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だってわたしの勇者様  作者: 八雲 辰毘古
序章:だってわたしの勇者様(前編)
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だってわたしの勇者様①

 また、あの夢を視た。


 草原の上を駆け抜ける(おさな)い子供たち──三人の少年少女が追いかけっこするさまを、鳥のように見下ろしている。

 わたしにはずっと縁のない光景だ。同年代の友達と(たわむ)れ、からかい、(ひじ)をぶつけ合う、言葉を交わし、夢を語る。「おれ、いつかこの国で武勲を立てて立派な騎士になるんだ」──そんな話が、風に紛れて聞こえてくる。


「無理だよ」

「平民の息子が、勇者になんて」


 嗤う男の子、かわいそうに見る女の子。

 でも、わたしは真剣に聞いていた。


(なれると良いね──)


 思っただけだ。でも、ふしぎとその子は振り向いて、まるでわたしの声を聞き取ったかのようにきょろきょろと顔を振る。

 最初は何か別のものを探しているのかなと思っていた。でも、彼は紛れもなく夢を見ているわたしに向かって、目を合わせた。


 青い瞳。明るい黒い髪。

 少年のあどけなくもまぶしい眼差しを受けて、射抜かれたみたいに、心臓が高鳴る。


 その口が、ゆっくりと動いた。


 あ な た は だ れ ?


 わたしは──


「お目覚めの時刻です。神使(しんし)さま」


 神殿に響く神官の声が、わたしの生きている場所を告げた。

 冷たい空気が頬を打つように現の世の在処をしろしめす。磨き抜かれた石の壁と、世界各地の幻獣の毛皮で作られた、雲の上にいるかのような敷物の世界。その端っこから聞こえる神官は、布の仮面を垂らし、決して顔を見せない。そういうしきたりだった。


「わかってるわ」


 寝間着を替えて、儀式用の衣をまとう。

 祭儀場へ出かけると、はやくも父王とそれを囲む貴族たちが、わたしの入室をいまかいまかと待ち侘びている様子がうかがえた。


 〈神々の(きざはし)〉を降って──

 祭儀場の真っ只中、聖なる炎を囲む上座に置かれた、オーク材の椅子に腰掛ける。


「遣い()よ、神は枕に立ったか」


 大神官による、神問いの定型句。

 わたしは応えた。


「否。人の()よ、神は人の前に(ことば)は語らず。ただ遣いを出して指し示すのみ」


 これもまた、常套(じょうとう)句。

 すかさず父王が立ち上がり、野太い濁声(だみごえ)で聖典の祝詞(のりと)をそらんじた。


「ならばこの供物を受け、我らが封土(ほうど)の苦難の在処を指し示すべし」


 父王が指し示すのは、王国の各地から搾り取ってきた民草の血と労役の塊そのものだ。

 タカミクラの(シシ)の気高きツノ細工。

 麗しの園より摘み取った、霊薬(エリクシル)の蜜を落とすフォティスの花。

 涙の海岸線から干上げてきた、神官御用達の浄罪の塩……このような王国に忠誠を誓う各地の領主たちから、その地の極め付けの特産物を寄せ集め、神殿へ(ささ)げてくる。


 そして何より──西の果ての僻地からもたらされた極小の結晶石。

 〈祈り子のささやき〉と名付けられているこの水晶は、かつてまつろわぬ民として忌み嫌われたミシハセ族が、いにしえの代に掘り尽くして無くなったと言われていた。


 のちに近くの神官に訊ねたところ、野山で遊ぶ子供が見つけたとのことで、後日大規模な鉱脈の掘り返しがあったらしい。

 もっともそれっきり、〈祈り子のささやき〉は欠片も採れなかったのだけど。


 その、〝清浄の青〟としか言いようのない美しい首飾りに、わたしは図らずも心を奪われてしまった。西の果てから献上された品──あの少年のいる景色は、神官たちが絵物語で伝え聞かせる西の果てによく似ている。


「……よ、遣い()よ」


 大神官の声で、我に返る。

 そうだ。

 まだ儀式の最中だった。


 ここから先、わたしは慎重に言葉を選ばないといけない。

 わたしの言葉が、神の声となるからだ。

 薄布越しに、書記のものが注意深くこちらをうかがう。指の微かな動きさえも、何かの吉兆か凶兆かと見定めるかのように。


 ばかばかしい。

 神なんていないのだ。


 生まれついて先代の導きがあって以来、この歳まで身を清め、神に仕えてきた。

 十五を過ぎた頃──他家の(むすめ)であれば婚約者を見繕う年頃だ──から、もう歳を数えるのをやめていた。しかしそれよりこの(かた)、神の(しるし)と言えるものは一度も見ていない。


 何よりこの国は平和そのものだった。

 かつては──


 凶兆と言えるようなものは滅多にない。たまに(むし)の害が酷くなったり、(ひでり)が続いたり、あるいは流行り病が臣民(たみくさ)を襲うことはあるものの、それはすべて予兆があった。


 夢。


 わたしの夢占(ゆめうら)権能(ちから)──その力だけが、この国にいるはずのない〝神〟を作り出している。それだけなのだ。

 この力が王国の危機を幾度となく救ってきたのは間違いないことだった。


 ところがいま、また王国は危機に(ひん)している。

 豪雨が降り注ぎ、田畑が流れた。

 蟲が湧き、けものが狂って人を殺した。


 神の怒りだ──と大神官が言った。


 預言書を開いて、冥界に封じられた鬼神がついに眠りから醒めたのだと、言いふらすものすらあったと聞いている。

 笑わせないでほしい。

 どれもこれも眉唾物。わたしはいままで魔法・魔術の類いこそ知ってはいても、それを可能にする見えざる存在を信じなかった。


 祈れば報われることはあるだろう。

 願えば叶うこともあるだろう。


 しかし──結局は、運と縁。やれ精霊だの、神様だの、そうしたモノが関わって、人の世界を左右したなんて、あったとしても信じる根拠がなかった。


 ましてや、崇められる側になると、尚更。


「──ありませぬ」


 強いて言うなら、こうだった。


「悪しき(まつりごと)を省みよ、しからばふたたび光がそなたらの大地を包むであろう」


 結局のところ、人は。

 自分で行なったことの責任すら取れない。


 だから神を設け。

 自身の子を幽閉し。

 神官たちを侍らせ。

 政を導くことすら、自ら手放す。


 ……こんな国、滅びてしまえばいいのに。


 そうすれば──きっと。

 先に続く言葉を探しあぐねて、わたしは口をつぐんでしまった。



     *



 伝承によると──


 人々が現世を苦しむのは、日頃の行いが良くないからだとされている。

 これを〝原罪〟と呼ぶ者もいれば、建国以来の大魔術の所以(せい)とする者もいた。


 どちらにせよ。


 この世界に降りそそぐ数々の不幸には、名前があって、原因がなければ気が済まないというのが人の心というものだった。

 だとすると、わたしたちはよっぽどの悪徳を積んできたことになるのだろう。


 数年後、父王の(おとな)いは以前よりも増えた。

 理由は単純明快。

 神話や英雄伝説でしか聞いたことのない、得体の知れない怪物たちが王国の各地に現れて、都市・集落を襲い始めたからだった。


 マガツの角を生やした翼獅子。

 蛇髪を振り乱す半魚人の魔女。

 八本の腕を自在に操る単眼の巨人に。

 仮面を被った黒い熾天使が。


 この四体を筆頭に、我が国の封土は徹底的に蹂躙された。彼らが下僕とするさらなる有象無象の怪物が群れ、人を襲い、民家を破壊していくその有様は空前絶後の災害と言っていいほどだったという。

 わたしはその度に騎士の出動をほのめかした。禍に見舞われた人々を都に招き、仮暮らしを与え、なけなしの国庫を開放させた。


 そんな激務の中、わたしはまたあの子の夢を視た──


 血に染まった草原に、たたずむ二人。

 髪の長い少年と、短い少年。

 冷たい目をして長髪の彼が見下す先には、あの子が涙を流して女の子の身体を抱きかかえている。


「アウル──」


 あの子を、そう呼んだ。


「もう彼女は帰ってこないんだ」

「でも、ディー」とあの子が言う。「イシュテルをここには置いて行けない」

「お前は死者を背負って街まで行くつもりなのか? ふざけるな!」


 ディー、と呼ばれた少年は怒っていた。


「もうおれたちに帰る場所はないんだ! まずは自分が生き残ることを考えろ!」

「でも──」

「お前が約束したんだろ! アル=ウルストン! この国を救う騎士になると! 勇者になると!」


 アウルはうなずいた。

 ディーは、俯いた。


「なら、その約束をはたせ」


 わたしはその夢から醒めると、すぐに神官にお告げを託した。

 西の果てから、勇敢な若者が来る、と。

 真名(まことな)は、アル=ウルストン。

 通称はアウル。

 その二つの言葉で、すぐに少年は王のもとに呼び付けられた。


 最初、かなりの粗相(そそう)があったらしい。


 もともと野盗同然の身なりで、道ゆく集落で怪物退治と騒動を繰り返しながら旅をしていたという。だから、王の兵士が連れ出す時にも抵抗されたらしい。結局、逮捕(たいほ)という形で連れて来られたとのことだった。

 わたしはそれを聞いて、せめて地下牢から出して、わたしと話をさせてもらえるよう、お付きの神官をつてに頼んだ。


 例外中の例外だった。


 初めて出逢うその少年は、平民にふさわしいほどの身の程知らずで、わたしが何者かすらもよくわからないようだった。

 だけど、それがすごく気に入った。当初不敬だと喚いた神官たちをついに退がらせ、わたしは彼と薄布一枚挟んだだけの会話を繰り広げたのだった。


「ふしぎですね。あなたとは、初めての気がしない」

「ふふ。そうですね」


 気の置けない会話、というものを初めてしたような気がする。


「じつは、わたしもです」

「……えっ?」

「わたしも、まるで昔からの知り合いのような安らぎを覚えております。ふしぎですね」


 ほんとは、ちっともふしぎでもないのに。


「アウル様は──」

「さっきから〝様〟はやめて、て言ってるじゃないですか」

「いえ、こう呼ばせてください」


 でないと。

 わたし()抑えられない。


「アウル()は、運命を信じますか?」

「うーん……」


 しばらく考え込んでから、


「信じ、たいなぁ」

「そうなのでしょうか?」

「でないと、いまここに生きていることが無駄になってしまう。おれは、運命がたとえどんなに残酷だったとしても、後から見てこれでよかった、て言えるように生きていたい」


 ──なーんて、カッコつけみたりして。


 アウルの破顔は、しばらくわたしの夢に出てきてしまった。

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