保護者の覚悟
ローズベリー伯爵前夫人と現夫人。
穏やかに見えてその実、とても怒り狂っている。
理由については、ルミナスに対してのイシュタリアの言葉や態度によって精神的な被害を被ってしまったから、というのが表向き。裏の事情としてはルミナスのかつての死因になってしまった『公爵令嬢』と『王太子』を物理的に遠ざけるため。
遠ざけるついでに、王家に保管されている書物の数々をいつでも見られるように許可だって欲しい。
なら、利用するべきものはなんだって利用してやる、というのがミーシャやレノオーラの狙いでもある。
「え、えぇと……」
「王妃、今は来客……っ、ローズベリー伯爵夫人……!」
「まぁ、お邪魔をしてしまいましたか?」
「構いませんよ、レノオーラ。ちょうど、わたくしの開発した魔道具の権利諸共この国から出ていこうか、というところでまとまりつつありますから。もう少ししたら帰宅できます」
おっとりした口調ながら、どこか有無を言わせない迫力のもと、ミーシャは迷いなく告げる。
まずい、と国王が思うが早いか、王妃が悲痛な叫びを上げた。
「どうしてそうなりますの!? そも、出ていかねばならぬ理由などないではありませんか!」
「王妃様、ご機嫌麗しゅう。……いえね、先程国王陛下の側近の方より、その旨申し付けられましたので……この国に仕える貴族としましては、即刻、対応しようかと思った次第ですの。幸い、わたくしにはいくらかの伝手もございますし、えぇ、やはり権利ごと他国に行きましょうか」
「何で……」
ここまで聞いて、王妃はハッと思い出す。
そういえば、謝罪文だけはイシュタリアが送ったと言っていたのだが、その後に関して何かヘマをやらかしてはいないか、と。
イシュタリアのプライドは、誰に似たのか無駄に高い。国内最高峰の山くらい、いいやそれ以上遥かに高いから、正直なところ迷惑をするのは巻き込まれた側なのだが、本人はそれに基本的に気付かない。
本人が泣いて謝り倒すまで叱るくらいしないと気付かない、ということに周りが気付いたためにもう容赦はしていない。
いいや、そんなことよりもミーシャが物騒なことを言っている。いち早く我に返った王妃は慌ててミーシャに縋り付くように駆け寄った。
「お、お待ちくださいませ!!」
「まぁ、何でございましょうか。王妃様」
笑っているのに、目の奥が一切笑っていない。見えるのは怒りを通り越した『無』。
「あ……」
「そちらの方が、陛下の代わりに仰いました。……ねぇ?」
にこ、と微笑んでいる。そうだ、笑っているはずなんだ。
笑っているだけ、なのにどうしてこんなにも迫力があるのだろうか、などというお気楽な思考回路なんか持てないくらいに底冷えしてしまうような、そんな恐怖にも似たような感覚に襲われた。
国王の代わりにミーシャに対して吠えた彼は、口をはくはくと開け閉めするくらいしか出来なかった。
「そ、……ぁ」
「お前……何を言ったのですか! 我が国の発展に寄与してくれた、こちらの御方に!」
「わた、わたし、は、ただ、国王陛下の御前にて、伯爵家風情が、」
「伯爵家……風情……?」
ひく、と王妃の頬が引き攣った。
しまったと思ったところで遅い。もう既に散々たる暴言をミーシャにぶつけてしまっているし、それによって怒りもとんとんと積み上がってしまっている。
「構わないのですよ、王妃様。ええ、伯爵家風情が王に楯突くなど言語道断、と言いたいのでしょう。でもね、わたくしはそんなものより、わたくしの守りたいものを優先的に守ると決めた、それだけなのです」
「ミーシャ、様」
「大切な、頑張り屋さんの可愛い可愛い孫を、たとえ不敬罪でわたくしが処罰されようとも……守り通してみせます。そちらが優先したのは国として貴族同士の繋がり。民を守る王家が、民に対しては平等であるべき国の長が、ひとつの家を贔屓したばかりに本来の学ぶべき生徒が弾かれた。結果、イシュタリア王太子殿下よりも成績が上だからかどうかは存じ上げませんが、公爵令嬢はこれまで全く繋がりも何も無い我が孫に、突然絡みにいった、というではありませんか」
「……そんな、ことが……」
知らない、というか学院内でそんなことをしているとかは知らないし、公爵令嬢からは『早くお友達を作りたいから、皆さんに話しかけたり交流を持っているのです』とだけ聞いていた。
でも、まさかその対象にルミナスが入っているだなんて思いもしないし、イシュタリアからも何も聞いていない。
イシュタリアはルミナスに関わらないようにしている、そのように約束した、と聞いていたからそれはそれで良いとしても、だ。
これまで関わりのない高位貴族、しかも王太子の婚約者から突如として関わられれば驚くのも無理はないだろう。
「単に交流をもちたい、というのであれば、それはそれで結構。ですが、……公爵令嬢は本当に何のために学院に入学したのです? 殿下と共に学びたいというだけなら、わざわざ将来専門課程に進むことが確定している皆が在籍しているクラスへの編入をしなくとも良いのではございませんか? あぁ……よもや、ルミナスを学院から追い出してしまえと、暗にそう言っておられるので? 不満があるならこちらが出ていけ、と。そういうことで御座いましょうか?」
「そのようなことは!」
必死に王妃が言うが、代々王家に関わるものがヴィアトール学院に通うことは慣例となっている。
国の産業とも言える魔道具に関して専門課程に進めるよう、そういうクラス向けの試験を受けて入学するのだが、専門課程に進みたいと思っている他の人は相当多い。
平民も貴族も等しく門戸を開いている学院であるからこそ、魔道具職人になりたいと思う人も多いが、専門職として魔道具に携わることなく、経営など別分野を学びたいという人のために、他のコースも様々に用意されている。勿論普通学科だってあるのだが、リリィベールは別に魔道具の専門分野に進まなくても良いのだ。本人は今まで専門的に学んできた訳では無いのだから。
だから、ミーシャはそこをついた。
学ばなくても良い、否、学ぶ気がない可能性のある人が専門課程に編入したことにより、本来学びたかった人の枠が一つ減ってしまった。すなわち、将来の技術者が一人減ってしまうことを示唆しているのだから。
「……その、ようなこと、は」
ない、と断言できない。
王妃も、国王も。そしてようやく理解を始めた、ミーシャのことを散々罵ったお馬鹿さんも。
「わたくしは、未来を守るため。そして、孫を守る為ならばこの命など惜しくもありません。さぁ、反論があるならどうぞ。不敬だからと殺したいのであればどうぞお好きなようになさいませ」
「……お義母さまと同じく、ですわ。養子だからとか、そんなこと一切の関係なく、娘を守る為ならばいくらでも戦いましょう。それが王家であって、我が家が取り潰しになろうとも、子が守れずして何が親ですか。落ちたらはい上がれば良いのです。泥水をすすろうとも、何をしようとも持ち直してみせます」
二人の目が真剣そのもので、反論しようとしてもできなかった。
子を守る母と、孫を守る祖母の強さ。いいや、女性ならではの強さなのかもしれない。
きっと、家を潰したところで彼女らの有する魔道具に関する諸々の書類や論文があれば、別にこの国に拘らなければ問題なくやっていける。それどころか、保護したいと手を挙げる国だってあるかもしれない。
「……っ」
あまりに浅慮すぎたことではあるが、入学を叶えてしまった以上取り消しなんて出来ない。
一人を特別に扱ったのであれば、他だって無理を通さなければならぬという事案を作ってしまったのは、他ならぬ王家。
「公爵令嬢が王太子殿下の婚約者として、技術者となれるよう学ぶならば問題などございませんでしょうねぇ」
ころころと笑うミーシャの凄みに、国の頂点たる国王も震え上がりそうになる。
「……まぁ、そんな気概もない小娘の我儘を聞いてしまったのだから、こちらの我儘も聞いていただけることと、信じておりますわ。ねぇ、お二方」
どちらが上なのだ!と怒鳴りつけることは容易い。
いっそ処刑して家諸共国に取り込んでしまえば、と一瞬考えたがルミナスの婚約相手がリーズ伯爵家。
ダメだ、火に油を注ぐことにしかならないとこれはすぐに気が付いた。
魔道具事業において、この二家の影響力の広さたるや、というところでもあるのだが、何かあればリーズ伯爵家も全力で動くだろう。
ぐっと黙ってしまった夫妻を呆れたように見つめ、ミーシャとレノオーラは小さくため息を吐いた。
「既に起こってしまったものをあれこれ言っても、過ぎた時間を元に戻すなんて出来ないということはお分かりでしょう。……とはいえ、かの公爵令嬢に対して勉学のやる気の有無くらいはご確認してはいかがです?」
ミーシャの呆れたような声音に、ぎくりと王妃は体を強ばらせる。
ここまでいってしまっては首を縦に振ることしかできないのだが、どのようにしたらいいのか頭をフル回転させている。
「わ、わたくしたちに何をしろと言うのですか!」
「何かをしろ、だなんて。そんな大層なことは申しません。ただ、学ぶ意欲のないものをこのまま専門課程に進ませるのはいかがなものかと、というだけです」
言外に、公爵令嬢であるリリィベールを今いるクラスからつまみ出せ、と言っている。
しかし『王家が依怙贔屓して無理矢理入れた、学ぶ気のあるのか無いのかわからない生徒はつまみだせ』ということなので、正当性を問われればおかしな話では無い。
依怙贔屓したのはそっちが先で、ここから先にも何かしらの特別措置は取るんだろうな?と聞かれれば、頷くことしかできないのでは、ということでもある。
一人の特別を認めたのならば、他にも認めてもらわねば困る。そうやってツッコミを入れられる状況を作ったのは王家なのだから。
「……っ、こ、公爵令嬢に、問うてみますわ。ですが、彼女が学ぶ意欲があれば!」
「ええ、意欲があれば何も問題ないですわね。……何も」
レノオーラの呟きに、王妃にも国王にもぞわりと寒気が走るが、ぱらりと扇を広げて追撃をしてくる。
「意欲がない場合はどのような対処をなさるおつもりでして?」
「普通クラスへの、編入を……」
「まぁ、そうなれば普通クラスで学びたいものの席まで奪うことになりますわねぇ……」
「どうしろとおっしゃいますの!? いくらミーシャ様とはいえど、あまりに横暴がすぎませんか!?」
「公爵令嬢がこれまで通っていた学校はどうしたのですか」
「そ、それは」
一番の痛いところをつかれた。
そもそも公爵令嬢はほかの学校に通っていたところを、無理矢理編入してきたのだから、元に戻ればいいだけの話。
せめて期間限定であれば良いのだが、何もしなければ卒業までこのまま過ごすだろう。
「いくら、かの公爵令嬢が王太子妃候補として優秀とはいえ、国の未来を担う若者の育成に支障があることは困りますからね。あぁそうだ、たかが一人くらい、と思っているやもしれませんが……」
また、ミーシャは扇を閉じて、閉じたものを掌に思いきり打ち付けてパン!と鋭い音を鳴らした。
「たかが一人、されど一人。将来困ることになるのは我が国です」
座っていた椅子から立ち上がり、ミーシャは綺麗にお辞儀をした。
レノオーラもそれにならってお辞儀をし、にこりと微笑んだ。
「今や、ヴィアトール学院は貴族、平民とわず人気の学院となっております。それを……名誉そのものを汚すことのないよう、どうかご配慮くださいませ」
先程とは全く違う落ち着いた口調で願い、ミーシャとレノオーラは退出していった。
レノオーラは帰り道で王宮の図書館で目星をつけていた本を借りて、二人揃って馬車に乗り帰路についている。
ガタゴトと揺れる馬車の中、ミーシャが呟いた。
「……ルミナスの言っていた公爵令嬢があの令嬢なら、これで遠ざけられますわね」
「はい」
ほんの少しでもルミナスの力になれているのだろうか、とミーシャもレノオーラも思案しながら、馬車の中ではそれ以降、二人とも無言だった。




