だってきみこそが勇者だから⑥
風がむせび泣いている。おれの髪を逆撫でて、真実を知れと迫っている。
でも、おれは立ち止まることしかできなかった。
ラナの墓と、騎士団の追悼の泣き声を聞きながら、ただそこに立っていた。
あの戦いからはすでに一週間が経っていた。おれがここに生きているということは、もう察しの通り、おれは勝ったのだ。
というより、翼獅子に〝勝たせてもらった〟といえばいいのか──
「きみの悲しみをどう拭ってやればいいのかわからない」
コウエン・アルデンハイム団長が、葬列を離れて、おれにそう話しかけてくれた。
「いえ。お気持ちだけでもありがたいです
」
「こうなるとわかっていたなら、わたしも最初から軍勢を派遣していた。油断したんだ。まさか最初からきみ狙いだったとは……」
「いいんです。いいんですよ」
おれはコウエン団長ですら、いつのまにかおれに親身になってくれていることに恐ろしさを覚えていた。
──あなたが分不相応な夢を語らなければ、わたしは目覚めることがなかった。
あの翼獅子が語りかけた内容を思い出す。
いやが応にも思い出してしまう。
「そのうえで訊くのはためらわれるが……教えてくれないか。翼獅子退治の一部始終を」
「……大丈夫です。おれも、団長に相談しなければならないことがあるんで」
おれは顔を上げた。
ちゃんと語ろう。
それはこういうわけだった。
──あの時。
ラナが血を噴き出して、倒れたあの時のことだった。
おれは自分でもわけがわからなくなるほど叫び、喚き、彼女のからだを抱きかかえた。その両手には血がべっとり付いていた。牙が引き抜かれ、あふれる血潮をもろに浴びるかたちになってもなお、おれは必死に止血を試みた。
《この小娘、女狐、泥棒猫!》
呆然としていた。だから、翼獅子の口を借りてそれが口走っている悪態の数々の意味を考える余裕すらなかった。
おれはラナのからだが冷え切るまで、ずっと、ずっと抱きかかえていた。
「ア、ウ、ル……」
「しゃべるな! 死ぬな!」
「い、い、ん、だ……」
「ラナ!」
「あ、の、ひ、と、を」
か い ほ う し て──
彼女の口はそう、言っていた。
その意味がわからないまま、おれは怒りに駆られて剣を握った。
それからはむしゃくしゃした気持ちを晴らすようにして、翼獅子と戦った。
へんな感じだった。だれを恨めばいいのかわからなかった。いや、とにかく目の前にいて、イシュテルとラナを同様に殺したこの翼獅子を倒さなければならないのはよくわかっていた。怒りもあった。恨みもあった。でも、それを直接ぶつけて、使い切った先になにもないような気がしていたのだ。
そして、その予感は何もまちがってなかったのだ。
「おれたちは、ディーと、ハリネズミとで、手を尽くして日が沈むまで剣で、弓で、戦ったんです。魔法の壁が始終邪魔してなかなか傷が付けられなかったんですが、それが実はほんの一瞬だけ隙があることに戦いながら気づきました」
気づいたのは、やっぱりディーだった。
かれは弓の一撃の直後に一瞬だけ風が吹いたような気がした、と言った。
それを信じるまでに。考えるまでに時間がかかったが、ディーの側近が死んでしまうと、さすがにおれも冷静になった。
やろう。おれたちはあの頃、村で戦ったときの連携を取り戻せたかのように思えた。
ディーが短弓を撃ち、ハリネズミが追撃する。その連続で弱った魔法の壁に、おれが全身全霊で剣尖を突き立て、貫いた。
このとき初めて翼獅子の眼の色が変わった気がした。凶暴な眼差しと、知性のない悪意のあるひとにらみ。そっちのほうがおれの知っている翼獅子によく似ていた。
とっさに翼獅子は角から稲妻を乱発し、竜の巣山の山頂をずたずたにした。おれはラナの遺体を守るために動けずにいたが、ついにそのうちの一発がおれに飛んできた。
おれはさすがに死を意識した。
でも、ラナのもとにいけるんだったらそれでもいいとどこかで思った。自暴自棄になっていたんだ、といまなら言える。でも、もうそれすらも意味のない逃避の思考だった。
ところが、その瞬間。
光が降臨し、おれを守った。
「……!?」
そこにいたのは、背中に翼を生やした、男とも女ともつかない超越した存在だった。
《翼獅子、愚か者め》
おまけにそいつは言葉を発した。
仮面の熾天使。
うわさには聞いていた。
だがそいつは東にいるはずなのに。
「なぜ」
ディーも、ハリネズミも、イツキも。
みんな、みんな。
そいつの登場に呆然とし、言葉を失った。
だが、熾天使はおれに意も介さない。
《貴様の食い意地が張ったか、ケダモノめ》
Grrrrr
翼獅子が隻眼を細めて、身構えた。その頭部が狙いを定め、放電する。
おれたちは稲妻の到来を再度確信する。
しかし熾天使は君臨したまま、電撃を待っていた。
激しい光と、地面がえぐれるほどの電力がほとばしる。それは熱とエネルギーを解放しながら、あらゆるものを破壊しつくす──そう思われたのだが。
熾天使はそれを手のひと払いで、消し去った。
《その程度のちからのくせに。思い上がったことをしおって》
おもむろに、熾天使は剣を抜いた。
見たこともない刃だ。
暮れた陽の光を浴びて、紫色の炎のように燃え上がる。その刀身はまるでそれ自体がひとつの禍々しい星の輝きのようだった。
それが横一閃に薙ぎ払われると。
翼獅子の角が、翼が、折れていた。
Guaaaaaa
翼獅子の絶叫が、今度は痛ましく感じた。
王国を襲う宿敵でもあるはずの、この怪物たちが、よりによっていま、仲間割れを起こしている。しかし、おれにはそれ以上になにか痛ましいものを感じずにはいられなかった。
──これは、おれが招いた事態なのか?
その問い。翼獅子の口を借りて出た言葉は、思った以上におれの心に深く刺さっている。
──この世界の〈勇者〉の物語は、最初から仕組まれていたんだ。
ラナが放った言葉が、おれの決意を鈍らせる。でも、鈍ってはだめなのだ。おれは先に進むと宣言した。戦うと決めてしまった。だから、その先に向かわないといけない。
でないと。
彼女の死は。
熾天使はおれを見た。
ディーを見た。
そしてハリネズミを、イツキを見た。
仮面越しに感じたその視線は、透き通るような眼だった。
《邪魔しましたね。でも、もう大丈夫ですよ。わたしは東で待ってます。あなたがたが真実を知るその瞬間をお待ちしております》
そういって、風のように消えた。
あとには角を、翼を失くしたあわれなケダモノがいるだけだったのだ。
「おれたちは、もちろん翼獅子を斃しましたが、しょうじき後味が良くない勝ち方でしたよ。なんでおれは戦っているんだって初めて感じました。あれは……あんなことのために、おれは戦っていたつもりはない……!」
「…………」
すべてを話し終えると、コウエン団長は黙りこくってしばらく考え込んでいた。
「アウルくん」
「はい」
「きみは、どうして勇者になろうとしたんだね?」
「…………」
「いちおう、真剣な問いのつもりだ」
「……正直に言うと、そこまで深い意味はありません。かっこいいものになりたい。そう思っただけのことなんです」
「そうか。だが、だれでもそういうものだろう」
「否定しないんですか」
「ん?」
「『おまえは結局、自分のことしか考えてないじゃないか』とか、思わないんですか」
「思うとでも思ったか?」
「……ッ!」
「きみは、責めを受けたいんだろうか。少なくともわたしにはそう見える」
図星だった。おれは目をそらす。
「タレスが聞いたら、きっときみが望んだように言ったかもしれんがな。わたしも大人だ。からかうのはやめておきなさい」
「おれは別にからかってるつもりは──」
「大して変わらんよ。結局、自分でやろうとしたことを、途中で迷って、やめていい理由を探しているようにも思えるが、どうかね」
「……」
コウエン団長は、草の上に座った。
「アウルくん。きみは何をしたいのだ」
「何って」
「わたしはね。べつに騎士団長になろうと思ってなったわけじゃないんだ。もともとこの王国の騎士団長なんて大した立場じゃない。ただ盗人を探して、国境警備をするだけのなんてことのない役割なんだよ」
だがね、と付け加える。
「怪物騒ぎが起こってから、騎士団はふだんよりもずっと活躍している。最初は役立たずと言われたが、きみと戦って、怪物を一匹ずつ退治していくうちに、自分が何をすべきだったか、自分がどういう人間だったかをよく振り返っていたよ。『ひょっとして』──わたしは思ったよ──『わたしコウエン・アルデンハイムは心の奥底で、軍勢を動かす将軍のようになりかったのでは?』なんてな。どうもわたしは、騎士団長の立場でいながら、王国の平和を守る側にいながら、結局は戦いに身を投じ、だれかの称賛を得たかったようなのだ。きみが〈勇者〉として知られていくなか、わたしはその情けない欲求にいまさらのように気づいたわけだ」
寂しげに、団長は微笑んだ。
「だが、それはしょせん情けない、つまらない欲求なのだ。仮に大将軍になったとする。それでどうだというのだろう? いっときは立派とほめそやされるかもしれない。だが、結局はそれだけなのだ。ほんとうはどうありたかったのか。どういう風にしたかったのか。人間が生きている時間は短い。でも、だからこそ自分の望みを、見せかけの、言葉だけで見つけたねがいに振り回されないようにすることだ。わたしは結局のところね、ほめそやされたいんじゃなくて、蔑まされなければそれでよかったんだ。怪物がいようといなかろうと構わん。ただ、『いてもいなくても変わらない役立たず』でなければ、それだけでよかったんだ」
おれはそれを聞いて、自分の中でも思うところがあった。
同時に、思い出すことがあった。
クダンの街に向かう前──ラナに愛を告白し、周囲からも冷やかしと祝福を受け、それでも怪我や傷を癒やしながら、日々を過ごしていたあの日のこと。
おれはしょっちゅう自分の冒険心を堪えきれず、ラナに見つかっては怒られていた。「ごめんごめん」と口癖のように言っては、叱られるのがどこか楽しくもあった。懐かしい時間だった。村で過ごした日々の穏やかさにそれは似ていた。要するに、おれはまだ子どもだったのだ。自分が自分である前に、なりたい自分を夢見て、そこに向かってがむしゃらに、むやみにまっすぐ走るだけしか能がない、そんな幼さと紙一重の、子ども。
ラナはそれをたしなめ、呆れ、いい加減にしろとときに怒っていながら、同時に、面白そうに、楽しそうに、付き合ってくれていた。
『どうしてなんだ?』
ある日、ふと急に気になってそんなことを口にした。なんでラナはおれを好きでいてくれるんだ? と。
ラナは「なんでそんなことを訊くのか」という驚きの表情でその問いを受け止めていた。というか、その疑問はそのまま口に出してしまっていた。
『知りたいんだ。理由を』
『……』
『ほら、おれって結局、剣が得意なわけじゃないし、戦うっても、突っ走るしかできないし。身分もあるわけでもなければ、親もいないじゃんか。そんなおれを、どうして好きなんだ』
『……だれかがだれかを好きでいることに、理由なんて要るのか』
『おれは、要る』
『どうして』
『愛されていることがよくわからないから』
ラナが眉をひそめていたので、おれは付け加える。
『おれが勇者になりたいって言っているのは、ただこの世界に〈勇者〉がいないからだ。それはどこにもいない。だからそれになろうと思えば、おれはこの世界でただひとりの人間になれる。おれは、単純にその辺の、そんじょそこらの人間と同じことをするのが嫌なだけだ。その程度の人間だったんだ』
『…………』
『でも、現実のおれは、故郷がないだけで、しょせんは農村で力仕事をしていただけの、夢見がちで、中身のない人間だ。そいつのどこが……』
『アウル』
ラナがおれの肩をつかんだ。
『そういう卑下はゆるさない』
『……』
『アウルは自分のことをそう思い込んでいるのかもしれない。だけど、きみは、きみだけにしかないものを持っている。勇気だ。自分がどういう人間だったかなんてどうでもいい。きみは、きみの起こした行動によってつくられている。きみがどう思っているかなんて、どうでもいいんだ。大事なのは、きみが、何をしたのか、ということだ』
おれにはよくわかってなかった。
ラナは言葉をゆっくり噛み締めながら言葉を続けた。
『きみは村を怪物に滅ぼされ一人ぼっちでも他人のためにクダンの街で働いていた。だれかが苦しいときには手を差し伸べていたし、わたしたち騎士団が怪物に滅ぼされそうになったときに、逃げずに戦ってくれた。そのひとつひとつは余計なおせっかいだったかもしれないし大したことじゃなかったかもしれない。でも、きみはそう行動した。わたしたちが恐怖に駆られて逃げたくなったとき、きみは立ち向かったんじゃないか。だからわたしはあの時戦おうと思ったんだ』
あの時、というのは。
蛇髪の魔女と。
単眼の巨人と。
戦っていた、あの時。
『きみみたいな人間が、身の程知らずに戦おうとしたその瞬間、わたしは自分のことを思い出した。自分はなんのために騎士をしているんだ──と。きみみたいな人間が戦わなくて済むようにするのがわたしの務めじゃないのか、と思ったよ。でもそれは間違いだった。ただのうぬぼれだった。違うんだよ。わたしは最初から怖かったんだ。戦わなくて済むなら最初からそうしたかった。でも、わたしは守らないといけなかったんだ。その責任に気づいたら、もうあとに引き返せなかったんだ』
──まあ、それときみを好きになったのは、べつの話なんだけどね。
精いっぱい言葉を選び、たくさん話してくれたあの時のラナとの会話が急に、たくさん思い出してきた。おれは彼女とたくさんの言葉を交わした。たくさんの好きを口ずさみ、たくさんの愛を約束した。
その約束は、結局のところ果たせなかったのだ。
そして、ようやくわかった。
自分が何を求めていたのかを。
自分が何をすべきだったのかを。
「おれは……ただ失くしたくなかったんです。自分が生きている世界を。時間を。友達を、仲間を、家族を」
でも、それは無茶なねがいだった。
生きているその時間を過ごすうちに、変わらない人間なんていないのだ。
それはまったく思いがけないことで失われる。それはまったく思いがけないことで失くしてしまう。それはまったく思いがけないことで二度と戻らないものになってしまう。
だから──だから。
「おれは変わらないものになろうとしたんだ。おれだけは、変わらないでいようって」
そう言って、おれはコウエン団長の顔を見た。団長の表情は相変わらずだった。
「無茶な話だな」
「ええ、まったく」
互いに笑った。傍から見ても、理解のしようのない談笑だっただろう。
『じゃあさ、結局、何が原因でラナはおれのことが好きになったんだよ』
思い出のなかで、ラナはじっくり考える。そのことはよく覚えていた。あまりにも意外で、情けなくて、でもわかってしまえばなんでもないような、そんなことだったから。
『強いて言うなら──巨人と戦うとき、「おれは勇者になります」っていっただろう』
『はい』
『そのとき、まったく見当違いのほうに歩いていった時だ』
『……はい?』
『だって、〈勇者〉はそんな間抜けなことをしないさ。ああ、こいつはわたしがいないとまるでだめなやつなんだなって思ったら、急に愛おしくなった』
おれは肩の力が抜けてしまった。
『そんなんでいいのかよ』
『そんなんでいいんだよ。ヒトが、ヒトを好きになる理由なんて』
ラナは微笑んだ。
『きみはばかな夢を見ているといい。だってきみこそが勇者だから。わたしはその夢を、いっしょに見て楽しませてもらえれば、それでいいんだ』
そこまで思い出して、おれは初めて自分の頬を流れる涙を自覚したのだった。
コウエン団長は、まるでおれの父親のように肩をだき、幼児のように泣くおれを支えてくれた。
「泣いていい。いまはちゃんと悲しめ。でないと、立ち直れない。きみはここで終わるべき人間じゃないんだ」
おれは初めて、求めていたものを得た安心感と、なくしてしまったものを知って、ひたすら泣いていた。親友の前でも、幼馴染の前でも泣けなかった、おれが──
一時間後。
泣きつかれ、抜け殻のようなったおれだったが、ようやく一息吐く。
少し恥ずかしかったが、おれは、コウエン団長に仮面の熾天使と、それから、翼獅子の謎と、「仕組まれた勇者物語」のことをゆっくり話した。
「ふむ」
「もしそうだとしたら、おれはもう、立ち止まることは許されません。東の、砂漠の果てに向かって、真実を見つけようと思います」
「そうか」
「止めませんか」
「まさか。心ゆくまでやってくれ。わたしとしては、熾天使討伐も完了してくれれば、もう王国に脅威がなくなるから、それで構わん」
「結構あけすけに言いますね」
「まあそうだな」
また、お互いに笑った。
だが話はそれで決まった。
葬式が済み、おれは体調が良くなってからようやくディーとハリネズミと出会った。ふたりとも心配そうにしていたが、おれの顔を見て余計なことは言わなかった。
「砂漠に行く。すべて知ろう」
ふたりはうなずいた。
だが。
「少し寄るところがある」
「神使様のところか」
「そうだな」
「気をつけろ。何かよくない気がする」
「……大丈夫だろう」
いまは、まだ。
──だってきみこそが勇者だから。
思い出のなかのラナの言葉は、おれの背中を押していた。




