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『STEAMPOCALYPSE』(スティーモカリプス)  作者: ひかみ
『白き沈黙、鉄の呼吸 ―蒸気暦(スチーム・エラ)の夜明け―』

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2/10

鋼鉄の契約

2042年 

「はぁ…これで何社目だよ?」

(すすむ)はその名前とは裏腹に後ろ向きな気持ちになっていた。

それもそのはず、軍を退役してからこの半年間で30社の面接に落ちていたからだ。もう来月からは軍からの退役手当も治療費しか出ない。何としてでも今月中、いや次の会社で決めなければ。


【2027】の海蝕依頼世界各地で大蒸気噴出(グレートベント)により、世界の軍事バランスと日本の地政学的立場は劇的に変化した。あの日津波から逃れる為、人類は上へ上へと走った。

しかし毒素を含んだ蒸気のせいで地表には住めなくなり人類は地下へと追いやられた。


現在2042年の神戸は、かつての港町としての機能を完全に喪失し、瀬戸内海は干上がり、塩分濃度の極端に高い「塩の荒野」と化していた。地割れから噴出する摂氏120度以上の過熱水蒸気の柱がいたる所で噴出している。 六波羅Industry.incロクハラ・インダストリーは、この過熱蒸気を回収・圧縮・再分配する「蒸気利権」を握る準軍事企業であり、その応接室は外部の熱と湿気を遮断するために分厚い真鍮製の気密扉と、鉛による電磁遮蔽が施されているお陰で地表にありながら快適に過ごせていた。



~六波羅industry.inc神戸本社 応接室~

「坪内進さん、26歳、独身、元合同防衛軍第7師団所属。2041年の津軽海峡防衛戦にて名誉の負傷により右目、右手を欠損。その後退役」


「はい!多少の不自由はありますが体力には自信がありますのでよろしくお願いいたします!」


進が軍を去った理由()()()()()()()()がそのまま30社不採用の理由だった。

利き腕と右目の欠損。正直言うと仕事はおろか私生活すらままならないのが現状だった。



「体力……。なるほど」

六波羅Industryの面接官、柳生やぎゅうは、坪内の履歴書から目を離さず、机の上に置かれた圧力計を確認した。室内の気圧は外部の汚染された蒸気の浸入を防ぐため、常に1.2気圧に加圧維持されている。



柳生は立ち上がり、背後の壁一面に貼られた地図を指し示した。そこにはかつて「日本海」と呼ばれていた広大な塩の盆地と、そこを縦横に走る真鍮色の太い線――スチームパイプラインが描かれている。


かつての日本は資源を持たず、その殆どを輸入に頼っていた。

しかし海蝕依頼、日本は資源のない島国ではなく【最強のエネルギー資源(高圧蒸気)を持つ資源国】に生まれ変わった。しかし電子機器が使えないため、日本の「精密な機械加工技術(町工場の技術)」が世界で最も価値あるものになり、精度の高い歯車、バルブ、耐圧シリンダーを作れるの日本の職人は至高のエンジニアとなった。この六波羅Industryも神戸の小さな町工場を多く抱える工務店だったらしい。海蝕後、いち早く精密機械を捨て、アナログ技術に新たな「蒸気駆動技術」を掛け合わせたものを開発、900メートルも下がった海抜は本来回収困難な海底資源の採掘を成功させた。資源を得た日本は持っていた技術も合わさり列強国となった。


しかし最近、この採掘資源を狙う海賊(サルベージャー)、まあ既に海は無いから砂族とでも言うのか、とにかく武装した強盗集団が頻繁に表れるらしい。



「坪内さん。我々が求めているのは、単なる肉体的労働者や採掘者ではありません。この飽和蒸気の下で、電子機器(シリコン)に頼らず、機械仕掛けの『力』と『圧』で利益を守れる人物です。貴方の失われた右目と右手、それは欠損ではなく、最新の『規格』を受け入れるための空席だと考えられませんか?」


柳生はデスクの引き出しから、重厚な木箱を取り出し、その蓋を開けた。 中には、鈍い銀光を放つチタン合金製の義手と、結晶化された特殊なレンズが埋め込まれた光学装置が収められていた。それは電気制御ではなく、微細な蒸気ピストンと歯車の噛み合わせによって駆動する、六波羅の最高機密「高圧蒸気駆動式義肢(プレッシャプロテーゼ)」である。


「これを装着すれば、貴方は軍人時代よりも速く、強く、そしてあのホワイトブラインド(白い闇)の影響を受けずに行動出来るようになる……ただし、その代償として貴方の血は今後、水と防錆剤の混ざった作動油に近い役割を果たすことになりますが」


柳生は冷徹な眼差しで、坪内の残された左目を見つめた。


「……」


「2041年『鉄の谷の戦い』で、貴方の分隊を壊滅させた大陸軍閥の重装甲騎兵【赤龍】奴と対等に渡り合う権利を、この契約書一枚で得られるとしたら、どうしますか?」



柳生の問いに対し、坪内はすぐには答えなかった。 いや、答えるための喉の筋肉が、過度な緊張によって硬直していた。


彼の脳裏には、2041年の「鉄の谷の戦い(あの時)」の光景が、網膜に焼き付いた残像のように展開されている。 視界を埋め尽くす「白い闇」の向こう側から現れた、大陸軍閥の重装甲騎兵【赤龍】。その巨大な蒸気ピストンが駆動するたびに放たれる、鼓膜を劈くような高圧排気音。 鋼鉄の馬に跨った剥き出しの暴力が、自らの分隊を紙細工のように引き裂いていった感覚。


存在しないはずの右腕の指先が突如として熱を帯びた。 それは医学的に説明のつく「幻肢痛」ではあったが、今の進にとって、それはかつての部下たちが発した断末魔の温度であり奪われた誇りの拍動だった。


「対等に……渡り合う……」


進は膝の上で震える左手を、もう一方の手――今は袖口で虚しく揺れるだけの右腕の付け根――に添えた。 彼にとって「赤龍」は、単なる敵対勢力ではない。自分の人生を、そして「青い空」があった頃の自分という人間を、物理的に粉砕した巨大な「重圧」そのものだった。


その「重圧」に抗うためには、自らも同等以上の「重圧」を受け入れるしかない。 シリコンの論理が死に、熱力学の法則が支配するこの世界で、立ち止まることは緩やかな死を意味する。そうでなくても今回の面接に落ちれば来月は悲惨な生活が保障されている。


進はゆっくりと頭を上げ、残っている左目で柳生の目を真っ直ぐに見据えた。



「すみません、少し…考えさせて下さい」

その日は結局、決断を出来ずに六波羅industryを後にした。



進の後姿を先ほどの応接室から見送りながら柳生は葉巻を取り出し、慣れた手つきで火をつける。

湿度が高いこの世界に置いて【火が付く】と言うのは贅沢な証だ。今や人々は潤いではなく【乾き】を求める世界になっていた。


「被験体としては申し分無いんですけどね~。引き受けてくれますかね彼?」

その場におおよそ似つかわしくない白衣を着た若い男が柳生に話しかけていた。体を左右に大きく揺らしながら柳生の燻らす煙の行き先を目で追っている。


「ああ、引き受けるさ。きっと…」


「了解!じゃあ用意しておきますね~」

白衣の男は明るく答え、踵をスリッパのように踏みつぶした革靴を履いて部屋を後にした。



六波羅industryの採掘送迎車に揺られながら居住区に帰る途中、流れゆく窓の外の白い闇をぼんやり見つめているとあの日の惨劇が蘇る。

進は名誉負傷兵という「()()()()()」として生きるか、人間を辞めて「蒸気駆動の兵器」として生まれ変わるかと言うアイデンティティの二者択一を迫られていた。


窓に映る不自由な自分と目が合う。眼帯替わり巻いている包帯、頼りなく垂れ下がった右腕の袖が現実を思い知らせる。



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