だっておれが勇者だから①
自分に夢があることの、どこがばかばかしいというのだろう。
昔からそうだった。セドの兄貴が村を出て騎士になったと聞いた時から、おれは「最高の騎士:〈勇者〉の勲章をもらうような人物になるんだ!」と言ってやまなかったんだ。
セドの兄貴の時からそうだったけど、なんで大人たちは人の夢を馬鹿にするんだろう。
そしてなんでみんなは大人のまねをして、一度笑ったものを嗤えるのだろう。
それだけがどうにもわからなかった。
「ほらみろ、〈勇者〉様のお通りだ」
向かいに住むドッジたちが盗み見るようにおれを指差す。だがもうおれも十八歳だ。気にする齢じゃないはずだった。
おれはいつも通り裏山で木剣を千本素振りしてきた帰りだった。おかげで汗だくだし、ヘロヘロだ。七つの頃から始めたこの習慣は、今となっては呼吸をするのも同然で、むしろやれない日があると息苦しくなる。
おかげなのかなんなのか、身体も絞れてきたし、もうしばらく背丈が伸びる年頃であることを考えると、まだまだやれることがある。そう意気込むには充分だった。
だから、おれは同い年のつまんない奴らの相手をする暇なんてなかったのだ。
「アウル──」
ドッジの行列を見送って、あとからやってきたのは、おれの親友だった。
ディーン=クーント。
たしか真名はそんなだったと思う。でも、おれにとっては──
「ディー」それだけでよかった。
「おまえな、また裏山かよ。おかみさん怒ってたぞ」
「ん? おれなんか当番サボってたっけ?」
「水汲みと苗の手入れ、それから牧場の世話係──」
「ゲッ、最後のやつ忘れてた」
「ほら見ろ」
ケタケタ笑う。この抜け目のない感じと言い、人の揚げ足とって笑うところとか、ほんとにサイテーなやつだ。
でも、そこまで嫌いにはなれなかった。
ディーは、おれと同じで、おれよりもタチが悪い。嘘つきで、サボり魔で、ひとに責任を押し付ける。でもなぜか女の子にはよくモテた。見かけがきれいなのも幸いしてか、それとも元が街育ちの浮浪児だからか、村にはない土っぽさの無いところがウケるのか。
とにかくディーは、村では一匹オオカミを気取ることが多いがよくおれには絡んだ。おれの夢を馬鹿にするところは周囲となんにも変わってないが、馬鹿にする理由がほかの誰よりも具体的なのが気に入っている。
『平民生まれの人間が騎士になる、それも高貴な身分になることは歴史上いっさいありえなかった。ただひとつ乱世を除いて、な』
そう言うのだ。
セドの兄貴は騎士になった、と言うと、それは違う、とディーは返した。
『セドの兄いがなったのは騎士付きの衛士だ。要は身の回りのお世話係でな、特に騎獣の世話がうまいって褒められたんだ』
牧童育ちが功を奏したのだろう、と余計な憶測まで言っていた。
そういうものだろうか。だとしたらおれのやってることはハナっからお門違いなのかもしれない。
『そうだよ、お門違いさ。貴族の息子が平民に堕ちることはあってもさ、農民や牧童の子供が騎士や貴族になることは、それこそ夢──寝言の類いってもんだ』
『だが、夢は叶うかもしれないだろ』
『現実を見ろよ。つうか、どうせ見るならもう少しマシな夢を見るべきだったな。可愛い女の子と一緒になる夢とか、さ』
その時、突風が吹いたので会話もそこで終わってしまったのだが、彼の言ったことはすごく印象深く、以来無視できなかった。
おっと、いけない。
ディーがおれを呼びつけた理由が何だったなを訊かなきゃ。そう思ったとたん、ヤツは苦笑いで、お払い箱のしぐさをした。
「もう遅いよ。お前がやらなかった当番は、このディーさまが代わりにやってやった」
「どうせおかみさんに叩かれたんだろ」
「そーだよ。痛かったなあ。ほんと」
どんなにお高くとまっても、しょせんはおれと同い年の若造──お世話になってるおかみさんが怖いことには変わりはなかった。
しかし、だったら、なんでディーはおれに伝言なんてしに来たんだ? より一層気になるじゃないかよ。
「イシュテルがお前を呼んでる」
「イシュテルが?」
「そうだよ。村の端っこの泉だ」
「わかった。行くよ」
やれやれ、という気持ちは正直ある。
イシュテリア=ルーフ・エントは、ディーと並ぶおれの幼なじみで、村長の娘だ。
村長がこの西の果てのエント郷一帯、せいぜい五十くらいしかない農場・牧場のすべてを統轄しているものだから、娘も父親の感化を受けてしきりたがりになっていた。
おかげさまでか──
おれとかディーによく噛み付いて回るめんどくさい娘になっちまった。
昔は良かった。どこまで行ってもおかみさんに面倒見てもらった、生意気で似たり寄ったりの木の実みたいな背丈だった。
でも、いまとなっては、おれもディーもでかくなったし、イシュテルはよけいにめんどくさくなった。おれがなんか言うたびに怒るし、文句を垂れるし、そのたびにディーが神妙なツラして慰めに行くなんてこともあったくらいだ。
いまもそうだ。ディーは、あんなにモテるのにだれにもなびかず、唯一イシュテルの話だけは聞いている。今日もそう。まるで使いパシリのチビ犬みたいじゃないか。
おまえ、そんなヤツじゃなかったろ──とたまには言いたくもなるさ。
でも、行かないほうがもっと面倒だ。
だからおれは、農場のほうに足を向けて、あぜ道を進み、水汲み場から泉の方の道筋をたどっていった。
道中立ってた水車小屋が、カラカラと小気味よい音を立てて石臼を挽いている。
だがいけすかない粉屋のじじいが、ガラガラのどで歌う粉挽き歌が、興を削いでいた。
おれはさっさと、村の郊外にあるエントの森に入って行った。
ザワザワと鳴る樹々のなか、けもの道にも似た泉への通路をたどる。
このあたりにしては陰が濃く出る暗い森で、よく村長に「木の怪物が出るぞ」と怪談をささやかれたことを思い出す──結局そいつには出会わずじまいだったけれども。
とにかくおれは、森の奥にある泉で、神妙な面持ちで立っているイシュテルに会った。
肩から背中に下ろした長い黒髪に、透き通った空みたいな瞳が、おれを見る。その真剣な様子に、ちょっとびっくりした。
「アウル」
「イシュテル……」
まるで別人だった。
「さっきディーから聞いた。けど、どうしたんだよ急にさ」
沈黙が怖くて、思わず先に口を開いてしまった。それを聞いたイシュテルは、いつものイシュテルみたいに怒るかと思ったのに、また急にしおらしくなってしまう。
「村の普請役が決まったって話は──聞いてる?」
「ん、ああ。知ってるよ」
確か王都から派遣された号令で、今度西の川に巨大な堤防を造るだとか、なんとかで人手を掻き集めるとのお触れだった。
西の国を収める領主とそのご子息が指揮をとり、王都近辺の穀倉地帯の流通をさらに良いものにする一大事業だと、聞いている。
「わたし──その普請役といっしょに、西方領主のご子息とお見合いすることになったのよ」
「へえ、そりゃあ……」
あのイシュテルが。
言われてみれば、結婚適齢期、か。
「寂しくなるな」
「──ほんとに?」
「ん?」
「ほんとに、そう思ってるの」
「な、なんだよ急に」
まさか、イシュテルがだれかと結婚する娘になるだなんて、思わなんだ──
そう、言おうとしたが、言えない空気になってしまっていた。
「アウル。ねえ、アル=ウルストン」
「その名前で呼ばねえでほしいな」
「だめ。わたしはあなたの──」
──ほら、アル=ウルストン、あなたの相手をしてやれるのは、わたししかいないの。
急に過去言われたことが甦る。
──わたしはあなたのご主人サマ。あなたはお父さまが拾って育ててくれただけの孤児にすぎないのよ。
よく言うよ。村長には「同い年の遊び相手」って紹介されただけだろうがよ。
イシュテルはけっこう嫌なことを言うめんどくさい娘だったが、それでも根はまじめで寂しがり屋、可愛いところもある。
それを──
「いまさらのように言われてもなァ」
「……えっ?」
「ご主人サマごっこ、するにはもうだいぶおれら年齢が年齢だよ」
イシュテルが目を点にする。
おれは苦笑した。
「なあ、おれが騎士になるって夢──ディーはばかにしてたけどさ、イシュテルは面と向かっては否定しなかったよな? なんで?」
それは……と目を泳がせる。
「叶ったら、いいなと思ったからよ」
「でも身分的に無理って、ディーがあんなに言ってたのにさ」
「違ッ……あのね、それくらいわたしも知ってます。でもね、裏ワザってのもあるの」
いい調子だ。
いつものイシュテルが出てきた。
「わたしがこのエント郷の管轄を父から引き継いで、その衛士としてあなたを雇うこと。そうすれば、あなたはいちおう騎士にはなれるわよ」
「で、それまでは待てないっておれが言ったわけだが」
「昔の話をなんども蒸し返さないでよ!」
「へへ。でもよ、もうおれのことなんてそんなに気にしてくれなくて大丈夫だよ。村を継ぐのはディーがやるだろうし、おれはおれなりに気ままにやるからさ」
言っておいて、イシュテルの顔が曇っていくのに気づいてしまう。
あれっ。おかしいな……こんなはずじゃないのに。
もうちょっと、元気な顔して欲しかったんだけど。
いまにも泣きそうじゃないか──
「心配しすぎだよ、イシュテル」
「違うよ、違うよ……ねえアウル」
力なく、倒れるように身を寄せてくる。
おれが腕で支えてあげないと、立てないんじゃないかってくらいに。
儚くて、弱くて。
柔らかくて、脆い。
そんな肉体を──熱の塊を、受け取った。
「アウル……どうして」
「えっ」
「どうして気づいてくれないの?」
熱い息と、熱っぽい声。
「どうしたらあなたのことが好きだって、伝わるの──?」
……いま、なんつった?
イシュテルが、おれを?
まてまて。冷静になるんだ。
「……えーっと。騎士道物語の読みすぎ?」
「アンタにだけは言われたくないわッ!」
怒りなのか、恥ずかしいのか。
イシュテルは顔を真っ赤にして、おれに怒鳴りつけたわけだったが──その時だった。
森の彼方から、悲鳴のような咆哮を聞いたのは。