だってわたしの勇者様④
翼獅子についての報告は、しばらく途絶えていた。
巨人討伐の報告から、すでに二ヶ月が経っている。南に出現した蛇髪の魔女と、北に出現した単眼の巨人はすでに絶命が確認済みだ。関連地域の復興は少しずつ進んでいる。
いっぽうで、西──アウルの故郷だ──に出現した翼獅子や、東のオアシス都市に突如現れたという仮面の熾天使については、一時期と比較して圧倒的に話を聞かなくなった。
騎士団の武勇に恐れをなして、逃げ去ったのではと嘯くものもいる。
しかし実際のところはそうではないはずだ。よくよく調べを進めると、西では人の失踪事件が相次いでいるし、東のほうでは連絡の取れなくなった隊商都市がいくつかあるとのことだった。そのすべてに例の怪物が関わっているとは言い難いが、脅威が去ったと断言するにはいろいろ早すぎるように感じた。
だからと言って、怪物討伐に着手すべきという話にもならず、結局王国の民は、宮廷は、ちっともまとまることができていない。
アウルの勇敢な行動によって、なんとか結んだ高地人との同盟も、復興支援の人手としてしかまだ活躍してもらっていない。ミシハセ族の生き残りについても、アウルが言い出したっきりでその後は杳として知れず。結局わたしはわたしのことでかかりっきりで、寂しい夜を繰り返し繰り返し過ごした。
大神殿の床に就いて寝る夜は、以前にもまして冷えて苦しい。
かねてより神官長から催促される《夢》の件──新たなお告げが見れないこともそうなのだが、それ以上に、眠ること自体が怖くて仕方なかった。
だって、夢自体は視ているから。
でもその意味を読み解くことができない。なんならそれを憶えていること自体が苦しくて仕方がないのだ。
夢の中では、いつもわたしはひとりだった。
生まれたときからひとり。生まれたあともひとりっきり。
神官たちに傅かれ、諸侯も宮廷をも従える言葉を使えるわたし。それでも生きた心地は一切しなかった。幼いころから父を、母を、だれかと心休まるような、そんな日々を恋い焦がれていた。でも、そうしたことはなかったのだ。いままでも、ずっと。
わたしが物心ついたときから、神がかりと予言、夢読みがあった。
最初は熱に浮かされて話すうわ言のようなものだった。でも、それがその年の旱魃を予言するものだったらしく、とたんにわたしは神使として大神殿に閉じ込められた。最初は泣いて母を呼んだ。神官たちの裾を引いて駄々をこねた。
憶えていることがある。
小さい頃、夜にわたしのもとにやってくるものがいた。女性と男性だったと思う。神官のローブを着ていたが、懐かしい匂いがした。かれらは泣きつかれて起きることもできないわたしのからだを抱き上げて、揺すった。その揺れている感じや、有り様を、わたしはまるで上から見下ろすように眺めていた。
それが何回もあった。
たぶん、それがわたしにとっての母の記憶──
ところがわたしが少しだけ大人になった頃、そんな夢すら見なくなった。
ときを同じくして、神官たちのうわさから母が亡くなったことを知った。病気で死んだというがどうも毒殺だったのではという話だった。結局だれがそんなことをしたのかはわからない。しかし、この事件のせいでわたしは父を他人だと思うようになった。
父──王。
結局わたしはこの男と一度だってまともに話したことがない。
交わす言葉は、いつも儀礼的な言葉だけ。
聖典に書かれた祝詞と、王国を統べる為政者としての言葉以外に、わたしと父を結びつけるものはない。
それも、いまとなっては忌まわしい。
十五を過ぎたあたりから、わたしは自分に求められている役割がなんなのかを嫌でも理解していた。それまではただ見てきた夢を話せばよかった。神官長がそれを解釈し、王に告げて、王がそれを施策にする。ただそれだけだったのだ。
しかし十五になってからは、まつりごとについてもっと踏み込んだ話をするようになった。夢のひとつひとつを絵に描き出し、絵解きを行って意味を探すように指南を受けた。神官長がその指南役で、何度もやり直しをさせられた。結果、神官長のほうがよほど父のような存在になっていた。
父は、都度、夢が上手く見れたかどうかだけを気にしていた。
わたしのことなんてどうだってよかったのだ。
一度、耳に焼き付いて離れなかった言葉がある。
いつのことだったか──わたしがやはり熱病に倒れて、うなされていた日だった。
高熱が続き、夢すら視ることのない苦しい夜が続いた。そんなさなかに蟲の被害が王国各地を襲ったため、急きょ宮廷からわたしに占いを立てるように要請があったのだ。
神官長は当初しぶった。わたしの容態が落ち着かない。だから回復を待ってほしいと言っていた。
しかし父王はそれを拒絶して、さらに言ったのだ。
「なんのために日々飯を食わせてやったと思っている」と。
これには神官長も憤慨まじりに、わたしに漏らすほどだった。
だがどういう政治的駆け引きがあったかは知らないが、結局わたしは儀式の場に立つように言われた。そのとき、あれほど頼りになると思っていた神官長ですらも、わたしの味方ではないことに気がついたのだった。
わたしは、自分で自分の話す言葉を選ばなくてはならなかった。
何度「この国が滅びてしまえばいい」と思ったことだろう。しかしそれは単なるわがままだった。結局それは求められていることではない、と自分で自分を抑えるところからものごとを考える必要があった。
その日の儀式は夢の話はしなかった。
できなかった、というのが正しい。
わたしはついに、夢占と言いつつ、夢とは関係のない、実務的なまつりごとに口出しをするようになった。税を緩めるだとか、作物を増やせだとか、宮廷内部のことを治めよ、だとか。
最初は嫌がられていたかもわからないが、こういうことに一度手を付けるとおもしろいくらいにものごとがよく見えた。そして同時に、いかに父王が自身の身の回りのことがろくにできていないかもよく見えた。
かつて自分が恋い焦がれていた親の成れの果てがこれか、と呆れもした。
そして自分が〝親〟を求めていたことにも自覚して悲しい気持ちにもなったのだ。
だから、もう父に優しさを求めることは諦めがついてしまった。自分は生かされているかもしれないが、自分でできることをしよう。夢を見なかったとしても、夢を見てきたふうに話そう。
だいじなのは夢を見たかどうかではなく、夢のかたちを借りて、民草の暮らしを、王国の安寧を守れたかどうかだと。そうわかってから、わたしの生活はうんと楽になった。
ひとびとは喜んでいる。
宮廷も上手くいっている。
それでいい。
それでいいじゃないか。
わたしはそういう〝役割〟に徹することを覚えた。だから、もう夢なんて見なくて済む。見ないでいいなら、そのほうがいい。ずっと、ずっと、ずっとそう思った。
でも、そういうときになって、いまさらのように《夢》は訪れたのだった。
最初は少年を見る風になった。
その少年がアウルと知ったのはつい最近のことだったが、《夢》はそこに少年がいることを告げていた。最初それはなんの意味をもたらすかなんてわからなかった。為政者にとって、たったひとりの少年がどうだということは関係がないからだった。
だから、アウルのことも最初はだれにも話さないでいた。
ただ心の奥底に、秘めて、わたしだけがその少年の成り行きを眺めていればそれでよかったのだ。
だっていまどき〈勇者〉になりたいだなんて──
わたしにはもっとも縁のない少年少女時代。親なし子で、養父母のもとで育ちながら、土とともに生き、絵空事に身を入れている。幼なじみという同い年の子どもとの戯れも、ちょっとした喧嘩も、すべてがわたしにはないものだった。
だから、これはまつりごとの役割に徹したわたしへのちょっとした慰めのようなものと思って、わたしは楽しむことにしたのだ。
おれ、王国の伝説にもなった〈勇者〉になる──いいわ、なりたいというなら、なって御覧なさい。いつかなれるといいわね……
そのうち、わたしは勇者伝説について、思い出すために古い絵巻物をひもとくようにした。やはり昔の絵空事のようなことで、得体のしれない怪物だとか、世界の果てへの冒険だとか、そういったできごとの繰り返しで、まつりごとに疲れたわたしにとってはむしろ目新しい言葉遊びに思えたほどだ。
でも、そうした絵巻物は、やっぱり昔話でしかなかった。現実のまつりごととは大いに異なる。荒唐無稽だし、辻褄も合っていないし、なにより勇者がなんでもひとりで解決しすぎている。
そんなことはないはずだ。
わたしがもしこの物語を語るならどうしようか──そう思って、あれやこれやを空想するようになった。それはもうとりとめがなさすぎて、寝て起きたら自分でも忘れるような、そんなつまらないことばかりだった。
そうしてわたしは、まつりごとの合間に自分を保てた。
役割を果たしつつも、それでも少年の夢が叶うことを、どこかで応援していた。
いま。
いま、その夢のどれほどが現実になってしまったのだろう。
かれの身に起こったことは、そしてわたしたちが生きて暮らしている世界は、王国は、相変わらず目立つほどの怒りと悲しみと、だれにも気づかれない苦しみの間で引き裂かれてしまっている。わたしはまつりごとによってひとびとの苦しみを癒やし、アウルは行動することによってひとびとに勇気を与えようとしている。でも、その試みはまだ道半ば。まだかれの〈勇者〉への道は終わっていない。何をなせばかれが〈勇者〉であるかは、まだだれにもわかっていない。でも、それはきっといま王国を襲っているあらゆる悲劇を乗り越えた先にあるはずだった。
わたしは諦めない。
そんな夜、ついにわたしに不安を与え続けた《夢》の正体がわかった。
翼獅子が、ついに動いたのだった。




