だってわたしの勇者様②
それからしばらく怪物は王国のあちこちに出現して、人々を恐怖させた。
騎士たちはその度に出動し、犠牲を出しては戦った。アウルも飛び出して行ったのはよく聞いていた。ときどき騎士団と対立などしながらも、一体ずつ退治していったのだ。
最初は、蛇髪人魚の魔女を。
それから八本腕の単眼巨人を。
わたしはその一部始終を、神官からの報告と、ときおり見る夢から伺い知った。
ケンカもしていたし、どうみてもアウルが無茶だと思うことも言っていたけれども、終わりよければ全てよし、という気持ちで今となっては懐かしい思い出だ。
ただ、気になることもあった。
アウルに恋人ができた、という噂だ。
「あの方も人気者ですからね」
平民出の戦士。身分の垣根を越えて、国の大事に尽くすもの──そのように、お付きの神官たちも、面白おかしげに語り合う。
相手は誰かと聞くと、騎士団のひとりで、数少ない女騎士だったという。互いに背を預けて戦ううちに、心を通わせたらしい。
初めてあった時を除けば、すでに二度ほど、わたしはアウルを呼びつけている。
一度目は、蛇髪の魔女を倒した時。
あの日の功績で、騎士団からのアウルへの信用がぐんと上がったのをよく覚えている。
二度目は八本腕の巨人を倒した時だ。
この時は王都に最も近い商業都市を防衛する激しい戦いがあり、わたしも神使という身分でなければ走って行きたいほどだった。
もちろん結果論だが、戦いは無事人類の勝利に終わり、商業組合の豪商たちが資産を奮って無礼講を開いたという話も聞いた。
その頃からだ。アウルに女の噂を聞くようになったのは──
もしかしたら。
ひょっとして。
アウルに恋人ができたのは、おそらくその時からではないのか。
あまりに気になったので、アウルを呼びつけたくなった。
しかしそんな建て付けでは神官をこき使うわけにはいかない。
だから無理くり考えた理屈として、
「怪物がなぜ現れるのか」
について、講釈を垂れる形でアウルを呼びつけるに至った。
すでに神官たちは下がらせてある。
火明かり差す密室、垂れ幕ひとつへだてて、わたしとアウルがふたりっきりだった。
彼はすっかり戦いに慣れ、宮廷の作法もある程度心得るようになっていた。
あんなに粗暴で身なりがボロボロだった頃も懐かしくて、微笑ましいくらいだ。
でも──
「アル=ウルストン、ただいま参りました」
そのぶっきらぼうで、あんまり飾らない口調は、かえってわたしの緊張をほぐした。
「変わりないようですね」
「ええ。おかげさまで」
「此度の二度の活躍、すでに聞き及んでおります。おまけに恋人までできたのだとか」
「さすがに……お耳が早いようで」
「ほんとうなのですね」
「ええ、まあ」
まるで耳たぶが真っ赤になるのを見届けているような心地だった。
「ラナは──」
「ラナ、というのですね」
「ええ。彼女とは、いろいろありましたが、いまではいろいろ支えてもらってますよ」
わたしは無自覚に拳を固く握っていた。
しかしそれに気づいて、わたしは拳を虚しくほどいた。
「そう。それはよいことです。なにぶんあなたは故郷で悲しい思い出に包まれすぎていますから──」
「いいですよ。幼なじみのことは、もう取り返しがつかないことですから」
アウルは、苦笑した。
わたしはわたしが嫌いになってしまう。
「いまは、ラナのことを見てます。でも、イシュテルやほかの、救えなかったひとのことを思って、戦うことはやめません」
「すばらしい決意です。ほんとうに──」
「すみません。神使様、それで本題というのは?」
「──アリスティアです」
「へ?」
「わたしは神に名を献げたものですが、生まれついた時に与えられた名前も、いちおう持っております。わたしは、アリスティアです。以降はそう呼んでください」
「でも、その、しかし──」
「わたしの、わたしの前だけです。これは一生のお願いです」
困惑するアウル……しかし、後ろ髪を掻く音がしたかと思うと、しぶしぶ答えた。
「アリスティア……さん」
「呼び捨てで構いませんよ」
「さすがにそれはむりです」
「なら仕方ありません」
たまには退くことも大切だと、この数回の会話のなかで学んだ。
わたしはそれから他愛もなくこの国の歴史と神話について語った。と言っても、大したことはない。アウルですら聞いたことのある勇者の伝説を繰り返し、怪物がその伝説のなかでしか存在しなかったものだと再確認するばかりの、虚しい時間の浪費にすぎない。
ただ、勇者が現れる以前は、怪物の前になす術のない人類が、生け贄を献げて難を逃れたことしかなかったことを思う。
この国の神話は夢占によって危機を予言する姫巫女の存在を強調していた。
それはすなわちわたし──神使の先祖に当たる存在が、ひとびとを導き、救おうとしたことを意味している。神々はそのためにひとりの女に使命を与えたのだ、と。
しかし勇者もまた、ひとつの使命をもって神々に祝福されたものだった。
騎士のなかの騎士──国の最大の難事に立ち会い、洗礼を受けたものだけがその悲運を脱する道標となる。そう、伝説は語る。
ここ──神々に祝福されし土地ドーリエンの世界は、かつては妖精や妖魔が跋扈し、ひとびとの言葉は万物の創造を物語る美しく恵まれた大地だったと言われている。
それもしかし、もう伝説のなかだけの話であって、今となっては妖精も妖魔もいない。
いや、それは歴史書のなかですでに滅んだ種族というだけの話で──例えば西方のミシハセ族にまつわる恐ろしい怪談や、北方の雪降り積もる山奥の辺境にその名残を残す高地人たちの尖った耳にしか、その在処を見いだすことができない、というだけだ。
わたしが神々の不在という、神殿のなかで口にすればいかに不敬と言われても仕様のないことを平気で考えてしまえるのは、この時代の儚くもあっという間の変化に、その根拠を持っているわけなのだった。
この世界各地の昔語りや説話を、かいつまむように語ると、アウルはそれでも興味津々に聞いてくれた。
それがなんだか嬉しくて、つい、たくさんのことを語ってしまった。
「ありがとう。でも、そろそろ日も暮れたみたいだ──」
アウルのこの制止がなければ、わたしはまだまだ物語を止めなかっただろう。
「ミシハセ族、というので少し気になることがある。彼らは伝承では鬼神の末裔というじゃないか。もちろんいまは絶滅したことになっている、けど、ほんとなのかな?」
アウルはこのミシハセ族の生き残りに出会ったかもしれない、と言うのだ。
そもそも、あの八本腕の巨人もミシハセ族の鬼神の力を持っていた。それを思うと、本当に絶滅したのかどうかも、確認してみる必要があるのではないか。
「ミシハセ族は、かつて鉱山の開発技術を持ち、〝妖精の鉱石〟を金属として精錬することができた──もしいまは亡き勇者が持っていたという、〝折れた剣〟を鍛え直すならこの部族の最も優れた鍛冶師にしか、それはできないはずだ」
「そうかも、しれませんわね──」
そう、アウルはこの〝折れた剣〟の伝説にやたらと固執している。
しょせんは神殿の奥殿で眠っている錆びない刃を持つ、欠けた剣に過ぎない、それを。
「伝説の勇者がその剣の完成された状態を携えて、鬼神を封じたこと──それは、この世界の危機と無関係じゃないはずなんだ」
「ええ、そうかもしれませんわね」
「そうだよ。これは、封印の刃の魔力が尽きたからだって──あ」
わたしは気になって、訊き返した。
「それは、どなたの?」
「あ、いえ。すみません、たぶんおれの勘違いです」
どういうことなのだろう?
きっと──アウルに余計な入れ知恵をしている誰かがいるに違いない。
そんなことはない。
そんな伝説など、どこにもないのだ。
わたしはアウルを惑わすであろういくつかの要素について想いを馳せながら、その日彼との別れを告げた。
しかしその夜から寝つきが悪くなってしまったのだった。悪夢が続き、わたしがひとりぼっちになってしまったかのような錯覚が、まるで身体じゅうを蟲が這うような気持ち悪さで全身を駆け巡った。
アウル。
アウル。アウル。
アル=ウルストン……!
貴方の名前を、何度でも呼びたい。
貴方に、わたしの名前を呼んで欲しい。
だからわたしは。
貴方の頼みなら、なんだってやる。
貴方が信じようとする、その夢物語の伝説に、どこまでも付き合ってあげましょう。