こんにちは、兄です
いよいよだわ、とルミナスは緊張して震える手をぐっと握り締めた。
マリアを鬼のようにしつけ直していると聞いたとき、『あぁ、さすがお兄様だな』と思わず笑ってしまった。
家を出てから、あえて実家には自分から手紙を送ったりはしていなかった。
ディルの誕生日には、誕生日を祝う手紙を送ったりプレゼントをささやかながら送ったりしていたものの、交流が頻繁だったか、と言われれば『NO』である。
ルミナスが忙しかったのもあるし、ディルはディルで当主になるべく動いているからいちいち聞いてきたりもしない。便りのないのは、元気である証拠だ、ということだろう。
「ルミィ、本当に大丈夫かな」
「大丈夫よ、アリューズなら」
「……」
今回の兄の来訪に関して、アリューズとアリアも呼んでおいた。
何せルミナスの婚約者と、初めてのお友だちだから紹介するのは当たり前として、そもそも兄からの『会いたい』という希望でもある。
アリューズは己の問いかけに対しての、ルミナスのその自信はどこから!? と内心突っ込んだが、ルミナスがここまで迷いなく言い切る存在だ、ということなのだろうが、会ったことがないので如何せん判断が難しすぎる。
実家での様子を聞いた限り、妹とは『区別』ではなく、相当な『差別』されていた環境で育っていたところでルミナスをきちんと評価してくれていた、という貴重な存在。
メイドのミリィ曰く、『シスコン』らしいのだが、周りの環境がそう見せているだけなのだろうな、とアリューズは推測した。
片方を溺愛、いいや、偏愛してもう片方を蔑ろにしたり厳しすぎる態度を取るだなんて、ルミナスの両親そのものだ、と思った。ディルはきっとそうしていたわけではないが、マリアがあまりにもディルから評価されなすぎてシスコンに見えているだけとも言える。
「……来たっ!」
ぱっと顔を輝かせたルミナスだったが、すぐに表情を引き締める。
「ルミィ?」
「ねぇ、私もいるんだけど二人とも、二人の世界に入らないで?あと、ルミナスは何が来たのか教えて?ねぇ」
「……アリア、しっ」
「え?」
そう、実はアリアもいた。いたけれど会話に入れなくて、ちょっとそわそわしていたのだが、ようやくここで話しかけられたのだが、ルミナスはじっと一つの方向を見つめている。
兄にこの際紹介して『初めてのお友達!』と明るい雰囲気で伝えようと思っていたルミナスだが、今、ルミナスの雰囲気は普段と全く異なっている。
背筋を伸ばし、手は体の前で左手を前にして重ね、凛とした眼差しでひとつの方向をじっと見ている。
少しして、ガラガラ、と馬車の車輪の音が聞こえてくるが、ルミナスが『来た』と告げたあの時はかなり小さな音で、相当注意しないと聞き取れないほどの音だったのにな、とアリューズは感心した。
そうして、ルミナスが待っていた馬車はピタリとローズベリー家の前で停止して、中から一人の男性が降りてきた。
御者から荷物を受け取ると、門番は前もって聞いていたからか、正門をぎぎぎ、と開けて降りてきた青年を迎え入れた。
「ああ、ありがとう」
「いいえ、ようこそいらっしゃいました」
落ち着いた声音。
ゆったりとした調子で歩いてきているが、歩幅は少し大きめだから、さほど時間はかからずにルミナスたちの前へとやってきた。
「ルミナス、久しぶりだね」
「お久しぶりでございます、お兄様。ようこそいらっしゃいました」
綺麗にカーテシーをして、体勢を戻してから少し腰を折って改めてお辞儀をしたルミナス。
表情は微笑みを絶やさないようにしながら、だが、いつもの笑い方とは異なっている。
「……なんか、いつものルミナスと違うね」
「貴族としての顔、ってことだよ」
「……」
そうだった、とアリアは思い出した。
学校でのルミナスは、あまりこうした『貴族』という一面を見せたりはしなかった。だが、今は別ということなのだろう。
「……うん、やっぱりルミナスはきちんとしているね。もう大丈夫だよ」
「はい、お兄様。……はぁ、緊張したぁ……」
「……それでいいんだ!?」
ぎょっとしたアリアが思わず突っ込みを入れると、ディルはにっこりと微笑んでからこう告げた。
「ひとまずは、ね。これでマナーも何もかも忘れているような醜態を晒せば、一通り叱ってから帰国するところだったんだよ」
あはは、と笑っているように見えるディルだが、目の奥は笑っていない。
ルミナスを大切にしている、と聞いていたのに、とアリアは思うが当の本人のルミナスを見ても当たり前のようにけろりとしているではないか。
「ルミナスこれでいいの!?」
「そりゃまぁ……デビュタントもあるし、貴族であるっていうことは捨ててない以上、お兄様のこれは当たり前というか……一応元の家は侯爵家だったわけだし、結構厳しめに躾けられてたし」
「あれは一種の虐待になりかねないんだけどね」
「でも。お兄様だってあれくらいの教育はされてたでしょう?」
「次期当主なんだから、当たり前といえば当たり前だけど、ルミナスは違うだろう」
こら、とディルは軽くルミナスの額を小突いた。
あいて、と痛そうにもない声を聞いて、そしてルミナスの顔を見ていると二人が仲良しというのはよくわかる。
ルミナスがきちんとやるべきことをしているのだから、当たり前に可愛がっている兄妹の光景。妹の結婚相手が気になるからと確認に来るあたりはシスコンを発揮しているというか、何というか。
「お兄様、ご紹介しますわ。お友達のアリアと、婚約者のリーズ伯爵子息。おばあさまや母様は、もうアリューズくん、って呼んでくれてる」
「そうか。初めまして、いきなり会いたい、だなんて言って申し訳なかったね」
「は、初めまして。アリア・グレイスフォードです」
「初めまして、アリューズ・フォン・リーズと申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」
ぺこり、と双方頭を下げて挨拶をしてみれば、ディルは普通のお兄さん、という印象になった。
そして追加される『きちんとした人』という印象。
「あの……噂のマリアちゃん?は……」
「侯爵家令嬢として、あれは外になんて出せない。両親がべったりとついているという条件ならば、パーティーくらいなら許可はしているが、一人で参加したいとねだられても許可は出さないようにしているんだ。もちろん、ここへの挨拶だってそうだよ」
笑っているにも関わらず、ヒヤッとした空気が場を包み込んだ。
「……挨拶、くらいで?」
「アリア、ちょっともうお前黙れ」
「あっはっは、聞きたい?」
どれだけマリアが駄目なのかを、と続けたディルの前に、すっとルミナスが移動してきてぶんぶんと首を横に振った。
「お兄様、駄目です。アリューズやアリアが卒倒しますわ」
「うそぉ……」
「ルミナスからはある程度聞いているけれど……」
「『ある程度』だろう?」
ちょっと待て、とルミナスに視線をやればルミナスの顔は能面のようになっているではないか。軽く話を聞いてやばい子だとは思ったけれど……とアリアは真っ青になっている。
「兄として、次期当主としてマリアに接しているときの状況を教えると、もっと色々な話ができると思うけど、聞くかい?」
「遠慮します」
アリューズが即答したことで、その話はなしになったものの、ルミナスから話を聞いていた時よりもヤバいことになっていたのかということはこれだけで容易に分かった。……分かりたくなんか、なかったけれど。
「お兄様、おばあさまたちも首を長くして待っておりますわ。行きましょう?」
「そうしようか。……どれくらいぶりかな、おばあさまに会うのは……」
「あの……ラクティ小侯爵さまは、ミーシャ様にあまりお会いしていないのですか?」
「そうだね、勉強のために家を空けていたからね。あまり積極的にここには来れなかったし、ラクティ家にいるときもタイミングが合わなくてね」
会話をしながら歩いている四人を、二階の窓から大人組が見ていた。
「あら、あの子たち結構意気投合しているのではないかしら」
「おお、ディルがあんなに大きくなって……」
「アリアちゃんも無事にご挨拶できたみたいだね」
「ちょっとあなた、きつい」
「……大奥様、奥様。そして大旦那様に旦那様、はしたないですよ」
大の大人がべったりと窓に張り付いている様子を見て、執事長がぱんぱん、と手を鳴らして離れるように促せば、しぶしぶ離れてきちんとそれぞれソファーへと腰を下ろした。
「皆様、いい大人なのですからお控えくださいませ」
気まずげにしながら、あまりに久しぶりにディルに会うから緊張しています、だなんて大人組は素直に言えず、各々視線をそらしてしまったのである。
「皆様、お兄様が到着され……あれ」
そして、ディルを案内してきたルミナスが部屋に一番最初に入り、室内の様子に思わず目を丸くしたのは言うまでもない。
久しぶりに会う親戚って、何かよそよそしくなっちゃうよね、っていう(経験談)




