貴方は生涯私を手に入れられないわ
アリサ・ヴェルナルは、帝国の貴族として名高いヴェルナル家に生まれ育った。しかし、彼女が感じていたのは、名誉と格式に裏打ちされた冷たい空気だけだった。家族の愛は、まるで見えない壁のように、彼女には届かなかった。
父親は帝国の官僚で、日々多忙を極め、家にはほとんど帰らなかった。彼の存在は、アリサにとって遠いものだった。時折、晩餐で顔を合わせる程度で、彼女の生活に深く関わることはなかった。そのため、父親の愛情を感じることはなく、どこか寂しさを抱えていた。
母親は、貴族としての立場を守ることに精一杯で、家庭内での役割をこなすことに専念していた。家事や儀式を完璧にこなすことは彼女の誇りであり、アリサにとってはそれが母親の全てのように感じられた。母親は冷静で、どこか無感情に見え、アリサが甘えられるような温もりを感じることはなかった。
そんな中、アリサの家に新たな人物が現れた。それは、アリサがまだ幼い頃に親戚夫妻が急死したことにより養女として迎え入れられたリア。リアは物静かで、大人びた雰囲気を持っていた。どこか冷徹で、感情を表に出すことの少ない少女だった。彼女の目には、常に冷静で計算された輝きが宿っており、その存在感は異質なものだった。
アリサは、リアの魅力に引き寄せられずにはいられなかった。リアが歩けば周囲の空気が一変し、彼女の一言一言が周りを支配していくように見えた。アリサはそんなリアを、憧れの目で見つめていた。しかし、その憧れは次第に、リアに対する一種の劣等感に変わっていった。
「彼女はすべてを持っている。」
アリサはしばしばそう思っていた。リアは美しいだけではない。知識も、言葉も、行動も、すべてが完璧だった。アリサが何をしても、何をしても、リアの輝きの前では霞んでしまうような気がした。それでも、彼女はリアと一緒にいることが幸せだと思っていた。
「リア、今日はどんな本を読んでいたの?」
アリサは、何気ない会話を交わすたびに、その一瞬に安心感を覚えた。しかし、リアの反応はいつも冷静で、感情を表に出さない。その無表情に、アリサはますます自分との違いを感じていった。
「私は、本当にリアにとって必要な存在なのだろうか?」
リアの完璧さが、アリサにとっては耐え難い壁のように感じられることもあった。時折、アリサは心の中で自問した。
ただアリサが押し潰されなかったのは愛しの婚約者のおかげだろう。リアが来る前から成立していた婚約関係、それがリアのように特別ではなく、親からも放置されていた自分を彼はよく慰めてくれていた。
それでも、二人は家族として過ごしていた。リアが家に来てから、アリサの家族との関係も少しずつ変わっていった。父親がリアに対して見せる優しさや、母親が何気なくリアに向ける微笑み。それに対して、アリサは時折、胸が苦しくなることがあった。
リアは、アリサが求めるものを持っている。愛されていると感じることはなかったが、リアにはそれが自然と感じられるように見えた。
だが、アリサは気づき始めていた。リアには何かが足りないような気がする。しかし、それが何なのかは、まだわからなかった。
年月が過ぎ、アリサは次第に気づき始めた。リアの完璧さ、その冷徹な魅力に隠された何か――それは、ただの優れた人間性や魅力ではなく、誰かを支配し、所有したいという欲望だった。
最初は小さな違和感だった。リアが周囲の人々を引き寄せ、彼女の言葉一つで心を動かすのを、アリサはただの偶然だと思っていた。しかし、次第にその力は増し、リアが何も言わずに静かに歩くだけで、周囲の空気が一変するのを感じるようになった。アリサはその度に、背筋に冷たいものを感じた。
「彼女は、私よりもずっと上にいる…」
そう感じることが増えていった。それでもアリサは、リアと共に過ごす時間を大切にしようとした。だが、リアが自分にとって最も大切なもの――婚約者を奪った瞬間、アリサはその変化に気づかざるを得なかった。
ある夜、アリサは自分の部屋に戻ると、すぐに手紙を見つけた。それは彼女の婚約者、カイルからだった。心の中で何かがざわめき、手紙を開けると、そこには一通の別れの言葉が記されていた。
「アリサ、僕はリアを愛してしまった、君には本当に申し訳ないことをしてしまったと思っているただ婚約関係を破棄させてもらう…」
その一行が、アリサの胸を締めつけた。言葉が足りないわけではない。ただただ冷静に、リアが彼の心を奪ったことを、アリサは理解した。もはや、カイルにとってアリサはただの存在であり、リアはその心を握りしめていた。
怒り、悲しみ、そして深い裏切りの感情が渦巻く中、アリサは一度、部屋の中で自問自答した。
「リアは、私に何をしたいのか?」
その夜、アリサは決意した。自分の中で抑えきれない怒りが込み上げるのを感じながら、彼女はリアを訪ねることを決めた。静かな足音で、アリサはリアの部屋の前に立つ。ドアをノックすると、すぐにリアの冷静な声が響いた。
「どうしたの、アリサ?」
その問いかけが、アリサにとってはあまりにも無邪気に感じられた。冷静なリアの姿勢、その眼差しが、ますますアリサを苛立たせる。
「リア、なんで私の1番大切だったものを取るの…あなた…私のことが嫌いだったの?」
アリサはその問いを投げかけると、しばらく沈黙が流れた。リアは、ほんの一瞬、驚いたように目を見開いた。しかし、その表情もすぐに冷静さを取り戻し、静かに答えた。
「嫌いなんかじゃないわ。あなたの人生、すべてが欲しかった。」
その言葉は、アリサの胸に深く突き刺さった。リアが言ったことは、まるで全てが計画されていたかのように感じられた。リアは、アリサの愛されているもの、彼女が持っていた全てのものを奪いたかったのだ。
その瞬間、アリサは心の中で何かを悟った。リアの冷徹さ、彼女が持つ「完璧さ」の裏側に、恐ろしいほどの執着と欲望が隠されていたのだ。それが今、アリサを引き寄せ、そして彼女を犠牲にしていた。
「私は、あなたの道具じゃない。」アリサは、冷たい声でそう言い放つと、その場を去ろうとした。しかし、リアの声が呼び止める。
「待って、アリサ。」
アリサは振り返らなかった。心の中で、すべてが崩れ去っていくのを感じながら、その場を離れた。
数年の時が流れ、アリサは家を離れ、新しい生活を始めた。
あの事件があった後親に抗議をしに行ったがもう全てが遅かった。もう二人ともリアの才能に器量に実の娘がどうでも良くなるくらい心を奪われていたのだ。だから家を出る時も特に止められることもなく出ることが出来てしまった。
彼女は何もかもを切り離し、過去を背負って生きることに決めた。貴族としての重圧から解放された彼女は、ようやく自分の足で立ち、自分の意志で選んだ道を歩み始めた。
しかし、時折、ふとした瞬間に思い出が心をかき乱すことがあった。リアとの関係、そして彼女の言葉――「あなたの人生、すべてが欲しかった。」それらはアリサの心の中に深く根付き良く考えていた。
そして、ある日、突如としてリアがアリサの元を訪ねてきた。彼女の姿を見た瞬間、アリサは一瞬で過去の記憶が蘇るのを感じた。リアは昔と変わらぬ美しさを保っていたが、その目にはどこか疲れたような陰りが見えた。
「アリサ、元気にしていた?」
リアの声は、かつてのように冷静で、少し遠くを見ているような印象を与えた。アリサはその声を聞きながら、あの頃の自分がリアに抱いていた感情が、今でも深く心の中に残っていることに気づいた。
「私は…どうしても、あなたに謝りたかった。」リアは少し息を整えた後、続けた。「あの時、あなたにあんなことをしてしまったこと、今でも後悔している。」
アリサはその言葉に驚いた。リアが謝るなんて、想像もしていなかった。しかし、リアの顔を見ていると、彼女の言葉にどこか本当の悔いが感じられた。アリサは言葉を飲み込み、しばらく黙って彼女を見つめた。
「後悔しているなら、それでいい。だけど、今さら何を言われても、私は変わらない。」アリサは冷静に答えた。「もう、あなたとやり直すつもりはない。」
リアは少し沈黙し、そして目を伏せた。アリサが言うことには、どこか絶対的な強さがあった。過去の自分が必死にリアを求めていたことを思い出しながらも、今はもうその心が違うことを自覚していた。
「でも、アリサ、どうしても聞いてほしいことがあるの。」リアは再び顔を上げ、その目をアリサに向けた。「ねえ、今、貴方が好きな人、いるの?」
その言葉は、アリサの心を強く揺さぶった。かつて、リアが自分に向かって投げかけた言葉が今、逆に自分に投げかけられたのだ。あの頃の自分が欲しがっていたものを、今、リアが欲しがっている。
アリサはその問いに、一瞬、言葉を失った。しかしすぐに、冷静な気持ちで答えを返すことができた。
「今、私は誰のことも好きじゃないわ。」アリサは静かに、しかし確かな声で答えた。「でも、あなたが本当に欲しいと思っていたもの、私は分かったわ…貴方、私が欲しかったのね。私の全てを欲しがっていたのね。でももう私はそれを手に入れたの。私の人生を、自分で選ぶ力を持ったわ。誰の支配にもならず、私の道を歩く覚悟を持っている。」
その言葉がリアの心を打った。アリサの中に、かつてリアが求めていた「完璧さ」や「支配」が今や存在しているということを、リアは理解した。アリサは変わったのだ。もう彼女の支配欲や、他人のものを奪おうとする欲求に囚われることはない。
リアは一歩前に踏み出し、アリサに手を伸ばした。しかし、アリサはその手を取ることはなかった。昔のように手を取り合うことは、もうできないことを彼女は理解していた。
「 もう一度、言うわ」アリサは、冷徹な目でリアを見据えた。
「貴方は生涯私を手に入れられないわ。貴方は何をしにここにきたの?」
リアは沈黙した。その目には、かつての冷徹さは消え失せ、代わりに深い絶望が浮かんでいた。アリサの問いに、リアは答えることができなかった。
リアは、アリサにずっと恋していた。それはもう隠しきれないほどの感情だった。でも、アリサはその気持ちに気づいていたのだろうか? いや、彼女には理解されていない。アリサが手に入れたもの、それはリアが求めていたものでもあり、リアが失ったものでもあった。
その瞬間、リアの心は完全に砕け散った。彼女の中で、かつて信じていた絆が崩れ、今やそれがただの影となったのだ。
そして、二人は再びすれ違った。過去にあった絆や思い出が、もはや何もかも色褪せたものになった瞬間だった。リアの心の中で、アリサへの愛情が痛みとなり、深く突き刺さった。
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