だっておれが勇者だから⑪
部屋を出てわかったのは、おれは洞窟の中にいるということだった。
入れ、という言葉とともに篝火を焚いた広場に引き連れられる。火明かりが洞窟の壁に反射してくらやみへ向かって溶けていく。その先に獣骨を組んだ大きな椅子があって、足だけが見えている。
「族長ヒグマだ」
影はそういった。
「王国の使者アウル」
くらやみに巧みに隠れていたが、周囲には敵意と心配なまなざしが綯い交ぜになっておれを見つめている。いまさらのように来て、何をするつもりかと問いただすかのようだ。
「用件は」とヒグマ。
「われらの友好の意志が変わらぬことを伝えに来た」
「ほう」
鼻で嗤う。おもむろになにかを投げつける音を聞いた。重い、丸いものが転がってくる。それは、ウォーレンの首だった。
「ならそれをどう説明する?」
おれはそのとき思った。高地人たちは揺れている。信ずるべきか、否かを。
やみの向こうから、眼光だけが浮かび上がるように思えた。とにかく視線を感じる。突き刺すような眼。眼。眼。篝火の揺れ動きに合わせて、おれの心のあり方を読み取ろうと疑心暗鬼になっているのが伝わる。
「腹を割って話そう。王国の中には、まだあなたがたとの親交を邪魔する連中が残っている。かれは、その一味だ」
「そら見たことか!」
横から声が上がる。初老の男の声。
「王国の連中はまだ懲りてもなければ、反省すらしていない! われらの屈辱の歴史を、屁ほどにも思っていないのだ! このような連中と友誼を結ぶなどありえぬ!」
「そうだ! そうだ!」
やみの半分が声を上げるのに対し、もう反対側のやみが反論する。
「なにを言うか! そのような暗き過去を退け、対話を図るためにこそアウルどのはいまこの場にいるのだろう! 話す余地はまだ残っている!」
声は風になり、篝火の円陣を左右に揺らした。
「ならばそなたらが勇士カラスは? トンビも、カワズも、きさまらが信を持って送り込んだ勇士たちは、帰ってこない! この事実を持って王国を信じるに足るというのか」
「それは……」
反論の声はどよめいた。それがしばらく続き、だれかの号令かは知らないが、唐突に引いていく。
「アウルどの」とだれかの声。「われわれが貴殿を生かしてここに来てもらったのは、ことの真相を聞くためでもある。誠の心をもって応えてくれまいか。われらもこの世界で起きている異変に対して無関心ではない。王国の北辺のひとびととは少なからぬ交流があり、財物をやりとりしているからだ。それが途絶えたいまとあっては、われわれ自身もどう王国と接してよいかがわからぬのだよ」
おれは少し待って、それから答えた。
「おれが聞いている限りのことでよいか」
「構わぬ」
「殺された、と聞いている」
ざわつく。しかしそれはすぐに制止された。
「なぜだね」さきほどの声だ。
「わからない。だが、宮廷で力を持っている連中の一派だ」
「では貴殿はどの宮廷から来たのかね?」
「どの……?」
「だれの手先か、ということだ」
おれはもしかしたら答え方を間違えたかもしれない。だが、もうあとには退けない。
「神使だ。王族の意志だ」
「頼もしいな」
どっと笑いが起こる。嘲る笑い。愚弄する笑い。
「おれの話はそんなに面白かったのか?」
思わず口にした言葉で、場が凍りついた。しまった、と思うが、もうここまでだ。言うべきことは言ってしまったほうがいい。
「さっきから話を聞いていると、あんたらはどっちつかずだ。まるでどの言葉を信じるべきか、言葉で考えてるだけじゃないか。おれは高地人のことはよく聞かされた。友情に厚く、誇り高き戦士であると。それがいま、たったひとりの人間の、いのちを張った言葉をひとつも信じられずにぐだついている」
「なんだと?!」
「──王国ではいま!」
反論を、おれは大声で叩き伏せた。
「ひとが死んでいる。人間によるものではなく、怪物の不明な意志によってだ。あなたがたの中にはこれを自業自得と嗤うものがいるらしいが、明日は我が身だと思ったほうがいい。なぜなら怪物の意志がわからぬのだ。それが天の配剤で、王国の民に与えられた罰だというのならそれでもいい。しかしそれすらもわからぬさなかで、高みから言葉を弄することは、かつての王国と同じ愚を犯していると知れ!」
沈黙が一瞬、通り過ぎた。
「おれは愚かなひとりの人間だ。過去王国がどのような罪をあなたがたの部族に犯したか──それを、ついこないだまでろくに知らなかった。そのことをいま猛烈に恥じている。しょせんそうだ。王国の民はそんなことすらまともに知らず、知らぬままで良しとしている。あるいは、知ったつもりでいると思っている。だがそうじゃないことは今この場で思い知った。何も改善していない。だから過ちは繰り返されるのだ」
おれはくらやみの向こう側に潜み、言葉だけを投げつけるあらゆる存在を見た。それは正しい言葉かもしれない。本気の言葉かもしれない。だがそれは言葉でしかなかった。明るみに自らを晒したものの言葉では決してなかった。
「祖先の罪を、同胞が繰り返す過ちを、おれが償うことができるか、いまおれにそれを問わせてほしい。そしてその答えが否であるなら、おれはその言葉に従ってこの場を去ろう。それで、いいな?」
深い沈黙があった。まるでおれの叫びが反響し、洞窟の壁に染み込むまでに掛かった時間を数え直しているかのようだった。
不意に足音が、ひた、ひたと到来した。おれを嘲笑う一角から忍び寄っていた。白ひげを深く下げた老人だ。だが背は曲がっておらず、筋骨隆々として、両足で立っている。かれは黒の毛皮のコートをまとったいでたちでおれの前に立った。
「ハゲタカという」老人は名乗った。「わたしの祖先は遡ること五代前まで、王国貴族の奴婢としてあまたの苦役を強いられた」
「…………」
「その祖先の苦渋、憎しみは言葉にするには余りあるものがある。しかしわたしは、同時に、部族を守る戦士でもある」
老人は険しい眼でおれを見た。
「そのわたしが言う。貴殿は立派な戦士だ。死線をくぐりぬけたものだけが口にして許されるだけの誠の言葉を放った。わたしもひとりの戦士として、その言葉の信を受け止めなければならぬだろう」
老人は眼を別のほうに向けた。
「きさまらはどうだ。この青年が発しただけの信を、今この場で差し出すことができるか」
沈黙。気まずさが伝わる。ハゲタカは首を振った。
「無理だろうな。この場に至って利を説こうとする連中には」
ハゲタカはそのまま族長ヒグマのいるべき場所にからだを向けて、ひざを突いた。
「あとは族長の判断に委ねますぞ」
「わかった」即答だった。
くらやみの向こうから、気配が消失した。少しずつ砂時計が落ちるみたいに消えていく。その流れに従うかのように、ハゲタカもくらやみへと去っていく。あとに残ったのはおれと、もうひとり──族長ヒグマの存在感だけだった。
「騒がしかっただろう」とヒグマ。かれはおっくうそうに声を上げ、おれの近くに歩み寄った。
筋骨隆々としている点は変わらない。壮年の無精髭の男である。かれは白い毛皮のコートを着てそこに立っていた。顔に入れ墨がある。まるで人ならざるものの化身だった。
「おれの問いには答えてくれますか」
「ああ。しかし、ここでそれを話すのは野暮だ。わたしについて来い」
言われてしぶしぶ従った。広場を抜け、いくつかの洞穴を通り、私室と思しき空洞に入った。なかは王国貴族の館と見紛うほどの立派な内装だった。
木の箱に羽毛を敷いたような椅子に、座るように促された。
「見ての通りだ。きみは正直に話してくれたし、看病してくれたあの男に聞いているだろう。われわれもまた、一丸となっているわけではない」
「…………」
「まあ、ひとが集まるところだ。なにをどうあがいてもそうなるものだと理解してほしいところだが」
ヒグマは苦笑する。
「さきほどの言葉は、予想以上の出来だった。わたしもつい心を動かされそうになる。現にハゲタカの心を動かしたわけだ。たいしたものだよ、きみは」
「では」
「そうだ。もともとわたしは、この場においてどうするべきかを考えてはいたさ。しかし理屈だけで人の気持ちは動かないからね。一芝居、それも即興劇を組んでもらったわけさ」
おれは嫌な気持ちになった。ヒグマはそれを察してカラカラと笑う。
「まあいい。これは非常にかんたんな話だ。正しくあるということと、生き延びるということはほんらい別物なのだよ。それをひとつのものに考えるからややこしくなる。あるものは生き延びたことに正しさを見出そうとし、またあるものは正しさのなかに生き延びる術を見出そうとする。どちらも不正解なのだ。しかし、まれに正しくあることと生き延びることが重なり合う瞬間がある。その場面に立ち会った人間だけが、不意に心を替えてしまうのだ。きみがやったのはつまりそういうことだ。これは、だれにもできるようなことではない」
「でも、あなたは最初から心を決めていた」
「いいや。状況によっては判断を変えていたさ。わたしがしなければならないのは部族を生き延びさせることだからね」
おれはますますわからなくなった。
「ときが来ればわかるさ。正しくあるべきか、生き延びるべきか、判断しなければならないときが、ね。ふたつがうまく成り立つ時間なんてそう長くはない。その場その場で常にどちらかを捨てないといけないからな。もしきみがその場面に立ち会ったとき、どっちを取るかは見ものだね」
さて、とヒグマはおれの気持ちを無視して話を続けた。
「北辺に現れた怪物の話は聞いている。部族の手のものに調べさせているが、きみが倒れているあいだに怪物はオーエンハイム領を荒らして、ついに王都のほうに進撃を始めた」
「なんですって」
「騎士団は巨人を止められなかったんだな。全滅したという話は聞いていないから、まだ勢力を立て直しているはずだ。しかし怪物は付近の都市の市壁を壊すなどして、混乱を生みながら徐々に南下している。あまり余裕はないはずだ」
「…………」
「そこで、われわれとしては援軍を考えた。ハゲタカの反応を見る限り、それはよしとできるだろう。あとは、きみたち次第だ。われわれが差し出す命に、見合う信を今後も見せられるかどうか──」
言いながら、ヒグマは油断のない笑顔を浮かべる。
「もちろん、互いに憎み合わず、争わずに続いていけば、こちらとしても都合がいい。よろしく頼むよ」
おれはうなずいた。なにはともあれ、おれが果たすべき使命は果たせたのだろう。




