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バケモノ//リベレーション  作者: 不如意
第1話 とあるニートの日常
2/8

1


 実家暮らし中卒ニートであるオレの一日は早朝から始まる。

 寝たいときに寝て起きたいときに起きる、これこそニートに許されし特権階級的生活であり、だからこそニートの一日というのは昼過ぎ以降に始まるのが一般的だろう。

 だがしかし、同じニートであるにもかかわらず、オレの一日は毎日早朝から始まる。その起床時間たるや、労働に従事する一般社会人や、勉学に励む学生諸君らの起床時間と、そう変わらないんじゃないだろうか?


 ――AM 7:00



「きょ~ちゃ~んっ! おきて~~っ、あさだよぉぉ~~~~っ!」



 ベッドで眠っていたオレの意識を、そんな声が揺すぶり起こした。

 闇に閉ざされた我が居室――なんて仰々しく言ってみたところで所詮はただのいわゆる「こども部屋」でしかないわけだが――に充満している淀んだ空気を澄み渡らせるかのように響いたその声は、伸びやかな女性の声。

 続けてカーテンを開け放つ軽快なスライド音が耳に届き、まだ閉じたままの目蓋越しにも、部屋の中に太陽の光が差し込んできたのがわかる。


「んむぅ……」


 つい数時間前、具体的には朝の5時くらいに就寝したばかりだったオレは、まだ全然寝足りない目を擦りながら呻いた。――あぁ、そういや寝る前に読んでた学園ハーレムもののラノベだと、丁度こんなふうな感じで、寝てる主人公の部屋に美少女幼馴染が押しかけてきてたっけなぁ……。


 なんて、淡い妄想もほどほどに、オレは目蓋を開ける。


「はよう……。かあさん……」


「――おはよぉっ! きょうちゃんっ!」


 見上げた先で待っていたのは、見慣れた天井と、我が母親の満面の笑み。あぁ、今日も今日とて変わらぬ日常、母さんが、オレのことを起こしに来てくれていたのだった。


 ――リアルワールドの運営さん? なんでオレの現実へのログインボーナスは、十八年間母さんの笑顔固定なんですかねぇ……? そろそろいい加減、美少女幼馴染に起こされる、とか、美少女彼女に起こされる、とか、そういうアップデートも必要じゃない?



 ニートの現実――。



 アニメやマンガやラノベの『主人公』であれば、朝起しに来てくれるのは『美少女幼馴染』と相場が決まっているが、『実家暮らし中卒ニート』を起こしに来てくれるのなんて、この現実世界には『お母さん』以外存在しない。美少女幼馴染なんて、そんなものは存在しないのである。――まぁたとえ美少女幼馴染が存在していたとしてもだ、オレみたいな中卒引きこもりニートなんかとは速攻で縁を切るだろうけどな。……て、なんでオレは寝起き早々、残酷な現実を自分自身に突き付けてるんだよっ……。思考が弱者男性すぎるだろさすがに……。


「きょうちゃん、今日は起きれそうっ?」


「おきれなそう……」


 首を傾げて問いかけてくる母さんに、オレはベッドの中でモゾモゾしながら返事をする。

 朝からクソ下らない絶望に浸っている不肖な息子のオレを、母さんはそれでも温かく気遣ってくれる。しかし現実世界の厳しさに日々耐えかねるばかりのオレは、今日も今日とてベッドの中でミノムシ状態。実家からもニートという現状からも、いつになったって羽ばたいていける気がしない。日本には素晴らしい四季があると聞くが、オレの人生には十八年間いまだに寒さ厳しい冬しかきちゃいない。気候で言えばツンドラ。このままでは春を待たずに凍死してしまう。――あ~ぁ。学園ハーレムラブコメの主人公にでも生まれ変わって、青春という名の春の園をパコパコパコパコ飛び回りてぇなぁ~。


「だ、だいじょうぶぅ……?」


 リアル的には春も半ばを越えた生暖かなこの時期、ベッドの上で突然身体を抱きかかえながら震えだした息子を見つめて、母さんは心配そうである。


 うちの母親――本名、逆神恵美(さかがみめぐみ)――は、母とは言っても、息子であるこのオレの見た目から連想されるような、冴えない普通の母親、という感じではない。

 腰まで伸びる長い頭髪はブラウンに染められ、肌の色はノーメイクだってのにシミ一つ見当たらない美白。北欧系の血でも混ざっていそうな顔立ちは十八の息子を持つ母にしてはやけに若々しく、長い睫毛が縁取る大きな瞳には若葉色の虹彩が輝いている。

 実の息子のオレが言うのもなんだが、見た目で言えば完全に二十代。実際、一緒に歩いていても、親子だと思われたことは一度もない。そして親子だと知られても、血が繋がっていないんじゃないのか、と必ず疑われる。――悪かったなぁッ! この母親から黒髪黒目の冴えないクソニートが爆誕してッ!

 これは本人談だが、母さんは既婚者なのに未だにコンスタントにプロポーズとかされて困っていたりもするらしい。つまり客観的に見てもなかなかの美人。そんな母さんは家の近所で小さな食堂をきりもりしているのだが、常連さんは口をそろえて母さんのことを、女神さま、なんて呼ぶ。まぁたしかにコスプレでもしてみれば見た目はバッチリ女神さまって感じだし、息子であるオレのことを溺愛してくれるその優しさはまさしく女神で母親ガチャSSRって感じだが、さすがに自分の母親が女神さまなんて呼ばれているのは十八にもなる息子からすると……。――いや待て冷静になれ、しかしそう考えてみるとこの状況は、毎朝美少女に起こされているライトノベル主人公とそう変わらないのでは……?


 ……なんて、クソくだらない思索にふける、もとい錯乱に陥るオレの横で、我が家の女神さまは、ピンクのフリフリエプロンの前で腕を組んで、片方の手を悩ましげに頬へとあてていらっしゃる。


「やっぱり今日も体調わるいかなぁ? どこかおかしなところはなぁいっ?」


 さて、今日もやってまいりました。ここからは毎日、太陽が空へと昇るたびにオレと母さんの間で繰り広げられている、お決まりのやり取りの始まりである。


 オレはいつものようにベッドの上で脱力したまま答える。


「う~ん、今日も最悪だよぉ……。なんだか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……。うぅ、ごほんごほんっ――」


「――やだっ、今日もそんなに体調がわるいのねっ?」


 さも苦しそうに咳き込みながらベッドの上で身体を縮こませてみせたオレに、母さんは慌てた様子でベッドサイドへと屈みこんでくる。心配そうにオレの顔を覗き込んで、熱でも計るように、オレの額へと柔らかな手のひらを当ててくる。


「熱は、なさそうだし……。お腹は、痛くないんだよねっ? いつもた~くさん、ご飯もお菓子も食べられてるもんねっ? う~ん、どこもわるくはなさそうなんだけどぉ……」


 困惑を示す母さん。


 オレはそこですかさず真剣な声音を作って訴えかける。


「――でもね母さん。確かに体調が悪いんだよ。全身の倦怠感、慢性的な頭痛、連日連夜の気分不良。つまりどういうことかと言うとだ、とてもじゃないけど、働けるような状態ではない、ということなんだね。あうぅっ、ごほんごほんっ――」


「――し、しっかりしてきょうちゃんっ……‼」


 ベッドの上に力なく伸ばされたオレの腕を、母さんは両手で優しく包み込んでくれる。


「お母さんしんぱいだわっ……! だってっ、()()()()っ、()()()()()()っ、こんな調子だからッ……‼」


 母さんの目は涙で潤み、その瞳はベッドで横たわるオレの姿を憐み深く映している。


 ――あぁ、母さん、ごめんねっ……。こんなダメダメな息子で…………。


 母さんの頬を濡らす涙の雫が目に眩しい。母さんが溢した、「毎日」「もう三年間も」という言葉が、オレの心に小さな棘を刺す。中学卒業から約三年間に渡って続くオレの自堕落なニート生活が、罪悪感を伴って津波のように押し寄せてくる……。


「――ごめんね母さんッ……‼ 本当はッ‼ 本当はオレだって働きたいんだけどッ‼ バリバリ社会人として社会に貢献したいんだけどッ‼ 社会の歯車だか組織の潤滑油だかになってどうたらこうたらなんだけどッ‼ どうやらッ……、今日もッ……、むりそう、だよ、あうっ……」


「――きょうちゃーーーーんっ‼ いいのよっ‼ いいのよきょうちゃんっ! そんなふうに思いつめないでっ? きょうちゃんにはお母さんがついてるんだからっ! ツラいときには、好きなだけ頼ってくれていいんだからねッ……‼」


「ううっ……! ありがとうっ……! ありがとうっ、母さんっ……!」


 オレはオレの手を包んでくれている母さんの手を包み返して、目と目で見つめ合いながら、心からの感謝を伝える。……ところで、人によってはオレが訴えている「怠い」とか「頭が重い」とか「気分がすぐれない」という症状を、「え? それってただ寝起きで怠いだけじゃね?」なんて言う人もいるかもしれない。残念ながらオレは医者ではないので、その可能性を否定してみせることはできない。だが少なくともうちの母さんは、そんな心無い疑いなどを、愛する息子であるオレに向けたりはしないのである。


「――それじゃぁきょうちゃんっ、今日も一日、()()()()()()()()()()()、だねっ!」


「――うんっ! 母さんっ、()()()()()、安静にしているよっ!」


 優しい笑顔の花を咲かせる母さん――


 小学生ばりの素直さで元気にお返事をしてみせるオレ――


 かくして、一般的には高校入学から卒業までという中学卒業からの丸々三年間にも渡るオレのニート生活は、今日も今日とて、母さんの並々ならぬ愛情によって支え続けられることになったのであった。――めでたしめでたし。


「――そうだ! きょうちゃん、何か欲しいものはないっ? たとえばお薬とか……」


 続けて、これまたいつもと同じように、毎日お決まりの慈しみに満ちた心配りをオレへと見せてくれる母さんである。


 オレもまたいつもと同じように、ベッドの中でぬくぬくしながら応える。


「うーん。薬は大丈夫かなぁ~。なにせ原因不明の体調不良だからねっ、いいかげんに薬を飲むのは、かえって体に悪いからさ!」


「そうよねっ! さすがきょうちゃんっ! それじゃあ食べたいものとかはどう? 消化にいい、おうどんとかがいいかなぁ?」


「うーん。――あ、そうだっ! カップ麺が無くなっちゃったからさっ、買っておいてもらえると助かるよ! 食欲が戻ったときに、あると助かるからっ!」


「なるほどっ! 飲み物はどうするっ? やっぱりポカリスエットとかがいいかなぁ?」


「うーん。なにせ元気がないからね、なにか活力が湧いてくるような飲み物でもあればいいんだけど……。――そうだっ! エナジードリンクが良いかもしれない! あれを飲むとねっ、力が漲って、色々なことに集中できるようになるんだよっ! 色々なことに!」


「そうなのねっ! わかったわ! カップ麺と、エナジードリンクっ! お母さん、ちゃぁ~んと買ってくるからねっ? きょうちゃんは、何も心配しないで、ゆぅ~っくり、お休みしてていいからねっ?」


「いつもありがとう母さんっ! 愛してるよっ!」


「うふふっ! お母さんも、きょうちゃんのこと! あ い し て る わっ☆」


 オレと母さんの間に、爽やかな笑顔の花が咲き誇る。


 家庭円満なニート生活の素晴らしさに、オレの脳味噌は思わずとろけだしそうになる。


 ――あぁ^〜家庭円満なニート生活最高なんじゃ^~~☆


「それじゃ、お母さんお仕事に行かなくちゃいけないから、きょうちゃんは、ゆ~っくり、気持ちよ~く、好きなだ~け、寝てていいんだからねっ? お昼ごはんにオムライスを作ってあるから、レンジで温めて食べてっ? ――あっ! あとそれからっ、いつもどおり何かあったときのために、テーブルの上に一万円札を置いておくからねっ? 遠慮しないで、自由に使っていいんだからねっ! それじゃあ、いってきまぁ~すっ!」


 まるで本物の女神さまのような笑顔を残して、母さんはオレの部屋を後にする。


「わかったっ! いってらっしゃ~いっ!」


 オレも横になったまま笑顔でお見送りをする。


 さて、再び静かになった部屋のなかで、オレは壁に掛けてある時計を見上げてみる。


 ――AM 7:10


「まだ2時間しか寝てねぇしなぁ……。体もだるいし頭も重いし気分もすぐれないことですし、もうひと眠りしますかね~~」


 母さんをお見送りして、一仕事終えた満足感とともに、オレは再び毛布にくるまる。


 まぁ、そういうわけで、ニートであるオレの一日は、こうして母さんに「いってらっしゃい」を言うためだけに、毎日早朝から始まるのだった。――世の中の親不孝なニートには是非とも見習ってもらいたいものだねっ。

 てなわけで、起きて朝だよ、から始まったこのありがちな朝の一場面は、さっそくここで幕を閉じることになる。ニートの朝なんてこんなもん、何も起きないし物語なんて始まらない。なにせ始まる前に人生がオワって\(^o^)/いるのだから。


 それじゃ、


「おやすみなさいっと……」




     ◇  ◇  ◇




 むくり。


「だる……」


 母さんを見送った朝ぶりに、ベッドから起き上がったオレだった。

 今だに身体はだるいし頭は重いし気分はすぐれない。だが実のところそんなのはほとんど毎日四六時中のことではあるので、気にしていたら一生起き上がるタイミングなんてやってはこない。ニート生活を謳歌して毎日毎日長時間寝ていると、寝続けているほうがかえって頭が痛くなったり身体がだるくなったりもするもので、いくらニートとは言っても、ある程度は起き上がって体を動かしていたほうが、結果的には楽だったりする。――ニートだって楽じゃねぇよ。人間ってのは、生きてるだけで肉体労働なんだからなっ……。


 寝ぼけ眼で壁の時計を見上げてみる。


 ――PM 13:15


 ようやくオレの一日が本当の意味で始まる頃合いだ。


「バカだるいけど腹減ったなぁ……」


 オレはベッドから起き上がり、寝間着のスウェットのまま、二階の自室から一階のリビングへと降りていく。

 階段を降りてリビングに入る。キッチンで冷蔵庫の扉を開けると、そこには朝に母さんが言っていたオムライスがラップをかけて置いてある。綺麗な黄色い卵で包まれたオムライスには赤いケチャップでハートの縁取りが描かれていて、その中には、「きょうたろう」なんて書いてある。皿の横に添えられたメモ書きに目を落とすと、こう――


『温めて食べてね。愛しています。お母さんより――』


 ――ったく……。


「――オレも愛してるぜ、母さんっ……」


 マジで自慢の母親だ。感謝が尽きないってのはこのことである。母さんがいなかったらオレなんてとっくのとうに野垂れ死んでる。ニートであるオレ自身に自慢できるものなんて何一つないが、そんなオレが自慢できる数少ないものの一つが母さんだ。


 数少ない――なんて言うと、他にもなにか自慢できることがあるように聞こえるか?


 だが実際、自慢できることは、もう一つだけあるのだ。


 すっかり冷たくなっているオムライスの皿を右手に取り、オレはもう一度冷蔵庫の中を覗き込む。そこには、オレのぶんではないオムライスが、もう一皿置いてある。そのオムライスにはオレと同じように、赤いケチャップでハートの縁取りが描かれていて、その中には、「くるみ」と書かれている。


 これが、オレの数少ない自慢のもう一つ。


 そう、オレには、妹が一人いるのである。


 ――自慢の妹、がな。


 オムライスを二つともレンジでチンして温めて、ラップを取ってからトレーにのせる。忘れずにスプーンも二つ用意する。――準備完了っと。

 オムライスを載せたトレーを手に、オレは二階へと取って返す。

 階段を上がると廊下は左側へとコの字に曲がって続いていく。コの字の曲がり角を曲がったすぐの角にあるのが妹の部屋で、そこから奥に進んだ右壁にあるのがオレの部屋の扉、そして突き当りにあるのが両親の寝室の扉である。「くるみ」と書かれた母さんお手製のドアプレートが掛けられている妹の部屋の扉の前、オレはトレーで塞がれている両手の代わりに右肘で取手を押し下げて、「入るぞぉ~」とだけ言いながら部屋の中へと入る。


 部屋の中は真っ暗。いつものことだ。返事も返ってこない。きっとまだ寝てる。

 とりあえず開けっぱなしの扉から差し込む廊下の明かりを頼りに部屋の真ん中のローテーブルへとトレーを置く。扉を閉めに戻壁のスイッチを押して電気をつける。

 ピンク色の壁紙に可愛らしい感じの照明、家具や置物のすべてが女の子らしいピンク色で揃えられた妹の部屋。ぬいぐるみもたくさんある。しかし綺麗に片づけられた部屋は生活感を全く感じさせない。片付けられた配置のままに全ての物が一ミリも動かされてはいないような感覚。と言うより本当に、母さんが片付けてから、一ミリも物を動かしていないのだろう。なにせこの部屋にある物のほとんどは母さんの趣味の物。妹が何も欲しがらないものだから、溺愛する母さんの愛情ばかりが独り歩きした成れの果て。――たぶん、どっちかと言えば、あいつはピンクとか明るい色が苦手だと思う。


 ファンシーカラーな部屋の中、これもまたピンク色のベッドの上で、オレの自慢の妹は、小さな寝息をたてている。オレと同じように母さんによって朝の七時くらいには起こされているはずなのだが、未だに寝ているところを見ると、このオレを越えるある種の素質を感じさせられずにはいられない。――どうしてこういうところが似てしまうのやら……。


 そんなうちの妹――逆神胡桃(さかがみくるみ)――は、今年で10才になる。


 つまりは小学四年生。言っておくが今日は休日じゃないし、学校が何かの理由で休みってわけでもない。すでに新学期は始まっている。そうである。我が家に『ニート』はオレ一人だが、なんとまぁ学校に通わない『不登校児』、がもう一人いるのだった。――ニートに不登校児に、こんな子供を二人も、女手一つで養ってくれている母さんには、頭があがらねぇな本当に……。


 オレはベッドに端に腰を掛け、綺麗な姿勢で眠っている妹の姿を眺めながら声をかける。


「くるみっ。おーい、おきなさぁーい。昼飯持って来たぞぉー」


「…………。」


 返事がない。


 肩を軽く揺すってやりながら、再度声をかけてみる。


「くるみっ、兄ちゃんがダルい身体にムチ打って起きたんだから、お前も起きなさいっ」


「…………。」


 返事がない。

 

 ただの屍のよう……でもない。ちゃんと息はしている。まったくどんだけ熟睡しているのやら……。


「くる……」


「――こんな物語をしらぬのかしら? どうしても目を覚まさない女性を起こしたい時には、()()、をしてみるといいと言うのじゃないっ。」


「いや、起きてたのかよ……」


「起きてはいないのじゃないかしらっ。これは、ねごと、なのじゃないっ。」


「ねごとて……」


 起きてたことにビビリつつ、オレは「起きてない」なんて豪語する妹の顔を覗いてみる。

 まぁ、事実として起きてはいるわけなのだが、妹の目蓋はたしかに瞑られたままである。青みがかった透き通るような藤色の長髪は、シーツの上で綺麗に流れ、オレとは全く似ても似つかない、母さんともまた違っている綺麗な白い顔は、絵本の世界にでも登場する眠り姫って感じで、静かに眠っている……ように見える。――まったく、困ったさんめ……。


 こうなったら胡桃は何を言ったって聞きやしない。お姫様なんて品行方正なもんじゃなく、うちの妹の強情さときたらバケモノ級なのだ。別にうるさく喚くわけじゃないが、イヤイヤ期まっさかりの未就学児くらいには言うことを聞かなくなる。とは言え、だからといってキスなんてするわけにもいかないわけで……。――ここは兄としての威厳を保つためにも、武力による実力行使といかねばなるまい……。


「そんなこと言ってると、こんな目にあわせちゃうのじゃないかしらっ?」


 オレは胡桃の頬っぺたをムニっと摘まむ。そして、むにむにむにむにイジメてやる。


「おらおらおらっ――」


「――んっんっ~~‼ ――ひっ! ひじはるはよくにゃいのにゃにゃいかひらッ!」


 イジワルハヨクナイノジャナイカシラ。


 胡桃はようやくそこで、涙目になりながら目蓋を開けた。


「はい御機嫌ようっ。お目覚めのご気分はいかがでしょうか? お姫さま?」


「……さいあくなのじゃないかしらッ……」


 せっかく覗かせてくれた青紫色の瞳が、オレのことを恨めしげに睨めつけてくる。


「寝たフリなんてするからだっ。ほれ、昼飯持ってきたからさっさと起きなさいっ」


「……おきれぬのじゃないっ……」


「まーたそうやって嘘ついて兄ちゃんのこと困らせようっていうのかっ?」


「――ちがうのじゃないかしらっ! 困らせたかったのじゃなくてっ! あまえたかったのよっ!」


「いや、だからあまえられて困ってるんだが……?」


「――それにっ! 起きてないと言ったのは嘘だったかもしれぬのだけれどっ! 起きれないというのは本当なのじゃないっ! だって、なんだか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、んだものっ!」


「お、おぉ……」


 ――いったい、どこの誰に似てしまったのやら……。


 毎日毎日、自分が実際にそう言って母さんに甘えさせてもらっている手前、今度ばかりは否定することも実力行使に移行することもできない。ベッドの上で毛布を口元まで引き寄せて、オレのことを見つめてくる可愛らしい妹の姿に朝の自分の姿を重ね合わせつつ、母さんの苦労に思いを馳せてみたりするオレである。


「はぁ……。ほんと、しょうがない甘えたさんだな、おまえは――」


 オレは横になったまま動こうとしない妹から無理矢理に毛布を剥ぐ。それから、キスして起こしてやらない代わりとでもいうか、妹の身体をお姫様抱っこっぽく抱きかかえて起してやる。


「これで勘弁してくれるかっ?」


「いつもいつも、これで我慢させられている気がするのじゃないッ。」


「気のせいだろっ。寝すぎて夢と現実とを取り違えてんじゃないかっ?」


「それは違うのじゃないかしらっ。だって、夢の中では、もっと()()()()()、をしているのだものっ。」


「へぇ、いったいどんなことを?」


「さっき赤ちゃんがお腹を蹴――」


「――聞かなかったことにしておこう。」


 胡桃の話を遮ったオレは、そのまま何事もなかったかのように妹の華奢な身体を運び、テーブルの横に敷いてあるピンクの座布団の上へと座らせる。


「服、着替えるか?」


 母さんセレクトのピンクのパジャマを着ている胡桃に尋ねる。


「着替えさせてくれるのかしらっ?」


「む、り」


「じゃあいいのじゃないっ。」


 拗ねて不機嫌になるわけでもなく、胡桃はいつも通りの平淡な囁き声で答える。それからまだ寝足りなさそうに、欠伸なんかしている。

 座布団の上で女の子座りしながら、ぼーっと半目を開けている妹の横で、オレはテーブルの上のオムライスをそれぞれ胡桃の前と向かいに座る自分の席へと配膳していく。


 用意を終えて腰を下ろし、オレが手を合わせると、胡桃も同じように手を合わせた。


「いただきますっ」


「……いただきますっ……」


 和やかな朝食兼昼食の始まりである。

 スプーンを差し入れて掬ってみると、オムライスの中身はもちろんチキンライス。母さんのオムライスは、卵硬め、チキンライスケチャップ少なめ、鶏肉多め、トウモロコシ入り、てな具合のレシピである。――旨すぎる! やっぱ母さんの手料理は最高だなっ!


 美味しく頂き始めたオレだったが、そこで、ふと、気づく。


「……たべないのか?」


 対面に座っている胡桃が、スプーンも持たずに、じっとオレの顔を見つめてきている。


 ――はぁ……。これもまた、いつものことか……。


「はいはい、わかってますよ、兄ちゃんは」


 オレは呆れて溜息をつく。気を取り直して、握っていたスプーンをテーブルに戻す。テーブルからほんの少しだけ身体を離し、胡坐をかいた足の上にスペースを空けてやる。


「ほれっ――」


 目の前の胡桃に目配せすると、うちの我儘なお姫様は、すぐに腰を上げて、ぽてぽてぽてぽてオレのほうへと近づいてくる。そしてそのまま、オレの膝の上へ、すとんと腰を下ろしてしまう。


「わかってるのじゃないっ」


 照れ隠しの言葉を吐くくせ、満足そうに頬を緩める妹様。


「毎日毎日お前の兄ちゃんしてたら、これくらいは察しがつきますともっ」


 オレは呆れながら、今度は軽く笑みがこぼれる。

 あれもこれもいつものこと。妹を起こしてやるのも、抱きかかえて運んでやるのも、こうして膝の上に乗せてご飯を食べさせてやるのも、全てはいつものことである。


 さて、この際面倒だし、胡桃も気にしないので、オレはオレのスプーンで胡桃のオムライスを掬って、胡桃の口元へ運んでやる。


「はい、あーん」


「あーん」


 胡桃はオレが運んでやったオムライスをもぐもぐもぐもぐ食べている。

 オレはその間に自分のオムライスを切り崩して自分の口へと運ぶ。


「母さんの作ってくれるオムライスは美味しいなっ」


「きょうたろうに食べさせてもらえると、とくに美味しいのじゃないかしらっ」


「おまえってやつはほんとうに……」


 すっかり調子にのって顔をほころばせ、その小さな身体やら後頭部やらを、無駄にオレへと擦りつけてくる、猫みたいな妹様。――朝起しに来てくれる美少女幼馴染なんていやしないし、ましてやラブコメハーレムなんかとは縁もゆかりもないわけだが、こうして甘えん坊な可愛いらしい妹なら存在している。とびっきりに手のかかる、ワガママで甘えん坊な、自慢の可愛い妹、ならな。


「おまえな、いつまでもこんな感じじゃ、厳しい現代社会では生きていけないんだぞ?」


「きょうたろうがいるから平気なのじゃないかしらっ」


「いや、おまえだってそのうち大人になったら独り立ちとかして、就職とか、結婚とか、色々と考えなきゃいけなくなるかもしれないわけで……って、オレがこんなこと言ったって説得力ねぇけど……」


「くるみはきょうたろうと結婚するのですえながくしあわせっ」


「あのなぁ……。いつも言ってるけど、オレ達は兄妹なのであって、結婚とかはできないんだぞっ?」


「するのじゃないっ」


「できませんっ」


「契りはすでに交わされているのじゃないかしらっ」


「そんな契りは交わされていませんっ」


 言いながら目をやると、胡桃はオレの膝の上でたいそう不快そうにむくれている。


 ニートの兄に結婚をせがむ引きこもりの妹。


 妹の将来を案じるオレは、どうにか説得を試みる。


「それに、ほら、オレにだってさ、相手を選ぶ権利があるわけで、素敵で可憐で美少女な、イイ感じの結婚相手が現れちゃったりしちゃうかもしれないわけじゃん? ……って、ニートにそんな可能性あるわけねぇか……。きつ……。……まぁ、とにかくだ、なんにせよ、日本の法律では兄妹での結婚は認められていないわけであって……」


「イヤなのじゃッ」


「イヤなのじゃってオマエ……」


 勢いあまって口調がお乱れになる御乱心な妹様。


 ――いや、コイツの口調がおかしいのは元からではあるんだけど……。


 オレはプンスカお怒りのお口にオムライスを突っ込んでから何気なく問いかけてみる。


「……ところで、もし兄ちゃんが胡桃以外の女の人と結婚したり、日本の法律を盾にとって胡桃との結婚をずっと拒み続けたら、胡桃さまはどうするおつもりで?」


 胡桃は口の中に突っ込まれたオムライスをもきゅもきゅと咀嚼して飲み込んだ後、得意げな声音でこう答えた。


「きょうたろうが他の女と結婚すると言うのなら、その時はその女を殺せばいいのじゃないかしらっ? 法律が邪魔だと言うのなら、その時はこの国を滅ぼせばいいだけなのじゃないっ?」


「――無敵の人かな?」


 聞く前から無茶苦茶なことを言うだろうことは分かっていたが、わりとガチなトーンでそんなことを言ってのけてしまうサイコな妹に、さすがのお兄ちゃんもけっこう引き気味だぜ? ――まったくこんな子に育てた覚えはないんだけどな、って、いや、オレが育てたわけじゃねぇんだけど……。


「「ごちそうさまでしたっ――」」


 くだらない会話を交わしているうちにオムライスは綺麗さっぱり腹の中へと消えてしまい、膝の上の妹と一緒に、そろって手を合わせて母さんと食材に感謝したオレであった。

 食ってる最中も食い終わった今も、がっつりオレの身体へと体重を預けている胡桃の顔を上から覗いてみると、胡桃は眠そうに目蓋を下げてうとうとしている。


「まだ眠いか?」


「……ねむいのじゃ、ないかしらっ……」


「そっか」


 オレは胡桃の身体を再びお姫様抱っこで抱きかかえて、ベッドの上へと寝かせてやる。


 毛布をかけてやると、胡桃は静かに目蓋を閉じる。


「兄ちゃん部屋にいるから、なんかあったら声かけろよっ?」


 というわけで、今日も今日とて自宅警備員(ニート)として妹の生活の保全任務を遂行したオレは、いつものように、「一緒に寝てほしいのじゃないかしらっ」とか言われないうちに、そそくさと部屋からおいとますることにする。


「きょうたろう、いっしょに寝――」


「それじゃ、おやすみなのじゃないかしら~~!」




     ◇  ◇  ◇




 自分の部屋へと戻ってきたオレは即座にデスクトップの電源をポチ、中学卒業祝いに買ってもらったゲーミングチェア――同時に自宅警備員就職祝いともなったわけだが――にドカッと腰を落ろし、立ち上がったサインイン画面にパスワードを入力すれば、センス抜群なデスクトップ(今期イチ押しのアニメ壁紙仕様)が映し出される。


 タスクバーの右端に目をやると、


 ――PM 13:50


 まともな社会的人間であれば、誰しもがなにかしらの用事――仕事やら学業やら家事やらとにかくまともなこと――に取り組んでいる時間である。


「さて、オレも始めますかっ――」


 ところがどっこい、まともな社会的人間とはかけ離れたところに位置づけられるニートであるところのオレは、マウスを動かしMMORPGのアイコンをクリック。すみやかにオンラインゲームの世界へとダイブするのだった。――はやくSAOみたいなフルダイブ型のゲーム開発されねぇかなマジで。発売されたら一生戻ってこない自信あるわ。


 プレイヤー人口の少ない平日昼間にMMOで狩場に籠りレベルを上げ、プレイヤー人口の多い夜間にFPSでランクに籠ってレートを上げる。MMOでもFPSでもソロオンリーの孤高なプレイヤーであるオレにとっては、このムーブこそ最強。――くれぐれも一緒にプレイする友達いねぇだけだろ、とか心無い言葉は言わないように。友達いるニートとかクズだから。友達作れるだけの社会性持ってるクセに働かないとかマジでゴミ。


 さて、今日も孤高のトップランカーとして経験値稼ぎに勤しみますか、なんて、オレは何したわけでもないのに凝ってる肩を回しながら腕を鳴らしてロードを待つ。


 ログインすると、昨日ログアウトした地点からゲームが始まった。課金アイテムでキュートに着飾ったオレのアバター(♀)が映し出され、イヤホン――MMOでもFPSでもソロオンリーで他のプレイヤーとコミュニケーションとかとる気も無いオレにはマイク機能のあるヘッドホンとか必要ない――からはファンタジックなBGMが流れ出す。


 オレはここ数日ずっと籠っている最高レベル帯の狩場に向かう前に、旅支度を整えようと、街に寄ってアイテムを買い貯めることにする。足りないアイテムはないかとインベントリを開く。そこでオレは、()()()()()()()が無いことに気がついた。――おいおい、《経験値アップチケット》が無くなってるじゃねぇかッッッ!


 説明しよう。《経験値アップチケット》とは、モンスターを倒した際に得られる経験値を、通常の二倍にしてくれる課金アイテムである。《経験値アップチケット》は、購入から一ヶ月の間だけ効果を発揮するものであり、つまりは気がつかないうちにその期限が切れてしまったことで、アイテム自体が消失してしまったのだ。


「……しょうがねぇ、買うかっ……」


 二倍とそうでないのとではわけが違う。同じだけプレイ時間を費やしても、取得経験値に二倍の差がつくのだから。労働者の皆さんもぜひ考えてみて欲しい。同じだけ働いたのに貰える給料に二倍の差がつく理不尽を。――そんなの許せるわけねぇよナァおいっ‼ 


 理不尽な労働環境に労働基準監督署を。理不尽なゲーム環境に課金アイテムを。オレは正当な報酬ならぬ正当な経験値を得るために、《経験値アップチケット》を購入しようと課金アイテムの購入タブを開いた。


 しかし、オレはそこで愕然とした。


 ――かッ、かかかかkッ、課金通貨がねぇじゃねぇかッッッッッ……‼


 表示されている課金通貨の額は僅かに二ケタ。これじゃ四ケタはする《経験値アップチケット》を購入することなどできない。――なっ、なんてこったッ……。


 オレは歯噛みしながらキーボードの上の手を握り締めた。


「クソッ! どうしたらッ……はっ――」


 その時、オレの脳裏に天啓が舞い降りた。


 思い浮かんだのは、朝に母さんが残してくれたあの言葉だった。



『――あっ! あとそれからっ、いつも通り何かあったときのために、テーブルの上に一万円札を置いておくからねっ? 遠慮せず、自由に使っていいからっ!』



「これは緊急事態だ――」


 オレは緊急連絡の入った消防士もかくやという俊敏さでTシャツジーンズへと着替え、風のように自室を後にする。リビングに入ればテーブルの上には、一万円札が確かに鎮座している。



『何かあったときのために―― 遠慮せず自由に使っていいからっ――』



 ――母さん、愛してるよ。


 一万円札を握り締めて玄関へと向かう。スニーカーを足に突っかけて扉を開ける。外に出てみれば、青い空では太陽が健やかに輝いている。ニートのオレには眩しすぎるほどのいい天気。――最高の課金ダッシュ日和じゃねぇかッ……!


 二階建ての今風な外観を呈する我が家から外に出ると、目の前に広がるのは古風で和風な玄関前。リビングの縁側から出た方面にはそこそこ広い砂利敷きの和風な庭も広がっている。そこには池もあれば蔵も立っている。四方を塀に囲まれたまるで武家屋敷のようなそこそこ広めの我が家は、古い敷地に数年前に新しい家を建てたためにこのような和洋折衷な景観を呈することになっている。オレは洋風な家屋に似つかわしくない飛び石の上を駆けていき、これもまた違和感たっぷりの瓦屋根付きの和風な門扉をくぐりりぬけて道路へと飛び出した。



 ――待ってろよッ! 経験値アップチケットッッッ‼





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