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生きる

 あのとき一体何が起こったのか、あの後自分がどうしたのか、勝田にはまるで思い出すことができなかった。気がついたときには、病院の天井が目の前にあって、上下すべて着替えさせられ、佐伯の横のベッドに寝かせられていた。勝田は、まったくもって訳が分からなかったが、佐伯も特に異常なく、自分の横にいることが、妙に心強かった。暫くすると、勝田の母親がやってきて、あの日(それは、病院で目が覚めたときには既に、一昨日のこととなっていた)に東北で大地震が起こったこと、東京でも震度五強を観測し、首都機能がパニックに陥ったこと、あの日、地震が起こった後、勝田は防具を着たまま、気絶した佐伯を追ってスポーツセンターから出、その直後、試合会場の天井が剥がれ落ち、照明器具や梁もろとも落下して大惨事となったこと、それとほぼ同時に、勝田も気絶して、そのまま病院へ送られたこと、そして、震災後の混乱と自粛の徹底によって、今後の大会日程がすべて中止されたことが伝えられた。


 あまりにも多くの、それも想像しがたい事実を一度に打ち明けられて、勝田の頭は少なからずショートせざるをえなかった。東北で起こった大地震というのは、あくまで遠く離れた地での出来事に思われ、試合会場の事故の件も、その時の記憶がないことで、実感の湧きようもなかった。


 そのとき理解できたのは、あの佐伯との試合が、自分の最後の試合となってしまったことだけだった。それが一番、自分に関わる重大なことだったのだ。それは、勝田にとって、かねてからの目標が達成できなくなったことを意味しており、たとえあの佐伯との試合で、全力を出し合うことができたことを考えても、訪れる喪失感を慰めることはできなかった。きっととなりで眠っている佐伯も同じように感じるんじゃないかと思った。



 意識を取り戻した翌日に、勝田と佐伯は揃って退院した。二人の間では、退院の手続きをロビーでするときに、佐伯が、

 「本当にやめるのか?」と、勝田に聞いた。勝田はそれに対して、何も言わず、ただ微笑みながら、うつむき、両手の平を二、三度握ったり開いたりしただけだった。佐伯の問いには、またいつか決着を付けよう、という気持ちが読み取れた。

 


  結局何も分からず終いであったが、それから、勝田にとって、あのとき何が起こっていたのかを考えさせられる機会は幾度もあった。


 あの日、三月十一日から一週間ほど経った頃、地方新聞の記者が、勝田のもとを訪ねてきた。あの日、試合会場で起こったことについて聞きたいという。しかし、勝田は、何も話せることはないと、玄関先で帰ってもらった。実際彼には、誰かにあの日の出来事を話せるほど、何が起こったのかを整理することができていなかった。だが、この訪問は少なくとも、あの日起こった何かが、彼の想像の内に起こったことではないのだということを、彼の中で裏付けるようになった。



 勝田の混乱とは関係なく、日が経つにつれて、被災地東北の惨状は、テレビ各局の報道によって明らかとなっていった。あの、警笛の響きによって感じた波のうねりは太平洋沿岸で現実となり、海沿いの街を跡形もなく崩壊させていた。


 ある震災報道番組の中で、インタビューを受けた、津波の被害を受けたある町の町長が言っていた。


 「あと少し、あとほんの少しだけでも早く、地震が発生することが分かっていれば、大津波が来ることが分かっていれば、もっとたくさんの命を救えたかもしれない。緊急地震速報では、遅すぎた。津波警報が出た後の対応も、遅すぎた……」


 それは、詮のない話だった。が、あの警笛は、と考えると、あれは、明らかにこの震災を予知したものだったのではないかと、勝田は思った。なぜ勝田にそれが聞こえたのかも、どうしてそれを知らせるのが警笛という形だったのかも、彼にはまったく分からなかったが、あの警笛は、間違いなく、この大災害を事前に知らせようとする、何者かの意図が働いていたのだ、と彼は思った。


 そしてまた、彼は最初に警笛を聞く直前の、何者かが自分に侵入してくるような感覚を思い出した。その後にすぐ警笛がやって来たというのなら、そのとき入り込んだものこそ、勝田に震災を予測させようとした何者かの意志であり、警笛を聞かせる引き金だったとも考えられる。


 

 勝田は更に考えた。なぜ自分が、あの警笛を受け取ることとなったのか。彼は、最初に道場で警笛を聞いたときと、二回目、佐伯との試合中に警笛を聞いたときのことを、できるだけ順を追って思い出そうとした。


 二度とも、俺は何をしていた?……そう、剣道をしていたんだ。それは共通している。ただ、一度目は一人で、二度目は佐伯が相手だった。そうだ、警笛が聞こえる前は、二度とも、他の音が聞こえない状態だった。一度目は、そもそも道場の中に音が入ってこなくて、二度目は、集中が聴覚を麻痺させていたんだ。そう、それから、二度とも、警笛を聞いたのは、強く集中していたときだった……


 集中。彼は、この集中というものが、一連の出来事のキーワードであるような気がした。つまりこういうことだ。何者かが、どのような形でかは分からないが、震災を予知させるための電波のようなものを流した。そしてそれが、特殊な集中を―ラジオの周波数を調節するような集中を―していた勝田に偶然キャッチされた……


 このように仮説を立てれば、多くの疑問が、解決するのではないかと思えた。まるでSF小説の安っぽい理論のようだったが、これ以外彼には考えようがなかったのだ。



 震災からちょうど一ヶ月が経った日、唐突に、彼は警笛の正体を知ることとなった。その日もやはり、様々なことについて物思いにふけっていた勝田に、あの警笛が訪れた。また何かの前兆かと、慌てて顔を上げると、その警笛は、テレビのスピーカーから流れ出ていることが分かった。その時画面に映し出されていたのは、海岸に向かって、揃って合掌し、目を伏せる人たち。


 それは、震災によって亡くなった人々への、黙祷を促すサイレンだった。


 勝田は慄然とした。この、ただひたすらに被災者を思う悲痛な響きが、被災者を悔やむ人々の思いが、あのとき、彼の頭に流れ込んでいたのだ。


 ……しかし、彼はそれを思っても、憮然とならずにはいられなかった。


 仮に、極度の集中によって、彼らの犠牲者を悔やむ思念が、警笛として聞こえたのだとして、一体俺に何が出来たと言うんだ!


 答えは限りなくNOだった。あるいは、他にも、あの警笛が聞こえていた人はいたのかもしれない。あの時、あの瞬間に、勝田と同様の集中を得ることに成功した人々が。しかし、いずれにせよ震災を回避することはできなかったし、それによって何か被害が軽減されたという話も聞いていない。つまるところ、時を超えるほどの強い意図も、空しく失敗に終わったと言うことになる。



 それを思うと、勝田は、漠然と、逃れられないんだ、という諦めのようなものを心に宿さずにはいられなかった。


 震災からすでに数ヶ月が経った今、被災を免れた人々は、混乱の中から立ち直り、再び震災前とほとんど変わらない生活を送っている。各テレビ局も、震災に関する報道を、犠牲者追悼を主体としたものから、復興に檄を飛ばすようなものへと転換している。震災後の人心の変化について、ある作家が海外でこう講演していたのが、新聞に掲載されていた。



 「日本人が、これまで、次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では仕方ないものとして受け入れ、被害を集団的に克服する形で生き続けてきたことは確かです


 今回の震災で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けました。その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいますし、無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。


 でも、そのうちに、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう我々はそうやって、長い自然災害との歴史を生き抜いてきた民族なのです」



 確かにその通りだ、と勝田は思った。今や、被災を免れた人々が、震災について考える時間はぐっと短くなり、国民の多くが、またいつもの通り、その内元のように戻るのだろうと思っているように見える。


 しかし、勝田は、忘れてはいけないことを忘れている、と思わずにはいられなかった。


 それは、今回被災した人々に訪れた死というものが、今こうして生きている自分たちと関わりのないものではないということだ。


 この震災で犠牲となった人々は、その瞬間が訪れるまで、何の変哲もない生活を送っていた。あるいは、彼らの中で特別な出来事があったかもしれないし、人生の転機を迎えていた人々もいたかもしれない。しかし、彼らは一様に、必ず明日が来るものと信じて、いや、信じるまでもなくその日その日を過ごしていた。


 つまり、彼らがしていたのと同じように、何気ない今を送る自分たちにも、一皮めくれば常に得体の知れない何かがうごめく地球という大地に住んでいる以上、いつか順番がやってくるということを、忘れてはいけないのだ。決して命ある明日は、約束されたものではないのだ。


 そして、そのように思うと、彼の心の中には、また違うものが浮かんできた。それは、今、自分が生きているのだという疑いようのない実感だった。死を直視することで見えてくる生。そんなことは、小説の中の話かと思っていた。しかし、彼は今、その理論を全面的に肯定することが出来た。


 いつか自分たちの番はやってくる。これもやはり、疑いようがない。しかし、少なくとも、そう考えている今現在は、自分たちの番は来ていないのだ。勝田は、そう考えると、神というものの存在を信ぜずとも、今生きていることへの使命感というものを、思わずにはいられなかった。


そう、今を生きなければいけないのだ。今までよりも強く、一日一日を有意義に。


 たとえ生きるということ自体に意味を見いだすことができなくとも、与えられた生、偶然の生のために。そして、生かされなかった命のために。


 たとえすぐそこまで死の影が、闇の侵食が迫っていようとも、たとえその距離を知ることができずとも、今を、全力で生きなければいけない。そして、幸運にも自らの番が、命ある内に訪れなかったときには、次の世代に伝えていかなくてはいけない。死はもうそこまでやって来ているということを。だからこそ、生ある今が大切なのだということを。


  死を直視することを

  生を当然視しないことを


 それが、すべての生へ報いることであり、すべての死へ報いることなのだ。これは、愛とか、友情とか、個性とか、道徳とか、それ以前の問題なのだ。


  それを知るきっかけを、この震災が、そしてあの警笛が与えてくれた。


 勝田は、自分の部屋で、一人そう結論づけた後で、ひとしきり、深いため息を吐いた。どうやら、この現実に、理想的な―苦労と結果が直結した結末を得ることはできそうにない。


  日々を全力で生きる。それはきっと難しいことだろう。疲れることなんだろう。


 でも、だからといって、自分が死に直面したときに、達成感を知らないままで、満足のできる一本を取らないままで死んでいくことを、俺は許せるだろうか。悔やみながら死んでいくことに、俺は耐えられるだろうか。


 とにかく、今、やるべきことをやらなければいけない。勝田は思った。そして、自分の部屋に立てかけてある竹刀を見た。あの日から、すぐにでも使える状態のままに手入れしてある。防具も道着も、いつでも使えるように、念入りに洗って、袋につめてある。



 気づいたとき、勝田はすでに家を飛び出していた。右肩には防具を背負い、左手には竹刀を握って。


 「決着を付けようぜ、佐伯!」


 きっと佐伯も、稽古場で彼を待ち受けていることだろう。彼らの試合は、まだ一本残っているのだから

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