だっておれが勇者だから⑭
野営地を出たおれたちは、騎獣に乗ってふたたび平野部に向かった。
もう騎乗の術は慣れたものだった。行きのときに苦労したあれこれが一瞬だけ思い出として蘇る。しかしそれは風とともに後方へと過ぎ去った。いまは眼の前の危機だけを見つめる。そしてその先には──
遠くで、巨人の足音と、爆発音がした。
「なんだ! なにが起きてる!」
おれは叫んでいた。
ハリネズミも叫んで応える。
「もう作戦が始まってるんだ!」
「なんだと?!」
おれは前を見た。土煙りがもうもうと立ち上り、樹々の向こうに巨人が見える。八本の腕はさながら巨大な節足動物だった。無数の手と指が自在な方向をさぐり、つかんでは破壊のためにもてあそぶ。
騎獣ごと握られた人間がいた。地べたをさぐる手がうごめくなか、その人は無惨に千切られて放り出された。赤い汁がしたたって大地を染めた。
「ラナ……ッ!」
おれは何をどうすればいいのだろう?
その疑問だけがおれの心を騒がせた。はやる気持ちに騎獣を急かす。樹々の影を抜けるとだだっ広い平野部に出るのだが、そこではすでに騎士たちの編隊が陣をつくったりほぐしたりしながら、なんとか巨人を撹乱しているようだった。
おれとハリネズミは騎獣を駆り立て、かれらの真っ只中に青灰色の女騎士を探した。
「いたッ」とハリネズミ。
「どこだ?!」
「あの旗持ちだ!」
平野でふたつの陣が、まるで大魚を背にして散らばる小魚の大群のように凝縮しては、拡散する。その中央に単騎、王国の紋章を刻んだ旗を掲げる騎士がいる。
旗のせいでよく見てなかったが、その旗を持っている当人の髪が、心なしか青灰色に見えた。おれにはそれだけでよかった。
「行くぞ」そのひと言に返事は要らない。
風──おれを追い立て、おれが追いかける風があった。
懐かしい面影。後ろ髪のその残り香を受けるように、急におれは何かを嗅ぎ取った。焦りと、苦しさと、はやる気持ちと。それはある種の絶対的な灼熱を持って、おれのたましいの虚ろな部分に注ぎ込まれた。心臓の鼓動が打つ。全身に血を送る。そのはてに、手綱を握る手に強い意志を与えてくれた。
おれには、まだ守りたいものがある。
その確信がなぜか唐突に生まれた。
ずっと──そんなものはどこにもないと思っていた。
故郷を滅ぼされ、育ての親も幼なじみも、くだらないいじめっ子も、うるさい隣のおばさんも、勝手知ったる仲間たちはみんなどこかにいってしまった。多くの人は土の下に行ったが、たましいがどうなったかはわからなかった。おれはただからだを引きずって、寂しくならないように埋めただけだった。
そうしたのは優しさだけじゃない。そうしなければ自分の中の空っぽな気持ちにだっておさまりがつかないからだ。
あの日、あの時──ディーに別れを告げられてから、ほんとうのひとりぼっちになった時から、おれには何もないと思っていた。
あてどなくさまよい、何もすることもせず、廃墟の村を歩いた日々を思う。親切なおやっさんに拾われて、お使いをしてきた日々を思う。生意気な子供を庇って、人を殺してしまったことも、そのあとなんやかんやあって騎士に捕まり、〝神使様〟という偉い人に色々話してもらったことも。
ぜんぶ、ただ必死だったからやっていた。どれもおれのできることしかやってなかった。おれが必要だからというわけではなく、必要な人手が足りないから、おれが生き残れているからだと、そう思ってすらいた。
ただ生きているだけ。ただ必死なだけ。
何かをしていないと気が済まなかったし、あの時何もできなかった自分、無力な自分が嫌いだった。結局自分に力がないから、おれは自分の生活ひとつ、村ひとつ、大切な人ひとり、何も守れなかったのだ、と。
守るべきものなど、何もないのだと。
だが、ちがうのだ。
守るべきものは、すぐ目の前にあった。
「ラナ、ラナッ!」
あの時の後悔を、繰り返さないためにも。
おれはいま、叫ぶ。
声の限りを尽くして。
彼女を呼び止める。
旗を持って騎行するその騎士は、一瞬だけおれのほうを見た。それからもう一度だけおれを見て、騎獣の向きを変えた。
その後ろを、巨人の腕が伸びていく。
影ができた。巨大な影が、ゆっくりと油断なくラナの頭上に忍び寄る。おれは余計に叫んだが、手元に飛び道具がない。後悔しても遅かった。いつもこうだ。おれが、いつも、こうして──
だが、いまはひとりじゃなかった。
忘れていたのだ。
「おいおい。若者の恋路を邪魔するヤボなヤツは、おれァきらいだね」
ぎりりと絞られた長弓の音が、一瞬耳の端を駆け抜けたかと思うと、空を切って、巨人の手の、指の間をたちまちにして突き刺さった。
ビクッと手が止まる。ゆっくり腕が天高く退いて行った。その隙を、ラナが駆け抜けて、おれの元にたどりつく。
「遅い!」
開口一番がそれだった。おれはあまりにらしいなと思って笑ってしまった。
「なにがおかしい」
「ははっ……いや、べつに」
「べつにとはなんだ!」
むすっとする。でも、いまはそれすらも愛おしい気がした。
「いま、それどころじゃないだろ?」
「そうだが」
「だから、いまやるべきことに集中しよう」
「…………」
ラナは、渋い顔をした。
「納得いかないが。だがその通りだな」
ラナはおれと、ハリネズミの両方を見た。ハリネズミはラナの視線に気づいて自己紹介を試みようとした。しかし──
「高地人の方か」
先を越されてしまった。ハリネズミは驚いた顔をつくる。
「こりゃ、まいったな。自己紹介も後回しかよ」
「どうやらそのようだな、ハリネズミ」
「アウル! 名乗るぐらいはさせてくれよ!」
ラナは微笑んだ。つかの間の息抜きが終わると、とたんに顔を引き締める。
「アウル。巨人の足払いの手伝いを。そしてハリネズミ殿」
「ふぁい」
「さきほどは助けていただいて感謝する。あなたは命の恩人だ。わたしを助けた弓の腕を買って、ひとつ頼まれて欲しいが、良いだろうか?」
「いいぜ。おれァあんたが気に入った」
ラナが作戦を話し、おれたちはすかさず行動に移った。
おれはラナが指揮を取っていた部隊と合流し、大きな縄の端を持つ。どうやら巨人を転ばせるために深く杭を打つ班がいて、そいつらの動きがだいぶモタモタしていたらしい。いましがたそれがようやく終わったと連絡があり、おれは改めて先陣を切る。もう無茶をやることは慣れ切っていた。
だけど、少しだけ、初めて怖いと思った。おれがこのまま突っ走って、失敗したら──昔は死ぬだけだと思っていた。でも残されたものはどうなるんだろう? おれは初めて残される人間のことを考えた。守りたいものがあるということは、守り損ねた時に残される人間がいるということだったのだ。
おれは、ようやく生きることについて──生き延びることじゃなくて、ちゃんと生きるということについて、考えなければならなかった。
走った。おれは、騎獣を駆り立てて、風のように走った。
縄の端は巨人の動きに合わせてうまく引っ掛かるようにするつもりだとのことだった。おれは巨人の足元に接近する。その間何度か腕が伸びるが、そこに弓隊が射掛ける矢が飛び、牽制が入っていく。
ときに土煙りが上がるのは、火薬を詰めた樽を爆発させているからだった。
このせいでおれは何度もルート変更を余儀なくされたが、これがかえってジグザグした動きになって、巨人の腕をすり抜ける戦術にもなっていた。
何度も繰り出される魔の手を逃れ、ついにおれは巨人のくるぶしのあたりに迫る。
ところが、足元に近づいたとたん、巨人は構えを変えたのだ。
最初、おれはそいつがジャンプをしたのかと錯覚した。足がゆっくり持ち上がり、空に浮かぶ。すかさず落下して土煙りが舞うだろうと懸念して、一定の距離を保ったつもりだったが、依然として腕はゆっくりとおれをねらってうごいている。
なにごとかと思ってなんとか回避行動を取っているうちに、ようやくあることに気がついたのだ。
「なッ……こいつ」
そう、巨人は飛んだのではなく、腕で身体を浮かせたのだ。
いまや巨人は六本の腕を地につけて、這うような姿勢になっていた。
この姿勢では非常に安定している。だから足を引っ掛けるなんてことは夢物語だ。
それでもなお腕と足が余ってて、ときおりそれを降ろしては、反撃を繰り広げる。一個部隊が足蹴にされ、もう一個の部隊が薙ぎ払う手のしぐさに遠方に放り出された。
「くそッ、どうすれば──」
「アウル! どけ!」
ハリネズミの声だ。振り向くと、かれは弓を引いている。どうする気だ、と問う間もなく、矢は放たれた。
そして。
それは。
巨人の。
目を。
貫いたのだった。
ちょうど這う姿勢になったからこそできた荒技だった。
しかしおれはそれに気づいたとたん、騎獣に思いっきり鞭を打って疾走した。これを追いかけるように地響きすらともなう絶叫がこだまし、巨人のからだが落ちてきた。文字通り空が落ちてきたみたいだった。
さいわい部隊が巨人にやられたあとだったから、おれが逃げ切れればなんとかなる。
だがあまりに急いだせいで縄を手放してきてしまった。
凄まじい地鳴りと、衝撃。それから土煙りが、おれを背中からおそった。
おれは騎獣ごと吹き飛ばされて、地べたに叩きつけられる。とっさに受け身を取った。騎獣は足をくじいたかもしれない。
だが生きていた。
生き延びることができた。
「アウル、油断するな! すぐに騎獣を起こしてアングマールに逃げろ!」
ラナのひと声で、おれは我に返った。言われた通りに立て直し、ふたたび走る。他の騎士たちも、号令とともに退く。
何が起こってるのか。振り向くと、想像を絶する悍ましい事態が起こりつつあった。
まず巨人は遮二無二になって合計十本の手脚をジタバタさせ、無差別攻撃を開始した。それは地形が変わるほどの強い力で、叩くことに地面が揺れた。
おれたちの騎行のなかでも、この揺れに耐えきれずに地面に落ちるやつがいる。そういうやつからすかさず手が伸びて、小さな羽虫を解剖するみたいな繊細な手つきでゆっくりとバラバラにされたのだ。
それがひと通り済み、おれたちの不在を悟ると、今度はおれが手放してしまって縄を捕まえて、ゆっくりとたどった。
もともと巨人の足に引っかかって反発力が得られれば、それで良かったもの。だから強い腕力で引っこ抜かれたら、ひとたまりもなかった。ズボッと大きな音とともに土塊を弾け飛ばして、またしても騎士たちが死んだ。
死んだ。死だけがそこに拡がった。
それすらも終えたとき、ついに巨人の目が見開かれた。その目は充血し、赤い涙を流して、おれたちを見据えていたのだった。




