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病弱な幼馴染の一言が、取り柄のない私の全部だった  作者: 秋月 もみじ


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第12話 あの空気令嬢が?


 領地の朝市に行くようになったのは、パン粥に入れる蜂蜜を買うためだった。朝六時。大人たちが動き出す時間。市場は、もう活気に満ちていた。野菜を積み重ねた車。パン職人の籠。蜂蜜を瓶に詰める老人。


「おはようございます」


 蜂蜜を売っている老人に声をかけた。毎朝、同じ人だ。


「おはよう、お嬢さん。今日も、来てくれたか」


「ええ。蜂蜜を、一つお願いします」


「この瓶か。いいのが取れたんだ。この季節のアカシア。香りが違う」


 彼は、瓶を持ち上げた。金色の液体が、光を反射していた。


「いくらですか」


「五百銭。安くしてあるんだ。お前が毎朝来るようになってから、売り上げが上がったんだ」


「そんなことはありません」


「いや、本当だ。お前がいつも笑顔で来るから。他のお客さんも『気分がいいな』って、言い始めた」


 前世で、スーパーのセール品を探す時の感覚に似ていた。安いものを見つけた時の、あの微かな達成感。だが、この時代のセールは、違った。値段交渉が、人間関係の一部だった。


「では、来週も来ます」


「ああ、待ってるよ。お前と話すのが、楽しみになってるんだ」



 市場を出て、帰路につく。この領地の朝は、冷たかった。たとえ春が近くても。石の路面が、足の裏に冷感を伝える。前世の施設の廊下も、こんな冷たさだったな。夜勤が明けた朝、よく足が冷えていた。


「おはようございます、奥様」


 子どもたちが、道端で遊んでいるのを見かけた。五歳くらいの女の子。兄妹だろう。


「おはよう。何をしているの」


「石を集めているんです。侯爵邸の庭園に、きれいな石があるって聞いたから」


「そうなの。それは素敵ね」


「奥様は、ご存知ですか」


「はい。庭園に、いろいろな石があります」


「いつか、見に行ってもいいですか」


「え。庭園に」


「はい。奥様が、一緒なら」


 私は、その子の目を見た。純粋な好奇心。何も期待していない。ただ、聞いている。


「レイス様に、聞いてみましょう」


「ありがとうございます!」


 その子の笑顔を見て、顎の付け根がきゅっとなった。この子たちが、レイス様に会うことはあるだろうか。まあ、レイス様は、この領地を歩くことがあるだろうか。



 侯爵邸に戻ると、レイス様は、まだ眠っていた。昨日の疲労が、激しかったのだろう。朝食を用意した。パン粥に、蜂蜜を混ぜる。その香りが、室内に広がった。アカシアの蜂蜜。白い香り。甘い香り。前世の実家近くのセール品売り場で、はちみつバターが安く売っていたのを思い出した。当時、給料が少なかったから、毎回、その棚の前で迷っていた。買うべきか、買わないべきか。この時代では、蜂蜜は、思いのままに買える。不思議だった。



 昼間。レイス様は、書斎で何かを読んでいた。


「お忙しいですか」


「いや」


「庭園の石について、お聞きしたいことがあります」


「石?」


「ええ。領地の子どもたちが、庭園の石に興味があるということです。見学を許可していただけますか」


 レイス様は、本を閉じた。


「子どもたちが」


「はい。小さな子たちです」


「庭園は、誰のためにあると思う」


「あなたの領地ですから」


「そうではなく。その庭園の存在意義を、お前は何だと思う」


「……」


 私は、答えられなかった。


「庭園は、領民のためにある。領地の者たちが、心を休める場所。だから、許可する」


「ありがとうございます」


「ミーナ。お前が、子どもたちと話しているのを、見たのか」


「え。何を」


「朝市に行っているのを、知っている」


「……」


 びっくりした。見張られていたのか。


「毎朝、同じ時間に出かけている。一時間。蜂蜜を買う。ヨハンから聞いた」


「そうですね」


「お前は、誰のために、そんなことをしている」


「パン粥が、美味しくなるから。蜂蜜は」


「本当か」


「はい」


「そうか。なら、続けるがいい」


 彼は、また、本を開いた。でも、彼の手は、本の上で止まっていた。何か、彼の心が、動いていた。



 夜。レイス様から、血を吐く音が聞こえた。洗面器に落ちる音。ドサッと音。


「レイス様!」


 私は、走った。彼は、洗面台に両手をついていた。赤い。その汁が、白い陶器に落ちている。


「レイス様!」


「いや。近寄るな」


「医者を呼びます」


「来なくていい」


「でも」


「近寄るな。ミーナ。絶対に。これを見るな」


 彼の声は、激怒していた。


「わかりました」


 私は、一歩下がった。彼の肩が、震えていた。


「出ていってください」


 その言葉が、全部を物語っていた。彼は、自分の弱みを見せたくなかった。だから、私は、出ていった。



 朝。私は、医者を呼んだ。


「最近の血は、量が多いですか」と、医者が聞いた。


「はい。昨夜は」


「わかりました。侯爵に話します。でも、このままでは」


 医者は、言葉を濁した。でも、その医者の顔を見て、私は知った。彼の体が、崩れ始めているのだ。



 その日の夜。王都では、エドワード殿下が、何かを聞いていた。


「あの空気令嬢が?」


 彼の声は、驚きに満ちていた。


「ええ。領地の子どもたちと話しているらしい。市場にも、毎朝」


「不可能だ。カタリーナが言っていた。あの令嬢は、社交界で何もできない。話題も、つくれない。ただ、そこにいるだけだと」


「ですが、領地の者たちは」


「何」


「奥様がいるおかげで、領地が安定していると言っています」


 エドワード殿下は、沈黙した。彼の計画は、違う方向に進み始めていた。



 一方、王妃は、カタリーナに相談していた。


「あの令嬢を、説得してみてくれ」


「説得ですか」


「ああ。领地から出るよう。アルヴァーン侯爵は、もう長くない。嫁の身分に固執する意味があるまい」


「わかりました。参ります」


 カタリーナは、侯爵邸に向かった。



 翌日。カタリーナが、やってきた。相変わらず、完璧な装いだった。ドレスも、髪も、すべてが整っていた。でも、彼女の目には、何か違う光があった。焦燥。


「ミーナ。お話しがあります。二人きりで」


「ええ。こちらへ」


 私は、彼女を庭園に導いた。彼女は、庭園を見回った。冬薔薇が、咲いていた。深紅の花。


「綺麗ですね」


「ええ」


「あなたが、こんなに変わるなんて。王都では、考えられませんでした」


「変わりました。ここに来て」


「何が、あなたを変えたのでしょう」


 その質問に、私は答えられなかった。


「帰ってくることを、お勧めします」


「どうしてですか」


「アルヴァーン侯爵は、もう長くない。そんな男のために、あなたの人生を無駄にする必要はありません」


「それは」


「あなたに価値があることを、知っていますか。社交界では、あなたは何もない。でも、ここでは」


「違います」


「何が」


「ここでも、私は何もしていません」


 その言葉を言った時。私は、自分の嘘に気づいた。

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