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だってわたしの勇者様  作者: 八雲 辰毘古
第一章:だっておれが勇者だから
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だっておれが勇者だから⑮

 退け、退けッ──その声がこだまする。騎獣は駆けていく。草原を、平野を、そして森の影を抜けて──

 それを蹴散らすように、四つん這いの巨人が走り出した。


「アウル!」

「わかってるよ!」


 すでに城壁が、例の要塞が向こう側に見えていた。だからあとはひたすら走るだけ。それでも、その道すじが気の遠くなるほどの距離に感じたのはいうまでもない。

 ラナは先頭で旗を振っていた。おれはそこに追いつこうとして騎獣を叱咤する。騎獣もおれもへとへとだった。でも、北への長い旅路で騎獣もよくわかっている。できなければ死ぬのだ。その理解が、おれたちをひたすら走らせている。


「やべぇ、あいつ速いぞ!」


 ハリネズミが後方を確認しつつ、おれに叫んだ。

 うるせぇ。そんなことはわかってるんだよ。


 内心そう言いつつ、おれはつい背後を見てしまった。


 真っ赤な目だった。


 もともと巨人は単眼という話だった。だからそれは顔の中央にある。

 それが一点の曇りなく、おれたちという〝群れ〟を見据えている。


 作戦としてはこれでいい。

 これでいいのだ。


 しかし──いままで怪物にこれほどまでの憎悪を向けられたことはなかった。

 初めてだと言っていい。

 だから目が合ったとたん、おれは根源的な恐怖というものを初めて理解した気がした。


 ぞくっと背筋が寒くなる。

 鳥肌が全身を覆った。

 おれはまた前を見た。

 そこには希望があった。まだ、おれたちがこの世界で生きていいといえる希望が。


 弓を絞り、撃つ音がする。


「ハリネズミッ!」

「……ダメだ、矢一本じゃ見切られる」

「いいから急げ!」

「あいよ」


 懲りないやつだ。だが、おれたちは逃げる努力を諦めなかった。


 やがて──無数の後続の騎士たちが撥ねられて死に晒されるなか、おれとハリネズミ、ラナが率いる五〇騎あまりの騎士たちは、アングマールの城壁間際まで迫った。

 背後ではすでに無数の腕が這う動きで迫っていた。ひとり、ふたり……とせっかく生き残った騎士も少しずつ減らしていく。だがおれは振り返る余裕もない。悲しむ時間もない。そんなことの繰り返しだった。


 そんななか突如として、ラナが旗を掲げた。


 とたんに城壁の向こう側から、爆音が轟いた。岩が飛び、矢の雨が飛び出す。おれは必死に開け放たれた城壁をくぐり抜けたが、それと入れ違うように投石と矢が巨人の肉体に襲いかかったのだった。

 怒号と絶叫、土煙りが上がる中をくぐり抜け、おれたちは城内にすべり込む。もう騎獣は泡を噴いて倒れてしまった。


「コウエン団長!」


 全身筋肉痛、息も切れ切れ──そんな状態でも、おれは団長のすがたを認めて、駆け寄った。ラナもそこにいる。

 ハリネズミも騎獣の面倒を見つつ、あとからゆっくりやってきた。


「任務ご苦労だった」とコウエン団長。

「状況は?」とラナ。


 コウエン団長はおれたちの頭越しに展開する轟音と激しい音を、まるで透視するかのように目を凝らした。


「あまり良いとは言えないようだ」

「では」

「慌てるな、ラナ。巨人の体躯は、さいわいにも城壁をまたぐほどではない。だから、壁に身を叩きつけてるあいだに攻城兵器の数々で消耗戦に持ち込める。その隙にはやく城壁に上がるんだ」

「上がる?」


 おれはびっくりして思わず口走った。

 一同の目がおれを見た。


「上がって何するんです?」

「なにかだ。できる限りの力で、巨人を仕留める。でなかったら作戦は終わりだ」

「そんな無茶な」

「無茶? 怖気づいたかね?」


 コウエン団長がいたずらっぽく微笑む。


「そういえば──きみは何になりたいんだね?」


 その目は、もう答えを知っている目だ。

 だから、質問の意味は言葉どおりではない。

 おまえは本気なのか、と。

 やる気があるのか、と。

 そう訊かれている。

 その質問はいまのおれには痛かった。


 そうなのだ。

 わかってる。


 これは、おれが始めた物語なのだから。


 ぎゅっと拳を握りしめる。このまま「おれの仕事は終わった」とそっぽを向ければどんなに楽だったろう。守るものなんて、帰る場所なんてないなんて、そう言って好き勝手できればどれほど楽だったろう。

 でも、そうじゃないのだ。

 生きている限り、おれはだれかと関わらなくてはいけない。利用している、だなんて言えれば気楽なものだが、結局そこまで非情になることだってできっこない。だからいつの間にかおれには帰る場所ができていた。仲間がいたし、顔見知りも増えた。死んでほしくない人だってたくさんできてしまった。


 そんな人たちを失うのが怖くて──

 おれはいつしか逃げることを考えてしまっていたのだ。


 だが、ときには一緒になって戦うべき瞬間というものがあるはずだった。

 それがいまでないのなら。

 いま、ここで踏ん張ることができなかったら。


 おれはきっと、おれ自身を許しはしないだろう。


 だって、おれが〈勇者〉なんだから。


「そうでしたね」


 おれはようやく口を開いた。


「おれは──この戦いで結果残して、それで、騎士になって、怪物片っ端からやっつけて、それで──」


 それで。


「おれは勇者になります」


 もう、そこにはおれの夢を嗤うものはいなかった。


 振り向いた。壁の向こうの轟音は鳴り止まない。そこに向かうために一歩踏み出す。


「アウル」とラナが言った。

「なんだよ」

「壁の上に登る階段は……そっちじゃない」

「……」

「来い。これだからひとり勝手に突っ走るやつは」


 おれはしぶしぶラナに従った。

 背後でハリネズミが「やーい。尻に敷かれてやんの」と低声(こごえ)で言った。おれはだまって肘で反撃したが、するりと(かわ)されてしまった。


 まあいい。


 おれたちはラナを先頭に階段をひたすら登った。そのはてに見た城壁の上の景色は圧巻だった。

 見渡す限りの平野と、川。そして森。平時であればもっと満喫したいくらいだったが、目の端から立ち昇る土煙と矢の雨、岩の数々を見て考えを改めた。あそこで死んでいる人間がいる。あそこで戦っている人がいる。そのひとりひとりはおれの知らない人かもしれないが、そこで起こっている悲劇は他人事ではないはずだった。


 おれたちは持てる限りの武器とともに現場に駆けつけた。

 すでに多くの人間が奮戦していた。

 投石機をもう一回撃つために動かす人間。

 大型弩砲バリスタに矢束を装填する人間。

 攻撃を止めないために指示を出す人間。

 後方で物資を運ぶ人間。

 そして、巨人が壁をよじ登るのを阻止するために槍を振るう人間。


 一番犠牲が多いのは、やはり最前列だ。だてに巨人も腕がたくさんあるだけあって、城壁のちょっとしたくぼみにも指を引っ掛けて登ってくる。目があまり見えていないのか、空振って落ちることもあるものの、それでも腕が複数あると簡単には落ちてくれない。巨大な蟲を相手にしている気分だ。

 だから、城壁のへりの部分をつかんだその手を、槍や剣で突き、剥がす作業がおれたちの最終防衛線だった。一度でも手がかかると、それこそ半狂乱の怒号を上げて、おれたちは一斉に群がる。必死になって指を攻撃し、痛みに反応して剥がれることを期待する。それでもだめなら、力付くで引き剥がす。


 その繰り返しだった。

 もはや戦局は消耗戦だったと言っていい。


 どの投石も(なかには城壁の石を削って、落とすものもいた)、どの矢も、巨人の分厚い皮膚を通過しない。じわじわと体力を削ってばかりだった。もはや急所となる場所もよくわからず、目はときどき開いても、すぐに閉じてまぶたで防がれる。巨人も必死になっていた。でもおれたちはそれをなんとか防ごうと努力を重ねていた。


 ところがついに、手のひらが城壁のてっぺんを叩き潰した。

 大型弩砲バリスタが肉片とともに弾け飛ぶ。

 おれはその手首に槍の穂先を押し当てたが、すでに体重が乗っかっていて、もはや剥がれそうもない。続けざまにもう一個の手が城壁の上に叩きつけられる。


 一巻の終わりだった。


 ヌッと城壁から顔が持ち上がっていく。その過程でほかの腕が城壁に張り付いて、ゆっくりと、しっかりと姿勢を安定させていく。三本目の腕が城壁のへりを握った瞬間、おれたちの士気が下がった。隊列が崩壊し、指示出ししていた人間も「退避」を命令した。


 もう負けた。

 押し負けた。

 その確信が場になだれ込む。


 作戦は失敗したのだ。

 おれでもそう、わかった。

 だが。


「諦めるな!!!」


 おれは走った。城壁越しに対面した巨人の顔──おれが見聞きしたなかでも無数の都市を廃墟に変え、あまたの人間を残虐に殺してきた怪物の顔。そいつめがけて、おれは戦わなければ、気がすまなかった。

 城壁のふちから飛び出す。いまなら、いまのうちなら、そのまま勢いで顔に剣を刺せると、そう思った。


 だが、すかさず五本目の腕がおれを握った。そのまま力強くおれを縛り付ける。握りつぶそうとする──


「がああああああ」


 体中が悲鳴を上げる。血液が逆流し、叫びともに口からあふれた。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ死死死死死死死死死


「アウル!」


 弩砲の音が響いた。それでほんのちょっとだけ握る力が弱まった。もう呼吸するので精いっぱいだったが、それでもおれは手から逃れようと必死にもがいた。


「援軍だ! 援軍が──」


 どこかで声がする。その声の意味を考える。これはチャンスだ。いまやらないなら。いまできないなら、この巨人を斃すならいましかない。でもどうやって? 答えを探し求めるうちに、おれはあることに気づいた。

 それができるだけの体力はあるだろうか? 自問する。いやできないなんて選択肢はない。やるんだ。脚力はまだ残っている。まずおれを縛り付ける指の腹を斬る。握る手がさらに緩んだ。勢いよく手放さなかったのは幸運だった。とにかくおれは手を抜け出した。すかさず手首を走り、腕を駆け上がる。


 その先には肩があった。腋があった。そして首があり、ひとつの頭を支えていた。


 おれの狙いは──その首だ。


 そのことに気づいたのか、巨人は急におれのことを狙い始めた。腕を振り、腕に手を押し当てておれを捕まえようとする。だがいまは巨人が城壁を登り切る、まさにそのときだった。腕は自身の体重を支えるのでいっぱいいっぱいで、余った手も余計に動かせば体勢を崩してしまう。だから必死に身をよじって見せるが、もう遅い。


「ラナ! ハリネズミ!」


 返事を待つ暇はなかった。


「落とせ!」


 その言葉が、行動に移ることを祈って。

 おれはついに頸動脈までたどりついた。そして全身全霊を込めて、その首に剣を突き立てたのだった。


 絶叫が、雄叫びが、狂乱の声が。

 あたりを、覆った。

 もうおれの耳はよくわからないことになっていた。突き立てた剣をより深く差し、代わりに溢れ出る血液の濁流に揉まれながら、さらに身を振りほどく強烈な左右動にも耐える。そのはてに、手が一本、二本と剥がれていき、その最後の手もなにかのきっかけで剥がされたのだった。


 つまり──あとにあるのは、自由落下。


 短い時間だった。

 でも、無数の思い出がよぎった。


 エント郷の日々、翼獅子との戦い、死体埋めの日々、トン吉との出会い、イツキとの出会い、ラナとの出会い。連れられた大神殿と神使様。最初の怪物退治に、安静の日々。ラナとのこと。密命のこと。ラナとの約束。北国を駆けた日々──

 おれはまだ死にたくない。死ぬわけにはいかない。


 やがて、強い衝撃がおれの全身を襲った。血だらけになり、溺れそうになったが、逆にそれのおかげで打ち身にならずに済んだようだった。

 濁流に押し出されるようにおれは地べたに手を付けた。ゆっくり、それでもなんとか這い上がる。


 騎獣のヒヅメが群がる、轟音を、遠くで聞いた。それがおれにできる最後のことだった──



     ※



 結局のところ、援軍には意味があったらしい。巨人の生命はまだ絶たれておらず、落下後も城壁に楯突いて酷かった。

 おれはもう意識を失っていたので知らなかったが、族長ヒグマ率いる戦士たちが、巨人の注意を惹きつけ、おれが付けた傷が最終的に決定打になるまで時間稼ぎをしたらしい。結果、巨人は力尽きた。人間そのものが失血死をするみたいに、そいつは斃れたのだ。


 この経緯を、結局おれはまた施療院のベッドの上で聞いたのだった。

 また三日ほど寝込んでいたらしい。

 怪物の血を浴びて、おまけに内臓はボロボロ。熱病に浮かされて生死の境を何度さまよったことかと、またあの医師夫婦にこんこんと説教されたのだ。


 で、おまけにその間どんなにラナが泣いて叫んだかも、おれはすっかり聞いてしまっていたのである。

 口の軽い夫婦だこと。

 おれは、だから見舞いに来てくれたラナとどう接したものか、考えなくてはならなかった。


 病室に入ってきたラナは、ほかの傷病人のベッドをすり抜けて、おれのもとに来た。相変わらずの騎士のいでたちだったが、前と違って柔らかい雰囲気をたたえている。

 おれはその顔に、自分が思っているよりもラナが好意を寄せてくれていたのだということを、いまさらのように気づいた。


「その、元気になったようでなによりだ」


 で、言い出した言葉がそれだった。

 おれは思わず噴き出してしまった。


「なにがおかしい」

「いや、べつに」

「なんだ。言いたいことがあればはっきり言ったらどうだ!」


 詰め寄るラナに、おれはそっと言った。


「おれさ、ラナのこと大好きになったみたいなんだ」


 あまりに不意打ちだったのか、ラナは顔を真っ赤にして、らしくない声で叫んだ。


「ばか! 時と場所を選べ!」


 つかのまの平和が、張り手の音として鳴り響いた。

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