第61章:『受験数学』に関する、ぼく個人の考察(3)
・・・のちにぼくは、
『しげちゃんの中学生日記』という連載型エッセイをUPする予定でいますが、
そこで触れるエピソードの一部を、
ここで「先行投稿」しておきます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ぼくは、矢板市立矢板中学校というのが母校なんですが、
入学時・・・
そして、中学1年時の数学の通信簿の評価は、
『3』でした。
中2になり、『4』。
そして、がんばった成果もあり、
中3で、やっとこさ『5』を獲得しました。
図書館で毎週、土曜の午後と日曜に猛勉強し、
着々と数学の成績を伸ばすことができました。
『しげちゃんの中学生日記』でも触れますが、
矢板市内の某所にかつてあった、
『塩川塾』にてぼくらは、
塾長の「塩川先生」に鍛えられ、
数学の「いろは」をみっちり叩き込まれました。
・・・マジで厳しい塾でしたね。
体罰や暴力がアタリマエだった昭和の時代にあって、
その中でも、
超・有名な『スパルタ学習塾』でした。
現在のような「個別指導塾」なんかありませんでしたから、
もちろん、
「少人数の合同授業」ですよ。
・・・マジで、すげえ塾でした。
教室内には「竹刀」や「木刀」もありましたし、
なんと!
「ヘルメット」まで!
ぼくらのころはそういう案件はなかったんですが、
うわさによると、
出来の悪い生徒や児童の頭にヘルメットをかぶせて、
それを塩川先生が竹刀や木刀でもって思い切り叩く・・・
こんな、拷問まがいの「体罰」まで行われていたようです。
・・・いまならまちがいなく、
暴力ざた、警察ざた、
新聞ざたで、
いっきにネット拡散しちゃうでしょうね。
塩川先生が直接やる、
『塩川クロー』なる、
プロレスの「鉄の爪」こと、あのフリッツ・フォン・エリックまがいの、
「アイアンクロー」のおしおきまでありました。
・・・ぼくも何度かやられましたよ(笑)。
いや、いてぇのなんの!
アタマを右手で「わしづかみ」にされて、
爪の伸びた先生に、ギューッとやられるわけです。
・・・女子の井上さんなんか、
血がにじんでたって言ってましたね。
数学の「答え合わせ」もすごかった。
塩川先生が、たーだ「正解を読み上げるだけ」。
「展開の答え」なんかをね。
・・・こんな感じ。
「エープラビーの二乗マイナ・シー」
「3エーエックス二乗プラ4ビー4乗マイナ5シー」
この塾はですね、
できない子を伸ばす塾ではありませんでした。
・・・「もともと学力がある子を伸ばす塾」です。
それでもぼくには、
けっこう、この塾が合っていて、
なぜか数学も英語もついていけてましたね。
塩川先生のおかげで、
中学数学のチカラは、
ぐんぐん伸びていきました。
前述のように、
数学が『5』になりましたし、
テストでも90点を割ることはなくなりました。
「・・・もしかして俺は、数学の才能があるんじゃね??」
そうも感じました。
・・・が!
ライバルの三友くんが買って、紹介してくれた数学の参考書に取り組み、
その中の『整数問題』をやってみたとき・・・
いやな予感がしました。
「おれ・・・なんか、カンチガイしてたんじゃなかろうか・・・。」
不幸なことに、
その予感ははずれてはいませんでした。