だってわたしの勇者様⑥
世界の果てへの旅は、行きと帰りで一年がかりのものとなった。
騎士団が遠征準備をしている間、アウルたちはついに〈折れた剣〉を鍛ち治す作業に入った。なんでも、ミシハセ族出身の鍛冶師が〈竜の巣山〉の坑道に大きなインゴットを見つけてきたのだそう。
折れた剣をそのままつなぎ直すことは不可能だ。それはわたしが語るまでもない。だから、実際にはその材質を調べ、特性を調べ、同じ素材でそれが再現できるかを模索する。それがアウルたちの目的だったと言っていい。実際にはその剣は伝説通り、西方の山脈でしか採れない特殊な鉱石を精錬してできた金属によってつくられていた。だから、素材があればあとは技術だけなのだった。
剣を一振りつくるのにかかる労力は、容易ではないが、七日七晩かかったと言われている。わたしはその間、あることを思い返しながら日々の政務に関わっていた。
あること、というのは、西の果てから届けられた〈祈子のささやき〉という極小の結晶石のことだった。
そのむかしのことだ。
まだ、アウルの名を知らず、かれが十かそこらの子どもだった頃──
アウルの住んでいるエント郷という村から届けられたそれは、とても美しい宝石だった。だから、わたしのもとに神へのささげ物として王から献納を受けている。
わたしはそれをまだ持っていた。かれは気づいているだろうか。そもそも、かれはわたしがこれを持っていることを知っているのだろうか。
わからない。わからないけれど。
かれの住んでいた西の辺境の世界が、たんに海に近いだけではなく、ミシハセ族と呼ばれた過去の支配種族のいた場所だったことを考える。『勇者伝説』の発祥も西の果ての鉱山地域での反乱はその発端だった。
それを裏付ける証拠はなにひとつ、いまとなっては残っていない。だから結局のところ憶測に憶測を重ねただけの空想でしかものごとを考えることができない。
それでも思ったこと。
いまのわたしたちの王国の前には、本当はなにがあったのか?
歴史書はある支配的な、悪虐の限りを尽くした帝国があり、それが内乱によって滅んだことを示している。その支配種族がミシハセ族だったが、かれらもまた独自の風習と度重なる戦争によって数を減らし、滅んだと言われている。
だけど、いまアウルとの知り合いなど生き残っているものがいるように、伝説が断言したことが必ずしも事実と一致するとは限らない。現にそのものはアウルと出会い、アウルが勇者として持つべき剣の鍛造に向き合っているわけだ。
ミシハセ族の帝国が滅んだあとの歴史は、いわば王国の歴史だった。
しかしそのすべては必ずしも明快ではない。わたしは祭祀を司る人間としてこの国の大っぴらには言えないものを多数知っているつもりだったけれども、それでもこの国の始まりで起こったことは知らなかった。
ただひとつ、神使という立場の人間が、ほんとうに夢で予言を知るというふしぎな力を除いて──
夢。
わたしの夢占の権能──その力だけが、この国にいるはずのない〝神〟を作り出している。それだけなのだ。
もしこの世界に本当に〝神〟がいるのであれば、あのような怪物を放置することがなかっただろう。
でなければ……
何か思い当たることがあるような気がしたが、そこから先はモヤが覆っているようで、考えがはっきりしない。
そうこうしているうちに新しい剣が鍛え上げられ、アウルの手に収まった。
かれはついに、東の砂漠の──その向う側にある世界の果ての神殿まで旅立った。
見送りの出来ない立場だったことが、こんなにも恨めしかったことはない。
最初は我慢しているつもりだった。
その間わたしは気が気でなかった。
朝に夕に、アウルの無事を祈りながらも、訃報が来やしないかと怯えてすらいた。
そのうち夢の中で、わたしはアウルの旅路を何度も見ることになった。
始めは無邪気なものだった。
かれらはわたしが夢の中で見ていることを知らない。わたしは風のように、鳥のようにその周囲を心ゆくまで観察することができた。道すがらかれらは様々なことを話していたが、最初のうちはかれらの声は聞こえていなかったのだ。
ただ、楽しいことばかりではなかった。
実際夢の中で、危機は何度もあった。
砂漠で水を失ったり。
砂嵐に襲われたり。
あるいは、遺跡と化した神殿の、侵入者を阻む罠に掛かりそうになっていた。
その度に護符が、魔力を発した。あの、わたしの髪を切って入れさせた護符だった。
わたしが「あぶない!」と叫ぶと、それが聞こえたかのように彼は反応した。そのたびに彼は間一髪で死を免れたり、罠を検知したりした。妙なことだった。いままでわたしは夢を見て、行く末を前もって知ることができても、夢の中から現実に干渉する能力はなかったはずなのだ。
それでも、かれらの旅は順調に進んだ。
そしてついに神殿の奥に封印された原典を紐解くに至った。
わたしは、その瞬間を夢で視ていた。
だから知ってしまったのだ。
この国の秘密を。
この世界の残酷な仕組みを。
「どうして──」
わたしは、要するに人柱だったのだ。
なぜ夢見の才能があり、どうしてその権能を持つ者が「神使」と呼ばれて幽閉されねばならないのか。
ひとえにそれは、「誰かに思い入れをしないため」だった。
神に捧げられた存在は、その想い、その祈りがすべて世界に反映されてしまう。
機嫌が悪ければ悪天候を招き、思い入れが強ければその人の運命を左右する。
だから──
だから。
「そんなもの、ただのしきたりだと思ってた……」
でも、ちがった。
神はいた。
信心のない末裔を、罰するかのように。
そこに、いた。
「アウル──だめ」
戻ってこないで。
わたしに真実を突きつけないで。
どうか、このまま。
このまま一生ひとりで──
その朝、わたしは目覚めた。全身が汗で濡れていて、いましがた夢で見たことをハッキリと憶えている。わたしのこと。神使というこの国のこと。そしてその由来がどこにあるのかを……
わたしは起きるのも億劫で、動けずにいた。時間が過ぎるがままに任せる。そのうち、異変が起こってることに気がついた。
神殿にはだれもいなかったのだ。
ふだんなら必ず掃除するものなどがいるはずなのに。その日だけは、妙に静かで、人の気配すらしなかった。
「だれか。だれかいないの」
柄にもなく声を張ってみた。しかし慣れないことはするものではない。声はただ反響するばかりで、神官長のナサニエルでさえも大神殿から引き払ってしまったのではと思うほどだった。
どうしたことだろう。
戸惑っていると、金属がこすれ合う音が多重に群れになって行進するのが聞こえた。騎士団か、と思ったが、少々違った。
やがて、出し抜けに大神殿の扉が開けられた。なかに入ってきたのは、ベッソン家の家紋を付けた兵士たちの群れだった。
わたしはただ立っていた。
兵士たちの先頭の、重戦士のひとりが、おもむろにかぶとを取った。
ドーント・ベル=ベッソン。
現ベッソン家の当主代行。
その男が、なぜこのときになって。
「神をも恐れぬ無礼な振る舞い、ベッソン家のものよ。これはどのような罪にも代えがたく、重いものと心得なさい」
わたしは儀礼的にそれを言った。
だが、あえてこれをしたということは、裏があるのだろう。
ドーントはかしこまってひざを突いた。
「ご迷惑をおかけしてもうしわけございません、神使様。しかし少々重大な事案が発生してしまったため、お迎えに上がりました」
「重大な事案、とは」
「この国の危機に関わることです」
「……申してみよ」
ドーントは顔を上げた。
「単刀直入に申し上げます。わたしはですね、この国のあり方に疑問があるのです」
「この国の、あり方?」
「そうです。王を立て、そしてその一族から神使を出すということについて。われわれは独自の経路から、王族は信ずるに足らぬと確信したのですよ」
つかつかと、進み出た。
ドーントが拡げたそれは、古びているがまだ読める古文書のひとつだった。
「ここに書かれてることが真実なら、あなたは、あなたたちの一族は、この世にいてはならない存在だということになります」
「これを……どうして……」
《わたしがやったのよ》
どこからともなく、声がした。
わたしだけが聞いたのではない。
ドーントもまた、怯えたように体を左右に振った。
《フフフ……もうわかっているのに、なにをそんなに周りばかり見ているのよ》
わたしは、その声がどこから出てくるのか、いまごろになって気づいて、口元に手を当てた。
《そう、わたしは、アリスティア──この世界に生まれ落ちたその瞬間から、世界を憎み続けた偉大なる魔法使いの末……》
だめ。だめ。だめ……
もう、わたしは。
わたしを。
おさえることができない。
とたんにわたしの周囲が闇に包まれた。
巨大な怪物が、王都を蹂躙したのだった。
*
みんな、死んだ。
騎士も神官長も。
都の民も。
謀反者ドーントも。
みんな、みんな。
王都は廃墟となり、わたしはただ、自らの権能に生かされ続けていた。
もはや死ぬことすらできない。
ただ、心より気に掛けている人が、戻ってこないことを祈るばかり──
でも願えば願うほど。
夢に、彼が、出てくる。
怪物たちが、彼を襲って傷つけていく。
やめて。どうか。
神様、お願い。
祈れば祈るほど、アウルに試練が重なる。
彼はそれでもやってくる。
わたしとの約束を果たしに。
嬉しかった。悲しかった。
辛かった。苦しかった。
でもそれ以上に、愛おしかった。
思えば最初からわたしは。
あの人と二人きりになることを望んでいたのかもしれない。
そう、それは──
わたしが見たかった。
夢。
もうすぐあの人がやってくる。
わたしを殺しに。
でもそれでいい。
それでいいの。
だってわたしが見込んだ男だもの。立派な勇者にして差し上げなくちゃ、ね。




