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だってわたしの勇者様  作者: 八雲 辰毘古
最終章:だってお前が勇者なんだろ?
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だってお前が勇者なんだろ?②

 おれは初めてその顔を見たと思う。美しい顔だった。儚くて、見るものの眼を奪わずにはいられないその顔は、何度か謁見した王の顔に似ている。

 おれの手を止めたのは、だからというわけじゃない。どちらかというと、おれ自身よくわからない理由でからだが動かなかった。


「なにやってんだ!」ディーが叫ぶ。


 ちがう。ちがうんだ。ディー。

 魔王は静かに笑っていた。


《若者よ。怒らないであげてください。かれはわたしに真の名前を差し出してしまったのです。古代の魔術において、真の名前を知ることはそれ自身を掌握することに等しい。あなたの調べではそこまではたどりつけなかったようですね。ディーン=クーント》

「……?!」


 その瞬間、ディーも金縛りに遭った。振りかざした剣がピタッと止まり、動かすにも動かせず、やがて絶えきれずに剣を落とした。

 からん、と金属音が響くなか、ハリネズミだけが緊張した面持ちで状況を見守っていた。熾天使は油断なくハリネズミを見る。


《残念ですが、あなたは例外ですよ。高地人(ハイランダー)には真の名前の文化はありませんのでね》


 勝負はすでに決まっていた。

 まるで悪夢を見ている気分だった。


 魔王は背中の翼を畳んで、ゆっくりと腰掛けた。その女性的な顔に反して、肉体は引き締まった男性的なつくりをしている。


《昔話をしましょう。『勇者伝説』は何を語り遺したのかについて──》


 訥々(とつとつ)と、やつは語り始めた。

 魔王の王国と、人間の勇者について。


 そもそもこのドーリエンの世界では無数の種族が存在した。数の多い人間族、ミシハセ族に高地人(ハイランダー)、それにとどまらないさらに多くの種族がいたが、神話の時代の終わりに、かれらは去ったという。

 かれらが遺したものは少なからずあった。なかでも石の恵みを工芸品にする能力はミシハセ族に、高地人には動物と対話する能力を、そして人間族には魔法の力が授けられたのだという。


《魔法の力の本質は単純です。そのものを知り、掌握し、支配する。一見するとただ賢しらになっただけのように見えますが、これが結局のところ他の民族を犯し、乗っ取るところまで発展しました》


 やがて、魔法によって人間族は巨大な国を築き上げた。かれらは民のひとりひとりを名前を知り、生き様を掌握し、支配したのだ。

 魔法の力を研究し、応用することを覚えた人間族は、ついにその極みに達する。すべての名前と土地の霊を支配した魔法使いの王を生み出す理屈を発見したのだ。そして愚かにもそれを実験した。たったひとりの魔法の才能に恵まれた子どもを使って。


《それが魔王(わたし)です》


 万物を飲み込み、達成した成果は、文字通りの〈万物の支配者〉を生み出した。

 日照りや水害を予知し、民の心を理解したその治世は理想の世に見えた。


 ところが、あるとき大臣のひとりが何もしていないにもかかわらず、「叛乱(はんらん)を予知した」ことによって処刑された。

 かれらはそのときになって初めておのれの過ちに気づいたのだ。


 全知全能の存在を造って、そこに自分たちの統治を委ねてしまったことに対する、それは。


《わたしはいわば〝夢〟なのですよ》


 夢のような生活。夢のような統治。そして夢のような王国の。


 その、あらゆる夢見られたものたちの。

 成れの、果て。


《かれらは必死にわたしを止めるために手を尽くし、ミシハセ族や高地人の手を借りたみたいです。〝封印の刃〟が鍛え上げられ、高地人の軍勢を借りて、かれらはわたしに刃向かいました》


 その戦いの果てに、勇者は魔王を倒した。

 正確には封印した。

 死の概念すらも乗り越えた魔王にとって、刃による致命傷はあり得なかったのだ。


《しかし後釜に座った王国は、魔法の存在から手を切ることができなかったのです》


 かつて魔王をつくった万物を理解する魔法は、その後皆が忘れた頃に、王族のひとり──姫君を相手に何度も繰り返されたのだ。

 その名前こそ神使──「神の使い」と名づいたのは皮肉なことだった。なぜならひとびとはそもそも、魔法に古代の神の力を託し、それをヒトの手のものにするために、魔王を生み出したのだから。


 だが、おれはここまで聞き及んで、ある疑問を覚えた。


《「なぜこいつはこんなに親切丁寧に話してくれているのだろうか?」──そう思った方もいるのでしょうね》


 まるでおれの心のうちを見透かしたように魔王はおれを見た。


《そんなに難しく考えることはありませんよ。わたしがこの世に蘇るために必要な儀式をしていたまでなのです。つまり、「魔王(わたし)の存在がそこにあった」という事実を信じてもらうこと。なにを隠そう、『勇者伝説』を後世に遺したのは他ならぬわたしなのですから》

「……?!」

《もっとも、人の記憶とは曖昧なもので、のちに魔王の言葉は書き換えられてしまったのでまったく効果を発揮できていませんでしたが。しかし、こうして東の神殿に来てもらえたわけですから、結果としてはうまくいきました》


 ふたたび魔王はすがたをあらわす。

 すべての翼を拡げて、その力を解放しようとしていた。


《さあ、もう物語の時間は終わりです。あなたがたはほんとうによくやってくれました。失われた歴史の真実をここに蘇らせ、魔王(わたし)の封印を解いてくれた。諦めずにいてくれて感謝します。勇者アウル。好奇心はときに不都合な真実を暴きます。もうこの世界はわたしの手のもの同然です》


 ふふふ、と笑ったそれは、恐るべき存在に変わっていた。

 熾天使はあらぬ方向を見やり、何かをつぶやいた。それでそれ自身が風のように溶けて消え去ると、おれたちは金縛りから解放されたのだった。


 そんな。


 おれは膝を突いて、なにか言葉をさがした。でも、何も言えないまま、呆然とした。


 ハリネズミがすぐにやってきて、おれとディーの手当をする。怪我はなかった。致命傷もありえない。おれたちはただ生きていた。生かされていただけだった。


「あいつ、なんでおれたちを殺さなかった」とハリネズミ。

「殺す必要がなかったからだよ」ディーが言った。「むしろおれたちが生きていることのほうが好都合なんだ。さっきの話聞いただろ? やつにとって、自分の存在を信じてもらわないとこの世界に蘇りができないんだ」

「じゃああいつはどこに?」

「多分王都だ」


 おれは口を開いた。


「王都?」

「あいつの言葉を信じるなら、歴史上存在しなかった〝魔王〟の存在を、大勢の人間に信じてもらうことで力を得るとするなら──」

「ヒトが多い場所に行くのは必然って話か」


 ハリネズミは腕を組んだ。


「それよりもだ」とディーが口を開いた。「今度やつを倒すためにどうすればいいかを考えないといけない」

「倒す? お前……」

「当たり前だろ。あれはおれたちが目覚めさせたようなものだろう。ならおれたちが決着をつけなきゃいけないはずだ」


 おれは少しためらった。


「それは、そうだが」

「怖気づいたか」

「……」

「どうなんだ、正直に言え」

「ああ。そうだよ。だからどうしたと言うんだ!!」


 気圧されたディーの顔を、おれは初めて見たかもしれない。だがおれは自分で自分の混乱を、怒りを、やるせなさを、抑えることができなかった。


「おれたちはまんまと魔王(ヤツ)の手のひらで踊らされていたんだぞ! これがそんじょそこらの浅知恵で何ができるっていうんだ?! また利用されて、それで終わりかもしれない。あいつの力を見ただろ? 名前を知られたおれたちにもうできることなんてひとつもないじゃないか!」


 そう言って、おれは顔を伏せた。

 どうすればいいんだ──


 怪物が出た。それはおれのせいじゃないのかもしれないが、『勇者伝説』を真に受けておれは魔王の存在をもう一度世の中に放ってしまった。それはしかも、そいつの策略そのものだった。

 なら、おれはなんのためにここまで戦ってきたんだ?


 なんのために勇者であろうとしたのか?

 なんのために犠牲を出して戦ったのか?

 そしてなんのために、イシュテルは、ラナは、死ななくちゃいけなかったのか?


『あのひとを解放して』──出し抜けに、ラナの最期の言葉が蘇った。


 あのひとってだれなんだ?

 ラナは死ぬ前になにを知ったんだ?


 わからない。わからない。わからない。


 出し抜けに、ディーがやってきて、おれの髪を乱暴に掴んだ。


「立て。勇者アウル」

「……痛いじゃないか」手を振りほどく。

「立て!」


 おれはむりやり膝を立てて、身を起こした。それほどの力で立ち上がることを強いられたのだった。


「……なんだよ」

「どうもこうもない。ここで諦めるなんて、おれは許さんぞ」

「……許すも何も」

「だってお前が〈勇者〉なんだろ?」


 おれはディーを見た。

 怒りとも悲しみともとれないまなざしがおれを見つめる。


「この世界に『勇者』を信じたり、ばかにしたりして生きてる連中は山程いる。でも、それでも信じてここまで来たのはお前だけだ。お前だけが、その行動で人を変えた。お前が折れたら、この世界の民がみな失望する。それじゃだめなんだよ」


 ディーは必死になっておれに詰め寄った。


「仮におれがお前と同じことをやってもこうはならなかっただろう。もう遅いんだよ。これはお前が始めた物語なんだ。自分がねがった夢にもし罪を感じるなら、その罪は自分できちんとあがなってくれ」


 おれは、答えを出せなかった。

 でもそれがすべてだった。


「ひとつ、いいことわざを教えてやるよ。『おとぎ話が存在するのは、怪物がこの世にいることを証明するためじゃない。怪物の倒し方が書かれているからだ』ってな。おれが調査を続けてきたなかで、唯一その言葉を頼りに生きてきたんだ。だから、『勇者伝説』の物語は、まだその役目を終えていない」


 ディーは不敵に笑った。


「幸い王都に戻るまでに時間はたっぷりある。考えながら答えを出そうじゃないか」

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