35歳
「――トート。起きなさーい」
下――1階から声が聞こえる。
「ん……おきる……」
トートはか細い声でそう言う。しかし、起きる気配は一切ない。顔を布団にうずめて、気持ちよさそうに寝ている。
窓からは朝日が差し込み、小鳥が歌う声も聞こえる。とても気持ちの良い朝だ。ただ、それと対象的に、トートの部屋は本と服でとても散らかっていたのだが……
「早く起きないと、朝ごはんないからねー」
「――あ、それはまずい」
朝ごはん抜きはよろしくない。テトとの修行で負けてしまうし、テトの子供と遊ぶのに、お腹が空いたまま行くのは賢い選択とは言えないだろう。それに、何より体に悪い。
トートは被っていた布団を風でふっとばし、ベッドから飛び降りる。そして、相変わらず散らかっている部屋の床を本を踏まないように歩き、ドアを開けて部屋から出ていった。
◆◆◆
5年ほど前、トートと母親は丘の上の家から、村の家へと引っ越した。今ではジェフティの鍛冶屋の向かいはすの家に住んでいる。
引っ越しをした理由は、母親が年を取ってきて、毎日丘を昇り降りするのが辛くなってきたこともあるが、一番の理由はこれである。
「おはよ。お父さん」
トートはそう言って、壁に飾られている剣に挨拶をする。
今から5年ほど前、ペゲルヘム帝国とサルク王国――トートたちの住む村が属す国の間で戦争が起こった。戦争は激しく、トートたちの住む村からも徴兵があった。そして、トートの父親は、戦場で死んだのである。
「ほら、席につきなさい」
母親の言葉に、トートは食卓に座る。眼の前には焼き立てのパンとミルク、それとみずみずしい野菜がおいてある。いつもの朝食だ。
「今日もテトの鍛冶屋に手伝いに行くの?それとも子どもたちのお世話?」
ジェフティの鍛冶屋は、今はテトが引き継いでいる。
「ん……後で決める」
20年経って、さすがのトートの背も少し伸びた。とは言ってもいまだ10歳前後の子供に見られるのは変わってない。まぁ、トートの性格も子供っぽいので、本人もあまりそれは気にしていない。
「そう。今日は近くで兵隊さんたちが訓練してるみたいだから、それに参加してもいいんじゃない?トートは魔法使えるんだし」
「ん、それにする」
魔法を使えるものは貴重だ。軍においては特に重宝される。それに加え、父親が軍に所属していたこともあり、トートは軍で可愛がられていた。
「暗くならないうちに帰ってきてね。薪割りもしてもらたいし。流石にこの年で斧を振るのはつらくって」
「わかった」
トートは残りのミルクを流し込み、そう答えた。
◆◆◆
トートは空を飛んでいた。軍が軍事演習を行っているところへ行くためだ。だが、普段とは違い、今日は一人ではなかった。
「うわっ、すげぇ!空飛んでる!」
「すごぉーい!」
トートといっしょに飛んでいるのは二人の子供。テトの子供だ。トートが風のカゴを作り、それを引っ張ることで飛んでいる。
「……暴れないで。疲れるから」
はしゃぐ子どもたちと対象的に、トートは疲れた表情をしている。テトの鍛冶屋によってなにかおやつでも貰おうと思ったのに、何故か自分が働いている。帰ったらテトからいつもの倍のおやつをぶんどってやると、トートは心に決めた。
「トート姉、あれが兵隊さんたちが訓練してるとこー?」
女の子――ラナが、地上のテントがたくさん張ってあるところを指さし、そう聞いた。
「うん、そう……だから、暴れないで」
トートの顔色は悪い。自分の魔法が乱されると、なんとも言えない気持ち悪さがある。
「うわっ!いまかみなりの魔法みた!」
男の子――ジークが叫ぶ。
「うぅ、だからやめて」
青い顔のトート。顔色の悪いトートと二人の子供は、風をまといながら、森の中へと降りていった。
◆◆◆
「あぁ、トートちゃん。今日はラナとジークも一緒かい?」
地上に降りたトートたちに、最初に気がついたのはヒゲがもじゃもじゃの、甲冑を着たおじさんだった。
「こんにちは。メセンさん」
トートは軽く頭を下げて、挨拶をする。
「来てくれてありがとうねぇ。今日は兵たちと多対一の模擬戦をやってくれると嬉しいんだけれど、できるかな?」
「わかりました」
「ラナとジークの二人は見学ってことでいいかな?それかラフティに言って、魔法を教えさせてもいいけど……」
「ううん!トート姉が戦うの、見てる!」
「うん!ラナも見る!
「そうかい。それじゃぁねぇ、向こうのテントに行こうか」
メセンはそう言ってテントの方を指さす。彼が指差す先からは、剣と盾がぶつかり合う、金属の音がした。
「トート姉、空飛んで連れてって!」
ジークがそうねだる。しかし、
「だめ……気持ち悪いから……。帰りはテトを呼ぶから、テトにたのんで……」
トートは青い顔でそう答えるのだった。
◆◆◆
ここ、フィーア村の外れには、軍の駐屯地がある。先のペゲルヘム王国との戦いで、重要な補給地となったこの場所は、停戦後も軍が残り続けている。
俺は、今年この駐屯地に配置された新兵だ。我がサルク王国の英雄王、サルク=ノトス3世の激励を胸に、我が祖国を守るため、この駐屯地へとやってきた。しかし、
「――早く距離を詰めろ!」
「相手は一人だ!近距離戦に持ち込めが、こちらが有利になる!」
……現在、俺とその仲間たちは訓練をしている。多対1を想定した対魔法使いの訓練だ。戦争において、魔法は大きな脅威となるが、魔法使いの数は少ない。なので、俺のような新兵が、このような訓練に参加できるのはとてもありがたいことなのだ。しかし、
ズドォォォォッン!
爆音、そしてモクモクと上がる土煙。俺とその仲間たちは、放たれた魔法によってはるか遠くへと吹き飛ばされていた。だが、それは良い。訓練だからだ。ただ、一番の問題は――
「……なんで子供一人に全滅なんだよ!」
そう。訓練相手の魔法使いが、どう見ても少女なのである。白いワンピースに青い髪。メセン指揮官と話していたので、最初は指揮官の孫だと思っていた。だが、この魔法の威力はおかしい。明らかにおかしい。少なくとも、10歳やそこらに見える子供が出して良い威力ではない。
「トート姉すごーい!」
「あの雷のやつやってー!」
見学していた子どもたちが、少女に向かって何やらリクエストをしている。少女はそれに答えるようにして、右手に小さな雷を作ると、それを適当に、ひょいと放り投げた。次の瞬間、
ピシャッ……ズガァァァァァァン!
駐屯地に落ちる大きな雷。あり得ない魔法に、俺は言葉をなくした。
「あぁ、お前はこっち来たばっかだったか」
「あ、先輩」
地面に座り込んでいる俺に、先輩が声をかけてきた。
「あの、雷の魔法ってかなりの上級魔法じゃないですか……?あの娘、おかしくありません?」
「ああ、トートちゃんのことか。まぁ、もう今さら驚かないけどな」
俺の言葉に、先輩は笑って答える。
「あの娘、エルフなんだよ」
「エルフって、あの?めったに人と関わらないんじゃないですか?エルフって」
確かに、少女の耳をよく見ると、細く尖っている。だが、俺はこれまでの人生で一度もエルフを見たことがない。
「俺も詳しくは知らないけど、まぁ事情があるんだろう。メセン指揮官の友人があの娘の父親でな。その人は先の戦争で、残念ながら亡くなられてしまったんだけれど、その時の縁あってか、たまに俺らの訓練の相手をしてくれるんだ」
「はぁ、そういうこともあるんですね」
あまり深くは踏み込まないようにしようと、俺は思った。
「あの娘、あの見た目で俺等よりも歳上だからな。あんまり子供あつかいしないほうが良いぞ」
「え、まじすっか」
先輩と俺が話しているときも、横からはドッカンドッカンと魔法の音がする。俺は、この人には失礼なことを言わないようにしようと、心に決めた。
◆◆◆
「これにて、今日の訓練は解散とする。各自、しっかりと休息を取るように。見張りの当番があるものは、直ちに持ち場につけ」
メセン指揮官の横で、副官らしき人物が、兵に向かって指示を出している。日は沈み始め、空は段々と赤くなってきていた。
「メセンさん、今日はありがとうございました」
ラナとジークを迎えに来たテトが、指示を出し終わったメセン指揮官に、そう言った。すっかりおっさんになって、あごひげまで生やしているテトだが、昔の面影はなお残っている。テトの作った風のカゴの中には、疲れて眠っているラナとジークがいる。
「トートもありがとうな。今日は」
テトは横で同じく疲れ果てているトートを見て、そう言った。訓練が終わったあと、結局ラナとジークにねだられ、空を飛ぶ羽目になったのだ。その上、兵士の飛行訓練かなんだかで、彼らも連れて飛ぶ羽目になった。さすがのトートも気絶寸前である。
「テト……あとは頼んだ……」
そう言ってテトに倒れかかるトート。テトはそれを風で包み込み、ラナとジークの乗っているカゴの中へと入れた。
◆◆◆
テトとトートたちは、空を飛びながら家へと向かう。陽は山の向こうへと沈み、赤い空はやがて紺となり、暗くなっていくだろう。
少し冷たくなってきた風を顔に受けながら、テトは言う。
「ジェフティさんが亡くなってからさ、王都からの勧誘が酷いんだよ。うちの鍛冶屋の剣は王都でも評判が良いみたいでさ。今国がこんな状況だから、武器はいくらでも欲しいんだろうけど、一週間に一回の頻度で訪ねてくるのはやめてほしいよな」
ため息を付きながら、そう文句を垂れる。テトの顔には小じわが増え、髪には少し白いものが混じっている。おそらく、かなり苦労しているのだろう。
「行きたくないなら、いかなきゃいい。テトが嫌なら吹っ飛ばしてもいいけど、その人達」
トートは一番星を眺めながら、そう言った。青い髪は風になびき、まるで妖精のような美しさだった。
「うーん、ふっとばすのはやめてほしいかなぁ。それに問題を起こしたら妻に怒られちゃうし」
テトは少し笑いながら、そうお願いする。
「ふーん、つまんないの」
テトの言葉に、トートはそっぽを向いてふてくされる。
「ごめんごめん。でも、トートがそう思ってくれるのは嬉しかったよ」
ふてくされてしまったトートに、テトは慌てて謝る。
「そうだ。後でおやつ。いつもの倍」
「え、でももう遅い……」
戸惑うテト。
「今日、たくさんラナとジークの面倒見た」
「うっ……わかった。でも明日ね。今日はもう遅いから」
「あと薪割りもしといて。わたし、今日はもう何もしたくない」
「まじ?……わかったからそんな目で見ないで」
トートのジト目攻撃にテトは思わず降参する。
空は暗く、空には星が光り始めていた。




