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誰かが言った。
働いたら負けであると――
いつしかニートは嘯いた。
今の自分は勝ち組であると――
さて、ところで突然で悪いんだが、ちょっと大至急確認させてもらいたい。
ニートの一日といえば、一般人が働いている時間に目が覚めて、母親が用意してくれた飯を食らい、その後思うさま適当にゲームしたりアニメ見たりマンガ読んだりラノベ読んだり好き勝手しているうちに気がつけば夜も更けてて、そんでまた朝が来るまで好き放題しまくった挙句に眠くなったらすぐに寝る――
こんな感じの、はずだよなぁ?
昼過ぎに起きて朝方に寝る自堕落な生活。
ネットにゲームにアニメに漫画にラノベにと現代的娯楽を謳歌する毎日。
職業的にも国民的にも責任とも義務ともかけ離れた自由気ままな特権的身分。
およそ災難な目になんて合うはずもない安息平和な引きこもり人生――
だよなぁ?
そのはずだよなぁ?
じゃあ、なんで……
「う゛お゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉぉぉぉぉぉォォォォォォォォオオーーーーーーーッ‼」
――じゃあなんで、オレは今こんな目にあっているんだっ⁉
全速力でアスファルトの道路を駆け抜けていく。道路脇に立っている制限速度30キロの標識をなぎ倒す勢いで、オレは今、運動不足のこの身体を爆走させている。
――こんな全速力で走ったのいつぶりだよっ‼
買い物途中の主婦の皆さんや、ゴミ収集作業中のお兄さん方が、平日昼間にTシャツ姿で道路を爆走していくオレのことを、変なものでも見たような目で見送っていく。
――そりゃそうだろうなぁッ‼
だがこちとら、止まるわけにはいかねぇんだよッ……‼
なんたって……
殺されたくねぇ、からなァッッッ‼
「――待てまてまてぇーーーーっ‼ まちなさぁーーーーーーーーーーいっ‼」
「――待つわけねェだろバカやろぉがぁッ‼」
オレは爆走そのまま乾いた喉から叫び声を絞り出しつつ後ろを振り返る。
オレのすぐ後ろに、オレと同じように制限速度を大幅に超過しながら爆走してくるヤツがいる。人間離れした速度で追いかけてくるそいつの後ろには、目の錯覚であってほしいんだが、土煙がごうごうと舞っている。――おいおいギャグアニメじゃねぇんだぞッ‼
そう、これは現実、アニメや漫画やラノベのフィクション世界でもなければ、ドラマの撮影でも映画の特撮でもない、これは紛れもなく、ただの現実の出来事なのだ。
――って……。
「スーパーの帰り道に出くわした女騎士に命狙われる、とかそれどんな現実だよッ⁉」
「――いい加減観念して止まりなさいっ‼ 正々堂々わたしと斬り合いなさいっ‼」
「――えぐすぎんだろこんな現実っ‼」
そう、オレは今、追われている。それもただ追いかけられているわけではなく、命を狙われている。そしてオレを追いかけてきているその相手というのは、つい先ほど駅前広場で出くわしたばかりの、美少女騎士、なのだった。――なのだったじゃねぇよッ‼
……なんて言うか? 異世界で民衆から崇められてそうな聖騎士って感じの純白の衣装に金属製の鎧をつけて? 右手に握ってんのはMMOだったらトップクラスのレアリティに位置づけられてそうな聖剣って感じの剣で? そんなガチ勢って感じの装備をした女が? オレのこと地の果てまでって勢いで追いかけてきているわけであって? こちとらTシャツジーンズ買い物袋の初心者日常モブ装備なんですがって話なわけでありましてッ⁉
……えぇまぁ透けるような淡いオレンジ色の長髪とか地球上の生き物じゃねぇだろって感じのアクアマリンみたいな水色の瞳とか見た目だけなら異世界もののアニメに登場する美少女騎士様って感じで最高に萌えられるはずなんだがいかんせんこんな状況じゃいくら美少女騎士だろうと萌えられねぇよなにせオレの命のほうが燃え尽きそうなんだからなぁッ‼
つーか、そもそもッ――
「――オマエはいったいどういう理由でオレのこと殺そうとしてきてんだよっ⁉」
すれ違う通行人も流れゆく町並みも一切合切無視して道路を行き当たりばったりに爆走しながら、オレは背中を追いかけてくる女騎士へと怒鳴りつける。
「――そ、そんなのッ……‼ えっと……。――わっ、わたしだってよくわからないわよッ‼」
「――はぁっ⁉」
「――世界を滅亡へと誘う《七大魔王》の最後の一角、先に討伐された六体の魔王の魂を全て持ち去って《聖魔大戦》から逃亡した《傲慢を司る魔王》《魔王ルシファー》の後を追って、《魔界》の最奥を目指していたら、――そうしたらっ! 気がついたときにはこの見たこともないヘンテコな場所にいてッ……! ……それで、そう……。――自分でもよくワカラナイけれどッ‼ アナタのことがッ、むしょうに殺したくなったのよッ‼」
「――どんな殺人衝動だぁッ‼ 展開が雑すぎるぅっ‼ 意味不明な前半部分をとりあえず無視してやったとしてもあからさまにオレへの殺意だけ脈絡が無さすぎるだろうがッ‼ サイコパスかッ⁉ お前はサイコパスなのかッ⁉ まぁその恰好で街中うろついてる時点で頭は相当にイカレてるわなぁッ‼ ――つーかっ! やっぱ話を戻して前半だッ! 《七大魔王》とか《聖魔大戦》とか《魔王ルシファー》とかその中二病イタタタタな設定の数々はなんなんですかっ⁉ 誰しもそういう痛々しい妄想をする時期ってのはあるもんだがその手の中二病的あれこれは個人の頭の中だけにとどめておくべきものであって」
「――アナタがナニを言いたいのかはよく分からないけれどッ! とぼけようとしたって無駄なんだからッ! わたしの魂に漲る《英力》が感じ取っているものっ! アナタ見た目は普通の人間っぽいけれど、本当は《魔族》の手先かなんかなんでしょっ! だってアナタの魂に、とんでもなく禍々しい《魔力》が宿っているのを感じるものっ! ――そう! そうだわっ! きっと私のこの胸に抑えようもなく湧きあがってくるアナタへの殺意もっ、全部その《魔力》のせいなのよッ‼」
「――OKッッッ‼ すみませんどなたかちょっと警察に通報お願いできませんかッ⁉ 今ぼく現実と妄想の区別がつけられない錯乱状態の女コスプレイヤーに追い掛け回されていましてッ‼ ――いや警察より先に救急車だなッ? いま救急車呼んでやるからよぉっ! 頭ぶつけたのかヘンな薬でもやってんのか知らねぇけどっ! さっさと病院行ってお医者さんに診てもらってきてくださいっ⁉ こちとら《魔力》を魂に宿した《魔族》の手先なんてカッコいいもんじゃなくッ‼ 《働いたら負け》って魂に宿してるタイプのただのクソダサい《ニート》なんだよなあァッッッ‼」
「……《ニート》? なにそれ、ちょっとアナタさっきからワケのわからない言葉ばかり使わないでくれないかしらっ?」
「――オマエにだけは言われたくねぇよッッッ⁉」
「――あ゛ぁ゛ッ、なんだか無性にイライラしてきたわっ! もう怒ったっ! ここがどこかもッ、アナタが誰かも知らないけれどッ、これだけ大規模な《魔族》の拠点が秘密裏に存在していただなんてッ、世界の平和を脅かす重大事よッッッ! ――アナタもろともこの町ごとッ、全部まるごと消し飛ばしてくれるんだからッッッ‼」
「――テメェ言ってることが《魔王》じゃねぇかッッッ‼」
「――問答むよぉーーッ‼」
突然、オレの背後で空気が破裂したような凄まじい爆発音が轟いた。
オレは後ろからの風に吹かれながら、「なんだなんだっ⁉」と首を捻って後ろを見る。さっきまで十数メートルは距離があったはずの女騎士が、弾丸みたいな超低空飛行でオレのすぐ後ろまで迫ってきている。
「まじかよっ⁉」
「そっちにやる気がないならこちらからいくまでよッ! 殺されたくないのなら抵抗してみなさいッ! ほらッ――」
「ヒィっ⁉」
走るオレの背中めがけて女騎士が剣をふるってきやがったっ⁉
「せいッ――」
「うわぁっ‼」
「やぁッ――」
「ぬるぅあぁっ⁉」
女騎士が次々に振るってくる剣を、オレは飛んだり跳ねたりしながら切先数センチのところでどうにか躱し続ける。
――くっそがッ‼ ふざけんなよッ‼
このまま逃げていたって追いかけっこが続くだけで埒が明かない。つーか、さっきから道行く人々の視線が痛すぎる。とは言え人目につく街中で、このクソうるさいコスプレ女と取っ組み合いなんか始めたら、それこそ余計に目立っちまうだろうし……。
オレはせめて人目から離れようと、田畑が広がっている町外れの方向へと舵を切る。
住宅街を抜けて畑に囲まれた細い農道へと突入。土埃を上げながらF1なみのデッドヒートを繰り広げるオレと女騎士。長閑な農道に響き渡るのはブレーキ音でもエンジン音でもなくオレと女騎士が爆走しながら放つ奇声である。
「――キョェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェーーーーーーーーーーーーーーッ‼」
「――ブ゛ル゛ゥ゛ゥ゛ゥ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァーーーーーーーッ‼」
――もうナニがなんだかわかんねぇなぁお゛い゛ッ‼
ふと、前を見る。
田畑が広がる向こうに、森のようなものが見えている。
あれは隣の市との市境にある緑地公園。――おいおい、すぐ隣って言っても、気がつきゃこんなところまで走ってきちまってたのかよっ……。
けど、まぁ、ちょうどいいかッ――
「ぬ゛う゛ぉ゛ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉォォォォォォオーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ‼」
オレは女騎士に追われながら、緑地公園へと爆走した。
◇ ◇ ◇
爆走、終了――
「はぁッ――はぁッ――はぁッ――はぁッ――‼」
「ふぅっ……ふぅっ……ふぅっ……ふぅっ……‼」
オレは曲げた膝に両手をついて、息を切らせながら屈みこんだ。顔をあげるとオレの数メートル前で、女騎士も同じように息を切らせている。
緑地公園に逃げ込んだ後、オレはそのまま人けのない平日昼間の公園内を駆け抜けつづけた。緑地公園の敷地内には、市西部にあるダム湖に端を発する一級河川が流れ込んできている。オレは足を止めることなくその川沿いを下流に向かって爆走、そうして、ようやく足を止めたこの場所は、周りに人っ子一人いない雑草だらけの河川敷だ。
「ようやく、わたしと戦う気になったようねっ!」
女騎士は息を整え終えると、オレのほうへ身体を向けてその背筋を伸ばした。
「戦う気に、ってよぉ……」
オレは額の汗を右腕でぬぐいながら、背骨をぐっと伸ばして女騎士と向かい合う。
女騎士はその細身に似合わない堂々とした立ち姿でオレと対峙している。二次元美少女キャラクター、って感じのその綺麗な顔で睨まれても、正直言って怖くはねぇ。だがその右手に握られている剣は、たしかに人を殺せそうな、鋭い輝きを放っていて……。
やれやれ、本当なら今すぐにでも警察に連絡して、しかるべき公的機関の職員にでも保護しに来てもらいたいものである。だがしかし、オレとしてはまぁ、一応、確認しておかなきゃいけないこと、もあるわけで……。
「――おいオマエっ! 今さらだけど一応聞いておくっ。オマエはただの、コスプレ女、ってわけじゃ、ねぇんだよなぁっ?」
問いかけるオレの視線を、女騎士は敵意剥き出しの鋭い眼光で睨み返してくる。
「アナタの言うその、コ ス プ レ って言葉の意味が、いったいどういうものなのか、私にはよく分からないけれど、もしもそれが、わたしの実力を見くびっている、というような意味であるのなら、下らない心配はご無用よッッッ?」
女騎士は、さも真剣そうな顔つきでそんなことを口にする。それから続けざま、その右手に握っている剣を、天へと向かって、高々と突き上げた。
そしてオレの目の前で、その剣を、一振り、薙いだ――
瞬間、河川敷全体に強烈な衝撃波が広がった。大気を震わすほどの轟音が鳴り響き、同時に、オレから見て左側に流れている川の水が、まるで水底で不発弾でも爆ぜたかのように爆散する。川の向こう岸に広がっていた雑草が、細切れになって宙に舞っているのが、オレの視界の端に映っている。
爆ぜた川の水が降らせる冷たい天気雨を浴びながら、オレは後ろ首に手をあてた。
「まったく……。こりゃぁ、 ホ ン モ ノ だなぁ……」
呆れたオレの顔はきっと、面倒なモノでも見たような表情になっていたに違いない。
「――御託はもう結構よッ! さぁっ、構えなさいッ‼」
威勢よく吠えながら女騎士は剣を正中線へと構える。まったく隙を見て取ることができないような凛々しい剣士の立ち姿って感じで、オレのことを見据えてくる。
「はぁ……」
一方、オレは嘆息を漏らし、肩も首もガクッと落とす。我が左手に携えたるは食材でパンパンのスーパーのビニール袋。隙しか見て取れないようなだらけたダメ人間の立ち姿で、女騎士の真剣な表情を投げやりに見つめ返すのみ……。
さて、どうしたものか、女騎士はそんなオレの態度を、交戦の意志あり、と受け取っちまったらしい。女騎士は凛とした面構えで、朗々と声を響かせ始めた。
「――我が名は〝アリシア・エーデルワイス〟。世界を滅亡から救うため《神界》によって聖選されし《救世の七聖騎士》の一人に列せられ、《大天使ミカエル》様の《英力》をこの身に賜り、そして祖国、《グランディア》の王家に伝わりし秘宝、《星剣群プレイアデス》の至高の一振り、《星剣アルキオネ》を王より直々に拝受した、《最強の聖騎士》、《七聖騎士団聖騎士長》とは、――この、わたしのことよッッッ‼」
そして、自称最強の聖騎士、七聖騎士団聖騎士長こと、アリシア・エーデルワイスさんは、オレへと向かってこう言った。
「――さぁ、騎士道よ。アナタも名乗りなさいっ?」
次々と飛びだす中二病的設定のあれこれに頭をくらくらさせながら、オレは女騎士のことを見つめていた。――どうしてこんなことになってしまったのやら……。なんでオレがこんな目にあわないといけないんだ? こういうのって普通、『勇者』とか『異能力者』とか『魔法使い』とか、そういう主人公っぽい肩書を持ったヤツらが直面すべき状況なんじゃねぇの? そんな大層な肩書、オレは背負っちゃいないんだがな……。
なんたって、オレは――
オレは呆れ切りながらも、お望みどおりに名乗ってやることにした。
「オレの名前は――」
◇ ◇ ◇
オレの名前は逆神杏太郎。
年齢 十八歳。
性別 男性。
住所 実家。
学歴 中卒。
職歴 無職。
現在、ニート。
お前ら、一般的な履歴書の最後の欄が何か知ってっか?
備考かな、とか思ったヤツは、履歴書エアプの就活童貞クズ野郎か、知ったかかます生意気なクソガキだ。
答えは、『本人希望記入欄』。
就職先へと自分の希望を伝えるための、社会的弱者たるプロレタリア達に与えられたなけなしの欄である。
履歴書っぽい流れで自己紹介した流れにのっとり、オレはこの欄でもって、お前たち現代社会へと訴えかけたいことがある。ニートをクズだのゴミだの生きてる価値が無いだのと誹るお前らに対してだ。
クズでゴミなニートでこのあるオレが、本人希望記入欄に綴る文句はこう――
『 ニートだけど、たまに世界、救ってます。 』
命がけで世界救ってみても年中無給。
こんなオレ、勝ち組ですか?