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「いいか~? つまりオマエは、この世界の人間の妄想によって産み出された存在、ってわけだ。オマエが元居た世界はこの現実には存在しないし、いや、あるいはその世界もどこぞの創作者様の妄想によってどっかの異次元宇宙にでも産み出されているのかもしれないが、まぁ結局のところどちらにせよ、そんな世界もオマエも、そこに生きている生物も、全てはこちらの世界に住んでいる人間の妄想の産物であってだな、まぁこんなこと言ったって分かりゃしないだろうが、その昔は妖怪だったものが現代になって二次元キャラクターに変わっている点やら、海外になるとまたその土地土地の文化に根付いたバケモノが顕現していて日本のバケモノは日本にしか現れないし海外のバケモノは海外にしか現れない点やら、なによりこうして、オマエに問題なく日本語が通じてしまう点やら、そういった諸々の観察事実を考慮すると、これはまぁどう考えても、オマエらの出現が人間の妄想によって左右されてるいるのはまず間違いないわけで――」
オレは長々説明を続けてきた末に、半ば投げやりな口調になりながら、完全に、信じるか信じないかはアナタ次第です、としか言いようのないその話を、女騎士へと聞かせてやったのだった――
「――な、なに言ってるのよっ……⁉」
長話の出だしのあたりでせっかく腰を下ろしてくれていた女騎士も、我慢ならないという勢いで再びテーブルの上へと身を乗り出すと、大きく声を張った。
「――てっ、適当なこと言わないでッ……! そんな出鱈目な話をっ、わたしが信じるとでも思ったのっ……⁉」
「まぁ信じろと言われたって、簡単には信じられないだろうな……」
――オレだって、アナタは誰かの妄想の産物です、なんて言われたら、ナニ言ってんだコイツ頭イカレてんじゃねぇのか、としか思わねぇだろうしな……。
とは言え、だ。この話をある程度理解しておいてもらわなければ、話は進まない。契約を結ぶにしても、一応の今の自分の立場ぐらいは知っておいてもらわねば話が進まないし、何よりこれからこの世界で生きていくとなれば、少なくとも元居た世界とこの世界とがまるで違う世界であることぐらいは、理解しておいてもらわねば困る。
こんな荒唐無稽な説得、一体誰ができるってんだよ――オレは脳内で溜息を吐きつつ、話をもう少しだけ簡単にしてみようとする。
「まぁ座れって……。オレだって、なにも自分の言ってることが全て正しいって言い張るつもりはないんだ。つーか、正直なところ、オレ自身も、この話を信じられていないみたいなところはある……。でもな、考えてもみろよっ、事実として、お前がいた世界とこことじゃ、違うところが多すぎるんじゃないか?」
「違うところって……」
オレの言葉に、女騎士はあからさまに眉間に皺を寄せる。しかし不愉快そうにオレのことを睨みながらも、浮いた腰だけは、席へと下ろしてくれた。
オレはポテトフライを別皿に添えられたマヨ&ケチャへとディップしながら続ける。
「そうだな、たとえば、お前の元居た世界の太陽の数はいくつだった?」
「た、太陽の数って、なんでそんなことっ……」
「いいから答えろって」
「……そんなのっ、一個に決まってるじゃないっ……」
「そうか。じゃあ、月の数は?」
「な、なんなのよッ……? 月は二つでしょッ⁉」
「へぇ、そうですか。あ、ちなみにその二つの月はどんな色してる?」
「――ねぇッ! いったいなんなのッ? こんなこと訊いてどうしたいわけッ⁉」
「まぁまぁ、いいから少しだけ付き合ってくれよっ。で、月の色は?」
「……。赤と青よッ。こんなの子供だって答えられるわっ……」
「なるほどね。続けて訊かせてもらうが、お前の元居た場所には、耳の先端が長く尖ったエルフとかいう種族がいなかったか? 猫や犬の耳や尻尾を持った獣人とかは? 手のひらに乗るような大きさの妖精とか、背が小さめで鍛冶とか得意なドワーフとかは?」
「――エルフも獣人も妖精もドワーフも巨人も小人も魚人も翼人もその他少数種族も全部いるわよッ! いったいいつの時代の話をしたいわけッ? 魔族以外による種族融和がなされてからもう何千年が達ってると思ってるのよッ!」
「お前の故郷の町には何がある? 武器屋と防具屋と宿とギルドとかか? 通貨の単位は? 長さの単位は? もしかしてドラゴンとか空に飛んでたりする?」
「いい加減にしてッ! 武器屋も防具屋も宿もギルドも、ある程度の規模の町にはあるでしょうっ⁉ 通貨って、魔族のことは知らないけれどっ、我々の共通通貨はゴールドだわッ。長さの単位なんて、メルトルとかセントルとかミリトルとか、色々あるじゃないっ。ドラゴンなんてちょっと山奥に行けば、そこら中に飛んでるわよッ!」
「はいはいはいはい。まったくべったべたのライトノベル的異世界って感じですね……」
ラノベやそれを原作にした漫画やアニメで何度となく見てきたあのありがちなファンタジー異世界との一致率にオレは食傷的な意味で辟易する。
そんなオレの前、女騎士は苛立ちを抑えきれない様子で眉根を寄せ続けている。
オレは新しいポテトフライに手を伸ばしてから話を続ける。
「あのな、今からオレが言うことをよく覚えておけ? オレとお前が今居るこの世界には、月はたったの一つしか存在しない。色も赤や青になることなんてほとんどない。見え方にもよるがまぁ黄色とか白とかそんなもんだ。それにこの世界には耳の長いエルフも獣の耳や尻尾がついた獣人も妖精もドワーフも巨人も小人も魚人も翼人も存在なんてしていない。いるのは人間と動物と植物。それから少なくとも今オレとお前が居るこの日本の町にはお前が思っているような武器屋も防具屋も存在しないし、宿はあるが、それもまぁお前の知ってるような宿じゃない。あとギルドなんてもんはない。通貨の単位はゴールドって、それドラクエのモロパクリじゃねぇかッ! ……って言っても分かりゃしないだろうが、ここ日本の通貨は円だ。長さの単位もメルトルとかちょっとありがちすぎて鳥肌が立ちそうだなって言っても分からないだろうがここ日本で使われる長さの単位はメートルセンチメートルミリメートルとかが一般的。でもって、ドラゴンなんて、世界中どこの空を探したって飛んじゃいないっ」
オレは摘まんでいたポテトフライを口の中へと放り込んだ。
ポテトフライを咀嚼しているオレの前、女騎士は呆けた顔で目蓋を瞬いている。
「……は? ……え、なっ、なにを言ってるのよっ……! い、いくらここが魔族の領域だからって、月の数が変わったりするわけないしっ……、種族が存在しないって、そんなわけっ……、それにドラゴンが存在しないって、そんな嘘っ、信じるわけっ……」
「この世界でもう少し過ごしてみれば、オレが今言ったことが嘘じゃないってことぐらいは分かるはずだぜ? なんせこんな嘘ついたって、お前がその目で確かめればすぐバレるわけだしなぁっ。……というか、お前だって、昨日から今日にかけて、見てきたんじゃないのか? ここがお前の元居た世界とは、似ても似つかない場所だってことを――」
オレはわざとらしく、見透かすように女騎士の水色の瞳を覗き込む。
女騎士は一瞬、はっとしたように、深く刻まれていた眉間の皺を伸ばした。それに続けて、まるで逃げるように、オレからその目をそらす。
――きっと、コイツも薄々は、分かっていたのだろう……。
はっきりとした考えではなくても、薄々、漠然と。今まで居たはずの世界とは、まるで違うどこかへと来てしまった、ということぐらいは。なにせファンタジー異世界から、いきなりこの現代日本へとやって来たのだ。風景も違えば文化も違う。人も違えば生物も違う。目に映るもの全てが、まるで違うものなのだから……。
――ただ、それを本気で受け入れることなど、誰にしたって難しいというだけで……。
いつの間にか窓の外に目を向けている女騎士のその横顔に引かれるように、オレの目も、窓の外へと寄っていく。
店の前の県道には、車やバイクが盛んに行きかっている。奥手側の歩道にはスマホに目を向けて歩く今風のカジュアルな若者がいて、その横を、スーツに身を包んだ会社員がすれ違っていく。その背景になる道路向かいにはマンションが建っている。天気のいい今日、ベランダには色とりどりの洗濯物が干されている。マンションの三階あたりの高さ、この時代に未だ地下化されていない電線からは、何も知らない顔をしたスズメが数匹、こちらを見下ろしてきている。彼らに見下ろされているオレらの後ろには、あれこれ言いながらテーブル備え付けのタブレットで注文を入れている派手な見た目の奥様方がいて、そんな席と席の間を、すかいらーく系列のネコ型配膳ロボットが、陽気な音楽を鳴らしながら通り抜けていく。
オレは改めて口を開いた。
「昨日の夜、月は二つ見えたか? 赤色や青色をしていたか? 今日までお前の知っているエルフや獣人や妖精を見かけたか? 武器屋は? 防具屋は? ギルドは? ドラゴンは、空を飛んでたか?」
「それはっ――」
「色々考えてみれば、少なくとも、どうやら違う世界に来てしまった、ってことくらいは、理解できるんじゃないか?」
理解することを拒むように強まりかけた女騎士の語気は、オレが差し入れた声に呆気なく遮られると、勢いを無くして喉の奥へと消えていった。今まで良くも悪くも威勢の良かった女騎士が、オレの前で表情をなくしている。途方に暮れているようにも見えるその顔の上の二つの大きな瞳が、震えるように光をたたえて、オレの目を見つめてくる……。
今度はオレのほうがそんな女騎士の目から逃げるように視線をそらした。指先に付いていたポテトフライの油分を、備品のウェットティッシュで拭いながら、言葉を探す。
「まぁ、すぐに理解しろなんて言うつもりはない。そもそも言ったように、さっき話したのは、こっちの世界に住んでいるオレ達の、勝手な理屈でしかない。ある程度筋の通る理屈ではあっても、確たる証拠なんてものは一つも無い。お前が前に住んでいた世界の実在を無理矢理にでも否定したいつもりなんてないし、誰かの想像によって作られた、なんて言われても、作られたと言われた側は困惑する以外にないのも分かってる。オレだってそんなこと言われたら、何言ってんだって思うし、そもそも事実として、オレもこの世界も、誰かの想像の産物である可能性なんて、誰にも否定できないわけだしな。言ってしまえばオレもオマエも、同じようなもんだ。……だけど、な。まぁ、当座のところ、とにかくお前は、どうやらもともと住んでいた世界からこっちの世界へと転移してしまったみたいだ、って、ただそれだけを受け入れてみる、それが現時点での、落としどころなんじゃないかって、そういう話だ……」
「そ、そんなっ……」
女騎士は、茫然と、その目を見開いた。
色をなくした女騎士の唇が、微かに震えて、声をこぼす。
「で、でもっ……、アナタの言っているようにっ、違う世界に来てしまったとしてっ……、それでもこっちへ来れたのならっ……、元の世界へ帰ることだってっ……」
「難しいだろうな」
「……どう、して?」
「オレはお前と同じ境遇のやつらを何人か知ってる。お前と同じ境遇のやつらで、元の世界へと帰れたやつは、一人もいない」
「うそ……」
女騎士は消え入るような声で呟いた。そして何もないテーブルの上へと視線を落とすと、ぱったりと、黙り込んでしまった。
――無理もない、か……。
元居た世界から別の世界へと飛ばされて、その上、元の世界へ帰ることができないなどと言われたら、人は良くても思考停止、普通だったら色々な感情に搔き乱されて焦燥に駆られ、悪ければ、生きる希望さえ失ったっておかしくない。誰だってこんな状況に置かれたら、受け入れるのには長い時間が……
「――え、待って?」
「……は?」
突然、まっさらな沈黙の上に、奇妙な声が降って湧いた。
それは間違いなく、目の前の女騎士の声だった。
――な、なんだ? 今の、頭の悪いツイッターの書き出しみたいな声は……。
――あるいは世紀の発見をしてしまった時の腐女子のような声は……。
つい先ほどまでの重苦しい雰囲気を、平手で叩き飛ばすかのようなその空々しい声音に、オレは、思わずつんのめるように呆気にとられた。
見ればさっきまで俯いていたはずの女騎士が、きょとんとした顔でこちらを見つめてきている。その顔には、さっきまでオレが想像していたような哀愁のある感情は微塵も見て取れない。むしろそれとは逆というか、なんと言ったらいいか、次の瞬間には、「それってむしろ御褒美なのでは?」とか言い出しそうな、妙なウザさが漂っている……。
訳が分からず思考停止するオレを置き去りに、女騎士はその唇を開いた。
「それって、もしかして、もう魔族と戦わなくてもいい、ってことじゃない……?」
「ん?」
「だってっ、もしもあなたが言っていることが正しいとしたらっ、わたしは、もうどうやっても、元の世界には戻れないってことでしょうっ?」
「いや、まぁ……、たぶん、な?」
「――ということはっ! いくら運命だとかっ、使命だとかっ、義務だとかっ、聖選だとか言われたってっ、どんなに頑張ろうがっ、わたしは戻りたくてもっ、元の世界に戻りようがないってことじゃないっ!」
「な、なにを言いだしてんだよいきなり……」
「つまりよっ――」
女騎士は目を輝かせながら、こちらへ迫ってくるようにテーブルの上へ身を乗り出した。
「――もう、軍や教会に追われて戦地に駆り出されなくて済むってことじゃないっ! 戦わなくても民衆や貴族や司祭から責め立てられずに済むってことじゃないっ! なりたくてなったわけでもない聖騎士の使命とかいうのを押し付けられてっ、毎日毎日最前線で傷だらけになるまで戦わされてっ、ろくに体も休められずに聖約で強制的に回復だけさせられてっ、ちょっと期待を裏切っただけで途端にみんなから失望されてっ、逃げだしてもすぐに捕らえられて懲罰を与えられるっ、あの地獄みたいな生活とはっ、もうっ、おさらばってことじゃないっ!」
「………………、え?」
テーブルの上に身を乗り出しすぎている女騎士の顔は、もはやオレの眼前にまで迫ってきている。その顔は、今まで見せられてきた怒り顔が嘘だったかのように、ぱあっと花が咲くように輝いている。オレはそんな女騎士の顔が迫ってきた分だけソファーの背もたれへと仰け反っていく。女騎士とは対照的に、この顔面を引き攣らせていく。
そんなオレに構わず、女騎士は突然、勢いよく背筋を伸ばして立ち上がった。
「ずっと――」
そして両手を握りしめ、勝ち誇るようにガッツポーズをすると、高らかにこう言った。
「――ずっとこんな日が来るのをっ、夢見ていたのよっ‼」
その瞬間の女騎士の表情は、これまでとは見違えるほど、生き生きと輝いていて――
◇ ◇ ◇
――な、なんか急に話が変わってきたぁぁぁぁ……………………………。
立ち上がったまま妙な興奮に包まれている様子の女騎士を見上げながら、オレは依然として呆気にとられたままだった。
――つ、つーか、コイツ、さっきなんて言った?
つい先ほど女騎士が矢継ぎ早に言い放った言葉の数々が、遅ればせながらも意味を持ってオレの脳内を通過していく。
確かに、そういう類の設定は、二次元の創作ではあるあるではある。とくにライトノベルでは。見た目が美少女で、性格も悪くなく(悪くなく?)、そのうえ世界まで救ってくれてしまう存在であるのに、なぜか出自の設定や能力が化物じみているとか何らかの理由で周りの人間たちからは忌み嫌われて虐げられている、みたいなヒロイン……。
――そんなの現実にいたら速攻で、「どしたん? 話きこうか?」案件なんだが?
ご存じだろうか、皆さん驚かれるかもしれないが、この現実世界には二次元美少女もドラゴンもエルフも存在しないが、人の形をしたチ○コなら存在しているのである。ヤツらは人の姿で人間社会に溶け込み、女性が弱みを見せるのを虎視眈々と……って待て待て待て、こんな時に自分から話を脱線させている場合じゃないだろッ……。
突然の展開に混乱して、思考が脱線とかし始めるオレを余所に、女騎士はいつの間にか機嫌良さげにソファーへと腰を下ろしている。
「そうとなればっ! この際、元の世界がどうとかこうとか、もうどうでもいいわっ!」
あっけらかんと、そんなことまで言いやがる。
「いや、ちょっと待てよ、頭が追いつかんわ……」
オレはとりあえずゴホンと咳払いを挟んで気を取り直す。それからすかさず、目の前で勝手に浮かれていやがる女騎士へと口も挟んでおく。
「な、なんか一人で楽しげに納得しちゃってるところ悪いがなっ、何度も言っているように契約書に判を押さない限り、こちらの世界では――」
「――そういうことなら考えてあげなくもないわよっ! だって、それに判を押せば、こっちの世界で生きていかせてくれるんでしょうっ?」
振り切れたような笑顔を浮かべながら、女騎士はさらりと言いやがった。
オレは口を開けたまま、白けた顔をする他ない。
――え……? 今までのオレの苦労は何だったの……? ていうかこの娘、あんだけ喚いてたのに、もう、こっちの世界、とか言っちゃってるし……。
オレは項垂れそうになる頭をどうにか左手で支える。
「そ、そうか……。ようわからんけど、そりゃ、まぁ、よかったわ…………」
「それじゃあっ、契約書の内容を確認させてもらうわねっ!」
上機嫌な女騎士は、あれだけ深刻そうに睨めつけていた契約書を意気揚々と引き寄せて、ぺらぺらと捲り始めた。
「はぁ……」
オレは溜息をついて、どっと疲れた体をソファー席に沈ませる。
――何はともあれ、契約する気になったんなら、何でもいいか……。
疲れ切ったオレが辟易しながら見つめている先で、女騎士はまるでギフトカタログでも眺めているように楽しげに契約書の項を縦に捲っている。しかし女騎士の手の中にあるその契約書は、ギフトカタログなんてテカテカした現代風の印刷物とは真逆の、筆文字で記された古びた書物である。ちょうど単行本の見開きと同じくらいの大きさで、見た目だけなら江戸時代の商家の帳簿とでも言えそうな代物だ。色褪せた数百枚の古紙の束の前後を白い堅紙が挟み込んでいて、縦長のその上端は凧糸のような紐で括られている。年季が感じられる煤けた表紙には、神社の御朱印にも似た朱色の紋様が大きく印されその紋様に被せるように分けわからん書体で綴られた縦書きの漢字が……
「――ってなによこのミミズみたいな文字ッ‼ 読めるわけないじゃないこんなのッ‼」
突然、女騎士はジャパニーズノリツッコミの勢いで契約書をテーブルへと叩きつけた。
「――なんなのよこの契約書はッ⁉」
鼻息を荒くしながら怒鳴り散らしてくる女騎士に、オレはとりあえず冷ややかな視線をお返ししておく。
さて、匙を投げるように投げ捨てられてしまった契約書であるが、実は女騎士が読めないと怒鳴るのも、無理からぬことではある。なぜならこの契約書は幾世代も前に作られたものであり、その書体はもちろん、幾世代も前のものだからだ。
――オレだって読めねぇしな、この契約書……。
異世界からやってきた女騎士が日本語を理解できているのは、どこぞにおわす作者様が、コイツのことを日本語話者として想像したからだ。日本語が使えるのにニートやコスプレという言葉を知らなかったのは、想像した物語世界に作者がニートやコスプレという言葉の概念を想定していなかったからだ。昨日、卵を見ても驚かなかったのに対して、ネギを見て頓珍漢なことを言いだしたのも、恐らくは作者が世界観を想像する際に、卵という概念は現実と同様に存在していても、野菜に関しては、何かしらのオリジナリティを持った世界観を想像していたからで……。
人間の想像から化けて出てくるコイツらの知識は、作者の想像の有り様によって細かく左右される。べたべたのライトノベル的異世界からやってきたコイツが、古めかしい書体で綴られた漢字と崩し字交じりの書物なんてものを、読めるように想定されているはずがないのである。
「ま、そりゃ読めねぇだろうなっ」
オレが暢気に笑うと、女騎士は再び腰を浮かせて怒り始めた。
「――アナタねぇっ‼ 読めない契約書提示するとか、そんなのまるでっ、奴隷との契約じゃないッ‼ 文字が読めないの見越して足元掬おうとしてるんでしょッ! どうせ人権なんて言葉の影も見当たらない奴隷も同然の契約内容が記されているんだわッ‼ そうよ、たとえばっ――」
そこまで一息に言い連ねて、女騎士は硬直した。
「――このド畜生ッ‼//// ド変態ッ‼//// 性欲びんびんゴブリンッ‼////」
「オマエはいったい何を想像してんだよ……」
――ていうか性欲びんびんゴブリンてなに。ゴブリンて基本的に性欲びんびんじゃね?
それはさすがにゴブリンに失礼か。
「……あのなぁ。オマエが頭の中でいったいどんなピンク色を想像しているのかオレには皆目見当もつかないが、奴隷契約、なんて言われるのはさすがに心外なんだが? せめて、主従契約、とかもっとマシな言い方が……」
「――おんなじようなもんじゃないッ‼」
女騎士は顔を真っ赤にして、プンスカプンスカ怒ってくる……。
「おまえなぁ……、もうちょっと御淑やかにできないわけ?」
オレは随分前から間断なく向けられ続けている周囲からの視線にいい加減気づかないフリもできなくなって、首を竦めながら囁いた。
「いいかげん騒ぐなよ目立つからっ……。ただでさえオマエみたいなヤツと一緒にいるの恥ずかしいんだからなっ……」
――どう見てもコスプレ女にしか見えない女と、どう見ても陰キャにしか見えない男が、平日昼間のファミレスで、奴隷だの契約だの性欲がビンビンだの罵りあってるとか、もうそれ終わりだからね? 周りからしたら変態オタクカップルがプレイの内容で揉めてるように見えてもおかしくないから……。
平日昼間のファミレスを縄張りとするオバサマ方からの「あらやだ、お盛んね。」とでも言いたげな視線をオレが気にしている間にも、女騎士は、「なにが恥ずかしいっていうのよッ‼ そんなこと言われるの初めてだわッ‼ 屈辱よ屈辱ッ‼ こっちのほうが恥ずかしいわよっ‼ わたしは七聖騎士団聖騎士長なのよっ⁉ 容姿だって――」とかなんとかまたしてもポンコツ頓珍漢なことを大きな声で喚き続ける……。
「――あぁっ、うるさいうるさいっ‼ どうせ選択肢なんてねぇんだからさっさと判を押せって! こっちで生きていきたいんだろっ? 気が変わったのかっ?」
「くっ!」
「拇印の血判。そこに押してあるのがオレの。その隣のところに押してくれっ――」
オレはテーブルの上の契約書を女騎士へと突き出す。
契約書の表紙を埋めている朱色の紋様の中心部分には、野球ボールほどの大きさの、円形の空白がある。表紙の堅紙の白地が覗くその部分には、事前に押してあるオレの拇印が、中心から僅かに左側へズレたところで赤を落としている。その右隣のあたりが、女騎士の拇印を入れるスペースになる。
「これ、血出すのに使えっ――」
オレは契約書を入れるのに借りてきた母さんのエコバックの中から、これも用意してきた画鋲ケースを取り出して女騎士へと差し出す。
「――き、昨日は負けたけどっ‼ 本当の私の力はあんなもんじゃないんだからっ‼ そもそもぜんぜん本気じゃなかったしっ! ミカエル様から与えられた英力だってほとんど開放できてなかったしっ! アルキオネの能力だって発動してないしっ! わたしが万全の状態でアナタと戦ったら絶対にわたしのほうが勝つんだからねっ! アナタなんて消し炭どころか星屑になるんだからっ!」
「へぇへぇそうですか、それはお強いことですね。で、その力ってのは今出せるわけ?」
「そっ、それはっ……。今はっ、ちょっと、だせないけど……。――で、でもっ、三日とかっ、四日とかっ、一週間とかっ、一か月とかっ……。それくらいあればっ……」
「ずいぶんと時間がかかるみたいだな」
「だってっ! だってっ、ここに飛ばされる前から、ずっと戦いっぱなしでっ……、ミカエル様の英力もアルキオネの力もほとんど使い果たしちゃってっ……。そ、それに、もうずっと何も食べていないしっ……。おなかが減ってると、力も全然回復しなくて……。昨日こっちに来てからだって、川の水と、アナタが投げてきた芋と卵以外何も……」
「え? おまえ、あれ食べたの……?」
「なによッ⁉ 盗まれたとでも言いたいわけっ⁉」
「いや……」
――そういう意味で言ってるんじゃないんだが……。
オレは想像した。この女が地面に落ちている生の里芋をバリボリと貪っている様子を。地べたに這いつくばって落ちた生卵を啜っている様子を……。
―― ※ 落ちた食材は女騎士が美味しくいただきました。
オレは女騎士のおかげで守られたコンプラと引き換えに自分の中の美少女騎士像を見失いながら、待て待てこのままではまた話が脱線していく、と頭を振って話を戻す。
「――いいか、話を戻す。今、お前に残されている選択肢はなんだ? ここで下らないことをぐちぐちと喚いてたら状況が変わるか? 生きたいのか、死にたいのか、この世界で生きていきたいんなら、さっさと判を押しやがれっ!」
「くっ!」
オレの正論に、女騎士は駄々をこねる子供のように涙目になって、いつぞやの、くっころの状態に戻ってしてしまう。
「はぁ……」
今日何度目かの溜息を吐く。
それからオレは、試しに言葉を切り返してみることにする。
「――あぁそうですか。じゃぁオレも気が変わったわ。お前が本当の力とやらを取り戻す前に殺しておくことにしよう。ほらっ、とっととここから出て戦おうぜっ。さてどうやって殺してやろうかなぁ。首をはねるのもいいし、そうだ殺す前にあれこれ楽しむのも悪くない。――あ~あ、契約した暁には、好きな食べ物を好きなだけ頼ませてやろうと思ってたんだけどなぁ~~~~!」
オレはテーブルの端に立てかけられていたメニューを手に取って、これ見よがしに中の写真を眺めていく。
「しょうがねぇよなぁッ、契約しようとしないんだからッ。あーあ、旨そうな食い物がいっぱい並んでらっ! あ、そうだっ、お前を始末した後にもう一度来て祝杯をあげるってのも悪くないよな――」
――ゴクリ……。
メニューに遮られた視界の向こうから、誰かさんの唾を飲む音が聞こえてきた。
「……け、けいやくしたらっ、そこにのってるものっ、すきなだけ、たのんでいいって、ほんと?」
メニューを閉じて前を見る。
女騎士が、恨めしそうな上目遣いで、こちらを睨めつけてきている。
「ほんとうに、そこにのっているもの、おなかいっぱいになるまでっ、すきなだけっ、たのんでも、いいのっ……?」
「――あぁ、おなかがいっぱいになるまで、すきなだけ、な。」
「……るわよッ…………」
「ん? なんか言ったか?」
「――契約するわよッ‼ 契約すりゃあいいんでしょうッ‼」
女騎士は、目尻に溜まった涙の粒を振り払う勢いでテーブルの上へと身を乗り出すと、ついにオレへとそう言った。
オレはそんな女騎士と目を合わせる。女騎士の顔は恥辱に満ちている。こちらを睨みつけてくるその水色の瞳は涙で潤み、上気して赤く染まった頬もまた涙の雫で濡れている。そして同時に、女騎士の顔は食欲にも満ちている。さっきから目線が、メニューのほうへとチラチラしている……。
――もしかしてこれ、最初から食い物で釣ってたら、速攻で契約できたのでは……?
オレは恥辱と食欲が綯い交ぜになっている女騎士の顔を冷ややかに眺めながら、ここまでもってくるのに費やしてきた時間と労力を思って辟易とした。
まったく溜息も出やしない。途端に徒労感が全身にのしかかってきて非常に怠い。今度こそ頭を支える気にもなれずに項垂れる。あぁもう何もかも投げ出してさっさと家に帰りたい。ベッドで寝たい。アニメを見たい。夜のゲームに備えたい。しかしまぁ、さっさと家に帰るためには、もうひと頑張りせねばならない……。
オレは気力を振り絞って、どうにか頭を持ち上げる。
「じゃ……、その画鋲で血を出してここに拇印を……」
「そんなもの要らないわよッ――」
「はぁ?」
――おいおい、今度は何を言いだす気だ?
そう思ったオレの目の前で、女騎士はおもむろに、その右手を自分の口元へと動かした。未だに恥辱に満ち満ちて赤いその顔の上の唇が、すっと開かれる。女騎士は右手の親指を立てている。続けざまだった。女騎士は勢いよく、自分の親指の腹を噛み千切った。赤い血が宙を舞う。オレはただ唖然としたままその光景を目の当たりにしている。そうして女騎士は血にまみれたその親指を、契約書の所定の位置へと突きだして――
「きゃっ――」
女騎士の血判が契約書に押された、次の瞬間だった。
契約書と接している女騎士の右腕に、無数の文字が流れ込み始めた――
「な、なにこれっ――⁉」
それは契約書の内部に記されていた古めかしい書体の漢字だった。数百枚にものぼる項にびっしりと記されていた無数のそれらが、まるで吸い込まれていくように、契約書と接している女騎士の親指の肌へと流れ込んでいく。流れ込んだ漢字の崩し字はそのまま女騎士のむき出しの白い腕の表面を、目にも留まらぬ勢いで駆け上っていく――
全ては一瞬のことだった。
最後に表紙に印されていた朱色の紋様が女騎士の肌を上って純白の騎士服の内側へと滑り込んでいくと、文字の急流はぴたりとその流れを止めた。女騎士の顔、首、体、腕、足、体中の全ての肌の上に、流れ込んだ漢字が、刺青のように張り付いている。しかし、それらはまた次の瞬間、ふっ、と薄まると、一斉に消えて見えなくなった。後に残った女騎士の肌は、まるで何事もなかったかのように、元の白さをたたえている――
「はい、契約完了――」
オレは一連の光景を見届けて、茫然と立ち尽くしている女騎士へとそう告げた。
「こ、これが、けいやく…………」
女騎士は、恐る恐るというように契約書の表紙からその親指を離していく。それから不思議そうな顔で自分の手足の肌を見つめ、また、異常がないか確かめるように、体を動かしたりする。
テーブルの上には、契約書がぽつんと残されている。その表紙は契約を結ぶ前とは異なり、まっさらな白一色に変わっている。表紙を埋めるようだった朱色の紋様も、その内側にびっしりと記載されていたはずの膨大な漢字の文字列も、なにより、オレとアイツの血判も、今はどこにも見当たらない。
オレは役目を終えた契約書を回収し、持参していたエコバックの中へと仕舞いこんだ。
「まぁ、これでオレがこの世界でのオマエの後見人的なものになったようなもんだ――」
オレは、改まったように背筋を伸ばすわけでもなく、背もたれに寄り掛かったままのだらけた姿勢で、女騎士の顔を見やる。それからこれもまた形式だけの、できるだけ暢気な声を意識しながら、こう呼びかける。
「――これからよろしくな、アリシア・エーデルワイスさん?」
オレのその声を耳にすると、立ち上がったままでいた女騎士は、不満げな目つきでオレのことを見返してきた。腰に手を当て、僅かに胸をそらし、どこか虚勢でも張るような尊大なポーズをとって、その瞳を、忌々しげにこちらへと向けてくる。
「たしか、サカガミキョウタロウ、とかいったわよねっ?」
「あぁ、名前は杏太郎だ」
「杏太郎。そう、面倒だからあなたも、アリシア、でいいわよっ……」
「そうか、よろしくな、アリシア――」
「よろしくどうぞ、杏太郎――」
そしてオレたちは、紆余曲折の末、ようやくの事、どちらからともなく手を差し出し合って、まったく気持ちの伴わない握手を交わしたのだった――
「さて、と――」
……なんて、微妙に感動的にも思えたはずの和解シーンは、女騎士改めアリシアのお気楽な声音によって、さっそく打ち破られた。
「――なんでもいいって言ったわよねっ!」
アリシアは握っていたオレの手をさっさと振り解くと、目にも留まらぬ速さでテーブルの上のメニューを掠め取りやがった。そうしてその瞳を子供みたいにキラキラと輝かせながら、メニューの上の料理の写真へと夢中になる……。
――やっぱ飯で釣ってたら速攻で契約できてたんじゃね?
オレは食い意地に突き動かされるアリシアに呆れながらも、溜息の代わりに返事を返すことにする。
「今だけな、好きなもん、好きなだけ選べよっ……」
「う~ん。でも、なんだかよくわからないわっ、このやけに細密な料理の絵を見れば美味しそうなのはわかるんだけど、なんだか知らない言葉ばかりだし……。――ねぇ、ハンバーグってなに? このチキンなんとかってやつもよくわからないわっ」
テーブルの上にメニューを広げて、アリシアは一転、難しい顔で料理の写真と睨めっこし始める。
――ま、そりゃそうか。
オレはそんなアリシアの顔を眺めながら、勝手に納得などしてみる。
恐らく、こいつのいたライトノベル的異世界には、ハンバーグもチキン南蛮もなかったのだろう。最近は異世界だろうが何だろうが、「こまけぇこたぁいいんだよ‼」の精神で、あらゆる考証そっちのけのモノや言葉を登場させたりするユルい作品も多いわけだが、こいつのいた世界を作り上げたどこぞの作者様は、作者様なりに何かこだわりを持っていたらしい。――あるいはハンバーグに類する料理はあっても、単純にハンバーグって名前じゃなく挽肉の固め焼き、とかそんな感じで呼ばれてたとかな。チキン南蛮に関しては概念自体怪しいし……。
オレはいつまでも決めきれないでいるアリシアに声をかけてみる。
「なにが食いたいんだ?」
「――にくよっ! にくっ‼」
「にくねぇ……」
食い気味に肉を所望してくるアリシア。
オレはそんなポンコツ聖騎士様の代わりに注文用のタブレットを手に取ってメニューを開いてみる。オレの行動を一々訝しげに見つめてくるアリシアの視線をウザく感じながらも、適当に肉料理を選んでやって、注文リストに入れてみる。
「とりあえず、これでも頼んどけよっ――」
画面を向けて見せたのは、『チーズINハンバーグ』。
「……ふ~ん。この板でも、料理の絵を見れるのね」
意外にもアリシアは、料理よりそれを表示しているタブレットのほうへと興味を示した。
――まぁタブレットも、コイツの目にはそう映るわな。
「……じゃあ、とりあえずそれにしてみるわっ。で、店員さんは……」
オレがまた一人で納得とかしている間に、アリシアは店員を探して店内を見まわし始めていた。オレはここでも、そりゃそうだよな、なんて納得しながら、今にも席を立ちそうになっているアリシアを、片手で制しておく。
「あぁ、店員は呼ばなくていい。これで注文できる」
「はぁ? ……その板で?」
アリシアはまた不機嫌そうにこちらをじろりと見つめてくる。
とは言え、いちいちすべての物事を説明してやってると日が暮れてしまうので、オレはもう何も言わずに、さっさと注文を送信してしまう。
ついでに気を利かせてセットドリンクバーもつけてやったオレは、料理が到着してしまう前にと、アリシアをドリンクバーコーナーへと連れて行く。オレがドリンクを注いで見せるとアリシアは「な、ななっ、なによそれっ⁉」「ちょっとどうなってんのよっ⁉」「どんな味っ⁉ どんな味がするのっ⁉」とかなんとか、事あるごとに騒ぐというよりはしゃいでいた。オレはそんなアリシアを恥ずかしく思いながらも、どうにかドリンクバーの使い方を教えてやった。最終的にここでも決めきれなかったアリシアは、『コーラ』と『カルピスソーダ』と『アイスカプチーノ』とホットの『ココアいちごオレ』を全部注いで、トレーに載せて運んできた。
初めてコーラを飲んだアリシアの感嘆の声を五月蠅く聞かされること約数分――
すかいらーくのネコ型配膳ロボットがやってきて、遂に注文した、『チーズINハンバーグ』が運ばれてきた。
ま、そんなこんなで……
「――こ、これがっ、このせかいの、にくなのねっ‼」
アリシアは今、念願のにくとご対面している……。
「あ゛ぁ゛ーー、つかれた…………」
オレはソファーに沈み込んで、全身を脱力させた。
――ファミレスに来て疲れるとか、どういうことだよ……。
疲れから半開きになるオレの目の中で、アリシアはチーズINハンバーグに夢中である。目の前で疲労困憊になっているオレになど目もくれず、いつの間にかナイフとフォークを手に持って、涎でも垂らしそうな顔をしながらチーズINハンバーグと向かい合っていらっしゃる……。
ちらりと見れば、アツアツの鉄板の上のチーズINハンバーグは、いつもと変わらず旨そうな照りを帯びていやがる。湯気の立ち昇るハンバーグはその内側にどれだけのチーズを抱き込んでいやがるのか、こちらの想像を否が応にも駆り立ててくるような我儘ボディを呈している……。その上に零れ落ちるほどかけられたデミグラスソースは、文字通り零れ落ちた鉄板の上で微かに煮立って旨味の泡を膨らませている……。
「――ど、毒とか入ってないわよねっ……!」
涎たらしそうなくせ、ていよく警戒心だけはアピールしてくる聖騎士様……。
オレは呆れて物も言えない顔をしながら物を言う。
「ついさっき苦労して契約したばっかなのにそんなまねするわけねぇだろうが……」
「そ、それもそうよねっ……」
オレのツッコミに澄ました顔をして、アリシアは思い出したようにその居ずまいを正したりする。
「そ、それじゃ、い、いただきますっ……」
――いただきますの文化はあるんだな……。
オレが思っている間に、アリシアはハンバーグにナイフを入れ始めた。
「――なっ⁉ なによこれっ⁉」
「なんだよ今度は……」
「――にくのなかからなんか出てきたわよっ⁉」
「チーズだチーズ……。動物の乳を、こう……、なんか加工したやつ……」
「ち、ちーず……。そう、チーズなのねっ。お肉の中にチーズを入れるなんて、なんて魔族的な発想なのかしらっ……」
――いや、チーズはチーズで伝わるんかい……。
「では、あ、あらためて、いただきますっ……」
オレが見ている前で、アリシアは落ち着かない様子でチーズINハンバーグを一口分だけ切り分けていく。切れた欠片に恐る恐るというようにフォークを刺しこみ、ゆっくりと持ち上げる。湯気を上げるチーズINハンバーグが、微かに震えながら、アリシアの目の前へと持ち上げられていく。断面からとろけたチーズが溢れ出し、鉄板と繋がる糸を引く。
ゴクリ――
アリシアの喉が鳴った。
それを合図にしたように、チーズINハンバーグはアリシアの口の中へと誘われて――
「~~~~~~~~~ッ////⁉」
アリシアはフォークを口にくわえたまま、声にならない声を上げた。
いくら何でも大げさすぎるだろと思うオレの前で、アリシアはほっぺたを溢すような、幸せそうな表情を浮かべている。
つかの間の時間が過ぎ、アリシアは名残惜しそうな顔をしながら咥えていたフォークを引き抜いた。引き抜かれたフォークからは唇と繋がるチーズの糸が伸び、途中でぷつりと千切れたかと思うと、アリシアの口元へと張り付いた。アリシアはそんなチーズの糸まで、ご丁寧に舐めとって幸せそうに目を細める。
アリシアは次の一口を求めてチーズINハンバーグにナイフを刺し入れながら言う。
「――ねっ、ねぇっ‼ 好きなだけ頼んでいいって言ったわよねっ⁉」
「あぁ?」
「このにくをあと二個頼んでっ‼」
「はっ?」
「好きなものを好きなだけって言ったでしょっ!」
「いや、まぁ、約束だからいいけど……、自分でたのめよっ……」
「それの使い方わからないものっ!」
アリシアはテーブルの上のタブレットをオレのほうへと押し付けてくる。続けて実物のほうのメニューを手に取ると、何やら品定めとか始めている……。
「あと、これとこれとこれと、これとこれとこれと……」
「えぇ……」
あからさまに嫌そうな顔をしてやっているオレの顔など、当のアリシアはまるで見ていない。――はぁ……。
オレは溜息をつきながら、アリシアの並べ立てる料理を注文していく。そして注文しながら、あまりにも長かったここまでの道のりを振り返る。
駅前広場で出くわしてからのノータイムでの宣戦布告。聞く耳持たずで始まった追いかけっこからの河川敷での命のやり取り。ようやく決着がついたと思いきや突如始められるくっころ展開。そこからどうにかクソ怠い説得を経てこぎ着けた今日の話し合いも、ああだこうだと二転三転して、ようやく話がまとまったのがついさっき……。
――さすがに駅前広場の時点ですぐに契約の話に移行するってのは無理だろうが、河川敷で決着がついた辺りからはとんとん拍子に話が進んでもよかったんじゃねぇの……? なんでそっからクソ懇切丁寧に事態を説明して説得して時間をかけて相手の心を解きほぐす~とかしなきゃならんかったのか……。普通アニメとか漫画とかラノベだったら「えぇッ⁉」「そうなのッ⁉」「どうしたらいいのッ⁉」「しょうがないわねッ⁉」「それじゃよろしくねッ‼」的なスピード感で解決してる展開だろうが……。
――まぁ……、都合よくスマートに運んでいく物語とは違うのだ。
――現実なんてこんなもんだろっ……。
チーズINハンバーグを口に頬張る幸せそうなアリシアの顔を見つめながら、オレは現実のままならなさを味わって、苦い顔を浮かべるのだった。