こんにちは、おばあさま
ローズベリー伯爵家にアリューズが来たのは割と最近だが、ルミナスの祖母であるミーシャには、アリューズは実はほとんど会ったことがなかった。
会ってみたかったけれど、ミーシャが『こんなババアに対して今からそんなに気を使わなくてよろしい。遭遇出来たら、でよろしくてよ』とすっぱり言ったおかげで、本当に遭遇しない。
ババアて、と思ったが顔に出すわけにもいかない。レノオーラが『お義母さま、またそのようにご自分のことをババアなどと!』とぷりぷり怒っていたけれど、『ババアはババアでしょう』とあっさり返されていた記憶がよぎる。貴族の女性からあんなにもババアという単語は聞いたことがない。せめて老人ではないか、とアリューズは思ったが、ミーシャは全てにおいて色々と規格外だから、まぁいいか、と片付けた。
会えなかったとしても、それはただ、タイミングが悪いだけで会えばにこやかにミーシャは微笑んでくれるし、優しく接してくれる。仕事の時はかっちりとしているけれど、プライベートでは割と好き勝手あれこれしているミーシャを見て、アリューズもアリューズの母も、ギャップにぽかんとしてしまった。
とはいえミーシャも現役を引退したとはいえ、基本的にはとてつもなく忙しい人だ。そんな人直々に勉強を習ったルミナスがちょっとだけ、アリューズは羨ましかった。
そして今日、ルミナスを抱っこして馬車に乗り、ローズベリー伯爵家までやってきたアリューズとアリア。
『はえーでっかい!』と間抜けな声を出したアリアに対して、いくら友人とはいえアリューズは迷わずふくらはぎにローキックをかましている。『いったぁ?!女の子に何するのよ!』と叫んだアリアに対して睨みをきかせ、何回か会っているローズベリー伯爵家執事に会い、事情を説明し、ぐったりしているルミナスを見せれば執事は慌てて誰かを呼びに走った。
その誰かが、たまたま今回はミーシャ。
うわぁ会えた、と内心とても驚いたアリューズだが、あまりにいきなりすぎた上にルミナスを抱っこしていたものだから、ぱっと挨拶ができなかった。
「…え、と」
少しだけ戸惑ったアリューズに対して、ミーシャは柔らかく微笑んでから挨拶をしてくれた。
「お久しぶりですね、リーズ伯爵子息」
その挨拶に、慌ててアリューズは背筋を伸ばして挨拶を返す。
「は、はい!ご無沙汰しております、ミーシャ様」
「…はて。そちらの可愛いお嬢さんは?」
「僕とルミナスの友達の、アリアです」
「そう。こんにちは、それから初めましてね、…アリアさん?」
ミーシャの視線がアリアに向き、慌ててアリアは勢いよく頭を下げた。
「はいっ!初めまして、アリア・グレイスフォードといいます!こんにちは!」
「はい、こんにちは。元気でけっこう」
にこにこと笑ってくれているミーシャを見て、一応アリアの挨拶は及第点だったらしい、と察する。
しかし、酷く顔色の悪いルミナスを見てから難しい顔になり、二人をおいで、と手招きする。
「ルミナスは部屋に連れていきましょうか。…おかしいわね、今朝は元気いっぱい学院へ登校したのだけれど…」
「図書室で、倒れました」
「図書室で?!」
一体何があったのか、と孫の心配をしつつルミナスの部屋へと廊下を進んでいく。
二階の日当たりのいい、角部屋がルミナスの部屋だった。
窓が二箇所あり、日がよく入ってくれることと、窓を開ければ風がよく通るこの部屋でゆっくりと過ごすことが、ルミナスは大好きだ、と案内をしてくれたミーシャが教えてくれた。
「ルミナスのお部屋、大きい…」
「もう少し大きい部屋もあったけれど、この子が選んだのがこの部屋だったのよ」
ベッドに寝かされたルミナスの頭をそっと撫で、額に手をやって熱が無いことを確認したミーシャはほっと一息ついた。
ここ最近、ルミナスがこうして顔色を悪くすることが増えている。
今もうんうんと唸っているし、以前王太子とあれこれあった、と聞いた時よりも遥かに顔色が悪い。
時折、『う、』と唸って眉をひそめている様子が、子供だというのにとても痛々しく見えてしまう。
「……ふむ」
何か、こういう時に使える魔道具があっただろうか、とミーシャは頭をフル回転させる。だが、ルミナスの場合は恐らく、悪夢を見ないようにするなどのおまじない程度では、きっと解決しないと本能的にミーシャは察した。
「……あの、ミーシャ様」
「なぁに」
「単刀直入に聞いてもいいですか」
「どうぞ。でも、ここではあれだから、応接間に行きましょうね」
ルミナスは静かに寝かせてあげましょう、と言ったミーシャの顔は魔道具研究をする女性の顔ではなく、孫を大切にしている優しい祖母の顔だった。
改めて応接間に向かい、三人でソファーセットに座り、メイドからお菓子やフルーツの載ったお皿がアリューズとアリアの前に出された。
「アリアさんが来ると分かっていたら、茶葉は貴女のおうちが取り扱っているものを用意したのだけれど」
「え?」
「あなた、グレイスフォード商会の娘さんでしょう。お話だけは聞いたことがあったの」
「え、あ、そうなん、ですか?あの、ルミナスからは…?」
「グレイスフォード商会の娘さん、としては聞いていないわね。それに貴女、意識的にルミナスにその部分を隠していたのではなくて?」
「うぐ」
指摘が正しく、思わずアリアは妙な悲鳴を上げてしまった。
下心なくルミナスと付き合っているとはいえ、将来的な利益を求めていないのか、とあの子に聞かれたくなかったからこそ黙っていたのだが、ミーシャにはあっという間に見破られてしまった。
「一旦、今は置いておきましょう。それで」
ミーシャはアリューズへと視線をやる。
「リーズ伯爵子息……何だか面倒ね。将来家族になるのだから、アリューズくん、で今はいいかしら」
「はい」
「ルミナスがどうして倒れたか、分かるかしら」
「分かりません。でも、ルミナスはこう呟きました」
ぐっ、とアリューズは足の上で拳を握って、ルミナスに言われたあの言葉を思い出しながら、続けた。
「『もう、死にたくない』」
その言葉を聞いたミーシャは、目を丸くした。
「『もう』、ですって…?」
「はい」
「……ふむ」
「あの子に…何があったんですか」
アリューズの問いかけに対する答えを、ミーシャは持っていない。むしろミーシャの方がその答えを欲しているくらいだ。
頭がいいとはいえ、まだルミナスは子供。成人年齢までには時間があるにもかかわらず、大人顔負けの対応をすることだってある。
それと、ローズベリー伯爵家で、ルミナスを引き取ることになったそもそものきっかけは幼いルミナスから届いた、一通の手紙。
「何があったのかは分からないけれど、一つだけこれは言えるわ」
「はい」
アリアも、アリューズも、ぐっと体を固くした。
「あの子は、恐らく『何か』に囚われているのよ。わたくしも理由は分からないけれど、……怯えていることは、確かね」
その言葉を聞いて、二人は顔を見合わせる。
王太子が絡んできた時のルミナスの怯え方が、恐らく普通の人とは相当異なっていたから。
「それが何なのか…わたくしたちは、あの子に聞かねばならない…ということも、確かよ」
そうだ。
ルミナスが何に怯え、そして何を思って『もう、死にたくない』と呟いたのか。
知っているのは、ルミナスだけなのだから。




