第十一章「決戦に向かいしは当千の者達」
次の日の陽の入りの時刻に、ダラスから程近い森の中に入っていく六人の影。
見咎める者があれば、夜の森に足を踏み入れようとしている六人を止めようとしたかも知れない。
夜の森は言わずとも知れたものだが、危険。
それにこの森には賊も頻繁に出る。
しかし、其れでも彼等は進むだろう。
フレッドは昼間、何やら商店街、工房区、果てには路地にも足を運んでいた。
彼の策に必要不可欠なものを調達してくる、とだけ言って。
同行した者はコリンだけだった。
「策の一つ目はコリンの弓の腕が必要不可欠だ。これを外せば、俺達に勝機は無くなるっても過言じゃねぇな。」
フレッドは出発前にこの様なことを口にした。
緊張が走ったのは言うまでもない。
唯一人、緊張とは無縁の者が居たのだが。
勝利の鍵を握る者が緊張していないというのは、心強いが逆に不安である。
すっかり夜も更け、森独特の不気味な雰囲気が辺りに漂い始めた頃だったか。
樹海の先に、石造りの巨大な崩壊しかけの遺跡が姿を現した。
切り立った山の急斜面の前にそびえ立つ其れは、見ようによっては神々しくも不気味にも見えた。
しかし、中にいるのは神でも悪魔でもない。
しかし、そんな抽象的なものよりも、もっと現実的に恐ろしい相手。
中が騒々しい。分かりやすいくらいに戦闘体勢が整っている。
「やっぱり感知されてたか。」
やれやれと頭を掻くフレッド。まぁ、予想済みではあったが。
「…策の開始は?」
早く突撃したくてうずうずしている様子のグラットン。
彼は元々、戦いを…特に人間が相手の戦いは好まない。しかし、今回ばかりは事情が違う。
「落ち着けグラットン。俺を信じろ。機は必ずやってくる。」
コリンに弓を持たせ、暫く待機する。
機…それは、相手の準備が
「完全に終わりきる」
タイミングだった。
今はまだ準備の段階なのか、戦闘体勢は無論整っているだろうが、部隊配置等は完全に済んでいないのだろう。
そして、機はやってきた。
遺跡からの雑踏は無くなり、辺りが静まり返る。
フレッドはパールレインとフィオに目配せする。
二人は無言で左右に散った。
フレッド達の右手にフィオ、左手にパールレインという配置になる。
暫く辺りが静寂に包まれた。
遺跡の中では、武器を手に取った賊達が今か今かと凶刃を振るう機会を待ちこがれており、暗殺者達もまた相手が来るのを待っていた。
「…なかなか攻め入る気配が無いな。」
赤黒のローブの男が呟いた。苛立ちはない。むしろ嘲りがあった。
「無駄なのにねぇ。相手は六人、うち一人は戦えない役立たずなんだろ?多勢に無勢にも程があるわ。」
鍵爪の女も嘲笑を浮かべている。
「多少は気が抜けそうですね。」
優男もまた。
盾と槍を持つ大男は無言で窓から森の一角を見つめている。
「まぁ、敵さんにも策が有るんだろうさ。どんな策を弄してくるか見物だが、俺達にかなうものとは思えんがねぇ。」
余裕のつもりか、煙草をふかす弓使い。
残る一人の手練れの者…その者もまた、無言だった。
「…そろそろ良いだろうな。みんな、準備は良いか。」
フィオとパールレインには聞こえていないだろうが、フレッドが小声で言った。
頷くグラットン。カムイは刀の柄に手を掛けて答えた。
コリンが矢を取る。二本だった。
一つは風切り笛、もう一つは何やら小袋が矢の先端に付けられている。
「放て!」
フレッドの言葉を合図に、コリンが先ず一本目の矢を空高く放った。
風を切って飛ぶ矢は、高い音を発しながら森の影に消えた。
すかさずもう一本。
もう一本の矢は遺跡の頂上を越え、断崖となっている山に向かって飛んでいった。
合図だ!
風切り笛の音を聴いた瞬間、賊達と暗殺者が身構えた。
相手が三方に散ったのは解っている。
一斉に攻撃を開始する合図…そう思っていた。
しかし。
攻め入ってくるものと思われたが、相手…フレッド達はまだ動かない。
動揺が走る。
「さて、あと少し。五…四…三…!!」
フレッドが秒読みを開始する。同時に、コリンが再び矢を取った。今度は五本、先端に油を染み込ませた布を巻いてある矢…火矢だ。
「二…」
火矢に炎が灯る。
「一…!!」
火矢が放たれた。
四本は遺跡ではなく森に向かって。
もう一本は、二本目と同じく遺跡の頂上を越え、山の崖に向かって…
ドオオォォォオン!!
轟音が辺りに響いた。山の崖からの音… 断崖の一部で爆発が起こったのだ!
風切り笛が鳴ってから丁度二十秒後、山の一部で爆発が起きた。
コリンの放った火矢が、先に放った矢に触れた瞬間であった。
山の一部がバランスを無くして崩れ、急斜面を降ってくる…落石!!
「まずい!皆退避しろ!」
魔術師の男が慌てた風に叫んだ。
しかし、その言葉はかえって場を慌てさせたのだった。
パチパチと木が燃える音…フィオの炎とパールレインの魔法、そしてコリンの火矢が、辺りの森に火を放ったのだ!
辺りは既に火の海。三方に散ったのは、このためか。
退路が見えず、混乱する賊達。
「よし、今だ!行けッ!」
落石が遺跡の一部を削り取った瞬間、フレッドの号令で全員が突撃を開始する!
三方向から一気に流れ込む。
落石の破壊力は凄まじく、元々老朽、風化し始めていた遺跡はいとも容易く崩れ、内部では賊達がパニック状態に陥っていた。
グラットンが怒声を発しながら賊達に巨大剣を振りかざす。
崩れた遺跡の柱の残骸を巨大剣で叩き割り、石のつぶてを飛散させつつ襲い来る敵を斬断する!
広範囲に対する石つぶてで大量の相手を沈めつつ、其れを避けた者を次々に斬り裂いていく。
柱の残骸と言っても、重さはかなりのもの。
一刀で叩き割り、尚且つ威力のあるつぶてを生み出すには並の力では到底不可能。
流石並外れた怪力を持つグラットン。彼にしか出来ない芸当である。
一方カムイはグラットンから離れ、その華麗な剣技で一体ずつ、確実に斬り伏せていく。
しかし、一体ずつとは言っても、閃光の如き剣の業である。
そのスピードたるや素晴らしい。
的確に首を飛ばしつつ一瞬で次の標的に駆け、また首を飛ばしていく。
流れる風の様に。
いや、疾風そのものと言っても過言ではないだろう。
賊の誰が、凄まじいスピードで戦場を駆け巡る黒衣の姿を捉えられたか。
カムイが首だけを狙っているのは、やはり彼なりの復讐のやり方であろうか…
賊達は数に任せて突撃をしてくるが、しかし戦場にたどり着けない者も居た。
さっき通ったはずの道に、また戻ってきている…落石ですっかり変わってしまったとは言え、歩き慣れたアジトである。迷うはずがない。
しかし、目の前に有るのはやはり同じ道。
パールレインの視覚操作の魔法と気付く者は無かった。
彼女の嘲笑は、彼等には見えていない。
「馬鹿は…」
同じ場所をぐるぐる回っている愚かしい賊達に一瞥をくれ、右手に魔力を収縮させる。
「消えなさい!」
そして、放たれた。
白光の爆発が起き、賊達を一瞬で灰に変える!
球形の爆発は床、その下の地面すら灰に変え、後には何も残さなかった。
逃げようとしている賊も居た。
落石によるダメージと格の違いを判断できる者も、少なからず存在した。
しかし、グラットンやカムイ、パールレインの居る所から逃げようとしても無理だろう。
外は火の海と化しているが、建物の中に居る方がかえって危険、というよい、まず生き残れない。
そうなると、一番弱そうな相手からなら、振り切って逃げられるかも知れないと考えるのは当然ではあった。
そうして集結するのはフィオの元。
戦う気は無かった。逃げ出すことだけを考えて、走る!
「アンタ達も、所詮は馬鹿で野蛮で脳足りんな異形のカスと変わんないって事ね。ホンっト、ぐのこっちょー、だわ。」
一すじ、紅い線が走った。続いて二、三、四。
扇形に放たれた鋭利な炎の刃が床を滑走し、賊の波を斬り裂く!
傷口からくすぶった炎と大量の血を噴き出しながら、次々に倒れていく賊の山。
「残念だけど、逃がす気無いから。」
溜息をつきながら、鎌を肩に乗せる。
賊達は、最早退路は無くなったと確信した。
コリンの元に近付く賊は居なかった。
いや、居ないわけではない。
むしろ、フィオよりも弱そうに見える。
攻撃しようとする者、脇を駆け抜けて逃げようとする者。確かに、居た。
しかし、彼等は皆、コリンに近付く事さえままならないのだ。
コリンが近付く人数分の矢を乱れ射ちすれば、的確に額の中央を捉え、喉笛を貫通し、左胸を射抜いていく。
彼女の周囲には死体も血痕も無い。
しかし、彼女から五メートル離れた円形の先には、大量の死体と血溜まりが山を作っていたのだった。
グラットンが辺りに居る賊を一掃した時だったか。
グラットンの背後から、言い表せない程の殺気が発せられた。
「…探す手間が…省けたな。」
振り向かずとも解る。
大男が巨大な盾と槍を持ち、グラットンの後ろに立っていた。
「…借りは返させてもらう。」
振り向いて剣を構えた。犬頭人の集落で対峙し、決着のつかぬままだった盾の使い手。
「…お前に出来るのなら。」
大男は静かに言って、槍と盾を構えた。
カムイも、何人の首を斬ったか分からぬほどに斬獲し、辺りから賊の気配が消えた時だった。
今度は不意打ちなど無く、堂々と目前に現れる鉤爪使いの女が現れる。
「…あれから、君に訊きたいことが有ったんだ。まずは答えてもらおうかな。」
女が肩を竦めた。小馬鹿にしたような態度にもカムイは動じず、口を開いた。
「射程はやはり変わらずか。いくら小さな戦士殿でも、短期間での強化は無理と見える。」
聞き覚えのある声に、フィオは鎌を止めた。
既に最後の一人は焼き尽くし済みである。
「あら、ようやくお出ましみたいね。気持ち悪い男の。」
遥か遠くの遺跡の崩れた壁の上、そこに優男は座っていた。
「馬鹿は高いところを好むって言うけど、ほんとにそうみたいね。」
「その生意気な口を、すぐに利けなくしてあげますよ。」
「出来るならやってみなさい、オカマ野郎。」
互いに睨み合う。
優男の右手が、ゆっくりと揚げられた。
「はい、ボクの勝ち!」
誰にともなくブイサインを送り、辺りを見回して喜ぶコリン。
かなり危険なお子様であるが、彼女の周りは既に死体の山。
そんな彼女に、拍手を送る者があった。
「流石だな、お嬢ちゃん。全員急所を一撃だ。」
えへへ、と照れ笑いするコリン。
「だがね、やはり俺にはかなわんな。残念だが、ここらで終わりにさせてもらうわ。」
こんどは眉間に皺を寄せるコリン。
「おじちゃんにはもう負けないもん。こないだはまだ本気じゃなかったんだもん。」
弓を構える。男もボウガンを手に取った。
「今回は本気を見せてくれるのか?そいつは楽しみだ。」
「ボクの本気、見せてやる!」
二人の手が、背の矢筒に伸びた。
「さて、そろそろ見物は終わりかしら?それとも、魔力を消耗するのを待ってるの?」
辺り一面を灰にした後、一呼吸置いてからパールレインは言った。
次の瞬間空間が歪み、赤黒のローブを着た男が姿を現す。
「両方だ。」
「ヤな奴ね。姑息だわ。」
パールレインは気付いていた。
最初の一団を葬ったときから、この男は近くに居た。
「賊が死に、私達を殺せば金を山分けにでもって魂胆かしら?其れとも、他の仲間も殺すつもりだったのかしらね。」
精一杯の嫌味を込めて言った。
「何とでも言うが良い。死にゆく者の最後の足掻きだ。」
「暗殺者にも、ここの賊みたいに、金絡みになると汚い手を平気で使う輩も居るのね。」
パールレインが嘲笑を浮かべながら右手を前に出した。
ローブの男は、これ以上の言い合いは無意味、時間の無駄とでも言うように、右手に魔力を集中しはじめる。
「お前は一度死にかけている。それでも、やるのか?」
「残念だけど、前回とは話が違うから。」
「愚かな。」
パールレインの右手に白銀の光玉、ローブの男の右手に漆黒の光玉。
相反する力がぶつかるのは、次の瞬間であった。
対峙した五人。
彼等の持つ
「力」
とは…一体何なのか。
そして、『最後の一人』は…
まだ、姿を見せていない。




