神田と監督
「あっつぅ……」
そんな声しか漏れない。
ワンアウト満塁。カン、カン、カン、と下位打線に打たれてまたあっという間のピンチ。ここが地獄か。
バッターボックスには九番打者。打順からして、俺と同じチームで一番打率の悪い奴。
「打ち取りたいもんだが……」
袖で汗をぬぐうと、三塁手が前進するのが見えた。スクイズ警戒か。してこないだろ。塁を離れた走者を牽制する気にもならない。
野球ってのは簡単なゲームなのだ。打って、走って、打って、走って、打って、走って、そして打って走れば点が入る。格下相手に小難しいことをする必要はない。
いや、九番打者ならあり得るか?
バッティングがイマイチだから九番に甘んじているわけで、だとしたらバント練習も十分だろう。前進守備は正解か―――
「ないな。ああ、ない」
去年までのこっちの戦績も、一年生エースが怪我したことも伝わっているはずだ。舐められてるに決まっている。
自分だって打てますよ。もっと打順上げてくださいよ。
バッターボックスから暑苦しいやる気が漏れ出るようだ。気温がさらに上がった気がする。
「サード、いい。戻ってくれ」
指示を出す。うちの監督は座ってるだけだから気にしなくていい。あれはシュウの独断だ。
そうして、俺はバッターボックスに立つ打者に目を向ける。
勝負するんだろ、と。
相手は少しだけ時間をおいて、ニッと笑った気がした。
「あー、アレは打ち取られるな」
監督がぼやく。
この人はこういう予感は外さない。だから先輩は打ち取られるのだろう。
とはいえこのオッサン、理由を聞かないと不機嫌になるのである。
「そうスか?」
「そーだよ」
一球目はボール。
「神田ぁ。お前、あのピッチャーどうやった?」
「沢田のがいい球放るっスね」
打ち取られておいてなんだが、必要なのは客観的な意見。
沢田は自分と同じ二年だ。ベンチで今も声を出しているアイツは、おそらく三年が引退してもエースにはなれないだろうが、いい二番手投手になるだろう。
「思い切りがいい」
二球目は高め速球。空振りでストライク。打つ気を誘われた枠ギリギリ外だが、あそこに投げるのは勇気が要るだろう。
「制球がいい」
たしかに球威こそ恐くないが、ストライクゾーンを目一杯に使っているのは厄介だ。
「ランナーを苦にせん」
それは割り切ってるだけのように見えるが……。
「先を見ていない」
それは、なんというか……叱られた気がした。
あのピッチャーは勝ち進むのではなく、この試合だけを見ている。それはたぶん、こっちのチームの全員ができていないことだ。
バッターボックスへ視線を向ける。あの先輩は県大会でもイマイチ打てていなかったから、この試合では打順を九番に下げられた。この満塁の場面、名誉挽回、汚名返上しようと打つ気満々だ。
チームとしても一点欲しいところだし、アンタの対左投手の打率を考えれば、ここはスクイズだろう。
「あとアレ、しょぼくれた顔してっけど……めっちゃ気ぃ強いぞ」
監督の予感がよく分かった。
勝負してるんじゃなくて、勝負させられている。じゃあダメだ。
ところで球威と変化に言及はないんですかね。
「インフィールドフライ!」
審判の声に、監督は口の端を歪める。