続編・初めまして旦那様。約束通り離縁してください ~溺愛してくる儚げイケメン将軍の妻なんて無理です~
こちらは【短編・コミカライズ10/31発売】初めまして旦那様。約束通り離縁してください ~溺愛してくる儚げイケメン将軍の妻なんて無理です~の後日談です
前作はこちら
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1.
「レティシアは私の妻です。誰にも渡さないし、離縁は絶対にしない……! お引き取りを」
「レティシア、こんな甲斐性のない男と別れて俺を選べよ。帝国では、お前の望む物を望むだけ与えてやる」
(私が欲しいものは心の平穏と、のんびりライフなのですがああああああああ!! なんでこうなったの!?)
時は遡り、早朝魔法都市駅ホーム内。
私と元将軍であり現在離婚保留中の旦那様、セルジュ様と一緒に行動をしていた。
「(予定とは違うけれど)着いた、魔法都市!」
「(レティシアが可愛い。可愛すぎる)そうですね。では手続きをしてから、お昼にしましょうか」
「はい」
セルジュ様は私のトランクを持って、しれっと手を繋いできた。側からみたら紳士的かつ、素晴らしい対応に見えるでしょうね。でも実際は、私が隙を見て一人行動しないためトランクという人質を取り、手を繋いで見失わないようにしている。くっ、相変わらずの策士だわ。
「列車の中だったから一人での行動にも目を瞑ったけれど、魔法都市は人混みも多いし、レティシアは可愛いからね、攫われないように私の傍を離れたら駄目だよ」
「そんなことはないんじゃ……」
ちゅっ、と頬にキスをする。またしてもサラッとした!?
黄色い声と凄まじい視線を感じて周囲を見渡すと、目がハートの女性陣が……。なんだろうすっごくデジャブ。確かに今ここで一人になったら、女性陣の誰かに刺されかねない。実際に暗殺者まで雇って、将軍の妻を殺そうとしたのだから楽観視はできないわ。
「……最初から波瀾万丈そう」
「しょんぼりするレティシアも可愛いですね」
「ちょっと黙って……」
セルジュ様は黙ってくれたけれど、私をギュッと抱きしめる。
(うん、逆効果。そしてなんで周囲の女性陣を煽るような発言を……って、あれ? なんだか青い顔をしてみんな去って行く。え、どうして? セルジュ様がなにかした?)
セルジュ様の顔を覗き込むと?待っていましたとばかりに、唇が重なる。
「──っ!?」
「レティシア、愛しています」
蕩けるような甘い声に、とびきりの笑顔。
公共の場でなんてことを……。本当に自由だし、言動がいちいち軽すぎる。早くも魔法都市で平穏な生活は難しい気がしてきた。
普通なら夫婦仲良く引っ越し先に向かう状態なのだけれど、私とセルジュ様との関係はちょっと複雑だったりする。
元々両家同士が勝手に婚姻話をまとめたため、私とセルジュ様は一度も会うことなく結婚。そして五年間一度もお会いする機会はなく、お飾りの妻だった。
私は実家の借金を返すため奮闘し、返済後は両親と絶縁、セルジュ様とも離縁するつもりだった。
「五年間、一度も会ったことのない将軍のお飾りの妻」と社交界で散々陰口を叩かれて、義実家では商会の従業員として馬車馬のように働き、両親は常に金の無心。「やってられるか!」と全てを放り出して逃げる道を選んだのは色々限界だったし、借金も返し終わるからでもあった。
英雄となったセルジュ様と離縁するつもりで手紙を送り、同時に王都から魔法都市に逃亡──のはずが失敗。
ストーカー気質のセルジュ様に捕まり、いろいろすれ違いや誤解などもあり、思っていた以上に愛されていて(?)最終的に離縁は保留。魔法都市で一緒に暮らしながら、魔法使いを目指すことになったのだ。
「(……なんだろう、思い返したら、本当にこの選択肢でよかったのかしら? 若干不安になってきたような?)うーん」
そんなことを思いつつもホームを出てすぐ傍の役場で、引っ越し諸々の手続きを済ませる。セルジュ様が事前に書類を郵送していたらしく、私の用意した紙は使わずにトントン拍子で手続きは済んだ。
結局、用意していた離縁届の出番はなく、手続きは完了。時計の針は十二時過ぎと少しお昼を過ぎたぐらいで終わってくれた。
「セルジュ様のおかげで、手続きがすごく早く感じました!」
「そうですか?」
「はい。私の場合は確認や手続きとか言われて、結構待たされることが多くて……」
セルジュ様はにこやかに笑っているけれど、スッと目に仄暗い色が帯びた。
「なるほど。……もう王都の役場を利用することはないですが、一度きちんと苦情を入れておきますね」
「あ、……はい」
時々スイッチが入ったかのように、セルジュ様の雰囲気が変わる時がある。両親や義実家、使用人にまでキッチリ制裁してきたと言うのだから、敵に回したらいけない部類の人だと思う。素早く伝言鳥を何処かに飛ばしていたし、深く聞くのが怖いので見なかったことにした。
「さて。お昼ですが魔法都市は海も近くにありますから、魚介もとても美味しいですよ」
「……新鮮なお魚!!(もしかして海老フライもあるのかな?)」
「(目を輝かせてなんて、可愛いんだろう)シュリンプなら美味しい店があるのを知っているよ」
(何も言っていないのに、ピンポイントで当ててくるの!? 怖っ!)
もういろいろ考え込んだら迷宮入りしそうなので、セルジュ様は千里眼を持っているのだからしょうがない、と思うことにした。
「(また面白いことを考えていそうですね。私が千里眼を持っているとか──まあ、そんな能力なんてないのだけれど。私がレティシアの心がわかるのは、君の言動を注意深く見ているから、一つでも多く君の仕草を見逃したくない。五年間、会えなかった分を取り戻さないと)千里眼はないけれど、レティシアのことなら大体のことは分かるかな」
「ひゅっ……心を読まないでください!」
「今の顔も新鮮で可愛い。愛しています」
(人の話を全然聞いてない! そして付き纏う犯罪臭……! そのうち語尾がアイシテイルになるんじゃ?)
ちなみに約数十時間前に「初めまして」をした旦那様──セルジュ様は、私が五年間欠かさずに手紙(近況と借金返済額の報告)と贈物という名の試作品を送っていたことに対して、何故か高く評価している。美談にしようとするので、とても心苦しい。
セルジュ様の脳内では五年間待ち続けてくれた献身的な妻と、とんでもなく都合の良い聖母みたいな人物像が出来上がっている。ダレダソレ、間違っても私ではないわ。そんな仏様、聖母様って実際にいるのかしら?
離縁……と思いつつも、私のために将軍になって生活を裕福にしたいとか、暗殺者から守ってくれて、私がなんの気無しに送った物を後生大事にしているのを聞いていると、情が移るわけで。
あと最初は動揺していたから、気に留めていなかったけれど、セルジュ様の甲冑姿は正直言って格好良かった。素晴らしい。
前世では騎士の甲冑や武将が好きだったので、初対面ではそれどころじゃなかったけれど、もっと堪能しておけば良かったかも。
「ん?」
「どうかしましたか、レティシア?」
「そういえばセルジュ様って荷物がないように見えるのですが……。甲冑や着替えとかはどうしたのです?」
手荷物は私のトランク一つだけだ。セルジュ様は「ああ! これは見せたほうが早いですね」とトランクを持ち上げた瞬間。トランクが別空間に吸い込まれしまった。あっという間の出来事に数秒ほど固まった後、アレがなんだったのか気づく。
「もしかして今のって、亜空間収納魔導具ですか!? 初めて見ました!」
「ぐいぐいくるレティシアが可愛すぎる。ついでに抱きしめても?」
「セルジュ様、どうなのですか?」
「レティシアからキスを──」
「私からキスしたら教えるとか強要するなら、離──」
「ご推察の通り、収納空間魔導具の一つです。私の場合は腕輪型ですが、レティシアも欲しいのならお揃いで買いますか?」
「え。いいのですか!?」
「(あー、魔法関係の話をしている時は懐いた猫みたいに可愛い)もちろんですよ。私たちは夫婦なのですから」
(夫婦……。お揃いの物か)
魔導具の中でも空間魔法を応用した収納空間魔導具は、各国でも大人気商品だったりする。元々魔導具第一主義のアルマダ小国が考えた魔導具だ。魔導具の原料となる魔鉱石は、リオルネ王国でしか手に入らない鉱物のため、友好国として国交を開いていたのだけれど、アルマダ小国の王太子が「交渉するよりも魔導具の武器を大量に作って、リオルネ王国の領地を奪えば良い。後には帝国もいる怖いものなどない」とか言い出したという。
本来なら周囲が止めるのだが、最悪なことにその王太子は第一級禁止魔導具を持っていたため、止めることができなかった。終戦に五年もかかったのは、背後に帝国も控えていたこと、そしてアルマダ小国の王太子が愚かにも第一級禁止指定魔導具、悪夢を全解放してしまい、国民全員が強い洗脳状態で解除できなくなってしまったからでもあった。
洗脳された国民たちは、自国民以外の人間は全て化け物と認識したため、交渉すら絶たれてしまった。
最悪の戦場。
セルジュ様を含めた兵士は化物扱いされながらも、最初の一年は最小限の犠牲で、解呪する方法を模索していたという。それができなくなってしまったのは、洗脳状態の悪化と、無差別に暴れ回りリオルネ王国の集落に被害が出てしまったからだ。
『……手紙と贈り物を欠かさずに贈ってくれたことがキッカケです。毎日、他国の人間との殺し合いで疲弊していくのは、体力以上に精神が摩耗していきます。何かを糧にしないと、あんな地獄に長年足を付けていられない。……レティシア、貴女からの贈り物はいつも日常的で、何処にでもありふれた素朴なものでしたが、だからこそ心が折れることも、歪むこともなく、有り体に言って救われました』
話を聞くだけでも酷い戦いだった。最前線にいたセルジュ様の心が歪まなくて良かったと思う。手を繋いだ時も思ったのだけれど、指先は男の人って感じで皮膚が厚くて、よく見ると刀傷の痕が薄らとあった。
出会い方はアレだったけれど、やっぱりこの人は英雄で、将軍で……大魔法使いの称号を持っていて、ストーカー気質でちょっとズレているけど、私の旦那様なのよね。
手をにぎにぎしながら労っていると、セルジュ様の頬がほんのりと赤く、目を細めていた。
「レティシアが積極的になってくれて嬉しいです。キスでも添い寝でも、膝の上でも幾らでも言ってくださいね」
「(期待の眼差しの圧がすごい)まずは、ご飯を食べてからです」
そう言って腕を引っ張って歩き出す。セルジュ様はそれが嬉しかったのか、終始照れていた。恋愛に関しては、もしかしたら若葉マークなのかもしれない。でも女性経験とかなんかこなれている気がしなくもないような気がする。
数秒ほど考えたけれど、すぐに魔法都市の町並みに心を奪われる。
「わあ!」
硝子張りの飾り窓には様々な商品があった。王都では大抵ドレスや宝石なのだけれど、さすがは魔法都市。魔法薬に杖、箒に鍋、魔法関係の本屋、服もドレスよりはローブや魔法礼装などの軍服のような格好いいデザインの服がある。
焦げ茶の石畳に、木炭色の建造物などいかにもファンタジーっぽい外観で、心の中で盛大な拍手喝采を送った。箒や鍋、絨毯に乗って空を飛ぶ姿も想像した通りだ。
「わあ。セルジュ様、セルジュ様! 凄いですよ」
「うん。目をキラキラさせるレティシアが一番可愛いな。ギュッと抱きしめたい。愛しています」
「あ。時計台があります! すごい。近くで見ても?」
「ぴょんぴょん跳ねて、そのままの勢いで私にギュッと抱きついても良いですからね」
自分の欲求に正直なセルジュ様をスルーして、時計台の近くに着くと、待ち合わせをしている人たちが利用しているのか、結構な人が居た。元の世界で最古と呼ばれるスイスの時計塔を思わせるような、いくつもの円状が重なり合った時計台が目に入った。数字以外に、古代魔法文字や星座や魔法元素など、様々な紋様と絵の組み合わさって、芸術的な美しさと荘厳さに震えた。
巨大な時計の左右には六大精霊と、四大季節神の人形が、時計の秒針に合わせてゆっくりと動いている。
「さすが魔法都市。六大精霊と、四大季節神の人形もそれぞれの属性の色や小道具を使っていて、面白いですね。あ、セルジュ様の冬魔法は氷の結晶で可愛い。私はこのどれかの魔法を使えるようになるのですね!」
「うん。この都市は特に六大精霊や四大季節神信仰に厚いし、研究も進んでいる。これからレティシアの属性もハッキリするだろうし、そうしたら属性にあった魔法知識や術式構築を覚えていこうね」
「……はぃ」
手の甲にキスをしながらも、言っていることは魔法学に携わる講師のような口調だったので、反応に困ってしまう。
(ところ構わずキスすることを嗜めたいけど、夫婦のスキンシップなら、このぐらい普通なのかも? ……言っていることは大魔法使いらしく、もっともなことだわ。反論するようなことでもないけれど……うーん、夫婦で、師弟って珍しいような。でも大魔法使い自ら教えてもらえるのは、すごいことだし……)
「返事は?」
「(こういう時、講師らしいことを言い出すのは反則だわ)……はぁい」
セルジュ様のキスは、彼の感情が揺れ動くたびにしてくる。些細なことでも喜んで、頬を染めて嬉しそうにするし、あまりにも塩対応しすぎると、子犬のように目を潤ませて泣きそうなあざとさを出す。最初は素っ気なくしていたけど、あれは離縁前提だったわけで……。
今は夫婦としてやり直そうって決めたのに、素っ気ない態度ばかりじゃダメだ。……とはいえ、いきなりセルジュ様並みのスキンシップや愛情表現は難しいので、私のペースで好きな気持ちを伝えていこう。
「セルジュ様、私──」
「やっと見つけたぞ! 運命の人!!」
私の決心に水を差した男は、唐突に真っ赤な薔薇の花束を渡そうとして来た。セルジュ様が一瞬で私を抱き上げて回避したけれど。
(え、なに!? そして誰!?)
2.
唐突に現れた男性は、肩まである黒髪に緋色の瞳、貴族風の装いだけれど、眼帯が目に入ってしまい粗野な言動も相まって、海賊の印象が強い。
豪快かつ自信満々の男性は、ハッキリ言って美形だ。セルジュ様がスラっとした細マッチョかつ知的な月夜が似合う将軍、いや魔法使いだったとして、この方はまさしく真昼、王道といった元気溌剌、威風堂々の言葉がピッタリだったりする。
「……人違いでは?(どうか人違いでありますように!!)」
「運命の相手を間違えるものか! レティシア・ロワール。俺と結婚してくれ!」
(旧姓、しかもフルネーム!? 人違いじゃない!?)
唐突なプロポーズに、周囲の視線が私たち三人に集まる。
どなたか、どなたか、お集まりのお客様の中で、私と立ち位置を変わってくださる奇特な方はいませんか!?
──って、ご令嬢と思われる方から、平民のお嬢さん、ローブを羽織ったお姉様系魔女様(?)まで、鋭い視線をぶつけてきた。怖っ! むしろ「その位置変われ」って言われている気がする。
亡き者にされかねないと、セルジュ様の腕に引っ付く。今迷子になったら、確実に刺される。亡き者にされるのは嫌!
その元凶とも言えるセルジュ様に抱きついたら更にヘイトを集めそうだけど、今の私には1000パーセント味方の存在が大事なのです!
セルジュ様が嬉しそうにニッコニッコなのは、なんかちょっと腹立つけど夫として矢面に立ってもらおう!
「レティシアは、私の妻です。誰にも渡さないし、離縁は絶対にしない……! お引き取りを」
「レティシア、こんな甲斐性のない男と別れて俺を選べよ。帝国ではアンタの望む物を、望むだけ与えてやる」
「(私が欲しいものは心の平穏と、のんびりライフなのですがああああああああ!! なんでこうなったのぉおおお!?)……そもそも貴方はどちら様ですか? 初対面ですよね?」
もしかしてセルジュ様に続く、ストーカーさんだろうか。黒髪で緋色、しかも眼帯かつ色香が半端ない偉丈夫なんて存じません。仕事でも社交界でも会ったことないはず。
「あの時は死にかけていたし、前髪も長くて顔を見せていなかったな。今から三カ月前に迷いの森で俺を助けただろう? 毛布とホットミルクとブランデーが入った魔法瓶を貰った男だ」
「……迷いの森? あ、もしかして体が半分凍りかけていた自殺志願者の人!」
「そうだ! というか、とんでもない覚え方だな!? でもあの時は助かった! ありがとな!」
「レティシア、自分が大変な時に……」
「助けてくれた時に惚れた。必死に声を掛けて、氷も溶かして……。世の中捨てたもんじゃないって、レティシアのおかげで思えたんだ」
(良い話にしようとしている!? デジャブ!? いやいや私が丹精込めて育てていた薬草畑のすぐ側で死にかけていたから、全力で阻止したかっただけなのだけれど!?)
どうしてこうセルジュ様といい、この偉丈夫といい美談にしようとするの!?
ギャラリーも増えてきたので、落ち着いた個室でご飯を食べつつ、穏便にお断りしようと考えていたのだけれど、そのフェーズは一瞬で通り過ぎてしまった。
なぜか。
答えは簡単。
セルジュ様が偉丈夫に手袋を投げつけたから。手袋を投げるはイコール決闘の申し込みを意味する。
(のああああああ! なにしてくれているの!?)
「レティシア、安心してください。私が全力でお守りします」
「その前に話し合いっ! 交渉!」
「実力行使ってか。分かり易くていい」
「貴方も、なんでノリノリなの!?」
そう窘めるが、空気が張り詰め──凍り付く。
周囲から喧騒が遠のき、セルジュ様から笑顔が消えた瞬間、手を翳しただけで白銀の甲冑と黒のマント、そして指先には籠手、装飾の少ないロングソードを手にする。
(か、格好いい!! なに今の!? 某戦隊ものの変身とは違うけれど、一瞬で武装還送する演出は狡い!)
本物の将軍みたい、とはしゃいだが本物の将軍だったと思い出す。
初対面で甲冑だったセルジュ様も格好よかったけれど、あの時はそれどころじゃなかった。
(──って今もそれどころじゃないけれど!)
そして偉丈夫も同じように手を翳すと、黒と赤の軍服にサーベルと回転式拳銃! こっちはこっちでダークヒーロー的かつ拳銃とサーベルというチョイスが素晴らしい。悪っぽい海軍将校とかなら尚良い。
(──って、そうじゃない!)
そう思ったが、時既に遅し!
止めようにも二人が速い。双方がぶつかり合う──まさにその時、ぐうううううううう、と空気を読まないお腹の音が鳴り響く。いや凄い音だった。誰かって、そう私です。
ぐうううううう……。ぐうううううううううぎゅるる……。
空気を読まない私のお腹。
「「「…………」」」
お腹の音でその空気が和らぎ、決闘の雰囲気をぶち壊すに至った。恥ずかしい。恥ずかしくて死にそう。
うう……死にたい。恥ずかしすぎる。
きっと私は「腹ペコ夫人」なんて呼び名になるんだわ。
「レティシア。そんなにお腹が減っていたなんて、気づけなくてごめん……。腹ペコ夫人にはさせないから、ね」
「セルジュ様……」
「あんな音、普通はしないぞ。ちゃんと食べているのか? 倒れたりしないか?」
(労いが余計に辛い……)
本気で心配されて羞恥心で死にかけたけれど、これはこれで、良かったのかもしれない。うん。何事にも犠牲はつきものだもの。
その後、心配性なセルジュ様に強制抱っこでレストランに移動。話を聞くため、眼帯の偉丈夫にも同行してもらった。これはこれで結果オーライだったと思う。グッジョブ私!
3.
「エビフライ定食!(生きてて良かった!)」
前世で食べたきりの海鮮料理に、感激で泣きそうになった。王都でも魚料理はあるけれど、鮮度が違うし、エビやカニなどは輸送が難しいので王都のレストランで出すのは輸送代が高すぎて難しい。王侯貴族なら別かもしれないけれど、借金持ちの侯爵家で贅を凝らした料理が出た記憶はなかったわ。
だからこそ、港が近くにある魔法都市の料理は楽しみにしていたのだ。そして予想以上に豪華かつ大盛りの料理が運ばれて来た。
大皿にメインのエビフライが二尾、白身魚のフライ、しゃきしゃきキャベツ、ご自由にどうぞのソース、最後に白米!!
「んんー! ガイドブックにあった通り、白米だわ!」
「極東の米は品質が良いが、売る店を決めているって変わり者の国だからな。利益よりもその店って決めるらしい」
「へえ。詳しいのですね……ええっと」
「コウネリウスだ。帝国軍魔導騎士団副団長、コウネリウス・アズールディア・フォン・デイル。皇弟でもある」
「「は?」」
自己紹介の情報量が多すぎて、思考回路が停止し掛けた。
「皇弟……」
「ああ。兄とは腹違いだがな」
「行き倒れに……?」
「そういえば戦争が終結したのは、帝国軍の援軍もあったからだったけれど、その時に最高責任者が体調を崩して……それは貴公か?」
「あー、まあーなんだ。俺はずっと水属性だと思っていたんだが、どうやらその上位互換の冬魔法の使い手だと覚醒してだな……」
「……ああ、なるほど(それで魔力コントロールができず、肉体と精神を蝕みながら死を望み、祖国に戻ろうとしていた途中で力尽きて……いや無意識に春魔法の使い手を求めて?)」
「コウネリウス様も、セルジュ様と同じ冬魔法なのですね。同じ属性、しかも四大季節神の属性って凄い」
レストランはセルジュ様が予約していたらしく、個室で調度品や落ち着いた雰囲気の内装がまた良かった。小洒落た飴色のテーブル、オレンジ色の照明なのもいい。
食事も美味しいし、決闘も回避できた私は呑気に食事を楽しんでいた。
ここまでは──。
「ん? レティシアの属性のほうが珍しいんじゃないか?」
「私ですか? そういえばまだ魔法の属性診断していないのですよね。なんの魔法が使えるか楽しみです」
「ええ、この後にでも属性を調べてみましょう」
「は? どう考えても冬魔法の使い手を癒すんだから、春魔法の使い手だろう?」
「え?」
春魔法。四大季節神の持つ奇跡に近い四大最上級魔法の一つ。
冬魔法と夏魔法は攻撃特化、秋魔法は豊穣と収穫などの恩恵と重宝されるものの、春魔法についての記述は少なく、説明も「ふわっとして心地よい癒しを与える」程度で何の役に立つのかサッパリ分からないのに、最上級魔法扱いされている不憫なものだと思っていた。
でもそれだけじゃない?
そもそも私がどうして、春魔法の使い手だと思われているの?
「私、魔力適性はあるけれど、まだ属性診断していないわ。どうして、コウネリウス様は断言できるの?」
「冬魔法の使い手は、その圧倒的な魔力量と攻撃特化の性質もあって、魔法を行使するほど心、あるいは肉体を凍らせて死に至る。故に覚醒したら最後数年で命を落とす」
「え」
「ただし、これは記述にも載っていないが、春魔法の使い手が傍にいる場合のみ、命を存えることができる。理屈は分からんが、春魔法の特性があやふやなのも恐らくは特性の一つなのだろうな。俺の予想としては確定された結果を改竄、あるいは書き換える。つまり因果律操作が春魔法の能力だと考えた。現に俺の溶けないはずの氷を溶かしたのは、レティシア、アンタだ」
「わたし……?」
「意識的か、無意識かは知らないが、常時発動型なのかもな。そういった無自覚な部分もあるから春魔法の使い手は、自身でもその覚醒に気付かずに生涯を終えるのかもしれない」
コウネリウス様が語る中、頭がぐわんぐわんと揺れているような感覚に陥った。いつもなら魔法の話で嬉しくてウキウキするのに、血の気が引いていく。
そして同時に、どうしてセルジュ様が私と離縁したくないのか、その理由がハッキリとわかった。凱旋パレードの中止をしてでも、私を引き留める理由。
できるだけ私に触れようとしてくる訳。
私を──特別だと言ったのは本当だったのだろうけれど、本心では──。
疑問だったピースが全て収まるべき所に収まった感覚だった。納得、超納得。
(なあんだ。そっか~~~~~。だよね、私のような地味で冴えない女……セルジュ様が選んだ理由はちゃんと、あった。合理的で、当然の帰結だわ)
チクリ、と胸が痛んだ気がしたけれど、きっとそれは気のせいだ。だって散々、可笑しい、あり得ない、騙されている、殺されるかもしれない──なんて疑っていたのだから。
好きになり始めていたなんて、絆されそうになっていたなんて、ありえないわ。私は都合良く利用されて、使い潰れてきた。抜け出せたと思っていたけれど、違っていたのかも?
五年以上前からずっとそうやって私は使われて、利用されてきた。だから自分のことに自信がない。いつも非難と罵倒と、嫌味ばかりが聞こえてくる。
何かを成しても誰も褒めて貰えないというのは辛い。辛かった。
誰も居場所になんてなってくれなかったけれど、セルジュ様だけは──。
『やっと抱きしめられた。……レティシア、ただいま戻りました』
『戦争が終わったら、レティシアに言いたいとずっと思っていた言葉です。出立は何も言えないままでしたから、せめて帰ったらと、ずっと思っていたのです』
そう言ってくれた。
(それだけで充分じゃない。私と一緒に居たい理由もハッキリしたし、打算込みで離縁したくないと、少なくとも嫌われていないのだから、それで充分──)
「レティシア、私は貴女が春魔法の使い手でから好きになったのではないですよ。私が好きになった人が実は春魔法の使い手だった、それだけです。そもそも私が冬魔法の使い手として覚醒したのは一、二年前。私が貴女を好いたのはもっと前ですから」
相変わらず私の心の中をまるっと読んでくるセルジュ様は、いつも通りだ。
「それとレティシアは地味で冴えない女ではなく、最高に魅力的で愛らしくて、可愛くてしょうがない世界一の嫁です」
「臆面もなくよく言えますね……」
「本心ですから」
セルジュ様はドヤ顔で答える。あまりにも正直に、恥ずかしげもなく言ってのけるのだ。そして言ったことは絶対に完遂する。
「だから、皇弟が出てこようと関係ありません。色々引っかき回そうとして、レティシアの心を揺さぶって傷つけるのなら帝国に単身で滅ぼしに行きますよ」
「はははっ、面白い冗談だな」
(寒っ! 唐突に部屋の温度が極寒レベルに!?)
自分のことで精一杯だったので気付かなかったけれど、よく見たらセルジュ様の額に青筋が浮き出ている。ブチ切れているじゃないですか。
あ、グラスが凍り始めた。
「それで帝国側は夫婦の間に割り込んで、離縁あるいは強奪でもする気かな? 考えが蛮族過ぎて理解出来ないのだけれど」
「夫気取りなのは肩書きだけにしておけよ。この五年、妻を守りもせずズタボロにしていた癖に今さら虫が良すぎるんじゃないか? 俺がレティシアを幸せにしてやる」
「君には無理だ。レティシアを傷つけることで私を貶めるやり方をする人間に、最愛の妻を渡す訳がないだろう」
冷え冷えとした言葉の応酬。いや魔力が暴走しつつあるのか、この空間内がどんどん冷えていく。どうにかする方法。
「二人とも、こんなところで言い合いは──(ダメだ、私の声が届いていない!!)」
ヒートアップしている二人の目は鋭く、ガラス玉のように無機質だ。このままじゃダメだということだけは分かる。
(でもどうやって止めればいいの? 春魔法の使い手かどうかも分からない。魔法の使い方も分かっていない──でも、何かしないといけない気がする。何かそれらしい魔法名を口にすれば?)
咄嗟に思ったのは、列車の中でセルジュ様が見せてくれた幻想的な魔法だ。指を鳴らす動作を真似てイメージする。前世で思い出す春と言ったら、桜吹雪のイメージだろうか。
見る者の視線を奪い、魅了する。
淡い紅色の花びら。
満開に咲き誇る花びら。フワフワして、綺麗。
「サクラサク!!」
若干ヤケクソ感がありつつも、思いを言葉にする。次の瞬間、ぽぽん、と愛らしい花びらが出現した。
「できた!」
「レティシア……?」
「ん、あ?」
二人が宙に舞う花びらに気付いた直後、ザパーーーーーーーーッ、と桜の花びらが滝のようにセルジュ様とコウネリウス様に降り注ぐ。
「あ」
花吹雪ではなく、もはや花びらの滝? 雨? 豪雨だ。わあ、部屋の半分が花びらで埋まったわ。すごいわね、うん。
花びらの豪雨。うん、二人が花びらに埋もれていくわ。
あれ?
なんだか視界がぐわんぐわんし始めたような?
そこで私の記憶は途切れた。意識を失う途中で、私の名前を呼ぶセルジュ様の声が耳に残った。
***
私が意識を失ったのは単に魔力切れだったとか。最初は魔力量が分からずに、やらかしてしまうとか。そういうのは最初に言って欲しかったなぁ、とぼんやり思った。
「レティシア、大丈夫かい? 気分は? どこか痛かったりしない?」
「……大丈夫……ですけど」
ぼーっとしつつ周りを見渡すと、どうやら馬車の中のようだ。
窓の外は橙色の空が宵闇に染まっていくのが見えた。お昼に素晴らしいエビフライを食べた後のことがぼんやりしている。
「セルジュ様、何か言うことがあれば、どうぞ」
「レティシア、私を……許さなくても……よくないですが……でも、捨てないでください。離縁は、離縁だけは……いやです……」
この人はいつも私に嫌われること、縁が切れることを恐れていた。私でなくても選びたい放題だったでしょうに。春魔法の使い手だったとしても傍に置きたいなら、別の肩書きだって用意できたはずだもの。
国の英雄で、将軍で、大魔法使いの称号を持っているのなら、どうとでもなったのに……夫婦に拘った。
「……真っ先にその言葉が出てきたのは、どうしてですか?」
「レティシアに嫌われたら、生きていけないから」
「他の肩書きを選ぶことができたのに、どうして夫婦に拘ったのです?」
「ずっとレティシアの隣にいられるのは、夫婦の特権だろう?」
そんな泣きそうな顔をしないでほしい。相変わらずあざといなぁ、と思った。でもなんだか憎めない。
「どうして私がセルジュ様を捨てるって、思ったのですか?」
「レティシアが春魔法の使い手だというのを……黙っていたから……怒っています……よね。すみません」
「騙していた訳ではなく黙っていたのは、どうしてですか?」
セルジュ様は目を潤ませながら、「君を利用しようとして近づいたと思われたくなかった」とポツポツと語り始めた。
「最初から印象最悪だったし、あの時のレティシアは離縁する気満々だったから、言い出せなかったんだ。ごめん」
「……で、本心は?」
「レティシアが私の傍から離れられなくなったら、頃合いを見て話そうかなって……思っていました……。これ以上、執着している理由が増えたら……レティシアに引かれそうだったし」
(初対面の時にどん引きしていたのは、気付いていたのね。でもぐいぐい来ていたけれど!? 私の気のせいかしら)
言うタイミングまで計算していた気がするわね。抜け目がないというか、その時に合わせて情報を切り崩していくやり方は、本当に上手だわ。
セルジュ様が私を抱きしめたまま離さないのは、春魔法の使い手だから?
あるいは──。
いろいろ考えたけれど途中で面倒になって、思考を放棄した。私を利用していたとしても、私を大事にしてくれるのなら別に良いと思ったからだ。無理難題を押し付けられるわけでも、嫌味や罵倒もないし、愛されるのは嫌じゃない。ちょっと愛が重いけど。
正直、まだ自分の気持ちは定まらないけれど、今すぐこの心地よさを捨てる理由はない。私だって今後の生活基盤とかもろもろ打算的な部分があって、傍にいることを選んだのだ。
だから良いと思う。
「前も言いましたけど、保留です。早々簡単に撤回はしません。衣食住もしっかりして、魔法都市での暮らしを楽しみにしていたのですから!」
「──っ、レティシア。ありがとう、これから楽しい屋敷生活を満喫しようね」
「うん。…………ん?(なんだか今の言葉に違和感が?)」
セルジュ様は子犬のように目を輝かせる。先ほどの凍えた瞳でも、ガラス細工のような表情も嘘みたいだ。私の知っているセルジュ様は基本デレデレして、スキンシップが過剰で、私を物凄く美化する。でもそういう表情が豊かな彼がいい。
「……ところで、今見えている屋敷……というか要塞のような建造物が見えるのですが?」
「アレが我が家です」
「!?」
どう見ても崖の上にある要塞城! しかも物々しい甲冑の衛兵たちに、空はワイバーンが飛んでいる。いや魔法都市は幻獣や飛龍騎士と契約している人たちがいるのは知っていたけれど、ファンタジー世界が王都と比べものにならない。
しかも魔法都市は王道ファンタジーの部類だとするなら、この要塞はどう見てもダークファンタジーの背景にありがちな感じで雰囲気が全然違う。え、ここから戦争や血生臭い感じのストーリーが始まるの。聞いてないし、望んでもいないのだけれど。
「今後はレティシアがぐっすり眠れるように万全の警戒態勢を整え、使用人に至るまで完璧に教育を行っております」
「(あ、そっちに重点を置いた結果だったのね。やり過ぎとか、限度を知らないの……と言いにくい)それは……ありがとうございます」
「昨日もレティシアを攫おうとしていた集団がいましたが、あれは恐らく皇弟の差し金だったのかもしれませんね」
「ひゃ!? そ、そういえばコウネリウス様は?」
セルジュ様は一瞬だけ沈黙したが、次には何事もなかったように笑顔を浮かべる。その僅かな沈黙が怖い。
「…………ご安心ください。ちゃんと話し合って引いて貰いました」
「(副音声的にスルーしてはいけない単語が聞こえた気がする)ほ、本当に?」
「はい。向こうも王国と事を構える気はないようですし、暫くは大人しくしていると思いますよ」
「それなら……良いけれど。でもあの方は冬魔法の使い手でなのでしょう? 春魔法の使い手が近くに居ないと命の危険があるんじゃ?」
「レティシアは優しいですね。そんな風に優しいと周りは勘違いするので、優しくするのは私だけにしてください。いいですね」
「(別に優しくしているつもりはないのだけど……)どちらかというと自分本位だと思うけれど……?」
「レティシアは自分自身のことになると卑下し過ぎです。もっと自分に自信を持って下さい。義務感だけの手紙だったら、定期的に借金の金額だけ書けば良い。でも貴女は時節や、私を労う言葉を書いて下さった。たった一言でも毎回書くには手間も時間も掛かりますし、試作品だからといって贈物だって普通は送りません。それも私のことを考えて長持ちする物、日常を彷彿とさせる物……それを五年間続けることは普通難しいのですよ」
「……前々から思っていましたが、セルジュ様はなんでもかんでも美談にしがちです。私は打算かつ結構適当なのです」
そう言っているのだけれど、セルジュ様は「そんな貴女がいいのです」とやっぱり美談にまとめる気のようだ。コツンと額を合わせて、嬉しそうにする。
幸せそうな顔のセルジュ様を見ていると、私も口元が緩んでしまう。我ながら流されやすいものだ。
「昨日は途中でレティシアが眠ってしまったので夫婦らしいことはできませんでしたが、今日こそ寝かさないので楽しみにしていてくださいね」
「に」
「に?」
「にゃあああああああああ!?(そうでした! すっかり忘れていたああああ!)」
美味しい夕食は食べ合いっこ。お風呂はシャワー付きだったので順番に入り、寝るときはベッドが一つしか無いので緊張を紛らわせるために魔導書を一緒に読んで……気付いていたら寝ていたのだ。朝起きた時に、返り血塗れで戻ってきたセルジュ様に衝撃を受けすぎて色々忘れていた。
「──って、昨日そういえば私を攫いに来たとか、言っていましたよね!」
「ええ。今後は減ると思うので大丈夫です」
「全然大丈夫じゃないのでは?」
「あははっ、レティシアは心配性ですね。大丈夫ですよ、いざという時は…………黙らせますから」
(そうだ! この人は思った以上に情報通かつ、腹黒で脳筋だった!)
「そんなに褒めなくても……」
「褒めてない!」
また勝手に人の心を読んで。というか今の心の声は全然褒めていないのですが!?
本当にこの決断で良かったのだろうか、そう不安になったが、幸せそうなセルジュ様に絆されつつあるのは──しばらくの間は内緒だ。
4.セルジュ様の視点
スヤスヤと隣で眠るレティシアは今日も最高に可愛い。寝室は同じなのは許して貰えたけれど、境界線とでもいうのか、クッションを一列に並べて、興味深そうな本をベッド傍のチェストに置いているのはなんとも彼女らしい。そこも愛らしい。
本当に私を拒んでいるのなら部屋を別けることや、一緒に寝ることを断ることもできたのに、彼女は不承不承に承諾する。嫌なことはハッキリと言うけれど、甘いところも多い。
彼女は自分本位で、自分勝手で利己的だと思っているが、そんなことはない。何だかんだ言って他人を慮るし、相手に配慮するし、歩み寄ろうとしてくれる。警戒心は高いけれど、一度懐に入ってしまうと途端にガードが甘い。
可愛くて、愛おしくて、大事にしたいからちょっとずつ自分を受け入れて貰えるように時間を掛けていく。あの皇弟は想定外だったけれど、当て馬的存在のおかげでレティシアとの距離がグッと近くなったのは嬉しい誤算だった。
(それにしてもあの花びらの豪雨は凄かった。今までの心の闇が一瞬で浄化されるぐらい癒されて、なにより体が軽い)
***
春魔法の使い手はもしかしたら、冬魔法の使い手を最強に至らしめるだけの最強の手札なのかもしれない。まあ、だから皇弟が執着したのかもしれないが。
月夜の晩に雪雲一つ無いのに、周囲は銀世界に様変わりしていた。真冬の森は白銀色に煌めき、存在していた獣を含めて凍結させる。
氷漬けになった黒ずくめとは別に、黒と赤の軍服の偉丈夫が膝を突いて座り込んだ。息苦しいのか、吐く息はすぐに白く染まった。
「ハッ……。さすが英雄と呼ばれるだけのことはある。同じ冬魔法でも……反則だろう、アンタのは……」
「そうかもね。あの戦争で私の心は凍り付いて壊れかけていた。今も帰りを待つ存在がなければ、このまま世界を凍結させていただろう」
知らず知らずの間に摩耗していく心と体。
蝕まれていく良心の呵責。
全てが面倒で、全てがどうでも良くなる時、この手で全てを終わらせてしまおうと何度思ったことか。そのたびに、私の心を引き戻すのは彼女だ。
『今月は金貨一枚、銀貨五十枚の借金返済が終わりました。今月のノルマ達成です。最近は魚の干物が流行ですが、私は新鮮なお魚食べたいです。セルジュ様はしっかりと栄養のあるものを食べてくださいね』
『今月は忙しくて銀貨七十枚です。最近ずっとずっと欲しかった魔法の本を買いました。魔法都市の本屋には魔導書があるとか。いつか行ってみたいです。今回は長持ちするドライフルーツを同封しました。ご意見ご感想があったら嬉しいです』
『借金返済まであと少しになりました。戦争も終結しつつあって嬉しいことばかりです。だから今日はちょっといいアッサムティーを買ってみたのです。茶葉を少し送ったので、飲んでみてください。ミルクと蜂蜜を入れると美味しいそうです』
レティシアの名前で手紙が届いても、すぐに別人だと分かる。彼女は私に何か求めるようなことを一度もしてこなかったから。ああ、でも最後の手紙に『離縁して欲しい』と書かれたのを見た時は心臓が止まるかと思った。
初めて求められたことが、彼女との縁を失うことだと突きつけられた時の恐怖は今でもハッキリと残っている。
だからありとあらゆる全てを使って、引き留めた。どんなに恰好が悪くても、見苦しくても、レティシアを失うかもしれないことに比べたら些事だから。
「私からレティシアを奪おうとしないてください」
「はっ、化物が(帝国が束になっても、この男一人で全滅だな。……ああ、クソッ。虫も殺さなそうな面だと思っていたが、あれはレティシアがいたからで、彼女が傍にいない時、この男は悪魔か魔王のそれと変わらない脅威じゃないか。春魔法の使い手が文献でも知られていないのは、冬魔法の使い手がその功績を隠蔽し、世界から隠そうとしたからかもしれないな。異常な執着、重愛、……いや男にとってレティシアが世界の中心になりかわっている。そうやって自我を保っている。充分に狂って歪んでいる)」
ひと思いに葬ろうかと思った。
ふと、左の指に嵌めた指輪に気付く。夕食時に渡した夫婦としての証の指輪。魔法の加護が付与されているもので、指のサイズにぴったりと合う。照れながらもレティシアが指に嵌めてくれたのを思い出して、人間らしい感情が芽吹く。
『セルジュ様、危ないことしたら絶対にダメですよ。変に揉め事も禁止します。いいですか、今後は一日一善をするときっと良いことが起こる……はず。起こる!』
ははっ、とレティシアの言葉を思い出して笑みが漏れた。
「──っ」
「はははっ。……はあ、しょうがありませんね。レティシアも私も穏やかに過ごしたいので、貴方を殺すのはやめておきましょう」
「は?(急に殺気が消えた? なんで?)」
「そろそろ深刻なレティシア不足に陥りそうなので、これに懲りて攫うのは、やめておくことをお薦めします。次は──ありませんから」
そう次はない。ラウンジから部屋に戻ると、レティシアは相変わらずスヤスヤと眠っている。ああ、凄く可愛い。寝ていると幼く見えるし、警戒心ゼロで傍にいるのを許されている感じがする。面倒なので甲冑を即座に転送させて普段着に戻す。
血の匂いも清浄魔導具を使えば問題ないだろう。
ふとベッド傍のノートに「やりたいことリスト」というメモ書きを見つける。彼女らしい可愛らしい文字だ。いつか私のことも書いてくださるといいな。
ニコニコしながら、そのページを閉じかけたとき「セルジュ様と魔導書店に行く」と書かれていた文字に固まった。きっと今までなら「魔導書店に行く」だけだったはずだ。
「ちゃんと貴女の人生に私も関わっているのだと、少しは自惚れてもいいのでしょうか?」
そっと頬に触れると、いつもぐっすり眠っているレティシアが薄らと目を開けた。起こしてしまっただろうか。そう思いつつも、私を見つめてくれている事実に胸が熱くなる。
「レティシア、起こしてしまいましたか」
「…………さま」
「はい?」
小首を傾げておどけて見せたが、眠りを妨げて怒るだろうか。内心バクバクしていたが、彼女は私の手首を掴んで、引っ張った。
「!?」
「見てないで一緒に寝ないと明日に響きますよ」
「!???」
そう言って彼女は私をベッドに招き入れて、添い寝を許してくれた。本当にどこまでも規格外で、予想もつかないことをしてくれる。
きっと寝ぼけているのだろうけれど、それでも彼女からのお誘いを断るほど私は人間ができていないのだ。好きな相手に甘えられるのなら、そのチャンスを最大限活かさせてもらう。
首筋に自分のものだとキスの痕を残すぐらいは許されるだろうか。少し計算して、勝算は──と計算する自分がいた。そんな風に心が動くのはレティシアだけ。
(明日の朝、君はどんな顔をするのだろう。ああ、明日が楽しみだ)
密着するとレティシアはどこもかしこも温かくて柔らかい──春の香りがした。
後日談──。
翌日。顔を真っ赤にして私に意識しまくっているレティシアは終始可愛かった。ただ問題があるとしたら、意識しすぎてキスやハグをした途端、「ふにゅ」とか「ひゃ!?」と卒倒あるいは避けられることが増えてしまったことだろうか。
好きだけと避けられるのは正直辛いので、できるだけ早急に荒療治あるいはなんらかの事故を装って、逃げ場のない場所で密室空間を作るべきなのかもしれない。
そんなことを思いつつ、レティシアの真っ赤な顔と反応を楽しみながら思ったのだった。
END
楽しんでいただけたのなら幸いです。
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