第十三章「その名語るは思いと魂を継ぐため」
僕は、弱かった。
僕は、守れなかった。
僕は、力が欲しかった。
護るための力が。
少年はカムイと名付けられた。
名付け親は、東の島国で剣客として名を馳せていた男だった。
その名をウゲツと言った。
カムイには、実の親が居なかった。
彼の両親は、彼が幼かった頃に病死した、とウゲツから聴いていた。
しかし彼は悲しくなかった。
ウゲツがいつでも傍に居てくれたから。
まるで本当の父の様に。
二人は各地を渡り歩いていた。目的のない旅だった。
「ねぇ、ウゲツ。」
広い湖畔のほとりで食事をとっていたときだったか。
カムイが何かに気付いてウゲツに話しかける。
ウゲツも其れに気付いていた様だった。
「近くに誰か居るよ。こっちに殺気が向いてる。」
遠くからの殺気を読めるほど、カムイは強くなっていた。
彼はこの時、まだ十二歳であった。遠くの茂みから発する殺気は四つ。
「静かに。動いてはいけない。」
言って、チッと軽く舌打ちするウゲツ。
緊張しているような、張りつめた表情である。
「奴らは…感づかれたか…」
ぼそぼそと何かを呟く。
カムイは少しだけ不安になった。カムイの気を察したか、ウゲツはにっこりと微笑み、
「大丈夫だ」
告げて刀を抜いた。
抜刀したと同時に、茂みから四つの影が飛び出す。
皆青と白の制服で統一され、手には刀を持っていた。
その姿と構えから、政府の人間であることが分かる。
「ウゲツ、お前はやってはならないことをやってしまった。覚悟して大人しく縄につけ。」
制服の一人が言った。
カムイの表情が険しくなる。ウゲツが、一体何をしたと言うのか?
「残念だが、縄につく気は毛頭無い。これは私の罪滅ぼし。邪魔だて無用だ。」
「愚かなり。」
制服男達が一斉に飛びかかった。
訓練を重ねた賜物とでも言うべき、見事な同時攻撃だった。
しかしウゲツは動かず、刀を青眼に構えたままで迎えうつ。
そして、四人が刀を振り下ろそうとした瞬間。
ひとすじ。
閃光が流れた。
風が凪いだ。
制服の男達の動きが止まった。
ウゲツが刀を鞘に収めた瞬間、四人の男は血を吐いて地に伏せた。
鮮やかな袈裟掛け。
閃刃の成す業であった。
カムイはウゲツを尊敬していた。
刀の技には勿論の事、彼の優しさ、心の強さに。
だから、カムイは何も訊かなかった。
彼のすることに、間違いなど無い、と。
しかしそれからの旅は、今までのものとは変わった。
何者かの気配を感じればすぐに走って逃げ、宿の場所も全て野宿、それも人気の無い森等でのものになった。
そして、連日のように襲いかかってくる制服の男達。
関所は全て隠れて通り、立ち寄る町村では長居しないようにもなった。
ウゲツは、ずっと険しい表情だった。
時折見せる悲しい表情も、カムイは心配でならなかった。
不安にもなった。
忍びに忍んで日々を送っていたある日のこと。
夜の森で就寝の準備をしていたとき、少し疲れた顔で、ウゲツはカムイに言った。
「カムイ、もし私の身に何が起ころうとも、すぐに遠くへ逃げるように。」
カムイの眉が少しだけ吊り上がった。
「何故そんなことを言うの?ウゲツは強い。今まであの制服の男達を倒してきたじゃないか。それに、万が一、ウゲツの身に何か起こったら、僕は逃げるなんて事できないよ、きっと。」
聴いて、ウゲツは薄く笑った。
「ああ、そうだな。少し疲れたようだ。もう休もう。」
弱気なウゲツ。
カムイは初めて目の当たりにした。
元々どこか影のある男ではあった。
しかし、今日のような…死の話をしたのは初めてだった。
だが、カムイは信じて疑わない。
ウゲツと在る旅が、まだずっと続くことを。
ざり、と枯れ葉を踏む音がした。
カムイが其れを聴いて目を覚ます。
鍛錬と生まれ持った素質の賜物だ。
夜襲とすぐに知れた。ウゲツは先に起き、既に刀を手にとっている。
「ウゲツ。」
「起きたか。…囲まれている。相手は三十人と言ったところか。」
三十…!二人を相手にするのには多すぎる。
そんなにも躍起になる程、この男達はウゲツを狙っているというのか?
「カムイは逃げろ。今回の相手は今までの者と違う。」
確かに、今まで感じたことのない殺気を感じていた。
ただ者ではないことも伺えた。しかし…
「僕はウゲツと一緒に戦う!一人で戦っても…!」
「二人で戦っても、恐らく死ぬ。お前だけは生き延びねばならない。…何があっても。」
「そんな!僕だけ生き残るなんて、そんな…」
「行けッ!」
強く言われて、カムイはびくっと小さく震えた。
今まで見たことのないウゲツの表情…カムイは気圧され、その場から走った。同時に、ウゲツが動き出す。
「私は此処にいる!最早逃げも隠れもせぬ!命が要らぬ者は来るが良い!」
ウゲツの怒号を聴き、三十人の制服男達が一斉に飛びかかった…────…息を切らせながら、カムイは走った。
時折振り返って止まるが、頭を振ってまた駆け出す。
ウゲツが…ウゲツが…死ぬ…三十の刀相手には、さしもの剣客でもかなうまい。ふと、カムイの足が止まった。
「やっぱり、ウゲツをほっとくなんて、僕には出来ない!」
唯一の『家族』なんだ。
たとえ血の繋がりが無かろうとも、カムイにとってウゲツは家族なのだ。
何かを決心した様に、カムイは今走ってきた道を戻り始めた。
ウゲツ、無事でいてくれ…!今し方ウゲツと別れた場所は、既に血臭に満ち満ちていた。
辺りに散乱する死体や其の一部…その中に、ウゲツ横たわった体を見つけるのは容易かった。信じられなかった。
「ウゲツ!」
急いで駆け寄る。まだ息は有ったが、事切れるのは時間の問題だろう。
「馬鹿…者…何故…戻った…」
「やっぱり放っておけなかったんだ…でも…」
遅かった、と言おうとして、カムイは言葉を切った。
殺気だ、今さっきの。
カムイは体が熱くなるのを覚えた。
沸々と沸き上がる怒り。ウゲツを、よくもこんな目に。
「やめ…ろ…」
ウゲツの言葉はカムイの耳には届かなかった。
刀を抜き、疾風となる。
その速さたるや、尋常ではなかった。
カムイはこの時、自分の体に何が起こったのか、分かっていなかった。
ただ体に力が満ち溢れてくることだけ実感していた。
数瞬の後、カムイの周囲には死体の山が出来上がっていた。
何も覚えていなかった。
何が起きてこうなったのか分からない。
しかし考えるより前に、ウゲツに駆け寄る。
自分に何が起こったのかなんてどうでも良い。
「ウゲツ…!」
「カムイ…最後に、これだけは…話さな…くては…ならない…」
「最後だなんて、そんな!」
「よく聞け…私は…お前の…両親…を…斬った。政府の…奴等に…追われていたのは…お前を育てて…いたため…」
カムイの目が見開かれた。ウゲツが、自分の親を斬った…!?
「お前は………じゃ、ない…だから…」
途中声が小さくなったが、カムイには聞こえていた。更に目が大きく見開かれる。
「そんな…まさか!」
「許…せ…」
ウゲツの目から、ひとすじ涙が落ちた。
其れが、ウゲツから聴いた最後の言葉だった。
「君は何故、暗殺者なんて仕事を出来る?金を貰うために命を奪うなんて、そんな真似が。」
女に刀を突きつけながらカムイは問うた。女は呆れた顔で肩をすくめる。
「あたし等みたいなのが、真っ当な仕事が出来ると思ってる?それにね…」
鉤爪が輝いた。カムイが飛んで距離を離す。次の瞬間、鉤爪は空を斬り裂いた。
「人殺しはもう、やめられない仕事。」
「…斬る。お前が、犬頭人にしたように、その首を。」
カムイが消えた。
女もまた瞬速で駆ける。
鉤爪がカムイを捕えようとするが、素早く退かれてかわされる…
「本気でかからないと、あたしは倒せないよ。逃げるばかりじゃ……!?」
女の頬から、血が線を引いた。
退き際に斬られた感触は無かったのに。太刀筋も無く。
「逃げてる…?僕は逃げたりなどしていない。」
黒い風が通った。
再び女に傷が入る。目で追えないスピードで斬撃を放つカムイ。
「これが、僕の禁忌。」
声だけしか聞こえない。
カムイの姿も…黒衣の一片すらも目に残らない!この力は一体何なのか。
天井に風が走った。
尋常ならざるスピードで、床から壁、壁から天井へと走り移ったのだ。
とっさにガードの姿勢を取ったが間に合わず、見えない刃に爪を飛ばされる…両手とも両方。
「お前…その姿!」
一瞬止まったカムイの姿を見て、驚いた声が上がった。
「怖いかい?それとも、首を取ってダラスにでも送る?」
カムイのその姿…くすんだ金と黒の体毛に全身を覆われ、瞳は金で瞳孔は縦に割れている。虎のそれだった。
「ライカンスロープ…!」
獣と人間を足した姿。俗に
「半獣人」
と呼ばれる異形、ライカンスロープ。
人狼などを指す言葉であるが、カムイは人虎タイプのライカンスロープ。
最も力の強い半獣人とされる種族だ。
「僕みたいなのでも、命を助け、育ててくれる人間も居る。たとえ其れが自分に対する罪滅ぼしであろうとも。でも、君にはそんな心は無い。平気で殺せる。」
一瞬悲しそうな表情を残し、カムイは再び消えた。
音もなく。刀の振りは勿論の事、疾る速度は最早光。
「僕は、君を許さない。」
声が、女の左手から聞こえた。しかし、傷を付けられたのは右手…!
「化け物…人間の成り損ないめ!」
浅い傷が次々と刻まれている。
鉤爪を振るうも、無駄な足掻きにしかならなかった。
感覚でも捉えられない超神速の前には成す術も無い。
「君も、心無い化け物と同じだよ。冷酷で、残酷な。」
その言葉を聴いた瞬間、女は何かの違和感を感じた。
何かが体をすり抜けた…そんな感じ。カムイが止まった。刀は既に鞘の中だった。
「さよなら。」
カムイが鞘を鳴らした。
キィン、と高い音がほんの少しだけ空気を揺らす。
女は声もなく倒れた。
どさりと床に倒れた瞬間に、四肢が鮮血を噴いて別れる。
五所を裂く、カムイのスピードが作り出した妙技であった。
「あの人も、元は化け物を狩っていた。しかし君と違うのは、化け物を狩ることを躊躇う心がある。君は心無く幼子を斬り裂いた。」
物言わぬ生首に目もくれず、歩いて去る。
獣化はいつの間にか解けていた。
カムイ・イーストエッジ。
『刀に魂を賭した者』。
ウゲツから貰った刀とその技、そして、その魂。
思い、心。
其れを心に刻む為に、カムイが名乗った名であった。
守るための力を、思いを、その刃へと変えるために…