第14話 私には薬の知識がないんです
薬師の工房は、甘い草の匂いがした。乾燥した草。焙煎した種。熱で煮詰めた液体。前世の病院の消毒液とは全然違う。あの匂いは、冷たく、鋭く、死の匂いだった。ここの匂いは、温かく、優しく、何か生命に満ちている。
「ミーナか」
薬師オルガは、背の高い老女だった。髪は銀色。顔には、深い皺がある。
「はい」
「レイスから、来るように言われていた」
「お手数をおかけして」
「手数ではない。あの子のためなら」
彼女は、乾燥した草を、別の鍋に移していた。その手の動きは、正確だった。何十年もの経験が、その指先に宿っている。
「何か、わかりますか」
「何が」
「レイス様の病気」
「わかるわけがない」
オルガは、きっぱり答えた。
「医者は」
「医者は、血を見て、そして判断する。でも、この場合は違う」
「どうして」
「それを、お前が知りに来たのではないか」
そうだった。
「レイスを治す方法を教えてください」
その言葉を言った時。オルガの手が、止まった。
「わかるか。お前に薬の知識はあるのか」
「ありません」
「では、治す方法がわかったとして。お前は、何ができるのか」
「……できることを探します。まあ、何でもします」
オルガは、私を見た。その目は、何かを測っていた。膝の裏がぞわぞわした。
「あの子のためにそこまで言う嫁が来るとはな」
「え」
「前の嫁は、来なかった。あの子が、どれほど苦しんでいるのか、見ようともしなかった」
「カタリーナですか」
「知らん。でも、来たことはない」
オルガは、また、乾燥した草を、捏ねていた。
「普通の病気ではない。呪いの匂いがする」
「呪い?」
「ああ。医学では説明できない。でも、この世界には、そういうものがある」
「どうして、わかるのですか」
「五十年も、この仕事をしていれば。この匂いは、学べるものではなく、知るものだ」
「呪いを、治すことはできますか」
「わかるまで、手伝え」
「わかりました」
◇
毎日、私は、オルガの工房に通った。朝。レイス様が眠っている時間に。工房は、石造りの小さな家だった。窓には、ガラスではなく、紙が貼られていた。その紙が、光を通す。温かい光。
「これは、何ですか」
「シナモン。乾燥させた樹皮だ。血を浄化する」
「血を」
「ああ。あの子の血には、何か毒が混じっている。それを洗浄するには、こういう草が必要だ」
「本当ですか」
「本当ではない。ただ、試してみるだけだ。医学では、それを『臨床試験』と言うのではないか」
前世の医学の言葉を使う。
「ご存知なんですか」
「ああ。この世界の医学よりも、前の世界の医学の方が進んでいるらしい。あの子は、いろいろ本を読んでいた」
「そうですね」
「だから、お前も知ってるのか。その医学のこと」
「少し」
「なら、手伝える。ただ」
オルガは、私を見た。
「その知識を、この世界で使えば。異端審問にかかるかもしれん。わかるか」
「わかっています」
「それでも、手伝うのか」
「ええ」
オルガは、何か満足したように、うなずいた。
◇
毎日、乾燥した草の匂いに包まれていた。前世の施設では、何度もセールの整理をしていた。アロマテラピー用の商品。オイルの瓶。そういうものと、いくらか似ていた。でも、ここの匂いは、もっと、何か。深かった。
「これを、乾燥させるのに、どのくらいかかりますか」
「季節による。今なら、三日。夏なら、一日」
「それは、湿度の影響ですね」
「ああ。お前も、知ってるのか」
「施設で、農業をしていたので」
「農業。前の世界の」
「ええ」
オルガは、何か考えていた。
「あの子は」
「何を」
「呪いを受ける前に。何か、力があったのかどうか。知りたい」
「力」
「ああ。呪いを受ける者は、大抵。その者自身に何かがある。それが、呪いを呼ぶのだ」
「わかりません」
「なら、聞け。あの子に」
「難しいです」
「そうか」
オルガは、また、草を乾燥させていた。
「では、こうしよう。お前が知ることで。医学的に説明できることを。すべて、ここで教えてやろう」
「本当ですか」
「ああ。あの子のためにそこまで言う嫁なら。価値がある」
「……」
「さあ。これは、何だ」
彼女は、青い花を持ち上げた。
「矢車菊ですか」
「そうだ。では、これは」
彼女は、薬草を一つずつ見せた。その名前。その効能。その使い方。毎日、その積み重ねだった。
◇
三日目。オルガは、私に、薬草を数えさせた。
「百個数えろ。正確に」
「わかりました」
乾燥したラベンダー。一個。二個。三個。その数を数えることで。何か。何かが、見えた。前世で、施設長は、毎日、介護記録を数えていた。患者の名前。その症状。その変化。その積み重ねが、医学的な判断を作っていた。ここも、同じ。オルガは、毎日、草を数えることで。呪いの理解を、深めていたのだろう。
「百個。正確だ」
オルガは、うなずいた。
「では、この草を、全部、焙煎する。お前がだ」
「わかりました」
焙煎の匂いが、工房に広がった。香りが、強くなる。より、深く。より、強く。
「嗅いでいるか」
「ええ」
「その香りが。あの子の呪いの香りと、一致するかどうか。判断するんだ」
「わかりました」
その香りが、工房に満ちた時。私は、わかった。レイス様の血の匂いが。この香りと、同じだったのだ。
◇
一週間後。オルガと医者が、一緒に何かを議論していた。
「この症状は」
「呪いの進行に伴う、退行的な血液現象だと考えます」
「では、治療法は」
「その者の側にいることが、呪いを鎮めるというのは、事実のようです。心理的な安心ではなく、恐らく、その者が何か力を持っているのではないかと」
医者は、私を見た。
「夫人の場合ですね」
「私が?」
「ああ。侯爵がそばにあなたがいると、安定する。それは、恐らく」
医者は、言葉を濁した。
「恐らく、夫人があの者の呪いを鎮める力を持っているのではないか」
「どうして」
「わかりません。ですが、事実として、それ以上のことは、今はお伝えできません」
◇
帰りの道。オルガが、私に言った。
「あの子は。何かから、お前を守ったのだろう」
「え」
「呪いを受ける者は。大抵。その力を誰かを守るために使う。あの子の場合も。同じだと思う」
「わかりません」
「なら、思い出すんだ。あの子との過去を。必ず。答えがある」
その言葉が、私の心に、落ちた。思い出す。過去を。でも、子どもの時の記憶は、曖昧だ。何か。何かが、あるはずなのに。その「何か」が、見えなかった。




