未来への小さな一歩
「さて孫や」
「何でしょうおじいさま」
隣国の伯爵家、祖母の実家であるローズベリー家に到着してかれこれ三日。
ソファでまったりしていたルミナスの隣に腰を下ろし、わしわしと頭を撫でてやりつつアレクシスは話しかけた。
「おぬし、何かやりたいことはないのか?」
祖父からの問いかけに『うーん』と唸りつつ考える。
今回の人生は何が何でも20歳を超えることが目標ではあるが、それを抜きにしても正直、やりたいことがありすぎる。
これまでの人生でやっていないことを中心にやるべきなのだろうかとか、それとも単純に侯爵家令嬢という立場を一度忘れてこちらの国で勉学を極めてみるのも良さそうだ。
だが、ふと思う。
ようやく離れられた騒音発生機もとい、妹。
あれの甲高い叫び声を防ぐためという名目を付けて、耳栓の開発をしてみたいな、と。というか生活を便利にするための魔道具を研究してみたい。
耳栓ひとつとっても、聞こえてくる音の大きさを調整できたりすればなお良いものができるのではないだろうかと。
「おじいさま、この国には魔道具について専門的に学ぶ学校はありませんか?」
「魔道具?」
「ありますよ」
優しい祖母の声に、ルミナスは表情をパッと輝かせた。
「おばあさま!」
にっこりとほほ笑んでこちらにやってくるミーシャに、ソファから降りて駆け寄って目を輝かせつつ見上げて問いかけた。
「本当?本当にありますか?」
「ええもちろん。専門的な授業を受けられるようになるのは中等科に入ってからになるのだけれど、魔道具を研究する学校はありますよ」
「わぁ…!」
はて、と揃って首を傾げた祖父母に、目を輝かせたままルミナスは宣言した。
「私、魔道具の研究や開発をしたいわ!」
隣国のローズベリー家に来てから最大の良い笑顔。
こちらにやってくるほんの三日前まではまるで死んだような眼をしていたルミナスだが、一番のストレス源である妹と離れてからとんでもない勢いで元気になっていた。
そして、きっとラクティ家にいては出すことのできなかった本音や意見。
少しずつではあるが、侯爵家令嬢でありながらも他の人がいない場、身内の前ではこうして本来の明るさを取り戻しつつあるルミナス。
そうか、と一度大きく頷いてからアレクシスはルミナスを抱き上げて再びソファへと座らせる。
そしてルミナスの前に膝をついてから柔らかな笑みを浮かべた。
「では、そうなるためにお前ができる努力を少しずつでもせねばならんな?」
「はい!」
「学園はここからでも通える範囲だが…そうさな、入学試験に向けての勉強はせねばならん。お前が今まで受けてきた侯爵家令嬢としての勉学とは全く違うものも入ることは、覚悟しておろうな」
「…はい」
そもそも魔道具を作るためには魔力の流れの把握や、どうやれば魔力を【要石】と呼ばれる魔石に定着させることができるのか、から学ばなければならない。
ルミナスが今まで受けてきたのは侯爵家令嬢としてのマナーや対話術、そして貴族学校に入学するための算術などの基本勉学、更にはデビュタントを迎える日のためのダンスなど、広い知識と令嬢としての立ち居振る舞いなのだ。
これから追加で学ばなければいけないのは、今まで学んできた内容よりも応用された勉学を中心とし、魔石の加工の仕方や魔力の効率的な運用などについて。
更には、魔力なしでは魔道具の開発などもってのほかであるため、入学前に魔力測定も行わなければいけない。
やることは本当に山盛りなのだ。
「無論、理解しております。ですのでお休みは本日をもちまして終了、明日からは参考書の購入をしたうえで勉強に取り掛かりますわ。おじいさま、おばあさま、厳しくても正確な知識を与えてくださる方を家庭教師につけていただけませんか?」
「…ほう」
目標を明確にした瞬間、子供から大人のような雰囲気をまとったルミナスに、アレクシスは目を細めた。
ミーシャも同じことを感じ取ったのか、楽しそうな微笑みを浮かべている。
「ルミナス、貴方そんなに覚悟を決めることが早くできるようになったの?」
「わたくしの婚約者選びのあの日、子供だったルミナスは亡くなったものだとお思いくださいませ」
「ふふ、その意気やよし。本日はまだ気を抜いていてよろしい」
ミーシャは、手にしていた扇に少しだけ魔力を込めてルミナスに向ける。
「明日から、孫とて容赦なく参ります。家庭教師など探さなくてもよろしくてよ」
「へ?」
「わたくしが教えます。覚悟なさいな」
にこ、と微笑む祖母の何とまぁ迫力のあることか。
「お、おじい、さま」
「安心せい、ミーシャの出身校はお前が通いたいと言った学校だ」
続けてニコリと笑った祖父も、なんとも言い難い雰囲気を纏っている。
「へぁ…」
「さ、息抜き生活最後のお茶会をいたしましょうルミナス。明日からはこのわたくしが直々に教えましょう」
やべぇ別の意味で死んだかもしれんと思うと同時に、これまでとは全く異なったものになるであろう人生の一歩を、今、こうして踏み出したのだ。




