悪役令嬢のお求めはエスプレッソ ~観葉植物へ転生希望なご令嬢は、今日もコーヒーを探しています~
「度し難いほど愚鈍ね、貴方」
流水のように本へつづられる文字をせき止めて、私は落としてた視線をそっと持ち上げる。
本からテーブル、マグカップに部屋の扉。
順々につなげた線をたどっていき、最後にとらえたのは赤毛の少年。
全身を水でぬらした彼の様子は、まさに心ここにあらず。
タオルを頭からかぶり、両手を使って拭いてはいるも、しずくは逃れて床へ落ちている。
そんな姿に、私は呆れた言葉しか思いつかず、放った際にはため息までついてきた。
「申し訳ありません、ウィステリア様」
「飼い犬の散歩を任せたら、まさかシャワーを浴びて帰ってくるなんて。その上、同行していた婦女子に、犬の世話まで取られて。何もかも遅いのよ」
たかれた暖炉は火花で歌い、窓の外で鳴らされる雨音と、静かな楽曲を奏でている。
しかし暖炉も部屋を照らすロウソクも、ぬれた少年の衣服を乾かすには心許なく、くもる空のように温かさが足りない。
もちろん、私の口も。
「リオ、貴方は本当に鈍間。頭の回りまで亀の歩みだと、困るのだけれど」
「それは……!」
鈍感で、気が利かなくて、優柔不断。
容姿は整っていても、弱腰で手を引かれないと決断できないから、他人から簡単に優位を取られてしまう。
そう含みを混ぜた言葉を投げると、赤毛の少年レオは、強い意思を持ったキャラメル色の瞳を向けてきた。
彼の目と重なる、藤色の私の目。
視線は結ばれるも、一度は彼が解きそうになって、でもくじけず結び目を強く握って。
見えない糸で伝える続きの音色。
それはひかえ目な開扉によって、断ち切られてしまった。
「──……あのぉ、ウィズ姉。リオくんはいますか?」
おそるおそる開かれた扉から現れたのは、警戒心を欠片も感じない一人の少女。
甘く穏やかな調べを奏で、とろみが混ざったハニーメープルの黄色い目は、私たちを映すと一層のきらめきを強める。
そそくさと彼女が入室すると、まだ乾かし切れていないセミロングの髪からは、涙を真似たしずくが宙を舞い。
とてとてと聞こえる足音を連れて、幼さという影をつけた少女は、リオの下へと駆け寄っていく。
「わっ、リオくん全然拭けてない。それじゃあ風邪ひいちゃうよ」
「ちょっと、待て、ナズナ。自分で拭けるから!」
大きな身長差があるというに、ナズナと呼ばれた少女は、無理に足を伸ばして少年の頭にあるタオルをつかみ、念入りに水気を取っていく。
自然とリオは屈むような体勢になってしまい、顔が近づいたせいか、両者の表情に赤みが差していく。
特にナズナの色味は顕著で、着ているガーリッシュなシフォンスカート姿を上回るくらい、耳もとの赤が強かった。
シャワーを浴びた後。そんな言い訳が通じないほどだが、口角が上がっている少女の行動は変わらない。
「大きくなったね、リオくん」
「いつの話をしてるんだ。いいから、離れてくれ」
「おっと。もう、ホントのホントに? 風邪ひいたら……えっと……毎日行くからね!」
「ただの看病じゃないか、それ」
リオの体調の心配をしているのか。雨に打たれたままの姿の少年から、ナズナはなかなか離れない。
せっかく身ぎれいにしたにも関わらず、もう一度ぬれても構わないとばかりに、彼女はリオの周りをぐるぐるとしていた。
ミルクチョコレートを溶かしたブラウンの髪からは、可愛らしい動物のような耳。
背中側には振られる大きな尻尾。
そんな飼い犬に似た容姿を少女から連想しながら、私は幕を落とすように本を閉じる。
「いい加減にしなさい」
たった一声。
騒々しさを言葉で切り、しんと無音へと変えた私に、二人は見開いた目をこちらに向けた。
クラウンブレイドを作る、桃花色のストロベリーブロンド。
それを収める二種類の目は、一拍の猶予でそれぞれの色へと移り変わっていく。
「申し訳ありません……」
「そ、そうだよね。早くリオくんも浴びないと。じゃないと本当に風邪ひいちゃう」
「あ、ああ。じゃあ、ウィステリア様。浴室、お借りいたします」
ようやく離れた二人の行く先は、背中合わせ。
リオはシャワーを浴びるために扉へ向かい、ナズナは私と彼を忙しなく見比べるも、口をつぐんでバタバタとこちらへ。
ただよってくる花を思わせる甘い香り。
彼女は小声が許される距離まで私に顔を近づけると、すがるように肩をつかんできて、結んだ口の糸をほどいた。
「わたし、変じゃなかったよね、ウィズ姉さま」
恥ずかしさが圧縮された、小さな声。
顔の火照りは、リオの側にいたときよりも強さを見せ、丸みのある目には潤みすらも混ざっていた。
表だけであれば、小首をかしげる不思議な問い。
しかし花が舞う裏を思えば、可憐な少女の繊細な恋心。
──いつも通りに接せられたよね。
そう自身の鼓動に負けないよう告げられた言葉を、私は受け取った流れのまま背を向けた少年に投げこんだ。
「待ちなさい、リオ。他に言うことはないの?」
「えっ、他に……ですか」
私の声が震わせたのは、空気だけではなかった。
肩をつかむ少女の手に、彼女の鼓動。
それら全てゆれ動くのが、シックなロングスカートの衣装をまとう私に伝わってくる。
声にもならない赤い音が耳もとで鳴るも、気にとめず。
豆鉄砲を食らったかのような表情で振り返った少年を、ジッと見つめていく。
すぐの返事は期待できず、現にリオは言葉を探して目を泳がせている。
雨音と火花と、そして少女の心音による三重奏。
静かに熱く。手は伸ばせど追う足のない、そよ風に撫でられる淡い色味の花。
少年の背に隠した、うつむきがちな微笑みは、いったいいつになったら気づかれるのだろう。
そう思うからこその、足を引っ張る虫の報せ。
多少は疑問に感じるだろうと期待するも、やはり彼から得られるのは、鈍い反応だけだった。
「ウィステリア様の今のお姿、普段とは違い、何ていうか……。自然で綺麗です。俺ではそうとしか言えません。勿論、ナズナも似合っている」
リオの温かみがある視線は、見当違いな方向へ。
本来ならば私のかげに隠れているナズナに向けるべきものを、こちらへ固くそらしていた。
重なり合うのは私と彼の視線だけ。
しかし熱量の違いで衝突し、互いの瞳へ届く前に減衰してしまう。
取ってつけたような、慕う少女への褒め言葉。
これには深いため息も出てしまうのもいたし方なく、口からはかれた熱は、視線の冷たさに磨きをかける。
「私への世辞は不要よ、聞き飽きた」
「世辞に聞こえますか」
「ええ。女性を二人並べて、地位の高い方だけに言葉を尽くしたのだから。それは上辺以外の何物でもないでしょう」
本当に褒めるつもりがあるのなら、目の前の女性を全員を対等に。
与える水のさじ加減を間違えれば、ゆくゆく育つは棘の花。
茨が似合う女性なんて少年には釣りあう訳もなく、野原に咲く純朴な一輪こそ胸に飾るべき。
そう思うからこそ、私は困り果てたリオへさらに強いにらみを利かせた。
「えっと、じゃあ。──天使みたいだね、ナズナ。かわいい、と思うよ」
「ッゥ……! も、もういいよ、リオくん! ウィズ姉さまもイジワルしないで」
「何のことかしら。女性に花を添えるのは、紳士の嗜み。それを鈍間な頭に擦りこんでるだけよ」
ようやく目と目を合わせた少年少女。
しかしそれだけで顔を赤らめるナズナは、あからさまな動揺を見せていく。
音を伝って届いた言葉をかみ締め、一つ跳ねた心音は、隠し切れない頬のゆるみに繋がる。
浮き足立った体はとどまることに耐えられず、バタバタとリオの方へ。
そのまま自分の顔を見られないよう、少年の背中へ移る彼女は、懸命に細腕へ力をこめていった。
「ほら、ほら! ウィズ姉さまのことはいいから、早く行こう! わたしがかわいいとか、ホント。お世辞でもすぎるから!」
少女の手により、有無をいわさず少年は退室。
一緒に出ていったナズナの声は、室内でも遠ざかりながら聞こえてくる。
「本当に愚鈍ね、あの子たち」
あからさまに視覚化されている、二人の思い。
後はそれらを重ねるだけだというのに、交わされない心音は、まるで太陽と月。
向かう先は同じでも決して追いつけないさまは、もどかしさが腹の中で煮え返ってしまう。
「本当、鈍い」
また静かになった部屋の中で、私は閉じた本を開き直さず、ポツリと言葉を落としてく。
その先は、テーブルに置かれたマグカップの中。
湯気は消え、ぬるさと苦さだけが残ったコーヒーに、私の思いはきっと溶けている。
ミルクをいれてカフェオレにもしなければ、砂糖すらも混ぜていない。
そんな黒くて苦い棘だらけの飲み物を、私はそっと口に近づけた。
「あまっ……」
舌を撫で、のどを流れる一杯のコーヒー。
口の中に広がるのは他を消し去る苦みなのに、騒々しくしているリオとナズナを考えるだけで、砂糖が笑って顔を現す。
何年も想いを伝えられていない少女。
向けられた想いに気づかず、私の機嫌ばかりをうかがう少年。
彼らの行く末を追えるのならば、私は何にだってなろう。
花園に踏み入る無礼者を処す悪役にも、ただただ傍で見守る植物にだって──
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