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「ありがとうございやした~~」
家を出て数分、最寄り駅近くのコンビニに駆け込んだオレは、入口すぐのプリペイドカードコーナーで10000円分のプリペイドカードに手を伸ばしかけたところで咄嗟に心を改め、歯を食いしばりながらも5000円分のプリペイドカードを手に取ってレジへと向かった。ジーンズのポケットに突っ込んでいた一万円札を店員へと突き出し、受け取った非課税ピッタリ五千円のお釣りとプリペイドカードをポケットの中へと突っ込んで、今、青空の下に立っている。
「ニートなオレの課金手段は今だに現金プリペイドってわけ……」
――ところで残ったお釣りの五千円は、どうするつもりかって?
オレはコンビニ前に突っ立ったまま、空を見上げる。
まっさらな青い空には、オレを見守るような母さんの笑顔が浮かんで見える。
――んなもん、親孝行に決まってんじゃねぇかっ……。
オレはポケットからスマホを取り出して、母さんに電話をかけてみた。
「もしもし~? きょうちゃん? どうしたのぉ? なにかあったぁ?」
母さんはいつもの朗らかな声で、すぐに電話に出てくれた。
「いや、べつになにかあったわけじゃないんだけどさ、あ、オムライス美味しかったよ、胡桃もおいしいおいしいって食べてた」
「――ほんとおっ? よかったぁ~! 朝に起こしに行ったときにはね、くるみちゃん、なんだか身体がだるくって、頭が重たくて、気分がすぐれない~、って、苦しそうだったから、ず~っと心配してたんだけど、元気になったなら、よかったわぁ~~!」
電話口から聞こえてくるぽわぽわな声だけで、今どんな顔でどんなリアクションをしているのかが、まるで目の前にいるかのように分かってしまう母さんである。――つーか兄妹そろって親不孝にもほどがあるな本当に……。
思わずアハハと苦笑してしまいつつ、気を取り直して、本題へ。
「でさぁ、オレ、今ちょっと外に出てるんだけど……」
「――え゛ぇっ‼ お外にでてるのっ⁉ お庭じゃなくって⁉」
――いや、お庭て……。
「う、うん、もちろん庭じゃないよ、ちゃんと外、駅の近くのコンビニに……」
「――こっ、こんびにっ⁉ やだっ、もう二週間ぶりくらいじゃなぁい⁉ きょうちゃんが自分でお外にお出かけしてくれるだなんてっ……。――た、たいへんっ! 帰ったらお祝いしなくちゃっ!」
「……え? いや、かあさん、あのさぁっ……」
――課金のために親の金握りしめてコンビニダッシュしてお祝いされちゃうとかマジで死にたくなるからやめてくれ……?
あまりの情けなさに自分事ながら引き気味になり始めるオレを他所に、母さんの声はどんどんと華やいでいく。オレの課金ダッシュを、祝賀気分で喜んでいる。
「母さんおちついてよっ、お祝いとか大丈夫だからっ……」
「――そんなこと言わないできょうちゃん! こういうときはちゃんとお祝いしなきゃ!」
「あぁ、うん……、へへっ……」
――もう無理矢理にでも話を変えてしまおう……。
「――で、でさぁ母さん! 今さ、母さんが置いといてくれた一万円札を使わせてもらって、コンビニで買い物してたんだけど、帰りにスーパーに寄ろうと思っててさ、だからさ、朝に頼んだカップ麺とエナジードリンクは自分で買うから買わなくてもいいからね! それで、ついでになにか買ってきてほしいものとかあったりしないかな~なんて思ったんだけど……」
「――きょ、きょうちゃんッ……‼」
スマホの向こうから、すすり泣きの声が聞こえてきた。
「自分でお外に出るだけじゃなくってっ、お遣いまでしてくれるだなんてっ……‼」
以降、嗚咽交じりに思い出話に花咲かせた親バカ母さんについてはもう全カット。
して五分後。
「――そうねっ、じゃあお母さん、きょうちゃんにお遣い頼んじゃおうかなっ! 今日は帰ったらきょうちゃんのお祝いのために、お母さん手によりをかけてお料理を作ろうと思ってるの! だから、そのための食材を買ってきてもらおうかなっ?」
「うん。はい。もう何でも買ってきます。なんでも言いつけてください。はい……」
「えぇっとぉ……、お肉はあるし、あれとあれもあるから――」
オレは母さんが口からこぼす食材の名前を頭の中へとしっかりメモしていく。
「それじゃあ、よろしくねっ! くれぐれも、むりだな~って、おもったり、くるしいな~って、かんじたりしたら、すぐにやめてかえってきてもいいんだからねっ?」
「うん、はい、それじゃ、ばいばいっ!」
「……あら? そういえばきょうちゃん、体調不良は……」
ぷつり。
「ふぅ……」
――ニートのオレより、母さんのほうが、問題が深くね?
親不孝なのか親孝行なのか、バカ息子なのか親バカなのか。
もう一度空を見上げる。青い空には、変わらず母さんの優しい笑顔が浮かんで見える。
――まぁ、どうでもいいか、そんなこと。
心の中で二七五の破調の俳句を嗜んで、オレは青空へと「才能アリ」のハンコを押した。
◇ ◇ ◇
「――よし、とりあえずこれで大丈夫か……」
スーパーの駄菓子コーナー、戦隊ヒーロー物の食玩を前に目を輝かせている小さな男の子を横目に、その隣の和菓子コーナーで胡桃のために買って帰るお土産を物色していたオレだった。――やっぱり世界の平和を守るスーパーヒーロー様ってやつは、いつの時代も子供たちの憧れの的ですな……。
なんて、こんなふうに横目で子供を観察とかしていると、不審者として通報されかねないので、オレはそそくさとお目当てのものをカゴへと放り込んでレジへと退散する。
放り込んだ胡桃へのお土産は、「くるみゆべし」。胡桃の大好物は二つあって、一つは肉、そしてもう一つは胡桃だ。肉に関しては母さん任せることにして、オレは時々こうして外出したときに、胡桃の入ったお菓子やなにやを買って帰ってやることにしている。
レジに並ぶと、母さんに頼まれた諸々の食材やくるみゆべしや自分のための品物の総額はすぐに弾き出され、僅かなお釣りが返ってきた。
スーパーを出たオレの手には食材がパンパンに詰まったスーパーのビニール袋。
親孝行完了。
――さて、帰りますかね。
オレは、「なんで学生くらいの子がこんな時間に買い物へ?」というリアルと被害妄想とが薄皮一枚で隣り合わせる周囲からの視線を感じながら、来た道を戻るように歩きだす。
ご老人も主婦の皆様も、人も少なけりゃ町並みの情報量も乏しいこんな町じゃ、ついつい歩いている人間へと視線を向けてしまうものである。――オレみたいな髪ボサボサの若造が、こんな時間にスーパーでたっぷり買い物してたら、下世話な妄想がはかどりますわな。
オレの横を年若いお母さんと小さな女の子が手を繋いで通り過ぎていく。アニメみたいに、「お母さんあの人どうして学校行ってないの?」「しっ、見ちゃダメ!」なんてことにはなるはずもないが、このリアルワールドでは反対に、見られているオレのほうがオレ自身に、「どうしてあの人たちはあんなに幸せそうなの?」「しっ、見ちゃダメ!」と自分のお目目をふさいでやりたくなってくる。――道を行きかう一般市民の皆々様方がどいつもこいつも人生順風満帆そうで輝いて見えるのは、お日様のイタズラでしょうか?
右手のビニール袋の重さが、ズシリとオレを現実に引き寄せる。
「――あぁ~あ。急にオレのこと大好きな美少女が現れたり、異世界転移して難なくハーレムとかできちゃったり、なんかそういうラノベ的な事象は起きないもんかねぇ~~」
とか恥ずかしげもなく口にしちゃう辺り、我ながらどうしようもないクソニートである。
さて、なんでオレがこんなどうしようもないクソニートになってしまったのか、という生い立ち話を道すがらに挟んでみれば、それは、元をたどるとオレの父さんに元凶があると言わざるを得ない。
そう、我が父親――逆神李太郎――もまた、どうしようもないクソニートだったのである。
そもそもの話からすると、我が家系である逆神家は、本当かどうかは知らないが、平安時代から続く由緒正しい武家であったらしい。我が家がだだっ広い敷地に蔵付きの庭まで持ったまるで旧家のような家構えをしているのも、こうした歴史があったと考えればなんとなくは納得もできるだろう。
父さんはよく酒酔い話としてオレに語った。
逆神一族は古くは鬼斬りの一族として、悪鬼羅刹やら魑魅魍魎やら異類異形やら、ありとあらゆるバケモノを刀一本で切り伏せる武士として、国の要職を得ていたのだと。この国を守るサムライとして、恐れられながらも崇め奉られていたのだと。しかし、そんな身分も、時代が何百年と移り変わっていくうちにいつしかお役御免となってしまい、その結果として、我が一族は刀一本で身を立てる由緒正しい武士の一族から、刀一本握っているだけの由緒正しい無職の一族へと翻ってしまったのだ、と。
父さんは笑って嘯いた。
「江戸を最後に明治大正昭和平成令和にかけて、逆神の男はこのかたずっとジゴロとして生きているッ‼」
どれだけ気取って言ってみても、要はニートでヒモでスケコマシのゴクツブシ、ってことである。
父さんが語った武家どうこうの話が本当かどうか、オレは知らないしどうでもいい。
だが少なくとも、オレが生きているこの現代日本では、国や人命を脅かすような悪鬼羅刹やら魑魅魍魎やら異類異形やらのバケモノなどが存在していないというのは、誰もが当たり前のように持ち合わせている一般的な常識であって、そうであれば、由緒正しい武家だサムライだと言ったって、社会はそれを仕事として認めてくれるわけもないし、びた一文だって金を払ってくれるわけもないのは確かなことだろう。
そんでもってそういうわけだから、父さんも父さんで、爺ちゃん含めてご先祖様に倣って、無職のニートになったのだ、というところで、この話はいつもくくられる。
職を失ったら失ったなりに他に仕事を見つけるとか、武士は食わねど高楊枝なんて言うくらいなのだから武士続けるなら武士らしく無頼な生き方を貫くとか、そういうまともな生き方をしていけばいいものを、かたくなにサムライであり続けるくせに女に甘えまくりな生き方を選び取ったのがこの一族の悲しき末路というわけだ。
まぁ、とは言え……。
オレはそんな、母さんに養われるばかりであったクソニートである父さんのことを、「ラストサムライ」として、それなりに敬愛してはいたのである。
オレが未就学児時代にも義務教育児時代にも平日も休日も家にいてやることと言えばゲームか競輪か野球観戦だった父さんではあるが、それなりに家族には愛情を尽くしてくれていた。家族で地元の球団を応援しに球場へ足を運ぶことは毎シーズンの楽しみだったし、ガキの頃はよく近くの遊園地へとオレら家族を連れ出してくれたりもした。もちろんそれら全てにかかる費用は母さんの稼ぎだったし、野球観戦に行くのは父さん自身の趣味でもあるし、遊園地に連れて行ってくれるのも遊園地の隣に競輪場があるからだったりするのではあるが、それでもまぁ、父さんはいつも、明るく騒がしく、笑顔の絶えない家庭の雰囲気というものを、作り上げてくれていたと思うのだ。こんなオレも昔を思い返せば、そんな父さんに随分懐いていたような記憶がある。
ところが、そんな父さんは、三年ほど前に行方不明になった。
どこへ行ったのかは知らない。あの甘ったれたクソ親父がそのうえ最愛の母さんを残して全く家に帰ってこないところを見るに、なにか帰れない理由でもあるらしい。もしかしたらどこぞで野たれ死んでいるのかもしれないと考えたこともあるが、たぶん、それは無い。それに母さんの手前、そういう話は我が家では持ち出さないことにしている。あの親父がそんな簡単にくたばるタマとも思えないしな。母さんラブだから、他の女にうつつを抜かしているとか、そういうわけでもないと思う。
いなくなる前、父さんはいつものように競輪に出かける準備をしながら何気なくオレにこんなことを言ってきた。
「ちょいと出かけてくるわっ! オレがいない間はお前が家族を守るんだぞ?」
そのとき丁度リビングのソファーに寝転がって月額制の配信サービスでアニメを見ていたオレはこう答えた。
「あいよ」
まぁ、そんな感じで、オレはいなくなった父さんから、『ニート』の肩書を襲名して、最愛の家族を守る立派な『自宅警備員』として生きる道を選んだのだった。
――武士に二言は無し、ってな。
とぼとぼ帰り道を歩いているうち、オレは気がつけば、元居た駅の近くまで戻ってきていた。駅の北口前のバスロータリー。道路面より下に掘って敷かれている線路の、その上を超える二車線の跨線橋を渡った先を眺めれば、つい先ほど課金ダッシュしたあのコンビニが見えている。愛しき我が家は跨線橋を渡った町の南側にある。
――さ、家に帰ったらさっそく狩場に籠るぞぉ~~!
なんて、浮かれたオレの足取りが、跳ねるように軽くなった、そんなとき――
オレは、それ、を感じて足を止めた――
まるで重力が一瞬のうちに数十倍にも膨れ上がったかのような、上から押しつぶされるような感覚。石臼を挽くような重苦しい音が大気を震わせるように鳴り響き、春の日中とは思えないような鋭い冷気が全身の肌へと纏わりついてくる。
オレは眉間に皺を寄せながら周囲を見回した。
しかし、行きかう周囲の人々は、何も感じていないように平然と歩いている。
そして次の瞬間、それ、はまるで水が引いていくように、どこかへと消えてしまった。
「おいおい……」
オレは酷くイヤな予感を感じながら頭を掻いた。
――久しぶりに、なかなかヤバイのが来ちまったみたいだな……。
「――きゃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~っ⁉」
「――ってなんだなんだっ⁉」
いきなり聞こえてきた甲高い叫び声に、オレは思考を中断して顔をしかめた。
声が聞こえてきた方向を見る。声が聞こえてきたのは、目の前の駅前バスロータリーの広場の方向だ。普段から日中はそれなりに人が往来している広場ではあるが、長閑な郊外の小規模駅である。こんな声を上げている奴なんて生まれてこのかた見たことがない。
オレは横断歩道を渡って、植え込みに囲まれているレンガ敷きの広場を覗いてみる。
「――ちょっと⁉ ここはいったいどこなの⁉ 魔王はッ⁉ 魔王ルシファーはッ⁉」
広場の真ん中に、様子のオカシイ女が立っている。
「なんなのよここはっ⁉ なににしても恐ろしいほどに濃い魔力がそこら中に漂っている……ような気がするッ‼ それも知覚できる広範囲全てにッ……⁉」
様子がオカシイっていうのは、もちろん意味不明なことを迫真の気迫で喋ってるって意味でもあるのだが、それだけじゃない。
なによりもオカシイのは、女の見た目だった。
オレがよく見る異世界物のアニメに出てくる女騎士のような、純白の騎士服。髪の色はどう見ても日本人の地毛じゃない淡い色のオレンジ。顔立ちから見るに年齢はオレとそんなに変わらないように思えるが、その右手に握っているのは日本の女子高生らしいスクールバックではなく男心をくすぐる聖剣って感じの剣で……。
一応確認しておくが、今は四月なのでハロウィンとかではない。――こんな郊外の駅前で、コスプレ撮影会ってこともねぇだろうしな……。
「あなたたち誰ッ‼ お爺さんお婆さん、ここはいったい……って魔力⁉ あなたたち魔族なの⁉ とっ、ということは……ここは魔族の拠点⁉ もしかして、私が知覚できている広範囲全てが、魔族の知られざる拠点だっていうのッ⁉」
バスを待っていたのであろう三人ほどのご老人に囲まれながら、コスプレ不審者女は目を丸くして大声上げている。驚愕したり、表情を強張らせたりと忙しい。
「大変だわっ……‼ これだけの規模の魔族の拠点が、こんなところに隠されていただなんてッ……‼ 私が知覚できる数キロメルトルのその外がどうなっているかは分からないけれど、このぶんだとその外にも同じように魔族の拠点があるはず……‼ 何万……、いいえ、何十万、何百万という魔族が、ここにいるっ……⁉」
次から次へと頭のオカシナ言葉を巻き散らかす挙動不審なコスプレ女に、ご老人方も珍しいものでも見るような顔をしながら、あれこれと話しかけている。
「お嬢ちゃんどうしたんだい?」
「外人さんかしら?」
「道に迷ったのかねぇ?」
口々に声をかけながら、ご親切にも広場の端にある交番のほうを指さしたりする。
「――動かないでッ‼ 魔族であるのならアナタたちも生かしてはおけないわッ‼ 私は七聖騎士団聖騎士長、アリシア・エーデルワイスよッ‼ 楽に逝きたかったらここがどこなのかを答えなさいッ‼ さもなくばその身体、肩口から真っ二つに斬り伏せるわよッ‼」
手に持った剣をご老人方へと突き出しながら、滅茶苦茶に物騒なことを言っているコスプレ不審者女。だが爺さん婆さんたちは、「この子はいったい何を言ってるんだろうねぇ」とでも言いたげな表情で顔を見合わせるのみ。
――おいおい……。
植木の影から覗きながら、オレはイヤな予感をビンビンに察知して顔を引きつらせた。
――まさか、コイツ……。
「――ッ⁉ 殺気ッ⁉」
瞬間、コスプレ不審者女が、弾かれたようにオレのほうへと振り返った。
「――なんなのっ⁉ このおぞましいほどの強力な魔力はッ⁉」
「――げっ⁉」
コスプレ不審者女の水色の瞳が、完全に、オレのことを捉えていた。
「この強力な魔力……。どうやら、アナタのもののようね……?」
顔を引き攣らせたまま突っ立っているオレのほうへ、コスプレ不審者女が近づいてくる。
その右手に握られている物騒な剣が、オレの眉間へと突き出される。
コスプレ不審者女の氷のような瞳が、オレの瞳を射抜いている。
コスプレ不審者女は、おもむろに言い放った。
「あなたはここで、私が斬るッ――」
出会って数秒。
まさかの宣戦布告。
オレは空いている左手一本で頭を抱えた。
「おいおいっ、おまえやっぱりっ――」
温かな春の午後。
駅前時計の針が示すは、PM 14:45
こうしてオレは、人類の脅威と出会っちまったわけだった――