宇宙タイムマシンと時間の巫女
妹が死んでから、私は時間について考えつづけている。
私たちは時間が前に進むものだと、後ろに行くことはなく、前にしか進めないものだと常々体感している。しかし本当にそうだろうか。時間が後進したっていいじゃないか。あらゆる時間、すべての一瞬一瞬はどこかに保存されていて、妹はそこでは永遠に存在し、生きているのだ。その時間にアクセスできさえすれば、私は妹と一緒にいた時をまた過ごすことができる。私はそう信じている。
私は未来なんて必要としていない。過去さえあればいい。愛する者のいない時間に意味はない。私は妹が存在していた時間を必要としている。切実に。
私が小学4年生だったとき、妹は1年生だった。ふたり一緒に登校できた3年間、私はしあわせだった。妹は特別な女の子だった。
「うちゅうはタイムマシンなんだよ」と彼女は小学校に入学した頃に言い出した。
「わたしはじかんのみこににんめいされたんだ」
妹は愛くるしい顔立ちをした人形のような少女だった。目はぱっちりとして、瞳はくりくりとよく動いた。小さな1年生の中でもひときわ小柄でちっちゃくて、艶やかな黒髪を肩のあたりまで伸ばしていた。私は妹を世界でいちばん大切に想っていた。
妹が突然突拍子もないことを言い出して、私は狂喜した。人形のように可愛くて小さな子が、真剣な顔でファンタジーなことを言う。
「わたしはうちゅうタイムマシンのこしょうをなおさなくちゃいけないんだ。それがわたしのしめいなんだよ」
私は以前から妹を愛していたが、頭のおかしいことを言い出した妹をさらに深く愛するようになった。変なことを言う妹を愛し、その変な発言自体も愛した。不思議ちゃんの妹が堪らないほど好きだった。
妹について語るとき、私は過去形で語らなくてはならない。妹は過去にしか存在していない。時間は前にしか進まない性質をしているから、妹が死んだ後の時間を生きている私は、妹について未来形で語ることはおろか、現在形で語ることすら未来永劫できないのだ。
宇宙はタイムマシンなのに、どうして過去にアクセスできないのだろう。宇宙タイムマシンを故障させて、妹が生きていた時間をひたすらリピートするようにしたい。私はその閉ざされた時間を永遠に繰り返して生きるのだ。妹がいない時間なんていらない。
「宇宙のどこがタイムマシンなの? 過去にも未来にも行けないじゃない」と私は指摘した。
私と妹は河原を散歩していた。葉桜が新緑を輝かせ、たんぽぽがあちらこちらで黄色い花を咲かせていた。ひばりが巣を守るために上空でひたすら鳴いていた。
「うちゅうはタイムマシンだよ。みらいにいけるじゃない」
妹は私の誤りを訂正した。時間は今まさに未来へ向かって進んでいる。今と思った直後にその今は過去になり、未来は現在になっている。
「あ、そっか、確かに」
「うちゅうはじかんをまえにすすませるマシンなんだよ。うちゅうタイムマシンがこしょうすると、じかんはていしして、まえにすすめなくなるんだ」
私は妹より少し前を歩いていた。後ろを振り返って、妹を見た。彼女はまっすぐに前を向いて歩いていた。時間は正確なリズムで淡々と前進していた。
「愛は時間の巫女なんだね?」
仁科愛というのが、妹の名前だ。
「そうなの、にんめいされたの」
「宇宙タイムマシンの故障を直すのが使命なんだ?」
「そうなの、恋ねえちゃん」
そして私は仁科恋。愛に恋する女だった。
「誰に任命されたのよ?」
「くーでるこーらるせいのおんなのひとににんめいされた。そのひとはもうしんじゃった。しぬまえにこうにんしゃをしめいするのも、じかんのみこのじゅうようなやくめなんだよ」
「そうなんだ」
「そういってた。くーでるこーらるせいのおんなのひとはしんじゃった。じかんのみこはげきむだからたんめいなの」
私は今は亡きクーデルコーラル星人を憎んでいる。妹の前任者で、激務であることを知りながら幼い愛を後任に指名した時間の巫女を。
私が小学4年生で妹が1年生だったときに愛が言った言葉を、私は少しも信じていなかった。信じていなかったから、その言葉を楽しむことができた。信じていたら、その深刻さに気づいて、少しも楽しめなかったにちがいない。しかし妹は真実しか言っていなかったのだ。
健康そのものだった妹は、小学校に入ってから頻繁に風邪をひくようになった。
彼女が熱を出して寝込むと、私は心配で堪らず、その日の授業に集中することができなかった。早く放課後になれと願ったが、そういうときに限って時間は遅く進むように感じられた。教室の壁に掛けられている電波時計をしょっちゅう見上げた。秒針は一定のリズムで小刻みに動いていた。
帰りの会が終わると、私は学校から走って帰宅し、妹を看病した。
「こんかいのじかんていしは長かった。ちょっとたいへんだった。恋ねえちゃんのじかんが止まっていたあいだ、わたしは3日くらいねないでうちゅうタイムマシンをなおしていたんだ。かぜをひいたのはそのせいだよ」
2年生だったとき、病床で妹はそう説明した。
私はいつものようには愛の変な発言を楽しめなかった。
妹はぐったりと憔悴し、額に汗の粒が浮かんでいた。私は冷たいタオルでそれを拭いた。夕立が激しく降り、強風が吹いて、雨戸をがたがたと揺らしていた。
「冗談なんか言ってないで、ゆっくり休みなよ。39度も熱を出してるのよ。ふざけてる場合じゃないよ」
「ふざけてないよ。ほんとのことなんだよ。わたしの3日はみんなの0びょうなんだ。3日だったかどうかはっきりとはわからないんだけどね。止まったじかんの中ではけいかしたじかんははかれない。3日といっしゅんとえいえんにくべつはないの」
「そんなにむずかしいことを話してたらもっと熱があがっちゃうよ」
「みんながうちゅうタイムマシンやじかんのみこのことをりかいできないのはもうわかってる。でも恋ねえちゃんにだけはわかってもらいたいな。わたしはがんばってタイムマシンをなおすおしごとをしているの」
「わかったから眠りなよ」
私はわかっていなかった。妹は本当に彼女の体感で3日間連続で働いていたのだ。時間の巫女はブラック企業よりもブラックな激務を強いられていた。
妹の風邪が治ってから私は訊いた。
「時間の巫女の仕事ってどういうものなの?」
「いのることだよ。うちゅうのまんなかにあるおっきなとけいのまえでいのるの」
妹は胸の前で手を合わせ、穏やかに微笑みながら説明した。
宇宙の中心には巨大な時計があって、時間の大神官たちが祈りのエネルギーによって時間と時計を進行させているらしい。時計はブラックホールを背景にした白い12個の数字と長針、短針、秒針とで形成されている。時計の針の動きと時間の進行は完全に連動している。
「おっきなとけいはときどき止まってしまうの。そうすると少ないにんずうのだいしんかんだけでは動かせなくなって、うちゅうじゅうからじかんのみこがあつめられて、みんなでしんけんにいのるんだよ。とけいがまた動くまでは水ものまないで、もちろんねむらないで、ひたすらいのりつづけるの」
「その時計が止まると、時間も止まるのかしら?」
「そうなの。恋ねえちゃんも動かなくなるよ。わたしたちじかんのみこやしんかんだけはじかんエネルギーをたくわえているから、れいがいてきに動くことができるの」
時間が停止すると、私たちは絶対零度で凍結したように動けなくなり、蝶や鳥は空中で静止し、太陽や地球や月も回転しなくなるという。特殊な時間エネルギーを蓄積した時間の巫女と神官だけが動くことができて、宇宙の中心の時計に向かって一心に祈りつづけるらしい。巨大な時計の白い針が再び動き出すまで。
「地球には時間の巫女は何人くらいいるの?」
「ちきゅうじんではわたしだけだよ」
妹は本当に特別な女の子だったのだが、私はまだ半信半疑だった。
妙に設定が細かくなってきたな。愛はこんなことを考える子だったっけ。本当のことだったりして? まさかね。
私は5年生になってから小学校の科学部に入り、ひとつ年上の男の子と親しくなった。彼は小学生にしてはかなり多くの物理学の本を読んでいた。
「宇宙はタイムマシンだって妹は言うの。未来へ向かうタイムマシンだって。時間は祈りによって前に進んでいるとも言ってる」
放課後の理科室で、化学実験で使ったビーカーやアルコールランプをかたづけながら、私は彼に話した。
「宇宙はマシンではないよ。空間だよ」
ボーイフレンドはそう言って笑った。
「時間は空間と同じく次元の一種で、重力の歪みを考慮しなければ、一定の速度で前に進みつづける自然現象だよ。祈りによって進むなんて、妹さんは可愛らしいことを言うんだね」
「かなり過酷な祈りが必要らしいのよ。宇宙タイムマシンが故障して時間が停止したら、飲まず食わず眠らずに祈りつづけて直すらしいの」
「誰が祈るの?」
「時間の巫女が」
「あはははは」
ボーイフレンドに大笑いされて、私は少しむっとした。妹は長時間真剣に祈り、風邪をひいたり、お腹を壊したりしているのだ。妹は時間の巫女。私はそれをだんだんと信じるようになっていた。
「宇宙では時間は前に進みつづけているわ。宇宙は一種のタイムマシンだと見なしていいんじゃないかしら」
「まあそう強弁できないこともないけれど、前にしか動かせないならかなり不完全なタイムマシンだね。後ろにも行けるようでないと」
宇宙タイムマシンは過去には進まない。それは確かに大いなる欠陥だった。妹が死んでから、私はその欠陥を憎むようになった。未来にしか進めないタイムマシンなんていらない。私に必要なのは妹が生きていた過去だけなのだ。
妹は3年生になって、深刻な病気に罹るようになった。偏頭痛から始まり、胃潰瘍、左目の網膜剥離、心臓病を患った。
私と妹は同じ子供部屋を与えられていて、そこで一緒に遊んだり勉強したり眠ったりしていた。その部屋で妹が心臓発作を起こして倒れた。ふたりでオセロをしていたときだった。妹は隅のマスに白石を置き、私の黒石を裏返していたのだが、突如として横倒しになった。妹が持っていた石は宙を舞った。
「愛!」
呼びかけても反応がなく、私は119番通報して、救急車を呼んだ。駆けつけた救急隊員は妹にAEDを使った。
「ひどい故障だったの。わたしたちは長い間休みなく祈ったのよ。永遠かと思えるほど長かった。宇宙時計が再び動き出して、通常時間に戻ってきたとたんにからだが思うように動かせなくなったの。恋姉さんに助けられたわ。救急車が来なかったらやばかった」
入院先の総合病院で妹は言った。
私には時間停止は感じられず、妹の心臓発作の前後も時間は自然に流れつづけていた。その間に妹は永遠を感じていたのだ。永遠とはどういうものなのか私にはわからなかったが、人に耐えられるものだとは思えなかった。
「ねえ、時間の巫女なんて辞めなさいよ」
妹は首を横に振った。
「そういうわけにはいかないの。わたしたちが祈らないと、宇宙時計は止まったままになっちゃう。宇宙全体が死んでしまう」
そう言った妹の顔は、ずいぶんと大人びて見えた。老成したと言ってもおかしくないような顔だった。
妹の言葉が本当だとしたら、彼女は永遠に近い体感時間を生きたことになる。私より遥かに年上なのかもしれなかった。
「愛がいなくても、他の巫女が祈るでしょう?」
「わたしはこの責任を放棄できない。たとえもうすぐ死ぬのだとしても」
その言葉どおり、妹は1年後に癌になって死んでしまった。癌の進行は怖ろしく速く、発覚した半月後に亡くなった。
「後任を決めなきゃならないの」
妹は病院のベッドに横たわり、暗い目をして言った。彼女は多臓器不全で自力では食事をすることもできず、腕に点滴をされ、鼻には呼吸を助けるためのチューブが入れられていた。
医師は余命数日と宣告していた。
私は中学校の制服を着て、ベッドの脇で椅子に座っていた。その頃は毎日学校から病院へ直行していた。晩秋だった。うちの庭で柿の実が熟していたが、誰も収穫しないので、いくつかの実は地表に落ちて腐っていた。
「時間の大神官が、時間の巫女になる素質を持った候補者を3人教えてくれた」
妹はそう言ってから、しばらく沈黙した。わたしの目を悲しそうに見つめ、迷うように視線をそらした。私は彼女が話をつづけるのを辛抱強く待った。
「その中に恋姉さんが入っているの……」
妹はつらそうにつぶやいた。
「愛の後任になるわ」と私は即答した。
「時間の巫女の仕事は過酷だよ。姉さんも若くして死んでしまうかもしれない」
「宇宙はタイムマシンなんでしょ。過去に戻って愛に会いに行くわ」
「宇宙は前にしか進めないタイムマシンなんだよ」
妹は力なく笑った。
「でもそう言ってくれるのはうれしい。わたしの後任になって、恋姉さん……」
その言葉を最後に妹は意識不明になり、帰らぬ人となった。私が中学1年生で、妹はまだ小学4年生だった。
私は時間の巫女になった。妹の言っていたことが真実だったとはっきり知った。
宇宙は一種のタイムマシンで、時間前進機能を有していた。宇宙には常任の時間の大神官たちがいて、宇宙に時間移動エネルギーを与えていた。
「太古の昔、祈りが宇宙を開闢した。そのときの祈りがどのようなもので、どんなふうに発動したのかは明らかになっておらん。宇宙にあまねく存在していた祈りは、物質を生み、星を生み、生命を生んだ。祈りはいつしか人の形をしたものの中に偏在するようになり、現在に至っておる」
私の担当の大神官が説明してくれた。
時間の巫女はいわば非常勤の仕事で、宇宙タイムマシンが故障したときにだけ出勤する。祈りで宇宙時計に時間エネルギーを与え、再起動させる。時間停止は深刻な問題で、時間前進機能に大きなダメージを負わせる。早く直さなければ故障の頻度が高まっていくし、完全に故障して宇宙が死んでしまう可能性もあると大神官は言う。ダメージはすでにかなり蓄積し、宇宙は相当に老化しているらしい。
「どうしてそんなことがわかるのですか?」
「わかるからわかるのだ。そのくらいのことが直観でわからなければ大神官にはなれん」
宇宙の巨大時計は物理的な存在ではなくて、心象的なものだった。大神官たちが心的エネルギーでつくり出し、そのイメージをすべての神官や巫女が共有している。その方が祈りの力を引き出しやすいのだと大神官は語る。
確かに祈る対象が視えるのはメリットが大きいと思う。私には宇宙の中心にある白い文字盤を持つ巨大な時計が、心の目のようなもので視えている。時計はときどき故障して動かなくなる。時計よ動きたまえ、時間よ前に向かって動き、すべての命あるものをよみがえらせたまえ、と私は祈る。ここで言う命あるものとは、生物だけでなく、回転している素粒子を持つすべての物質を含んでいる。宇宙時計が視えていると心を込めて祈りやすい。
だが、私は純粋に祈りきることができない。
時間よ前に向かって動きたまえ?
前になんか動かなくていい。後ろに向かって動け、と私は本心では思っている。過去に進んでほしい。私の願いは妹に再び会うことだ。それ以外に本当に価値のあることなんてない。
「宇宙タイムマシンは過去には行かないのでしょうか?」
私は悩んだあげくの果てに大神官に訊いた。私は地球上にいて、大神官はパルムストロム星にいるが、わたしたちは心的地表を共有して会っている。青く透明な水面みたいな心的地表に私は立ち、大神官は荘厳な椅子に腰掛けている。心的椅子は私と大神官の地位の差を表している。
「過去にも行く」
大神官はこともなげに答えた。私は驚いた。
「過去へ行けるのですか? 行きたいです」
「そんなことをしても意味はないぞ」
「意味ならあります。私の最愛の人は死にました。過去に戻って会いたいんです」
「意味はない。過去へ行ったら、未来の記憶を失っておる。その時間を繰り返しても、繰り返しているという自覚はないのだ。過去へ戻って再会しているという自覚のない再会に意味はあるかのう」
私にはわからなかった。
「あらゆる時間は重なりあって保存されている。わしの力をもってすれば、おぬしを過去へ送ることはできる。しかしおぬしは今ここで話したことを忘れておる。その時間で有しているはずの記憶しか持っていない状態となる。その時点での過去しか知らんのだ。それは再会と言えるだろうか」
私にはわからなかった。
「それでもいいから、過去へ行きたい。妹に会いたいんです」
「愛弟子がそれほど言うなら、送ってやろう。だが意味はないぞ」
次の瞬間、私の目の前には相変わらず大神官がいて、苦笑いを浮かべていた。心的地表も変わらずに青く美しく広がっていた。同じ時期に時間の巫女になったミミナナ星の女の子が、彼女の担当の大神官と並んで心的地平線へ向かって歩いていた。
「おぬしを過去へ戻した。だが、戻ったという自覚も、2度目の時を過ごした記憶もないじゃろう?」
言われるとおりだった。わたしには一直線に過去から現在へ移動したという記憶しかなかった。
「そういうものなんじゃ」
大神官はきびしい顔をして、心的な夜空に目を向けた。そこには心的な時計があり、針の動きを止めていた。
「仕事じゃ」と大神官は言い、私は祈り始めた。宇宙を死なせないという妹の遺志だけが私のモチベーションだった。




