だってお前が勇者なんだろ?④
数日後、おれたちは王都に向かった。
そこはいまとなってはひと気のない、死に絶えた石の世界にすぎなかった。
凶暴化した獣が徘徊していたが、コウエン団長ほか高地人の部隊が合流して、この掃討作戦にあたった。
犠牲者は少なくない。だが、おれとディーとハリネズミは、一同から逃れて、アリスティアがいるであろう大神殿のその場所に向かったのだった。
「で、結局どうするんだ?」
とハリネズミ。ディーが応える。
「どうもこうもないさ。魔法の効果が切れるのを期待するしかない」
「あいまいな作戦だな」
「まあ、それしかないならあとは気合だ」
「結局それか!」
ハリネズミは哄笑した。
「でもそういうのきらいじゃないぜ」
おれたちは大神殿に続く岩の階段をえんえんと登った。
その道中も獣やら何やらがいたが、もうおれたちは無視して先に進むしかなかった。
「答えは出たのか」
だしぬけに、ディーがおれに訊く。
なにが? と訊き返すと、「もちろん魔王と戦うことへの疑問だよ」と言った。おれは少し考えてから、答えた。
「やる」
「そうか」
話はそこで終わり、という空気をディーが出そうとした。しかしおれには言うべきことがあった。
「頼みがある」
「なんだ」
「魔王はおれひとりで倒す。余計な手出しも口出しもしないでくれ」
「……?」
「頼む。理由は言いづらい」
「……わかった」
何か言いたげにしているのを、我慢してもらった。
やがて、石段を登りきり、山を刳り抜いてつくられたかのような巨大な洞穴にたどりついた。岩壁には神々の名前と像が壁画のように彫刻されており、洞窟自体も大きな池によって入口が限られている。
唯一そこにたどりつくためには、神官たちが漕ぐ小さな舟に乗るしかない。舟はある。それはかろうじて三人の人間が乗れるようなものだった。しかし神官たちはもういなかった。
おれと、ディーと、ハリネズミ。
良くも悪くも、この長い勇者の旅路の仲間だった。
ハリネズミが率先して、ぎいこ、ぎいこと櫂を漕ぎ出す水上の最後の旅路で、おれはいろいろなことを思い返していた。
初めてここにたどり着いたときのこと。怪物を倒してすぐに呼ばれたときのこと。密命を受けたときのこと。巨人を倒して浮かれていたときのこと。ラナを失い、途方に暮れていたときのこと。
そして、アリスティア自身のこと。
薄暗く、神話の深層に降りていくかのようなこの道中は、あらためて見ると神殿というよりは牢獄のように思えた。荘厳な神々の像や祈りの壁画たちは、彼女の生きてきた時間と生活をほとんど代表するものと言って良いだろう。だが、だからこそいまはうそさむいくらいに虚ろで空っぽに見えた。
彼女が生まれ落ちたときから、ずっと宿命のように居させられたその場所は、いまとなっては不吉の蔓延る空間でしかない。騎士となったいま、おれはこの場所を神聖な場所と言わなければならないのかもしれない。だがすべての真実を知ったあとで見るここは、ただのむなしい努力の成れの果てだった。
その終点に、巨大な扉がある。
まるで城と見紛うくらいの立派なつくりだった。その中に彼女はいる。彼女はずっとそこにいたのだった。
なんのために?
おれははからずも、アリスティアが過ごしてきた孤独の一部に触れた気がした。
おれはディーを見た。
ディーは頷くと、ハリネズミを手で制した。
「なんだよ」
「魔王との一騎討ちだ」
「はあ?」
と、言ってから、
「ほんとうに良いのかよ?」
「いいんだ」
おれはいま初めて言葉を喋ったような気分で乾燥した唇を舐めた。
「これはおれが始めた戦いなんだ。だからおれが終わらせなきゃいけない」
「おい。そんな……」
ハリネズミはディーを見た。ディーはすべて知っている。それを察したのか、ハリネズミはまたおれを見る。
「水くせえだろ。だって、ここまでずっといっしょに戦ってきたんじゃないか」
「いかせてやれ」とディー。
ハリネズミは、首を振った。
「そうかい。そうなのかい」
「ひとつだけ。どうしても言いたいことがある」
こんなこと、言い訳にしかならないけどな──おれはそう前置きを置いて、ハリネズミの顔を見た。
「いままでおれの夢についてきてありがとう。こんなことにならなきゃ、おれはハリネズミみたいな兄貴分に会えてなかった」
「……アウル」
もうそこから先に言葉は要らなかった。
おれは扉の先に向う。扉はまるでおれのことを待っていたかのようにゆっくり重々しく開き、おれが入ったとたんに閉じた。
暗転する部屋。しかしそこに青白い光と炎が灯って、部屋全体を明るくした。
「そこにいるんだろ。アリスティア」
謁見の間のように広がっているその空間は、洞穴の奥底だとは思えないほどに調度が設えられていた。しかしかつて何度も話をしたときのような儀礼的な空間とは程遠く、いまや黒い羽が散らかっている。
おれはそのなかで足場を探すようにゆっくり踏み入った。まるで海の浜辺からゆっくり浅瀬に進むように、それは進行した。
魔王の波動は強くなっている。
しかし携えた剣のおかげなのか、それとも数日前見た夢が影響したのか、もう苦しくはなかった。心臓は拍動を繰り返しているが、それでも、立てない苦しみではない。
おれはやがて、羽の山に踏み込んだ。
闇がそこにあった。
まるであの夢の世界のような、深淵だ。
次第に羽が風に吹かれて舞い上がる。
おれは夢がつくりだした暗闇の世界にたたずんでいた。
そこに向かい合うように、アリスティアが立っていたのだ。
初めて見るそのすがたは、はからずもおれの前で〈魔王〉と名乗ったその人物とそっくりだった。ある意味では当然なのかもしれない。同じ手続きで生み出され、同じ権能を用いる両者は、いつしか魂のレベルで同化していたのだろう。
だが、そこにいるのは紛れもなく神使アリスティアだった。
「アウルなのですね」
「はい」
女の髪は銀色、赤い眼をして背に翼が生えている。その翼があるということは彼女こそが熾天使の正体だったことを示している。
おれは確認しなければならないことを口にした。
「ひとつだけ、ちゃんとたしかめたいことがある」
「はい」
「イシュテルも、ラナも、実質あんたが殺したようなものなのか」
「……」
「正直に答えてくれ。もう死者が蘇るわけでもない。ちゃんと知りたいんだ」
「……ええ」
「どうして」
「どうしてでしょう」
「…………」
「……ずっと、あなたのことが羨ましいと思っていました。夢を見て、ばかにされながらも希望を持っていて、あきらめない。なぜわたしの夢見があなたを見出したのかは、もういまとなってはわからぬままです。しかし夢のなかで、わたしはあなたの夢がまばゆくて美しいものに思えました。そしてそれがかなうことならどんなに素晴らしいことかと思いました。だから、あなたの夢を嘲笑うほかのひとびとが許せなかった」
おれはアリスティアの顔を見た。
その顔は複雑な表情が刻み込まれていた。怒りを覚えてもだれにも伝えることが出来ず、泣いても意味をなさない立場で生き続けたものだけが放つ、諦念とも言い切れない、奇妙な表情だった。
「この王国に生きる人間も、いつしか憎まずにはいれなかった。わたしは神の代理人でしかありません。わたしはどうすることもできないまま、ただこの場所で生きているだけでした。そんなわたしに見せられたあなたの夢を、どううまく忘れろというのでしょう」
「…………」
「憎んでくれてもかまわないのですよ。だってわたしこそがすべての元凶であり、あなたの敵であり、そして──」
「もういい」
おれは〝封印の刃〟を握った。
剣は青白い光をまとった。
ゆっくり歩き出す。距離を詰める。
「もういいんだ。自分を責めないでくれ」
「でも、でも……!」
「あんたは充分苦しんできたんだ。おれも同じくらい苦しんだ。それでおあいこにしよう」
おれはアリスティアの眼前に立った。
薄布すらない。この近距離で。
「アウル、アウル──」
「だから──」
瞬間。
アリスティアの眼がギョロッと白目を剥いた。そして驚く間もないまま、おれの真の名前を呼んだ。
《アル=ウルストン》
おれは全身を束縛されるような強い激痛を覚えた。唯一動くのは首、そして口だけだ。
「ま、お、う」
《ふふふ、ようやくここまで来てくれたのね》
黒い翼がおれとアリスティアのからだを包んだ。至近距離から魔力が注入され、激痛におれの意識が吹っ飛びそうになる。
《あなたを酷い死に方で殺してあげましょう。みんなの眼の前で、惨殺してもいい。そうすればみんなわたしのことを思い出す。恐怖に満ちた時代を、すべてを支配されていたいにしえの世界を──》
「そいつは……どうかな」
《ほう。まだ喋る元気があったの》
「まだ、おれにはできることがある」
《減らず口を。アル=ウルス──》
おれは首を伸ばして、彼女にそっと口づけをした。それが彼女を黙らせる最後の手段だった。
そして、舌を絡ませながら、おれは彼女の──魔王に身体を奪われた彼女の名前を呼んだ。
「アリスティア」
その言葉に、ありったけの想いを込めて。
全身の痺れが溶けるさなか、〝封印の刃〟が彼女の肉体を貫いたのだった。
《あああああああああ!!!》
黒い翼が血しぶきのように羽を散らす。暗闇が崩れて落ちて、なにもかもを壊していく……
気がついたとき、おれはアリスティアのからだを抱きかかえて、そこにうずくまっていた。相変わらずひとがいるには向いていない、冷たい部屋がそこにあった。
おれが抱きかかえた彼女のからだは熱があり、それは灼熱のように激しく脈を打っている。けれどももうそれも燃え崩れる薪の最後の輝きだった。胸のあたりに熱が凝縮されていて、手足は冷たいのだ。
「ありがとう。アウル。わたしを、わたしのことを──」
「それ以上は喋らなくていい」
「わたしがわがままだっただけなのです。わたしがあなたの夢を勝手にかなえようと思わなければ──」
「もういいって言ってんだろ!」
アリスティアはひたすら涙を流しながら、もはや何も映していない眼でおれを見つめ、血の気の失せた手でおれに触れた。
「初めてひとに触った……これがあなたなのね、アウル。もっと触っていたい……もっと……」
おれはどこにもやり場のない気持ちを抑え込んで、頬に触れたつめたい手に、自分の手のひらを重ねた。
ラナの言った言葉の意味──あのひとを解放してという言葉の意味を、ようやく理解する。このひとなのだ。おれが、おれだけがこのひとを解放できたのだ。だから。
「ひとつだけ、頼みがあります」
「聞きましょう。アリス」
「光を見せてください。外の、世界を知ってから……それまでは……」
「わかりました」
おれは彼女を抱きかかえて、部屋を出た。そこにはディーとハリネズミがいた。アリスティアを抱いたおれのすがたを見るなり、身構えようとしたが──
「大丈夫。ぜんぶ終わった」
「……」
「おれは彼女の最後の願いをかなえる。それで、おれの勇者ごっこは終わりだ」
おれはそのとき、なんのてらいもなしに、ディーに向かってこういった。
「そう、勇者ごっこは終わったんだ」
ディーはうつむくようにかすかに肯いた。
おれは、その後もしばらく歩き続けて、かれらとともに舟に戻り、大神殿の外に出た。そこには太陽の光があたたかく万物を包んでいた。
そのなかにおれは彼女のからだを横たえた。もうとっくのとうに息絶えた肉体だった。
「ぜんぶ終わったんだな」とハリネズミ。
「ああ」
「これから、おまえはどうする? 英雄なんじゃないのか?」
「いや、もういい」
おれは〝封印の刃〟を鞘ごとディーに渡した。
「勇者はおれの役目だ。だから最後までやった。でも英雄はお前だ、ディー。おとぎ話が伝え残した怪物の倒し方を、ちゃんと呼び戻してくれたんだ。お前が王になるんだ。その知恵を、歴史を埋もれさせてはいけない」
「……」
「たのむよ。もう、おれは疲れたんだ」
ディーはなにも言わず、剣を受け取った。
「すまんな」
「いやいいさ。おれのほうがお前に無茶をさせすぎた。これはおれの罪だ」
「そういってもらえると、救われるよ」
おれはそこまで言ってから、アリスティアが最後まで身にまとっていたもののうち、ペンダントになっている極小の結晶石を見つけた。かつて西方で見つかった〈祈り子のささやき〉という石だった。これはおれが見つけて、王に献上されたもののはずだった。
それがここにある。アリスティアが身につけている。
「最初から、最後まで、つながっていたんだな」
勇者を夢見た少年が、最初に村の外を冒険して見つけた宝物。それが神使の手に届いたときに、おれの夢は奇遇を得たのだ。だから、この物語は、この石を取り戻してようやく終わりを告げるのだ。




