最終章
突然の闖入者―― 典子――の登場に氷華は完全に虚をつかれ、驚き慌てふためいた。なぜ、なぜ、という言葉が頭の中を巡り混乱し、正常な思考が出来ない。
「どういう事なの!? なんで、なんでこんな事になってるの!? 氷華ちゃんがやったの!?」
敵意を剥き出しにした典子の声、その瞳。氷華は気押されて一歩、二歩と後ずさりしながら「違う、違う……」と首を振る。
「なにが違うのよ! また嘘じゃない! 干川君、今わたしが助けてあげるからね」
「うぅ……典子?」
典子は結ばれた干川君の拘束を解こうと躍起になっている。
「待って! 典子、お願い、話を聞いて。お願いだからうちを信じて……!」
「なにを、なにを信じろっていうの、こんな状況を前にして氷華ちゃんのなにを信じろっていうのよ!」
「落ち着いて典子、全部話すから! その男は危険なの、危ない奴なの! 実はその男は……」
「きっ危険なのはその女の方だ! 俺の事を無理矢理こんな目に合わせたんだ」
干川君が息も絶え絶えに渾身の力を振り絞ったかのような必死な声をあげる。
「あんたな~、いい加減にせぇよ!」
再び怒りのスイッチが入った氷華は、その手に持った鞭を振りあげた。
「やめて!」
両手を広げて干川君の前に立ち塞がる典子。その瞳は憎しみを持って氷華を捉えている。
「酷い、酷すぎるよ! なんでこんな事するの!? なんで!? 私への嫌がらせなの!?」
「典子……ちゃうんよ、そんなつもりやない、これは典子の為なんよ」
氷華は手に持った鞭を滑り落とすと典子に歩み寄り、典子に向かって手を伸ばした。しかし典子の髪に触れる寸前でその手は弾かれてしまった。
「触んないで! 酷いよ、友達だと思ってたのに、大好きだったのに、なんでこんな事するの!? 私が嫌いならそう言えば言いじゃない、干川君は関係ないのに!」
「違う! 違うんよ! これは典子の為にやってたんよ、その男は本当に危険なの!」
「けっ今更なに言い訳してやがる」
「あんた、ちょっと黙っとれ! 典子聞いて……」
「やめて! もう氷華ちゃんの事なんかなにも信じられないよ。もう二度と話しかけないで、近寄らないで!」
「そっそんな……典子、お願い話を聞いてよ……」
「…………」
典子は無言で干川君の拘束を外しにかかった。その背中には、もう氷華とは二度と話さないという意思が伺える。
「ぐっ~」
唇を血が滴る程強く噛み締める。悔しい、悔しくて仕方がない。典子は氷華の言葉よりも干川君の言葉を信じているのだ。典子は氷華の事よりも干川君の事を重要視しているのだ。悔しい、悔しい、悔しい、悔しい!
「典子……」
背を向けている典子の肩にそっと手を置く。典子の手が払いにくるのを、肩をぐっと掴む事によって防ぎ、そして……
「……きゃあ!」
典子を押し倒し馬乗りになった。典子は氷華の下で必死にもがいていた。その手を無理矢理押さえつけ、口づけをする。
「ん~くぅ~うぅ!? ぷはっ、なっなにすんの!」
逃げだそうとする典子の唇を追うようにして再び唇を重ねる。
「んん~くぅ~うぅ~」
息が続かなくなるまでの長い口づけを終えて、氷華は叫んだ。
「はぁはぁはぁ……なんで、なんでうちを見てくれんの? なんで典子の目にはうちじゃなくて干川君が写っているの? 嫌だ、嫌だ、嫌だ~!」
「ぎぃやああ~!!」
氷華は馬乗りになったまま典子の瞳をえぐり取った。夥しい出血。絶叫する典子。氷華の手上には典子の眼球が転がっている。
「いやぁあ~!! 痛い痛い! 死んじゃうよ~!」
「典子はうちだけを見てれば良いッ! うちだけを見つめて、うちの事だけ考えてくれれば良いんや!」
「いや〜! 痛い痛い! 死んじゃうよ〜!」
「ちょっ、氷華さん! なにしてるんですか!」
もう黙ってられないとばかりに牧が制止に入る。氷華の腕を掴み引き離そうと試みるが、怒声と共に払われる。
「うっさい! 邪魔すなや!」
「氷華さんっ……!」
氷華は水鏡家、親父さんの一人娘。牧は親父さんから信頼を得ていて、牧と氷華が婚約する事を望んでいる。当初は己の出世の為に氷華と接っしてきたが今は違う。今は本当に愛してしまった。だからこれまでも氷華の望む事すべてに受け入れ応えてきた。だがこの状況、牧は一体どうすれば良いのかまるでわからなくなってしまった。
そして氷華の狂乱は続く。残る眼球をえぐられた典子が再び身の毛もよだつような絶叫をあげる。氷華はそれを意に介する事もなく取り出した眼球をうっとり愛でる事に夢中になっている。そして付いた血を舌で舐め回す。ペロリと舌を伸ばした氷華の表情は愉悦に浸りきっている。
「いだいぃ〜い〜! ぅあああ〜、いだぃよ〜!」
「ごめんな、典子……」
両の手で持った典子の眼球をそっと脇に置くと、氷華は典子の上着をガバッと左右に裂いた。典子の肌が露になり純白の下着だけとなる。
「ずっとこうしたかった……」
氷華は血にまみれた手でその純白を汚しながら、最後の下着も剥ぎ取った。典子の豊かな胸、慎ましく突起した乳首、その美しさに氷華は心を奪われた。ゴクリと生唾を飲み込む。もう歯止めが効かない。典子の胸を強引に揉みしだき、その乳首をつねり、ねじる。天にも登りそうなくらい柔らかく、暖かいその感触に氷華の興奮は絶頂へと至る。
「いィイヤ〜! やぁめてぇ〜! 痛い! 本当に痛いの!」
氷華は止まらない。自らも服を脱ぎ捨てると典子に身体を合わせ再びキスをした。自分の乳首と典子の乳首が擦れ合い、電撃のような快楽が全身を走る。さらに標的を胸へと移した氷華は、典子の乳房を血が滲む程強く噛み締めた。
「典子〜典子の身体すっごい気持ち良いよ〜典子も感じてる? 気持ち良い? 気持ち良いよね?」
氷華の手が典子の下半身へと迫っていった。
「イィヤ〜ヤダヤダ、もうイヤ〜!」
もう駄目だ。これ以上黙って見てなどいられない。牧はそう思い拳を強く握り締めた。たとえ氷華の意に背く事になろうとも力ずくで氷華を抑えよう。そう思い足を前に踏み出そうとした時だった。
再び重い扉が開かれた。ギギギィ……と耳障りな音と共に扉が開き、そこから奈月の姿が現れた。
「あ〜ん、干川君み〜っけ」
氷華と牧はその場でたじろぎ、その奈月へと視線を奪われる。
「あんた、どうやってここに!? それは一体……?」
突如現れた奈月、その手には和正が握られていた。その和正には頭と左手しか付いていない。半身どころか身体の八割を失った和正の姿、まるで出来の悪い宇宙人のようだ。その和正の頭を掴み引きずりながら入ってきた奈月が氷華に視線を投げかける。
「あっあんたこないだの女……んぅン? あははっ、あんたもそんな性癖なんだ〜もしかしてお楽しみ中だったかな?」
奈月は品定めするかのような目付きでそう言った。
「ふっふざけんな、あんたと一緒にするんやない!」
氷華は同類だと思われた事に憤りを隠せず、怒声を返しギッと睨みつける。
「……奈月……そんな奴に構ってないで……ゴホッはぁはぁ……干川君を……! 俺が死ぬ前に早く……!」
和正が口から血を噴き出しながら奈月に語りかける。そんな和正を、まるでゴミでも扱うかのように奈月は放り投げた。
「うるさいな〜私に命令しないで。言われなくってそのつもりなんだから」
そう言うと奈月はそろそろと干川君の元へと歩き出した。
「牧! 止めて! そいつ抑えこんでまた閉じ込めといて!」
「…………」
氷華の命令、だが牧は微動だにしなかった。その反応にいらつきながらも氷華が再び声をあげる。
「牧、なにしてる、 命令や! 抑えつけとけって!」
「……もう辞めましょう」
「牧?」
牧は懐から拳銃を取り出した。そしてパンッパンッと二発の銃弾を打ち出した。それは牧の思いとは裏腹になんとも軽快な音だった。
「うっうっう……うああぁ〜! 典子!?」
「いやぁあああ〜! 干川君!?」
氷華と奈月が似たような悲鳴をあげた。
牧の打ち出した弾丸は一発目は典子の頭に、そして二発目は干川君の左胸へと着弾していた。
「典子、典子、典子〜! うわああ〜」
「干川君、死んじゃヤダよ〜」
二人はもう動かない相手に対して懸命にその名を呼び続ける。
「氷華さん……これからは私があなたを支えます。どんな事があっても一生添い遂げます。だから……もう忘れましょう。それが氷華さんの為です」
牧の突然の行動、それには狂おしい程の嫉妬があった。同性である典子、そんなものに何故自分が負けるのか。これまで氷華の事だけを想い、尽力を捧げどんな望みであろうと叶えてきた自分が、何故あんな小娘に負けなくてはならないのか。牧はそんなどす黒い嫉妬心をずっと胸に抱えていたのだった。
彼らの想いは錯綜し、狂走し、迷走を続ける。当初は純粋で崇高であったはずの彼らの愛情は、競い合うかの様に狂乱し誰かの為という大義名分を掲げて自らの思うがままにその欲を満たしてゆく。独善的な思考は空回りを続け、己が愛した人を傷つける。まさに狂走、狂走する自慰愛。