うかつなサイン
「ここにサインしてください。サインした日からあなたも女優の仲間入りです」
「女、女優やなんて・・・・」
「私に任せてくれればだいじょうぶです」
背広をきちんと着こなし愛想笑いには無縁な国田雅夫が契約書を前に微動だにしなかった。
「このままでは・・・何も変わらない」
「信じていいのかな」
山本和美は冷たい背筋に汗が流れるのを感じていた。
「山本さん何度言ったらわかるんですか!」
甲高い長坂経理主任の声がオフィスに響いた。
「請求書の日付違うじゃないの、昨日の日付け!あなた今日も昨日もわからないの」
パソコンのキーをたたきまくる音。
「あんたが今日の日付や言うたやないの」
山本和美の心の叫びは長坂経理主任に届くはずもなかった。
「すみません・・・」
長坂経理主任は請求書を放り投げた。
「この人さえ入社しなければ」
今年30歳になる山本和美の方が入社は早かったが、長坂経理主任は山本和美より年齢では軽く一回りは上回っていた。長坂経理主任は途中入社にも関わらずわずか半年で経理主任に抜擢された。特に経理に精通している訳ではないが最近では真島経理部長より態度がデカイ。
理由は社長婦人の存在である。
社長婦人の経営するブティクの経理から雑用まで引き受け取り入ったとの噂である。
会社事態は100名足らずの食品関係の商社である。
山本和美も途中入社であるが就職氷河期とも重なりやっとの思いで就職が決まった会社であった。
入社当時の経理主任は宮本経理主任で温厚で淡々と仕事をそつなくこなすタイプで部下からの信頼も厚かったが二年前に独立した元営業部長に引き抜かれる形で退社した。
真島経理部長を始め経理部は宮本経理主任の退社には批判的だったが山本和美は羨んでいた。
まさか空白の経理主任が長坂に決まるとはこの時考えもしなかった。