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病弱な幼馴染の一言が、取り柄のない私の全部だった  作者: 秋月 もみじ


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第16話 安心する、は私の方でした


 好きだと言えたらどんなに楽だろう。


 でも私は、前世でもそれが苦手だった。あの施設のおばあちゃんにも、結局のところ言えないままで終わってしまった。この時代でも、同じようになってしまうのだろうか。


 医者の話を聞いてから、変わってしまった。「あなたがそばにいることが、最高の治療だ」——そんな言葉を聞いてしまったら、もう「役割」として割り切ることはできなくなった。


 前世では介護士という職業があった。その職業名があれば「仕事」と言い張ることができたのに。この世界では何もない。病人の妻。ただそれだけ。


 その「それだけ」の中に、全てが隠れている。



 夜間の紅茶の時間。レイス様は起き上がって、窓を見ていた。月が出ていた。満月だ。


 その光が彼の横顔を照らしていて、私は思わず息を止めた。


「ミーナ」


 彼が呼んだ。


「はい」


「医者から、聞いただろう。お前がそばにいることが、治療だと」


「はい」


「では。ここにいるのは、義務か」


 その質問に、唇の端がわなわなした。息がつまった。このまま言葉を紡ぐことはできないと思った。でも逃げることもできない。彼の目が私を見ているから。


「いいえ」


「本当か」


 長い沈黙が部屋を支配した。私の心臓の音が耳に響く。


「答えてください。義務ですか。それとも……」


 彼の声が、強くなった。今まで聞いたことのない、彼からの強い言葉。それがどれほど絶望しているのか、どれほど必死なのかを物語っていた。


「義務ではないです」


 それは本当だ。義務だったら、こんなに苦しくないはずだ。義務なら、胸が痛くなることはない。


「では。何故、ここにいるのか」


「それは……」


 前世で好きだった人にも言えなかった。その感情を、言葉にすること。声が震える。何度も何度も、何を言おうとしても言葉が喉に詰まる。心はあるのに、言葉がない。愛しいと思う気持ちがあるのに、それをどう伝えていいのかわからない。


 昨夜の出来事も、医者の言葉も、オルガの言葉も、全てが頭の中で渦巻いていた。呪いと祝福。愛と責任。義務と選択。その全てが一つになって、形をなさない。まあ、こんな状態では上手く言葉になるはずがない。


「ミーナ」


 彼が違う声で呼んだ。感情を込めた、今までの平坦な調子と違う声で。


「何か、言いたいことがあるなら。言え」


「わかりません。本当に、わかりません」


「わかっているはずだ。お前は知っている。何故、お前がここにいるのか。その理由を。隠すな」


 その言葉に、全身が動いた。彼が知っているのだ。既に気づいているのだ。その証拠が彼の目にあった。そのような深い光が。期待と不安が混ざった、複雑な感情が彼の瞳に映っていた。


「俺は、お前に負担をかけたくない」


 彼が言った。その声は真摯だった。


「ここにいる必要はない。医学的には、俺の側にいることが効果的かもしれん。だが、それは義務ではなく、強要ではなく」


「わかっています」


「では。なぜ、ここにいるのか」


 その問いが全てだった。部屋の中の空気が張り詰めていて、月光だけが動いていた。


「答えてください。ミーナ」


 彼の目が私を見た。その目には何かを知りたいという思いと、何かを怖がっている思いの両方があった。彼も感じているのだ。この関係を言葉にすることの恐怖を。


「義務じゃないです」


「では」


 その言葉を彼は待っていた。呼吸すら止めているのではないかと思えるほど、ただ待っていた。


「あなたのそばにいると……」


 声が出ていなかった。話そうとしても言葉が形をなさない。何度も何度も口を開いて、また閉じる。


 彼は何も言わなかった。ただ待っていた。その待つ時間が永遠のように感じられた。


「あなたのそばにいると。私が……」


「ミーナ」


 彼が手を出した。その手を、私は握った。彼の手は温かかった。生きている温度だ。呪いを受けながらも、血を吐きながらも、その手の温度は生きている。


 それが何もかもを物語った。


「安心するんです」


 その言葉が、やっと出た。


「あなたのそばにいると。私が。安心するんです。ずっとそうだった」


 彼は何も言わなかった。長い沈黙の中で、全てが通じた。


「子どもの時から。ずっと」


「ミーナ」


「あなたのそばにいると。何か……」


 言葉が途切れた。何を言うべきか、わからない。


「何が」


「わかりません。でも。そばにいたくて。義務ではなく。医学的効果でもなく。私が……」


 その想いが全てだった。


「わかった」


 彼が言った。その声は優しかった。


「わかったから。言うな。これ以上、言うな」


 彼の手が強く握られていた。吐血した手。呪いを受けた手。でも、その手の温度は温かい。


「理由は。わかった。お前がそばにいると。安心する。その理由は。わかった」


「あなたは」


「だから。ここにいてくれ。お前が。ここにいて。安心するのなら。その理由で。いてくれ」


「そんな」


「俺も。ここに。いる。だから」


 彼の言葉には何か別のものが含まれていた。それは言葉では表現できない、何か。


 その後、彼の手は私の手を握ったまま、離さなかった。それが全てだった。



 昨夜彼が言いたかった言葉は、結局言わなかった。言えなかったのだろう。でも、言葉ではなくその手の握りで、全てが伝わった。


 子どもの時から彼が私を守りたかった。その想いを呪いとして受け続けた。でも、今その呪いは祝福に変わろうとしていた。私がここにいることで。彼の呪いが、私を守るために存在していたのなら。それならば、祝福として働くことができるはずだ。


 その後も彼の呼吸は深くなり、落ち着いていた。まるで彼が何かから解放されたように、安堵が顔に浮かんでいた。発作の不安も、痛みの絶望も、一時的にせよ去ったのだろう。


「お眠りになりますか」


「いや」


「でも、お体が」


「いや。このまま。いたい」


 彼の声は確かだった。迷いがなかった。その言葉の中に、どれほどの切実さが含まれていたか。


「わかりました」


 だからそのまま時間が流れた。月光が動いて、窓の景色が変わっていった。満月は薄くなり、朝の方へ移動していった。静寂の中で、ただ彼の手の温度を感じた。


 彼の手の温度がずっとわかった。彼が生きているのだと。呪いを受けながらも、苦しみながらも、生きているのだと。その事実が全てだった。血が通っている証拠。心臓が鼓動している証拠。彼が、ここに存在する証拠。


 夜明けに、彼はやっと眠った。手をつないだまま、私の手を握ったまま。彼の顔は平穏だった。痛みもなく、苦しさもなく、ただ平穏だった。



 朝明け方の光が部屋に入ってきた。明け方独特の柔らかい光が、彼の顔を優しく照らしていた。彼が目を覚ました。


「おはよう」


「おはようございます」


「昨夜は」


「何も言わないでください。時間をください」


「そうか」


 彼は微笑んだ。その微笑みは疲れていたが、何か安堵の色があった。その微笑みが全てを説明していた。昨夜の言葉を受け入れてくれたのだ。それで十分だった。


「医者に処方箋をもらった」


「そうですか」


「毎日飲むと、呪いの進行が遅くなるらしい。お前がそばにいることと合わせて、効果が高まるということだ」


 呪いの進行が遅くなる。つまり、彼はまだ先がある。長くはないかもしれないが、少なくともこの先の時間がある。


「だから。お前は。ここにいなくていい。任意だ。義務ではなく」


「わかっています」


「でも。ここにいてほしい」


 その言葉が全てだった。彼は言った。医学的な効果ではなく、個人の願いとして、私がここにいてほしいと。


「わかりました。ここにいます」


「そうか。ミーナ。ありがとう」


 その言葉で、全てが足りた。足りすぎるほどだった。

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