1.断罪の儀式
物語は、おなじみの“婚約破棄”と“断罪イベント”から始まります。
今回のヒロインは平民からの聖女です。もちろんざまぁです。
重い扉が開いた。
大きな足音を立ててやってくるのは、第二王子。怒りが伝わってくるようだ。
豪奢な王宮の大広間。天井まで届くようなステンドグラスから、淡い陽光が差し込む。だがその光の温もりとは裏腹に、場の空気は冷えきっていた。
「リュシア・エルメイラ。おまえに告げる。婚約は、破棄だ」
金糸を織り込んだ軍装姿は威厳に満ちているが、その声には、勝ち誇ったような軽薄さがあった。
貴族たちのざわめきが広がり……誰かがくすりと笑った。
その中に、侯爵令嬢マティルダの姿もあった。艶やかな赤毛を結い上げた彼女は、薄く微笑みながら、リュシアを見下ろすように見ている。
リュシアは、ただ静かに首を傾けた。
「……理由を、うかがっても?」
「おまえが、聖女の器ではなかったからだ。教会が誤って選定したのだろう。今後はマティルダが聖女としてふさわしいと、神殿も認めている」
──神殿も、認めている?
嘘だ、と心の中で呟いた。
神の声は、私にしか届かないはずなのに。
神殿が、そんなことを──?
「リュシアは、私たちを欺いていたのよ」
マティルダが、わざとらしい哀れみを込めた声を響かせる。
「貴族でもないくせに、聖女などと呼ばれて王子様をたぶらかすなんて。まあ、育ててくださった男爵家には感謝することね?」
やや遅れて、笑いが広がった。
それは侮蔑と優越と、嘲笑の混ざっていた。
その場にいた貴族の令嬢の一人が声を上げる。
「わたし、知ってますのよ。リュシア様、下町の炊き出し所にいたって。物乞いみたいな格好で」
「しかも、神の声が聞こえるですって? 本当に聞こえるなら、王子に捨てられたりしませんわよね?」
「所詮は平民上がり。聖女なんて無理があるのよ」
侮辱は止まらなかった。
リュシアがここに至るまで、何度も何度も祈りと試練を重ねてきたことなど、誰も顧みない。
本来、聖女は“神託”によって選ばれる。
だが、王宮ではマティルダが貴族としての地位と財力を使い、教会の末端聖職者に贈り物を届け、「聖女としてふさわしい人物」としての工作を重ねていた。
リュシアは、それを黙って耐えていた。
中傷、陰口、侍女たちの無視……
神殿内の部屋を勝手にマティルダに奪われ、粗末な小屋が住居となり。
祈りの場に赴こうとすれば、「その服は場違いだ」と門前で止められ、物乞いのように請わなければ許されなかった。
日記を破られ、持ち物を捨てられ、食事に泥を混ぜられたことも──
一度や二度ではない。
「見てごらんなさいよ、この顔。王子に似合うとでも思っていたのかしら?」
マティルダは、リュシアの顎を無遠慮につかみ、無理やり顔を向けさせた。
だがその瞬間、リュシアの瞳に宿る静かな光を見て、わずかにたじろぎ、手を離す。
リュシアは静かに息を吐き、もう一度アルフォンスに顔を向けた。たじろいた視線を見据える。
「……わかりました。婚約破棄を受け入れます」
「ふん。潔いな」
その瞬間だった。
大広間の奥、重厚な扉が再び開いた。
銀の鈴のような音が鳴り響き、足音が近づいてくる。
「神殿の神託使、参上仕りました!」
全員が息を呑んだ。
現れたのは白銀の衣をまとった少女──神託使エウリナだった。
まだ十五にも見えないが、その瞳には人ならぬ光が宿っている。
「リュシア・エルメイラ様、神の名のもとにお伝えします──」
その声が、大広間に響き渡る。
「今この瞬間をもって、リュシア様こそが《真の聖女》であると、神が告げられました」
沈黙。
空気が、瞬時に凍りついた。
「な、なにを……?」
アルフォンスの顔から血の気が引く。
マティルダも言葉を失っていた。
「聖女の証は、神託によってのみ明らかになります。これまでは試練であったと、神は申されました。そして、断罪の場に加わった者には、“相応の罰”が与えられるとのことです」
神託使エウリナが、リュシアの前で跪く。
すると、リュシアの足元に、まばゆいばかりの光が立ち昇った。
白く、温かく、包み込むような神の光。
貴族たちは、誰一人として動けなかった。
「リュシア様、どうかお立ちください」
神託使の言葉に従い、リュシアがゆっくりと立ち上がる。
その姿は、まるで神の化身のように美しく、凛としていた。
「……私は、神に従います。たとえどれほど侮辱されようと、真実が明らかになると信じていました」
彼女の声は、柔らかくも確固としていた。
その一言に、空気が震えた。
貴族たちは、うろたえ、ざわめき始める。
アルフォンスは拳を震わせ、マティルダは青ざめていた。
その姿を、リュシアはただ静かに見つめた。
──神よ。
どうか彼らに、相応の裁きを。