危険も出てきてしまったのだった。
そしてこの決戦の今この時、彼女はその封印を自ら解いたのだった。
体の消滅の浸食は魔力で抑えられているから心配は無いが、聖霊とは遠くかけ離れた力しか出せない。
しかし、この世の中でもっとも力のある存在になれることは確かだった。
「ふん、お前がどのような力を解放するかなどどうでも良い。私の勝ちに変わりない。」
とは言え、男の顔には脂汗が浮き出ていた。
抑えても尚溢れ出る魔力に圧されている証拠だ。
パールレインの顔が冷酷に歪んだ。微笑みも悪魔の誘いであるかの様。
「たっぷりと味わいなさい。」
男がバッと後ろを向いた。声のした方向は背後…いつの間に!
「残念。」
今度は左!振り向き様に雷を放つ!しかし、それは虚空を貫いただけ。
代わりに右肩に鋭い痛みが走った。稲妻の魔法で右肩が焼け焦げる。
「馬鹿ね。こっちよ。」
今度は…上…!?天井に向かって風の刃が放たれる。
しかし、今度は両足が真空の刃に切り刻まれた。
「こっちよ…」
「屑には分からない…?」
「どこを見ているのかしら…」
止まない声。
一体何がどうなっているのだ!?魔法を放つも逆方向から同じ魔法で攻撃される。これ以上無い屈辱と…恐怖。
「やっぱり屑は屑ね。」
パールレインは手のひらの上の、円形の物体に目をやって溜め息を漏らした。
パールレインと対峙していた男が居た空間は、黒い球…ブラックホールの様な物に埋められていた。
古代禁呪の一つ、空間を切り取る魔法…パールレインは男が居た空間そのものを切り出し、幻影の魔法をかけた。
彼が聴いているのは幻影の声であり、受けた攻撃魔法は自らが放ったものだった。
切り取られた空間は、永久にループする小さな世界。
右に放った魔法は左から帰ってくる。
右手を右に伸ばせば、自分の左肩に触れる、そんな空間の牢獄。
「自爆させるのも面白いけど、飽きたわね。」
パールレインが空間の球体に魔力を込める。
「消えて頂戴。」
パリン、と硝子が砕けるような音がして、空間が『壊れた』。
中の魔道士もろとも。
ブラックホールの部分に空間が再構築された時、男の姿は影すらも残っていなかった…
「屑とは言え、何も残らないだけ他の屑とは違ったって事にしておいてあげるわ。感謝なさい。」
どこか憂いを帯びた顔で、彼女は車椅子に降り立った。
スカートを直し、消えた脚が隠れるようにする。
パールレイン・アポクリファ。
『万象の知識を持つ者』…彼女はそう名乗った。
誰に言われるまでもなく。
ただ、それは決して傲慢や高飛車等ではない。
彼女が目指したもの、そしてそこから生まれた結果…かつての過ちを悔い、再び本当の『アポクリファ』となるために彼女はそう名乗ったのだった…