兄は改めて決意する
「嫌だぁ!どうして私がこんなことしなくちゃいけないの!!」
「マリア、いい加減になさい!」
もはや恒例行事となってしまったラクティ侯爵家でのドタバタな日常。
何年も経つというのに、マリアの癇癪はおさまることを知らなかった。むしろ、酷くなっているくらいだ。
アイナはこれほどまでに厄介な癇癪を、マリアからぶつけられたことはない。ルミナスがいれば、何もかもルミナスに引き受けてもらっていたし、断られたとしても『お姉ちゃんなのだから』とルミナスが嫌なことだと分かっていながらも押し付ければいいと思っているところがあった。
今となって自分で引き受けて、その任の重さにようやく気付いたが……これを幼い子にさせていたのだから、『ルミナスにマリアの面倒を見させる気か』と義母や義父に叱られても当然だ、と思えるようになれたが時は既に遅し。
「ディル……」
困惑顔のアイナだが、続いたディルの言葉には改めてはっとさせられた。
「ルミナスがここに居なくて、本当に良かった。心を病んでしまう可能性だってあったでしょうよ」
「……本当に、わたくしたちは大切な娘に何ということを……」
はぁ、と大きな溜め息を吐いてディルはマリアへと歩み寄る。
「っく、おにい、さま」
助けてくれる、と淡い期待を抱いたマリアだったが、ディルは無感情な目のまま、ゆっくりと手を振りかぶりマリアの頬を思いきり引っぱたいた。
パン!と乾いた音が響き、さすがのマリアも目を丸くし、母であるアイナですらもぎょっとしてしまう。
これまでディルが手を上げたことなど、一度たりとてない。
だが、ルミナスが出ていってから酷くなる一方のマリアの癇癪に耐え兼ねたのか、今回ばかりは手が出てしまったらしい。
「いい加減にしなさい」
「お、おにいさまが、ぶった」
「泣き喚いてルミナスが帰ってくる、とかどうせ考えたんだろう」
「……っ」
ぎく、と図星だったらしいマリアは硬直する。
泣き喚いて、癇癪を起こして、そう立ち振る舞って『マリアは長女の役割なんか無理なんだ』と父や母に諦めてもらって、ディルにも『こうなったらルミナスを呼び戻した方が良い』と両親に進言してもらうことで、大好きでたまらない姉に帰ってきてもらいたかった。大好きでたまらない、という割には向けている感情が厄介でしかないし、ひねくれすぎているからルミナスには髪の毛の細さほども伝わらないのだが。
しかし、それをやるには相手が悪かった。
今は最恐の兄がこの家をほぼ取り仕切っている。
マリアごときの浅はかな考えなど読まれているし、更にその上をいくお仕置が待っていることなど簡単に予想できるのに、ここに関しては頭が回らなかったと見える。
「人を舐めるのも大概にしろ」
「ひぃっ!」
底冷えするような低音に込められているのは、純然たる怒り。
「そっちがそう出るなら、俺もルミナスに対してこう手紙を出そう」
「え……」
最早泣きわめくことを忘れたように、マリアはがたがたと震え、ディルが何を言うのか慎重に聞いている。
迂闊な返答をすれば兄によって、きっと無理矢理な結婚をさせられてしまう!そうなれば自分が姉に会えないではないか、と反論しようと心を決めて息を吸ったその瞬間だった。
「こんな家、捨てろ。ローズベリー伯爵家こそ、ルミナスの家だ、とな」
「そん、……そんな!」
「当たり前だ。ルミナスはきちんと言ってくれていただろう、六年でマリアの性格が矯正されれば戻るかもしれない、とな」
あ、と小さく聞こえたマリアの声。だがディルは容赦はしない。
ディルがきちんと言った、『かもしれない』という言葉が聞こえていないようだから、このまま話を続けることにする。
マリアの場合、己の都合のいいことばかり覚えているくせに、ルミナスのことが大好きだと言う割には、ルミナスの言ったことに関しては覚えていない。都合の良いように解釈をして、今は恐らくマリアが悲劇のヒロインとでもいうように振る舞っている。演技にしては数年がかりなので、大女優の称号をあげてもいいくらいかもしれない。
むしろ、自分がトラブルを起こしたら戻ってきてくれるかもしれないという、その愚か極まりない思考回路が腐りきっているということを、今まさにマリア自身が証明してくれた、というわけだ。ディルにとっては好都合でしかない。
「ま、まってお兄さま!私ちゃんとやるわ!やるから、だからお姉さまにそんなお手紙出さないでよ!!酷いじゃない!」
「は?酷い?何が酷いんだ」
「結局お姉さまを逃がしたかっただけってことでしょう!?」
逃がす、とは何を言っているのか。
逃げようと決意させたのはマリア自身の癇癪の酷さからだし、振り回され続けたルミナスのことを考えたら逃げろ、という知らせを送るのは普通の思考回路だろう。
「そうだな、逃がすという表現が一番しっくりくる。ほら、分かりましたか父上も母上も。どうしようもないコイツのところに、またルミナスを戻して彼女をノイローゼにでもさせる気ですか?」
「そんなことあるわけないわ!!」
何だかんだ、マリアが絡まなければルミナスのことはしっかりと愛しているこのアイナにとって、あの数年前の事件とも呼べるルミナスとの別離は相当堪えている。
なら、それすらも徹底的に利用してやる、とディルはほくそ笑んだ。
マリアのことだって大切な妹だが、ルミナスのことだって大切な妹。マリアがルミナスに迷惑をかけていい、姉なのだから何とかしてくれるという他力本願過ぎる考えを一切変えることなく、自分の元に縛り付けようとするのであれば、ディルは容赦しない。
大切な妹を守るためならば、なんだってやってやるし鬼にだってなってやる。今のマリアにいくら罵られようとも、痛くもかゆくもない。
「なら決まりだ。とりあえず、マリアに関しては今以上に厳しい指導で良いと思います。これだけ頭をフル回転させて、わざと癇癪を起こして、父上と母上が疲弊してルミナスをこちらに呼び戻そうとまで考えていたようだ」
「…………っ!!」
カッとなるマリアだが、癇癪を起こすタイミングなんかは諸々計算し尽くしていた。
しかし兄の性格はきちんと把握出来ていなかったようで、タイミングやら何やらをはかりきれていなかった、ということなのだろうか。
「誰がこんな癇癪もちの面倒くさい妹に、大切な妹を関わらせたいと思うんだ。ルミナスは頭も良い、人付き合いだって上手で、愛嬌だってある子なんだ。それを発揮できる場所で、思う存分発揮すればいい。それこそがルミナスのためになる。マリアごときのために、ルミナスを消費するわけにはいかないんだよ」
癇癪を起こしたところで、ルミナスが帰ってくるわけはない。
幼い頃のように『仕方ないわね』と言って、『やっぱり、うちは私がいなかったら駄目なんだから』と言いながら戻ってきてくれるのではないかと。
「ま、って……。なら……お姉さまは……?」
「今の言葉が聞こえていなかったら、正真正銘本当の馬鹿だな。誰がお前への生贄にするか!ルミナスは、ここには帰省させるだけにする。この家ごと、捨てさせるんだ。残念だったな、もう二度とお前の思う通りにはさせやしない、肝に銘じろ馬鹿妹」
もう名前すら呼んでくれなくなった兄は、どこかへと歩いていく。呆然としているマリアのことは、完全放置状態で歩いていったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……あらまぁ」
ルミナスはローズベリー伯爵家にて、その手紙を受け取った。
「ルミィ、何それ」
「お手紙?」
よっこいせ、と何やら年寄りくさい掛け声とともにアリアがルミナスの隣に、その反対隣りにアリューズがそれぞれ腰を下ろす。
ルミナスが真ん中、というこの構図はきっともう当たり前なんだろうな、とミーシャもレノオーラもほっこりしている。
「えーっとね、実家でマリアが癇癪ばっかり起こして、お父様とお母様を疲れ果てさせて私を呼び戻す計画を立てていたらしいけど、お兄様が阻止してくれるんですって。マリアがちょっとでもましになれば向こうに戻ろうかと思ったけど、もう戻らなくていい、そっちで魔道具をきわめてバリバリ働くもよし、夫をサポートするもよし、って書いてるの」
「婚約のことはわたくしからディルくんに伝えていたけど、そう……うふふ、今度ディルくんをうちに呼ばなければいけないわね。ディルくんったら気が早いわぁ」
「え」
アリューズは思いもよらない義兄になる人への挨拶チャンスにちょっとだけ強張るも、アリアがにま、と笑っていることにいち早く気付いて真顔になる。
「何だアリア」
「ここまでルミナスを大事にしてるお兄ちゃん、きっと強敵ね!」
「楽しそうに言うな!」
「えーっと、追伸」
ルミナスの言葉にじゃれ合う寸前の二人がぴたりと止まる。
「婚約については聞いている、おめでとう。おばあさまとレノオーラ様、おじいさまとライル様が認めたのであれば僕から反対なんかしない。マリアに対しては分刻みのスケジュールを組んで動けないようにぎっちぎちにしてから、そちらへご挨拶に行かせてもらおう…………だって」
「すご………」
「ルミィのお兄様って、何者なんだい………?」
「きちんとしている人には、きちんと。ふざけている人には徹底的にやり込めて叩き潰す、って白黒はっきりしている、貴族らしいお兄様」
あっけらかんと言うルミナスに、両サイドの二人が真っ青になっているが、これこそ貴族、といわんばかりの態度をディルはとっているだけなのだ。ルミナスはそれに慣れているだけ、という話だが身構えている二人に対してはライルがフォローを入れる。
「ディルくんは、本当にルミナスを大切に想っているんだ。二人のことはすぐに認めてもらえるし、アリューズくんとはきっと仲良くなれるよ」
「は、はい」
ごく、と息を呑んでいるアリューズだがきっと大丈夫だ、とルミナスは思う。
だって誰より意気投合していた二人で、兄として、愛しい人としてそれぞれルミナスのことを想ってくれていた代表のような二人なのだから。
 




