契約の村 第2話 村の掟と長女たちの墓
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夏休み前の放課後、熱を帯びた空気が屋上に立ちこめていた。
夕陽は静かに傾き、私と佐倉君の影を長く伸ばしていた。
「美桜さん、ちょっと……話があるんだ。」
佐倉君の声が、どこか震えて聞こえる。私は胸の奥がざわつくのを感じながら、そっと頷いた。
「ずっと前から……美桜さんのことが、好きだった。付き合ってほしい。」
その言葉で、心が一度ふわりと浮かんだ。でも、すぐに地面に引き戻される。この手は、もう誰かのものになってはいけないんだ。幸福の予感は、残酷な現実に染め抜かれてしまう。
私は目を伏せ、息をひそめて答える。
「……ありがとう、佐倉くん。でも、私には……返せないことがあるの。」
俯いたまま、かすかに震えている自分がいた。
もし、彼の手を取ることができたら。そう思ってしまう自分が、ひどく憎らしかった。
*
夏休みが始まると、私は佐倉君を村へ招待した。――本当は、彼にすべてを伝えるつもりだったのかもしれない。
新幹線で三時間。さらに乗り換えて、緑の深い山道へ。車窓の景色が変わるにつれ、心もしんと静まってくる。
「ここから先は、村の者以外は滅多に来ないの。」
自分でそう言いながら、声が硬かった。迷わせたくなくて、それでいて、本当に知ってほしい気持ちと、やっぱり受け止めてほしくない気持ちが、ぐるぐると胸の中で交差していた。
バスを降り、細い山道を歩く。草木、風、小川、鹿や鳥の気配――懐かしいはずなのに、今日の景色はどこか遠く思えた。
「美桜さんの故郷……すごく自然がいっぱいだね。」
佐倉君の素直な声が、遠い夢みたいに聴こえた。ただ、私は素直に頷けなかった。
「でも、ここには……外の人には見せられないものがあるの。」
やがて古びた石段が現れ、苔むした階段を上ると、宇野山寺の影が姿を現した。
「ここが、私の家が守ってきた寺……宇野山寺よ。」
静かな境内。並ぶ墓石たちのひとつひとつに、私は手を合わせた。
「ここは……?」
「宇野山家に伝わる儀式で亡くなった女性たちを弔う場所。私の母の姉、伯母のお墓もあるの。」
声が震えた。佐倉君には、もう隠せなかった。
「宇野山家には、長い間続いてきた契約があるの。淫魔の王との契約……17歳の長女を、彼らの苗床として捧げる儀式。この契約がある限り、淫魔たちは村を災いから守り、繁栄をもたらしてくれる代わり、他の誰にも手を出さない……約束なのよ。」
佐倉君が、声もなく私を見つめている。
「だから……私は来年、17歳になると同時に、この儀式に参加しなければならない。もう……命はあと1年しかないの。」
苦しいのは、自分だけかもしれない。でも、それを佐倉君に背負わせてしまうのは、絶対にいやだった。
私は微笑んだ――少し自棄になったような、壊れそうな笑顔だったと思う。
佐倉君の手を握り、静かに言った。
「私のことを想ってくれて、本当にありがとう。でも、忘れて……新しい幸せを見つけてほしい。」
佐倉君は、涙を堪えるみたいに叫んだ。
「逃げよう! こんな家、こんな村、一緒に逃げようよ!」
私は、首を横に振るだけだった。
「できないの。……例え私が逃げても、村も家も、みんなが罰を受ける。それを止めるために、私はここにいるのよ。」
私は墓地の隅を指差した。言葉より先に、胸が締めつけられた。
「約四百年前……宇野山家の娘が村の男と恋に落ち、一緒に逃げようとした。でも、その夜、淫魔たちの怒りで村は大災害に遭い、多くの犠牲者が出た。結局、娘は連れ戻され、無理やり儀式に参加させられて死んだの。それ以来、誰もここから逃げられない……村の人たちも、その娘を呪い、墓を粗末に扱い続けている。」
私は静かに、しっかりと佐倉君の目を見て言った。
「私、この村が、村の人が大好きなの。だから……守りたいの。」
……伝えたい気持ちも、捨てられなかった想いも、全部この村に残して、私は終わりにしようと思った。
*
それから幾つもの夏が過ぎて――
私はもうここにはいないけれど、佐倉君が毎年、私の命日に花を手向けてくれると叔母様から聞いた。
風に吹かれた墓標の隅、またあの人の声が優しく浮かぶ。
――ありがとう、佐倉君。
私はずっと、君の幸せを祈っているよ。