だってお前が勇者なんだろ?③
王都への旅は、砂漠の果てへ出かけるのとおなじくらい掛かった。
砂漠を騎獣とともにいくら必死に駆けたところで、距離が縮まるわけじゃない。
でも、異変は瞬く間に発生した。
獣や蟲の凶暴化が加速し、隊商都市のいくつかが戻りの旅で廃墟となっていたのだ。
うわさもたくさん聞こえてきた。
だが、それは予想していたものとは異なるものだった。
「ベッソン家が宮廷で謀略を起こした罪によって滅ぼされたらしい」
これに驚いたのはディーだった。
「へんだ。叔父が謀反を起こすには情報が足りなさすぎる」
「だが事実だろう。なんなら確かめてもいいが──」
「いや、いい」
ハリネズミの冗談に、ディーは首を振った。
「つれないな」
「もともと、おれの血筋についてまわった人間だからな。見かけに比べて権力志向も強い。恩はあるが、そこまで愛はなかった」
「そうかあ」
ハリネズミは頭の後ろで手を組んだ。
「もうおれ、人間ってやつがよくわからなくなっちまったよ」
「わかった気になるよりはましだ」
「そういうもんかな」
「そういうもんだ」
「あのーふたりとも。そこで勝手に仲良しにならないでほしいんだけども」
おれは道中ずっと落ち着かなかった。
アリスティアの名を知っていたのはこのなかでおれだけだ。
そのことはすでに話している。三人だけで合計一年分、行き帰りの旅路を過ごしていれば隠し事もそうできなくなる。第一事態が事態で、隠すわけにもいかなくなった。
「思ったことがある」
砂漠の野営を何度となく繰り返すうち、ディーは次のようなことを言っていた。
「このドーリエンの王国では、神使は名前で呼ばれることはない。王族だって名前はふつう呼ばない。死んだときになってようやく歴史書にしるすために名付けられるというだけのことじゃないか。
それが、いまいった魔法の名残だとするならば、王族は本当の歴史を隠すことによっていままで統治を続けてきたわけになる」
ディーの推論は、つまりこういうことだ。
「アウルは──アウルだけが魔王を直接呼ぶことができる。アリスティアが神使の真の名前だとすれば、神使と魔王はいまは同一の存在なんだ。
だったら、彼女と何度も会って話したアウルには、あいつがおれたちを金縛りにしたように、ほんの一瞬だけあいつを縛ることができるんじゃないか」
だがそれはあくまで仮説だった。
「もしできなかったらどうする?」
「打つ手なしだ。ほかの手を考えよう」
「だが失敗したらそれで終わりじゃないか」
「魔法については原理原則しかわからない。名前を知り、それ自身を知ること──それが魔法の原理だとするなら、おれたちだけがはからずも魔王のことを一番知っていることになる。それが復活の鍵だったからだが、同時にそれは弱点でもあった」
だからなのだ。あの場でおれたちが殺されなかったのは。
しかし今度あったら、容赦はされないだろう。それは全員よく理解していた。
なにか無いのか。その確認は山程あった。だが何も思い付くことなく、凶暴化した獣と蟲が襲って来て、それとの戦いに終始した。
結局、そのまま王都の見える街道に戻ってしまったのだ。
王国内は奇妙に静まり返っていた。怪物が出始めた頃の死に絶えたような寂しさが各地の集落で漂っていて、道中寄った農場や牧場でも、惨状の痕跡が垣間見えた。
街に入ると、生き残った何人かがいて、事情を聞くことができた。なんでも王都で内乱が起き、領主たちが片っ端から処刑されているということで、当初は税に苦しんでいた平民は喜んでいたのだが、次第に不穏な空気に包まれて、街や村の活気が失われたという。
なにより、怪物の被害が止まらなかったのだ。
それにくわえて街や村を守る領主の私兵や騎士たちがいなくなったため、ひとびとは村や農場・牧場を捨てて生き延びることを考えなければならなくなったのだ。
このことを聞き取るとき、おれたちはあえて変装し、まるで東の隊商都市から来た世間知らずの旅人を装っていた。ディーのアイデアだった。だが、その思いつきも、無駄ではないと思い知る。
「結局勇者も無駄だったんだな、アウルって野郎も雲隠れしやがって。無責任ったらありゃしねえよ」
そう言ってくさすのを聞いて、おれは心を傷めずにはいられなかった。
結局旅を続け、王都へ近くなる。
ここまで来ると、いやでも魔王の波動を感じる。まるで太陽に近づいて溶けていく氷の気分だった。
だんだん気分も悪くなる。
それはもしかすると、彼女も同じなのかもしれない。
おれは具合が悪くて、すっかり寝込んでしまった。野宿の連続で、高熱を出してしまう。ディーとハリネズミがなんとか看病するが、応急処置しかできない。
途方に暮れていると、向こうから騎獣の足音が聞こえた。あわてて隠れる。見ると、向こうの道から騎士が数騎駆けてきたではないか。騎士はおれたちのいるあたりで止まると、周囲を見回した。
「いるのはわかっている。出てきてくれ」
おれたちは黙っていた。
すると向こうが唐突に「わたしはコウエンだ」と名乗り出た。
「コウエン団長? 生きていたんですか?」
「きみは……そうか」
コウエン団長は寂しげに微笑んだ。
「砂漠から帰ってきていたんだな」
「そうですね。団長は……」
「まあ、ありていに言えば、職場をクビになった」
「……」
「冗談だ。王宮で神使様の力が暴走し、いま王都は近づけない。わたしは騎士の生き残りと、何人かを連れて、そこに隠れていたんだ」
「なら、お願いします。アウルを休ませてやってください。こいつ急に熱が出て」
「熱が?」
コウエン団長がしばらくして、部下を連れて戻ると、おれたちは騎士団が隠れている街の中に入った。王都の不穏な空気に怯えつつも、まだこの街の中なら、安全に暮らせると肩身を寄せ合って生きている人々が目立っていた。おれはそこで三日三晩休んだ。うなされもしたし、悪夢もたくさん見た。
でも、最後に見たのはこんな夢だった。
なにもない暗闇──そのなかでおれの手足はバラバラに引き裂かれていた。
痛みはもうとっくのとうに麻痺していて、ただ自分がなんで死んでいないんだろうと疑問に思うくらいに達観していた。もうなんでもいいやという気持ちだけがあった。世界を救う勇者になりたかった自分はどこかに消えてしまっている。ただ疲れていた。考える思考力が薄く霞んでしまっていて、剣を握る手のどこに力を入れればいいのかすらも忘れてしまったような気がしていた。
そんななか、女の声がずっとおれに呼びかけているような気がした。最初はそっと、モヤがかかったような、空耳に近い声。しかしだんだんと必死になって叫んでいることだけがわかった。なんとか自分の耳の場所を思い出して、そこに意識を向ける。それはようやく声として理解できるくらいの、必死ではあったが、弱々しい声だった。
《……して、わたしを殺して》
それは、突き詰めるとそう言っていた。
なぜだろう。おれはそのとき涙を流していた。急に自分が啖呵を切った言葉の数々を思い出したからだった。
『この世界で起きたすべての悲劇に、終止符を打ちましょう』
そうだ。おれは約束したのだ。
彼女と。
アリスティアと。
おれは初めて自分の意志で彼女を呼んだ。すると彼女の意識がおれを布でくるむみたいに、おれの存在を明らかにしてくれた。
《……アウル? アウルなの?》
「ああ」
《来てくれたのね……》
まるですがるように、彼女の声は泣いていた。おれはその気持ちの揺れ動きが、ひとえに愛情からくるものだったことにいまさらのように気がついたのだ。
もし、顔がそこにあったなら、思わずそむけたくなるくらいには恥ずかしかった。いままで疑っていたこと、好意に報いて来なかったこと、ただ自分のことだけ考えていたこと──
《いいの。それでもいいの》
まるでおれの内心など見透かしたかのように、彼女は言った。
《わたしはね。あなたに逢えたことがうれしかったの》
「……真実を、もう知っているんだね」
アリスティアの意識が動揺する。
「それで、向き合った結果がこれなんだね」
念を押すつもりで訊いた。
《ええ。そう。そうなのです》
もし。もしの話だ。
夢を見ることに責任が伴うとしたら。
その責任は、いったいだれが取るべきなのだろうか?
《わたしはこの日を夢見ていたのです。あなたが勇者になる、その日を》
「……いつからだ。いつから」
《さあ。思い出すには昔すぎて、いまさらの話のような気がします》
アリスティアの声は、会話を重ねるうちに落ち着き払っていた。
「魔王はどうしている。あなたは神使アリスティアなのか、それとも──」
《その問いはあまり意味がありません。魔王のことを知っているなら、もう少し詳しいことを説明してみましょう》
アリスティアの説明はこうだった。
かつて魔王を生み出した魔法の原理は、秘匿されたまま予言の巫女:神使の存在を作る理屈になった。しかしそれはどちらも万物の予兆や真理を得るために得た手段で、両者は同一のもののはずだった。
だが、神使は同時に魔王の血族でもあり、封印された魔王にとっては失われた肉体を補うための部品でしかなかった。そのため魔王の復活と同時にその肉体は奪われ、かつて多くの予言を得た夢の世界に、その意識だけが追放されたのだという。
夢。
それはふしぎな場所だった。あらゆる踏みにじられた人間に救いを与えるいっぽうで、だれの願いも現実のものにしてくれない、残酷で、それでも美しく、恋い焦がれずにいられない場所──
ひとはそこに願いを託す。おれもそのひとりだった。だが、それはときに現実になってしまう。これを扱う力が魔法だとするならば、魔法とは決して便利でも美しいものでもないのかもしれない。
いま、この世界で起きてしまった悪夢のようなできごとの数々は、いつかかなえられる夢のためにあるのだろうか?
だとすれば、どんなきれいごとの夢の中にもだれかを傷つけてズタズタにする要素があり、どんな悪夢にもひとを救うためのひとひらの光が含まれているのかも知れない。
どれが正しいのかはわからなかった。
それでも決断をしなければならなかった。
《答えは決まっています》
アリスティアは断言した。
《あなたがわたしを殺しなさい。それでこの国を、世界を救いなさい》
その言葉になんの不安も、迷いもなかった。でもおれは問わずにはいられなかった。
「だれが──」一瞬ためらった。「だれがおれの夢をかなえてくれと言ったんだ? 夢は自分の手でかなえる。そのつもりだった。でも……」
こんな悲しい夢になるのなら、いっそ最初から見ないほうがよかったのではないか。
《いいえ。それは違います》
アリスティアは言う。
《夢は、いずれだれかの手によってかなうのです。それが邪悪なものであろうが、善いことであろうが、美しいことであろうが、つねに実現するべくなるのです。そしてそれは巡り合わせによって初めて成るものです。あなたがそれを引き当てた。これはどんなに仕組まれていたとしても、決して最後の一押しがなければありえない》
だから。だから──
《最後はあなたの意志と判断だけです。わたしにはそれを操ることはできない。あなたはどうですか? あなたは、この世界の惨状を見て、それでも諦めて身を引くほど立派な人間なのでしょうか》
ひどい質問だった。
おれは──そうだ。おれはこの夢がもたらした業を最後まで引き受けなければならないのだ。
「だって、おれが勇者だもんな」
《待ってます。その決意が鈍らないように》
アリスティアの意識はそこで消えた。
夢から覚めて、おれは起き上がる。そして心配そうに見てくれた、ディーやコウエン団長、ハリネズミたちに向かって、ただ一言だけ伝えた。
魔王を倒す、と。




