二回
ベンチへ戻る。どっと疲れていた。
「さすがっス先輩! スゲーっすよあの上位打線に!」
「おう、ユーゴのおかげな」
控えの後輩たちがはしゃいで取り囲んでくるが、ユーゴの肩を押して押しつけた。
実際、無失点で抑えたのはショートの守備のおかげである。俺は一人も三振をとれなかったのだから、すごいと言われてもお世辞にしか聞こえない。打たせて捕る作戦にしては、ヒット性のあたりばっかりだったし。
まあ……あの上位打線を抑えたのはすごいのだろう。味方と運が良かった。
「せ、先輩、タオルです。水も」
「おう、サンキュー」
差し出されたタオルと紙コップの水を受け取る。……相手は後輩なのに、声が上擦りかけた。我ながら卑屈なことだ。
ソイツの手元を見ると、コップは並べられているが水が注がれているのはまだ二つだけだった。妙にもたついているのはベンチワークに慣れてないからだろう。さすが一年生でレギュラーをとった男。これまでの人生でベンチを温めていたことなんかないのではないか。
そんなところばかり目について、自分で自分が嫌になる。粗探しする姑か俺は。
俺は一番奥に座った。ベンチに上座下座があるかどうかなんて知らないが、試合を見る精神状態ではない。どうせこちらの攻撃はすぐに終わって、次のマウンドがやってくる。それまでに少しでも休んでおきたい。
水を飲んで、不慣れな調子で他の奴らにも水を配るソイツの右手に巻かれた包帯を見て、小さく舌打ちした。
俺たちのような中途半端を甲子園に連れて来た、期待の新人ピッチャー。二つも年下なのに、別格の球速で俺からレギュラーをもぎ取った男。
人数が多くて、横暴で横柄で、引退した後に部室でタバコ吸って俺たちの秋大会を出場停止させた先輩どもがいなくなって、やっと年功序列でマウンドに立てると思っていた俺は……アイツのせいでベンチに据え置かれて―――
―――今、アイツのせいで、甲子園なんて分不相応な舞台で投げさせられている。
俺たちの後攻は案の定すぐに終わった。上位打線が三者凡退だ。予想通りだがここは裏切ってほしかった。
マウンドに立つ。バッターボックスにはさっきまで投げていた、相手校の投手がいた。
「ピッチャーで五番かよ」
ぼやく。中学までならボチボチ見たが、高校になるとあまり見ない打順だ。
投手は投球練習を主にやるから、バッティングは大して力を入れない。むしろ練習だと打者に投げてやることの方が多く、自分たちの練習は疎かになりがちだし、それでも仕方がないという風潮はある。
練習環境とか、人数とかも違うだろうが……やる気とかセンスとか才能とか努力とか、全部違うんだろう。でなきゃ甲子園常連校で投手と打者を両立できやしないはずだ。
大きく振りかぶって、投げる。
低め速球。見逃しでストライク。だいぶんギリのコースで怪しかったが、この審判だとストライクゾーンらしい。
次も低め。低すぎてバウンドしてボール。
次は狙いを散らすために外角。これもギリを狙うが、ボール。
今度は内。高め内角のギリを狙う。
バットがボールを打つ、甲高い音。
「うーわ」
ストライクゾーンの際。少し身体を後方に傾けるようにして引っ張るように打たれたそれは、グングンと高く上がっていく。
飛球。高い高い外野フライだ。レフトのイッサが落下点へ向かう。
あんな体勢で打って、よくあそこまで高く上げられるものだ。とはいえ高い打球は距離が出にくいし捕りやすい。
とりあえずこれでアウト一つか……。
トン、とイッサの背中が壁に当たった。それ以上後ろにさがれなかった。
グラウンドと観客席を分けるフェンス。嘘だろ。甲子園の広さだぞ。あの高さでどれだけ飛んでるんだ。
ボールが落ちる。フェンスを背に擦るように、イッサが身体をいっぱいに伸ばしグローブを上げる。
パシン、と捕る音がここまで聞こえた気がした。
あわやホームラン。もう少し芯で捉えるか、あるいは追い風でもあったらそうなっていただろう。
あの体勢から打って、あそこまで持って行ける打者なんて初めて見た。……いや、映像の向こう側にはいたが、それは別世界の人間だと思っていた。改めて俺はそういう相手に投げているんだなと気づく。
塁を走っていたランナーが落ち着いた調子でベンチに戻っていく。惜しかったのに落胆もしやしない。あれくらいはいつでも打てるという自信だろうか。あるいは、俺相手なら誰かが得点するだろうという余裕かもしれない。
六番打者がバッターボックスに入る。